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スナック  作者: ヤマダ
17/22

浮き足立つ

twitlongerにて、フォロワーさんからお題を募集して書いた小説。

【お題】 

頭痛、得体の知れない不安感、つくし、屋根裏、純喫茶、ヨモツへグイ、河原、井戸端、蛙


 窓から入り込んだ花冷えの風に、思わずくしゃみが飛び出る。

 うららかな春の日差しに染まらぬそれは、膨らむ桜の蕾に風邪をひかせかねない。

 この、春の入りの不安定さはいつも私を不安にさせる。行ったり来たりとなかなか定まらぬ季節の境目も、別れと出会いという妙に浮足立った気分も、新たな装いを披露しようと今にも綻びそうな花々も、皆私に得体の知れない不安を感じさせる。

 やめてくれ、やめてくれ。私はじっとしているのが好きなんだ。

 窓を閉めれば、陽光の温もりだけが部屋に落ちる。ああ、頭が痛む。ぼんやりと意識が霞む。これだから、季節の変わり目は嫌いだ。

 昨晩から降り続いた雨は土ばかりでなくコンクリートまで柔らかくする。染み込んだ雨が呼び水となり、地中からオバケが生えるのだ。ずずずと生えるビルのオバケは雨後の筍といった具合だ。蜃気楼にけぶる町は非常に美しいのだが、一つ困ったことがある。

 むくむくと、身の内から何か萌える出るむず痒さに襲われる。

 これだよ、これ。腕から、無数の半透明な土筆に似た物が生えている。いや、腕だけではない。足からも肩からも、にょきにょきと伸びるそれは湯気のように私の背中の辺りに集まっていく。

 エスカレーターの上昇時の浮遊感の後、ばたりと私が倒れた。より正確に言うと、私の抜け殻が倒れた。半透明な土筆の集合体、つまり魂として肉体を離れた私は足元に転がる自身に溜息を吐く。亡骸ではなく抜け殻なのは、夜にもなれば戻れるからである。

 いつものことながら、陽気に乗せられ浮足立つ我が身が情けない。

 ともかく、こうなってしまっては仕方がない。いつものように天井をすり抜け、霞みと共に立ち昇った増築されし屋根裏部屋へと向かう。本来ならないはずのオバケスペースは広々とし、物置にでも使えたらと口惜しく思いながらも目当ての場所へ向かう。

 屋根裏に光を落とす明り取りの窓が一つ。空気の塊のような体でも触れる天窓を開け身を乗り出せば、そこには場違いにも荒れた河原が広がっていた。

 小さな石塔を横目に見ながら、やけに煩い蛙の鳴き声に春ののどかさを何とか思い起こそうとするが、このどんよりと暗い空の下では難しかろう。

 ふらふらと川沿いを進めば、昔ながらのやや古風な喫茶店に辿り着く。

「おや、またですか?」

 にこやかな女店主に出迎えられ、私はいつもの、とだけ言いカウンター席に腰かける。  店の中は静かで、客たちはカップを前に穏やかな顔をしている。

「不陽気なもんでね。これだから、春はいけ好かない」

「ここしばらく新規のお客が多いのはそのせいでしたか。だから、ほら」

 女店主の指し示す先には『飲食厳禁』の張り紙があった。

「一応声は掛けてるんですけどね? 間違いがあっちゃあ大変じゃないですか」

 よもつへぐい、と言うやつだ。その昔、地上に生えたオバケ井戸に落ちてやって来たよそ者に食事を出して、帰れなくしてしまった大事件があったそうだ。

「まあ井戸の方は最近じゃ、落ちてくるのは蛙ばかり。増えに増えて困ってるんですよ」

「なるほど、それであんなに」

 可哀想に。ここに落ちた蛙は大海を知ることもなく、延々と井戸端会議を続ける他ない。

 どうぞ、と温かなカップが目の前に置かれる。どうも、と手にすれば、苦みと華やかな酸味が心地いいコーヒーの湯気が鼻孔をくすぐる。

 この喫茶店では皆が香りだけを楽しむ。煙草に香水、コーヒーや紅茶の煙や湯気を心行くまで味わう。

「香りは、強く思い出を呼び覚ましますからね」

 生憎、まだ生きている身の私にはいまいち同意が難しかったが、食べられもしない喫茶店にこれだけ客がいるのはそういう事なのだろう。

「不思議なもんだね」

「川を渡れば分かりますわ」

 ほほ、と笑う女主人にどう返したもんかと悩んだ末に、コーヒーへと視線を逸らす。この香りも、いつかはもっと味わい深く変わるのだろう。

 大きく湯気を吸いこめば、魂が琥珀色に満たされていくようで落ち着く。

 春のもたらす不安の種は、いつの間にかすっかり摘み取られていた。

〈了〉

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