夏に浸る
真っ暗な部屋の電気をつけ、スーツにストッキングのままベッドへ倒れこんだ。 夏の暑さと効きすぎた冷房で揉まれた体はくたくたで夕食を取る気もおきない。
いや、本当の原因は他にある。
何であんなミスをしてしまったんだろう。
昼間の失態が脳裏に浮かび上がり思わず枕に顔をうずめる。ミス自体はとても軽いものだったし、気にすることないよ、と先輩も慰めてくれた。
それでも、ようやく社会人としての自信がついてきた私の心にぴしりと亀裂が走った。
しばらくベッドに寝そべり後悔に押しつぶされていると、体が接している部分が熱を持ってきたので、このままじゃいけないとむりやり起き上がる。一日中、部屋は閉め切りにしてあったので蒸した気持ちの悪い空気がこもっている。
とりあえず、夜風を入れよう。のろのろと立ち上がり、申し訳程度についているベランダへと続くガラス窓を開ける。
するりと、外から夜が流れ込んできた。
色味はなく見ただけでは分からないが、濃度の濃い熱を持った空気と、ゆるいゼリーのような感触が足元をすべっていく。
そういえば今日は熱帯夜だっけ。
朝のニュース番組で天気予報士が笑顔で話していたのを思い出した。
プールに水を溜めるように夜はゆっくりとかさを増し、出しっぱなしのマグカップやテレビのリモコンなんかを浮かべていく。
一人暮らしを始めて迎える初めての夏。熱帯夜のことなどすっかり忘れていた。
夜が部屋に満ちていくのをぼんやり眺めていたが、はっとして窓を閉めた。満杯まで入れてしまうと外へ出すときが大変なのだ。
空気よりもほんの少し重い、ぬるいものが体にまとわりつく。見上げると天井の安っぽい照明がちらちらと波打っていて、まるで水底にいるようだ。水中と違うのは濡れないことと息が苦しくならないことだろうか。
そういえば、昔はよく蚊帳を駄目にして怒られたっけ。
せっかく吊った蚊帳も部屋が夜に満たされれば、浮いてしまい隙間ができ役目を果たさなくなってしまう。何度注意をされても止めなかった。空を飛んでいるかのように夜を泳ぐことは、幼い私にとっては最高の遊びだったのだ。
随分と遠くに来ちゃったな。
いつの間にか、声をあげて泣いていた。床にぺたりと座り込んで、まるで小さな子供に戻ったように。
泣き声は音にならずにあぶくとなって消え、涙は流れず夜に溶けていった。
いつまでそうしていただろうか。気が済んだ頃には気持ちはすっきりとし、学校のプールの授業の後のような心地のいい気だるさが全身を包んでいた。
泣き腫らした目をこすってから、再び窓を開けて溜まっていた夜を涙ごと外へ流す。吸い込まれるようにぬるい空気は消え、代わりに湿った夜風が吹き込んでくる。
「明日からまた頑張らなくちゃ」
独り言は消えずに、一人きりの部屋にとどまった。
〈了〉




