かさぶた
「あんたさ、潔じゃないでしょ」
驚きも恐れもなく、真奈は純粋な確認として僕に問いかける。
不意打ちを食らって、夕食を食べる手を止める。
「何でわかったの?」
「そりゃ、三年も付き合っていれば嫌でも分かるわよ」
酷い男だったけどね。そう言って青あざや傷が浮かぶ腕をさする。
「そんな奴のこと好きだったんだ」
当の本人からこう聞かれるのはおかしな感じがするだろう。ただ、同じ顔、同じ声はしてはいるが僕は既に彼女の恋人ではない。
「暴力はふるうし人は騙すしで人間のくずみたいな人だったんだけどね、何故か捨てられなかったのよ」
馬鹿な女って思うでしょ。自嘲気味に笑う彼女を笑うことはできなかった。
彼女の右腕のかさぶたは、すっかり乾いてあとは剥がれるのを待つばかり。
「いきなり大人しくなっておかしいとは思ってたの。いつも何かに対して怒って当り散らしていたから。でも、やっぱり違ったのね」
正解に満足したように彼女は嫣然と微笑む。
今までばれたことなんてなかったのに。それでも悔しさの中に嬉しさが存在していた。
潔に成り変わったのはほんの一週間ほど前のことだった。そのときの僕は髪を明るく染めた十代の少女だったはずだ。
俺と遊ばない?厭らしい目つきと自尊心に満ちた態度に嫌悪感を抱いたが好都合だった。こういう、いなくなっても誰も困らないような奴の方がやりやすいのだ。
媚を含んだ視線を投げかけるとすぐさま色めき立ち、ラブホテルに連れ込まれた。
そして、僕は彼を食べた。
そう言えばこいつ、女がいるって言ってたな。
潔になってから僕が初めにしたのは彼のマンションへ行くことだった。
運がよければ次の体が手に入るかもしれないし、彼女を持ちながら他の女と寝ようとする最低な男の彼女を見てみたいという好奇心だった。
すっかり夜も更けているというのに、彼の部屋の中には明かりが点っていた。不思議に思いリビングと思われる部屋を覗くと、女がテーブルの上で腕枕をして寝息を立てていた。
陰のある美しさと、素肌のいたるところに刻まれたあざと傷に目を惹かれた。
しばらく彼女を見つめていると、気配に気づき弾かれたようにこちらを向いた。
「ごめんっ、あんまり遅いから、つい」
脅えた表情に震える声。いつ攻撃されてもいいようにと無意識に防御の構えをとる彼女が哀しくて、ついその頭を撫でていた。
右腕に大きく出来た血の滲む引っ掻き傷。恐らく眠らないようにと自分でつけたものなのだろう。
この傷が癒えてから食べよう。僕はそう決めたのだった。
「私のことも、潔と同じようにするの?」
目の前の彼女は怖がりもせず、むしろ嬉しそうに僕に尋ねる。今の彼女は初めて会った頃とは見違えるように穏やかな表情を浮かべている。
本当のことを言えば、迷っていた。人を食べることで命を繋いできた僕には、食べた人に対してかわいそうだなんて思ったことは無かった。ただ、運が悪かった。それくらいの感情しかなかった。
それがどうだろう。一緒に暮らすうちに彼女に惹かれるほどに自分のものにしたいという欲求と、このままでいたいという思いが胸に芽生え始めたのだ。
「いいよ。あんたになら殺されても」
驚いて彼女をみると、今まで見た中で一番の笑顔を浮かべていた。
白々しい朝の光が部屋に満ちている。
リビングには潔の姿は無く、真奈だけがいる。
「かさぶたを剥がさせてくれない」
僕の頼みに彼女は何も言わずに腕を差し出してくれた。
彼女の肌を傷つけないように、優しく爪を立てる。淵を軽く引っかくと、茶色く乾いた皮膚が剥がれ桃色の新しい皮膚が現れる。いとおしむように彼女のかさぶたを剥がすのに夢中になっているとふいに彼女が短く声をあげた。
まだ完全に新しい皮膚が出来ていたわけではなかったのだ。桃色の肌の上に小さな血の玉がゆっくりと膨れていった。
僕は桃色のケロイドの浮かんだ白い腕を見る。血はすっかり乾き、新たなかさぶたが作られている。
「あんたと一つになれるなら、食べられるのも悪くないわ」
彼女が言った言葉は僕に言ったのだろうか、それとも潔に言ったのだろうか。今となってはその答えを知ることは出来ない。
どれだけ傷やあざが消えても、彼女は僕の心に消えることの無い傷を残していった。
なんどかさぶたになっても消えない傷を。
それが、僕には嬉しくもあり切なくもあった。
〈了〉




