プールサイド
サトシがあの時、シュートの邪魔さえしなければ。
歓声とホイッスルの音が響く小学校のプール。その隅の木陰で、ショウゴは忌々しげに白い布で首から吊るされた左腕に視線を落とした。
昨日の休み時間、クラスの男子たちと校庭でサッカーをしていたとき、シュートを決めようとしたショウゴにサトシが足をひっかけたのだ。つんのめるようにして派手に転んだショウゴの左腕にはひびが入り、数週間はプールの授業を見学することになってしまった。
刺すような痛みにうずくまるショウゴが早退した翌日、登校したショウゴの痛々しい姿にサトシは泣きそうになりながら何度も謝ってきた。
しかしそれはそれ、これはこれ。今は他の男子たちと楽しそうにじゃれあっている。
薄情者め。恨めしげにサトシを睨むショウゴだったが向こうはちっとも気づかない。
いいな、プール。つい、ため息をついてしまう。
初夏の風がさわさわと青葉を揺らしていく。熱中症対策のための涼しい木陰も、プールの魅力の前では霞んで見える。
今日の見学者はショウゴと、同じクラスのミチルだ。今年の春に海の方から転校してきたミチルは、もともと足が悪いらしくいつも松葉杖を着きながら生活しており、体育の授業は毎回見学している。あまり話したことはなかったが、不思議な雰囲気のする女の子だとショウゴは感じていた。
ミチルはどんな気持ちなんだろう。ショウゴがそっと彼女を盗み見ると、ミチルはプールを眩しそうに見つめていた。
「あなたたち、ちょっとだけ入っていいわよ」
体育のコジマ先生が水着姿で呼びに来る。生徒たちがプールで自由に遊んでいい時間になったのだ。
きゃあきゃあ、とはしゃぐ声がやけに遠くに聞こえる。
プールサイドに腰掛けて水に足を浸すと、冷たい感触が足に伝わる。水の抵抗を受けながら足を動かすとプール底の水色がきらきらと揺らめく。
これっぽっちじゃ全然おもしろくない。ショウゴがふて腐れながら水を蹴っていると、視界の隅に白い素足が差し込まれる。
「裾、捲くらないと濡れるよ」
ショウゴがそう言うと、ミチルはいいの、と笑った。既にワンピースの裾は少し水に浸かっていた。彼女の横顔には笑みが浮かんでいる。
「つまんなくねえの?いつも見学で」
何気なく口に出した後、しまったと思った。すぐさまショウゴはごめん、と謝る。
「謝まんなくていいよ」
ミチルは気にする素振りも見せずに言う。きっと今までだって何回もこんなやり取りを繰り返してきたんだろう。そのことがショウゴの胸を締め付ける。
「私ね、今はまだ上手く歩けないけど、大人になればちゃんと歩けるようになるんだ」
ママも同じだったんだって。ミチルは笑顔で話す。
「だから今は半人前。杖を使わずに歩けるようになったら、パパとママとまた海で暮らすの」
いつの間にか、水の中で揺れていたミチルの白い素足は、青い鱗に包まれた魚の尾に変わっていた。透き通った尾びれが水の中できらめく。
ミチルは気づいていないようだったが、ショウゴの目には鮮やかに焼きついた。
甲高いホイッスルの音が、プールの授業の終わりを告げる。
「さっきの話、二人だけのないしょ、ね」
いたずらっぽい笑みを残し、濡れた裾を絞ってミチルが松葉杖をついて立ち上がる。ワンピースから覗くのは人間の足だ。
今見たのはいったい。ショウゴが驚いてぱちぱちと目をしばたかせていると、水面できらりと光るものがあった。何だろう。プールに落っこちないように気をつけながら右手を伸ばす。
それはビー玉ほどの青い魚の鱗だった。
太陽に透かして見ると、青く輝いてとても綺麗だ。
二人だけのないしょ、ね。ミチルの声が甦る。途端にショウゴの体の内側から夏の暑さよりも熱いものがこみ上げる。
早くあがりなさーい。コジマ先生の声が聞こえる。
「ショウゴ、行こうぜ」
プールから出たサトシがショウゴの背中を叩いてきた。
「あれ、やけに顔が赤くないか?」
サトシの言葉にショウゴは咄嗟に、日焼けだよ、日焼け、とごまかす。
「ほら、そんなことよりも行かなきゃ」
ショウゴは鱗をそっとポケットへしのばせ、プールサイドを後にした。
〈了〉




