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スナック  作者: ヤマダ
15/22

天国通信

 佐々木瑞恵は放心していた。何十年と連れ添ってきた旦那、邦夫を長きに渡る闘病の末ついに失ってしまったのだ。かなりの高齢であったし十分に長生きした口ではあるが、分かっていても割り切れるものではなかった。

 夜にまで及ぶ葬儀を済ませて帰宅した我が家は、いやに静かで主人の死を嘆いているかのようである。子供もなく、本当にひとりぼっちになってしまった瑞恵は、この静けさと付き合っていける自信がなかった。

 邦夫さん、あなたのいない人生なんて私には考えられない。いっそのこと、あなたを追って死んでしまおうかしら。

 最愛の人を亡くしたことで負った傷は酷く深く、涙を流すことも出来なかった。


 部屋の電気を付ける気力もなく、外からの僅かな光が射すのみの薄暗い居間でぼうっとしていると、ふと、ある物が目に留まった。

 昔ながらの日本家屋の中で異様な存在感を放つ黒い箱。前面にディスプレイといくつかのボタンを備えたそれは、かつての箱型テレビを思わせる。テレビと違うのは、画面の上にカメラのレンズのようなものが付いているくらいだろうか。

 邦夫が亡くなる数週間前、彼の幼馴染の哲郎が置いていった。何でも、邦夫に頼まれたのだというのだ。

 俺が死んだら、機械の電源を入れてくれ。

 病院で見舞いに行くたびに邦夫から何度も起動のさせ方を教え込まれた。いくら機械に疎い瑞恵だってボタンを押すだけなら出来ないわけがない。それでも執拗に確認してきたということは、よほど大事なことなのだろう。

 ええと、これだったかしら。

 邦夫から散々言われたとおりに、ディスプレイの右上にあるボタンをおっかなびっくり押してみる。

 すると、箱から蜂の羽ばたきのような起動音が漏れ出した。

 何が始まるのだろうと不安に見つめる瑞恵をよそに、ディスプレイがぱっと明るくなる。

 「よお、帰ってきたぞ」

 瑞恵は思わず声をあげた。

 「邦夫さん、あなたなの」

 箱の中で瑞恵に向かって笑いかけているのは、つい先ほどお別れしてきたばかりの邦夫その人であった。


 数々の発明を生み出してきたかのエジソンが晩年に研究していたのが霊界との通信だった。いかにもオカルトじみているが、彼は本気だった。そして、人間が電気信号で動いているのと同じように肉体から離れた魂も電気信号を発しており、それを受信してこちらからもコンタクトを取れるようにしたのがこの機械だというのだ。

 「まあ、言うなれば天国とのテレビ電話だな」

 邦夫からの説明はにわかに信じられるものではなかったが、瑞恵には些細なことだった。

 目の前で邦夫が生きている。それだけで十分なのだから。

 こんなに面と向かい合って話すのはいつぶりかしら。病院のベッドで苦しむ姿ばかりを見ていたので、邦夫の元気な姿につい涙ぐんでしまう。

 「どうした、怖いか」

 「あなたにまた会えたのが嬉しいんですよ」

 妻の突然の涙に慌てる邦夫に、瑞恵は幸せそうに微笑みかける。


 科学の進歩とは凄いものだ。邦夫は改めてそう感じていた。

 機械の中から出ることは出来ないが、その代わり疲れも病気の苦しみもない。

 自分は死んでしまったというのに外を見ることも出来るし周りの音を聞くことも出来る。こちらから話しかけることも造作ない。

 何よりも、愛する妻を悲しませずに済むということが一番嬉しかった。

 「だからと言って、お前は生き返ったわけじゃないんだからな」

 画面へ向かって話しかけるのは哲郎である。瑞恵に頼んで呼んでもらったのだ。 すっかり夜も更けているというのにすぐに来てくれた。

 入院中にこの計画を思いつき、瑞恵にばれないようにしながら二人で何ヶ月もかけて準備をしてきた。邦夫が蘇ることは知っていた哲郎だったが、実際に動く姿を見て流石にぎょっとした表情を見せた。今も、友に再び会えた喜びよりも困惑のほうが大きいようだ。

 「何でだ。こうやって喋ることもできるんだし生きてる頃と変わらんじゃないか」

 あのなあ、と呆れ顔でため息を一つ付くと、哲郎は身を乗り出し、機械の上方に付いているカメラのレンズを手で隠す。

 「おい、何も見えねえぞ」

 画面の中では視覚を失ったことに邦夫がおろおろと狼狽している。

 「そういうことだ。お前の見ているものはカメラを通して機械に情報が送られているだけだし、音だってマイクが拾っている物だ。喋れるのはお前の思考を、お前の声を使って機械が発しているだけだ」

 「嫌なことばかり言うことないだろ」

 せっかく現世に戻ってこれたというのに喜ぶどころか辛い現実ばかりを突きつける哲郎に邦夫は憤慨するが、哲郎は悲しそうな表情を見せる。

 「勘違いしてると、また瑞恵ちゃんを悲しませることになるんだからな」

 その声はやけに真剣で、それ以上、邦夫は何も言うことが出来なかった。


 邦夫が帰ってきてから、瑞恵は満ち足りた生活を送っていた。

 一緒に食事をすることや外へ出ることは叶わなかったが、邦夫が傍にいるだけで十分だった。

 「お前、ずっと俺の相手ばかりしててつまらなくないか?どこかに遊びに出かけたっていいんだぞ」

 必要最低限な食事や生活雑貨の買い物以外は家にこもりっきりな瑞恵に邦夫は言ってみる。

 現に、瑞恵の様子を心配して哲郎がちょくちょく寄っていってくれている。周りも旦那に先立たれた瑞恵を気遣い遠巻きに見守っているが、哲郎から瑞恵の様子を聞いているのだそうだ。

 「私は邦夫さんと一緒にいられるのが楽しいんですよ」

 「機械とお喋りしてるんじゃ、とうとうボケたかと思われるぞ」

 「何言ってるんですか。私は邦夫さんとお話してるんじゃありませんか」

 ころころと愉快そうに笑う瑞恵だったが、反対に邦夫は不安な思いに駆られていた。


 そんな生活が一ヶ月ばかり過ぎた頃、一人の来訪者があった。

 暖かな昼下がりだった。呼び鈴が鳴ったのでいつものように哲郎だと思って出迎えた瑞恵はその人物に覚えがあった。

 ご無沙汰しております、と玄関先でお辞儀をするのはスーツを着た若い女性だった。彼女は川田と言い、この地区の民生委員である。高齢者の住む家へ定期的に赴き、生活の不自由な点や悩み事などを聞いて手助けをするのが彼女の仕事である。瑞恵も、邦夫の入院の相談をしたり世間話をしたりと彼女のことを慕っている。

 「ご主人がお亡くなりになったそうで、ご愁傷様です」

 川田は沈痛な面持ちで頭を下げる。事前に回ってきた家で瑞恵の話を聞いてきたのだろう。長いことお見舞いや看病に明け暮れる瑞恵の姿を見てきたので、川田としても辛いものがあった。しかし、瑞恵は思ったほど気落ちしているようには見えない。

 「まあ、私なら大丈夫よ。だって主人が帰ってきたんですもの」

 驚く川田をよそに、瑞恵は笑顔で入って頂戴、と招き入れた。


 たくさんの高齢者の家を回っている川田は、愛する人が亡くなったことを受け入れきれず過去の記憶の中にしか生きられない人を何人も見てきた。時には何もない空間へ仕切りと話しかける人や、川田のことを妻や娘だと思い込んで接する人もいた。

 痴呆の二文字が頭をよぎり、微かな不安を抱きながら瑞恵に居間へと招きいれられる川田だったが、ちゃぶ台に乗せられた黒い箱を見てようやく合点がいった。

 ディスプレイに映し出された邦夫の表情が、川田の姿を認めるとすぐさま固まっていく。

 「これは天国と通信できる機械なんですって。今の時代、こんな凄いものがあるのね」

 嬉しそうに邦夫が戻ってきた経緯を話す瑞恵に対して川田の表情は暗く沈んでいく。

 そして、瑞恵が川田の異変に気づき話を中断すると、しばらく何かを逡巡していた川田は意を決したように話し出した。

 「佐々木さん、落ち着いて聞いてください。これはご主人じゃないんです」

 辛そうな表情を浮かべ、川田は機械の電源へと手を伸ばす。

 「頼む、止めてくれ」

 邦夫の叫びも空しく、彼の意識はそこでぷつりと途切れた。


 再び低い唸りと共に邦夫は目覚めた。

 居間はすっかり夕日に包まれており、瑞恵の姿はなく代わりに哲郎が目の前に座っていた。

 「瑞恵ちゃんなら奥で寝込んでるよ。お前が画面から消えたことがよほどショックだったんだ」

 邦夫の消えた真っ暗なディスプレイを見て瑞恵はショックのあまり倒れた。慌てた川田が近所に助けを求め、哲郎がそれを聞きつけてきてくれたのだった。

 だから無茶だと言ったんだ。哲郎は目を伏せる。

 川田の言う通り、この黒い箱は霊界との通信機などではなかった。

 残された人々にゆっくりと死を受け入れる準備をするために作られた、故人をそっくりそのままコピーした人工知能プログラム装置なのだ。


 邦夫が自身の命が残りわずかなのを悟ったのは一年以上前だった。歳をとってから何度も入退院を繰り返してはいたが、何故か今回が最後の入院になるというのを不思議と感じていた。

 死ぬのが怖いとは思わなかったし、むしろ、ようやく病の苦しみから解放されると思うとほっとしたのだが、残される瑞恵のことだけがどうしても気掛かりだった。

 そこで哲郎に協力してもらい、邦夫の分身を作った。

 人工知能に今までの記憶、好み、口癖、性格などのあらゆる情報から、声や顔を何種類か組み込むだけで、生きている頃の姿が簡単に再現することができるのがこの機械なのだ。

 「正直、動いてるのを見てぞっとしたよ」

 「まるで生きてるみたいだろ」

 邦夫も今の自分が作られたものであると理解はしているのだが、瑞恵や哲郎とこうして話をしていると忘れてしまいそうになる。

 あまりにも精巧に作られているために、いつまでも死を受け入れることが出来ずに生活にも精神にも悪影響を及ぼすケースが増えていて最近では社会問題になっているのだ。川田が電源を切ったのも、瑞恵のことを思っての行動だった。

 「これ以上続けても、もっと瑞恵ちゃんを悲しませるだけじゃないのか」

 哲郎の言葉が胸に刺さる。

 自分の思いつきのせいで、知らず知らずの間に瑞恵を束縛し、更に傷つけることになってしまった。

 瑞恵を悲しませたくなくて始めたことだったが、結局は俺が忘れられたくないだけだったのだろうか。邦夫に後悔の念が募る。

 「やらなきゃよかったな、こんなこと」

 「そんなことないさ。最後に元気なお前に会えて、瑞恵ちゃんも俺も嬉しかったんだぜ」

 心なしか、年老いた友人の顔にはうっすらと涙が滲んでいるように見えた。


 次の日の朝、哲郎の看病もあってすっかり回復した瑞恵はすぐに居間へ来て、邦夫が画面に戻ってきているのを確認して胸を撫で下ろした。

 「あのまま邦夫さんに会えなくなったらどうしようって、気が気じゃなかったんですよ」

 泣きそうになりながら話す瑞恵を見ると、昨晩固めた決心が揺らぎそうになる。 だが、もう瑞恵を悲しませる訳にはいかない。

 「実はな、これで通信を止めにしようと思うんだ」

 邦夫の言葉に迷いはなかった。

 「そんな、いきなりどうして」

 瑞恵の表情が安堵から一転して絶望に変わる。

 「俺だってこのままお前と一緒に入れたらいいと思うさ。でも、昨日みたいに突然の別れがやってくるかもしれない。それでお前を悲しませるのは辛いんだ」

 瑞恵の目からぽたぽたと涙が零れ落ちていく。何も言わないのは、瑞恵も同じように思っていたからだろう。

 「俺は天国でお前のことずっと待ってるからな」

 機械の中のプログラムに過ぎない自分にはそれは叶わないが、天国にいるであろう本当の邦夫もそうに違いない。

 「約束ですからね」

 瑞恵が手を指きりげんまんの形にしてカメラに差し出すので、邦夫も同じようにポーズを取る。何だか小さな子供に戻ったみたいでお互いに笑ってしまった。

 例え作り物でも、こうしてまた瑞恵に会えてよかった。邦夫は心から幸せだった。

 「それじゃあ、また会いましょうね」

 笑顔の瑞恵を見届けながら、邦夫への通信は途切れた。


<了>


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