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スナック  作者: ヤマダ
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灰空のパレード

 横断歩道を軽自動車ほどの大きさのカタツムリたちが、のろのろと横断している。

 どの殻にもみずたま模様やしま模様、きらきらと輝く宝石や洋菓子を模した飾りによって華麗にデコレーションが施されている。とっくに信号機は変わっているのに平然と進むさまは、己のアイデンティティを見せ付けるためのパレードにも思えてくる。

 梅雨になるとアスファルトとビルで囲まれたこんな都会でもおかまいなしに現れるこいつらには、常識も交通規制もいっさい通用しない。

 わたしも、同じく信号待ちをする人たちも、辛抱強くこの行進を待つしかない。

 せっかく今日のために買ったワンピースも雨のせいか重たく感じる。

 こんなことなら、電車をもう一本遅らせればよかった。

 ビニール傘越しに灰色の世界があいかわらず続いている。


 ようやく最後尾が渡り始めたころには既に十五分は経過していた。

 カタツムリたちの自己主張にやや食傷気味になっていたので、思わず笑みがこぼれた。

 いちばん後ろを群れから少し離れてついてくるそいつは、ほかのカタツムリよりも小さく、殻も派手さのない普段よく見られるうずまき模様だ。疲れているのか殻がぐらぐらとゆれている。きっとまだ子供で着いていくのに精一杯なのだろう。

 訪れた悪夢の終わりにやさしい心をとり戻したわたしは、殻を安定した位置に置いてやろうなどと余計なことを思いついてしまった。

 駆寄ってみると、うずまき模様はずいぶんと疲れているようだった。体が小さい彼にはこのような長旅はこたえるらしい。ふつりあいに大きい殻は、彼がすすむたびに右へ左へ大きく揺れる。


 いま直してあげるからね。そんな要らぬ正義感をもってうずまき模様の殻にふれる。思いのほか作り物めいた乾いた感触に一瞬どきりと胸がはねる。

 なんだろう、この手触りは……。

 突然、カタツムリがびくりとからだを硬直させ、わたしから逃れようと身をよじった。しかしそれがいけなかった。わたしはかたつむりたちの這ったあとのぬめぬめに足をとられ、殻を抱え込むようにして尻餅をついてしまった。

 周囲にざわめきの波が走った。打ちつけた尻の痛みと衣服の塗れる不快感。そんなことはさほど問題ではない。問題はいまだに抱えているこの大きなうずまき。

 わたしはカタツムリの殻を引っこ抜いてしまった。


 「ごめんなさい、こんなつもりじゃ」

 青ざめたわたしは急いでカタツムリに駈けよる。殻をとられたショックからかぶるぶると震えている。それはそうだ。殻の中の内臓ごと引きちぎられたのだ。なんてひどいことをしてしまったんだろう。親切のつもりがこんなことになるなんて。わたしは涙をこらえながら彼の背に殻を戻そうとする。しかし、さらなる衝撃がそこにはあった。

 殻を戻すべき背中は傷ひとつない、つるりとした背中がこちらに向けられていた。


「きゃー、ナメクジよ」

「ナメクジが出たぞ」

 周囲が口々に叫びだす。散々待たされたことへの苛立ちがつのったのか、はたまた紛れ込んでいたにせものへの純粋なる怒りか、もしかしたらどちらもかもしれない。呆気にとられるわたしをよそに、怒れる群集は手に手に塩を持ち、罵詈雑言とともにナメクジへ投げつける。

 ナメクジもこれには堪らない。からだを縮ませながらもパレードの最後尾にいたとは思えない速さで路地裏へと消えた。群衆も気がすんだらしく平然と目的地へと進みだし、あとには殻を抱えて途方にくれるわたしだけが残った。

 これはいったいどうすればよいのだろう。


 「いやあ、助かったよお嬢さん」

 まだ状況がのみこめずにぼうっとしているわたしに、背後から呼びかけるダンディな声。

 ふり返ると、カエルがいた。タキシードを着て恰好をつけてはいるが、顔と手足はカエルそのものだ。さしずめカエル男爵とでも言ったところだろうか。

 「近頃、カタツムリの中にまぎれてスパイを行うナメクジがいてね。お嬢さんがみやぶってくれてよかったよ」

 「はぁ、そうですか。」そんなつもりではなかったのだが、カエル男爵は気にせず話をつづける。

 そこから先は、カタツムリとナメクジ間の政治的闘争だの最近は雨がよく降るので田畑が活気付くだの、ひとりごとかのように一方的に喋り続けている。

 早くおわらないかな。面倒なことに巻き込まれたと気づくのは、いつでも巻き込まれたあとだ。待ち合わせ場所で待っているであろう彼に、こんなに会いたいと思うのは初めてだ。

 そんなことを考えていると、男爵がじっとこちらを見ている。

 「……なんですか」

 「何って君、服が汚れているじゃないか」

 そういえばすっかり忘れていた。すっかり重く冷たくなったワンピースは、意識すると肌にまとわりついて非常に気持ち悪い。

 よし、と男爵はつぶやくと、わたしの手をにぎった。

 「ついてきたまえ。ささやかなお礼をしようではないか」

 わたしの意見などお構いなしのようだ。

 水かきのついた手は、両生類特有のぺっとりした感触で冷たかった。


 「それで、そんな服を着ているの」

 ひととおり話をきいた彼はおもしろいものでも見るようにわたしを見つめる。

 若草色のレインコートに赤い長靴姿のわたしは、なかなかユニークにうつっているだろう。

 待ち合わせ場所にずいぶん送れてきたわたしを怒りもせず、彼はいつもどおり笑顔で迎えてくれる。

 もちろん、カタツムリのパレードもカエル男爵も存在しない。ぜんぶウソだ。

 雨が降るとウソをつきたくなるのは昔からの悪い癖。そんな、わたしの作り話にも彼は喜んでつきあってくれる。

 彼が笑って聞いてくれるから、わたしにとってそれは本当のことになる。どんなに灰色の曇り空であっても、色鮮やかなパレードのきらめきを帯びるのだ。

 やわらかな雨にうたれるような、あたたかな心地よさにつつまれて、わたしは新たな物語を話しはじめるのであった。


(了)

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