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龍翼のディオスクロイ  作者:
十章
59/66

 目先の空間が、ゆるりと像を結び直す。四方に灯るランプには既視感があった。足元には規則正しく石畳が並び、淡く文様を描き出している。

その床を殴りつけては、ハルミヤは叫びとも嗚咽ともつかぬ声をあげていた。

 命をなげうってまで生かされることを、誰も望んでなどいなかった。今すぐにでもあの部屋に戻って、頬を張り飛ばし、馬鹿なことをするなと叱りつけてやれたなら、胸をえぐり取るような痛みさえ幾分かは楽になったはずなのに。

 床に拳を叩きつけ、ついに力尽きて爪を立てる。縋りつくように這いつくばったハルミヤの耳に、早足の足音が届いた。

 扉が開く。足音の主――ラケイユは、転移陣に運ばれた二人の姿を見てすべてを悟ったらしかった。

「ハルミヤ」

「……っ!」

 頭の中で糸が繋がる。ハルミヤは弾かれるように顔を上げ、その勢いで立ちあがった。獲物を捉えた獣さながらに掴みかかる。

 鈍い音がした。壁に後頭部を打ちつけて、ラケイユが微かに呻く。ハルミヤは彼の胸倉を掴み、「何故」と絞り出すように言った。

「何故、ここにいる。私たちがここに運ばれることを知っている。……お前が」

 悼むようなラケイユの表情が確信を与えた。薄い胸を殴りつけ、渾身の力で睨みつける。

「お前が命じたのか。こうなることを知っていて、あいつを同行させたのか――!」

 壁向こうの広間の先に退路が存在することも、それが転移陣であったことも、彼にとっては数ある可能性の一つに過ぎなかったのだろう。しかしバルクは迷いなく動いた。まるでかねてからの言いつけに従うかのように、愚直なまでに。

 ラケイユは細く息をつき、自分に馬乗りになる少女を見上げる。言葉にためらいはなかった。

「俺が殺した」

「……っ!」

「きみじゃない。神殿の人間でもない。……きみのご友人は、俺が殺した」

 頬を張る。それでも彼は恨み言の一つも吐かなかった。

 謝ることも言い訳を返すこともしないのは、彼が自分の打った策に微塵の後悔も抱いていないためだ。ハルミヤとて理解はしている。神殿に乗り込み機密を暴きだす、その対価として差し出すには、バルクひとりの命があまりにも軽かったことなど。

(だからといって)

 赦すわけにはいかなかった。じりじりと痛む掌を握る。彼の肩に打ちつければ、手ごたえが骨に響いた。けれども続く言葉は見つからない。ふらつきながら身を離し、膝を抱えるようにしてうずくまる。

 きい、と軋んだ扉につられ、ハルミヤは初めて意識を外に向けた。

 壁際に手をかけて、その男は悔むように吐息をこぼした。目尻には深いしわが刻まれ、黄金の髪には白髪が交じっている。わずかに曲がった腰を強いるように伸ばして、彼、神学院長テオドールは弱々しく首を振った。

「……殿下の仰ったとおり、か」

 来なさいハルミヤ。銀の龍の御方。低い声で名を指して、彼は踵を返した。

 重く、学院の鐘が歌う。朝の終わりを告げる鐘。神殿の見張りが交代する時間だった。


 導かれた学院長室に、ハルミヤとアルヘナは立ち並ぶ。テオドールは自らの椅子に腰かけ、ラケイユはその横に居場所を得た。彼らの背の窓からは日光が差し込み、室内に虹色の影を落とす。遠くには神殿の白壁がそびえていた。それを眺めていれば、たった今目にしたばかりの光景は容易に蘇る。

 地下に押し込められた木箱と、その中に横たわる学徒の似姿。クロエを除いた誰も彼もが学院の法衣を身にまとい、時を待つかのように目を閉じていた。

「見たのだろう。神殿の生み落とした“兄弟たち(ブラーチヤ)”を」

 問い、テオドールは炯眼をもってハルミヤを見据える。彼から目を逸らす理由もなかった。

「あなたは、最初から知っていたのか……?」

 イシュティア・ディルカを神学院に迎えるよりずっと昔、ハルミヤとエツィラを神子候補として祀り上げた際――否、さらに過去、二人を孤児院に引き入れたときには、彼はハルミヤらの生い立ちを悟っていたのだ。

 すなわち二人のうち一方、あるいは両方が、命龍シルヴァスタの力により人為的に生みだされた人間であることを。

 テオドールはゆるゆると視線を下げる。日の光を背後に受け、瞳には影がちらついた。

「学院は優秀な子供を集めるための施設だった。兄弟たちを生み出すに足る原型……知能と法術の能力に長け、かつ若く、体力のある子供たちを招き入れるための」

 法術を用いる能力は天性のものだ。学院はそれを生まれ持ったことを入院の第一条件と掲げ、その上に知能を問う試験を課している。捨て子であろうと才を持つ者のみが受け入れられ、貴族の子弟であれども持たざる者は追い払われてきた。

「神殿は彼らをもとに、顔かたち、潜在能力、そのすべてを丸写しした別の人間を生み出した。命龍の血の一部を受けて生まれた彼らは“兄弟たち”と呼ばれ、兄弟から兄弟へ、血を分かつように幾人もの似姿を生み出していった」

 目覚めないリディ。広間の中に残された彼女たちは、いわば失敗作であったのだろう。箱の走り書きに残された状態報告を、ハルミヤは苦い思いで記憶から掘り返す。

「生身の人間を用いておきながら、どうして誰にも気付かれなかった?」

「心を持たぬ兄弟たちはわたしたちの言うとおりに動いた。生まれた日までの記憶を原型と共有し、すり替わることも容易にこなした」

「その、原型は」

 テオドールが首を振る。

 ハルミヤは今にも暴れ出そうとする感情を押さえつけ、指先を握り込んだ。掌に走った微かな痺れが、彼女を理性の中に押しとどめる。

「その“兄弟たち”を生み出して、神殿は何を目論んでいたというんだ」

 神のため、国のためとその場の神官は告げた。自分たちの行為を疑うこともせずに。問いかけにテオドールはゆっくりと首をひねり、彼方に建つ神殿へと目を向けた。

「神子の器を作るためだ」

「……器?」

「正しくは、命龍の力の受け皿を。あるいは鏡を。命龍と盟約を交わし、龍自身の力――再生の力を、龍体そのものに循環させるための管を」

 白銀の髪筋が揺れる。アルヘナが視線を逸らし、以降は耳にする必要がないとばかりにかぶりを振った。暗がりに落ちた緑の輝きを、テオドールは諦念を滲ませて一瞥する。

「命龍シルヴァスタは衰弱している。ディルカメネスが龍を失うわけにはいかない。しかし神子の体を通して法術を彼女に押し戻す手を取ったところで、その強大な力に、人の体が耐えられない」

「なら、神子が長寿だった理由は」

 口を挟む必要もなかった。誰もの中に浮かび上がった答えを、テオドールは頷いて口に出す。

「幾人もの兄弟たちを、ひとりひとり生み出しては盟約させ、衰えた者から継ぎ足してきた。くり返し、よりよい器が現れるまで……何十年も、数百年も」

 頭から血の気が引いていった。くらつきそうになる体を意地で押しとどめ、ハルミヤは必死に思考を回す。

 長い者で数百年、短い者で数年。神子の寿命に偏りがあったのはそのためだ。

 学徒の中に能力で勝る器を見つければ、神殿は兄弟たちを生み出して神子として選出する。その原型は闇に葬られ、あとには神子としての功績だけが語られていく――そうして、力ある神子を探し続けてきたのだろう。

(龍の宣託なんて、どこにも存在しなかった)

 それどころか神たる命龍は、自らの力に縋らねば生きることすらままならない状態に陥っている。

「それだけの時間をかけても、身一つで龍の体を支えることのできる器は見つからなかった。兄弟たちの数も無限ではない、彼らを生み出す度に龍体が傷つくのも明白だ。神殿は盟約に求められる素質を探り、神子に感情を持たせることを思いついた」

 自然、ハルミヤの注意はアルヘナに吸い寄せられた。意志によって結びつけられた盟約は、今もハルミヤの心臓を力強く動かしている。

「兄弟たちに自己判断能力を身につけさせるには、時間をかけて人の生活に馴らしていく必要があった。ゆえに身体が発達し、神子としての運用が可能となる十代後半――学院の生徒として自立するまで、赤ん坊の時から感情を育てる場所が求められた」

 ラケイユが眉を寄せる。

「それが孤児院、か」

 親もなく、縋るべき相手もいない子供たちは、兄弟たちを生み出すにはこれ以上ないほどの好条件にあったのだろう。

 彼らは能力によってより分けられ、特に秀でた者だけが引き抜かれた。そのうちのほんの一握りだけが神子として、残りは神官として、神殿を支える柱になるべく育てられることになる。

「ハルミヤ」

 沈黙の泉に小石が蹴り落され、ハルミヤは思考の縁から呼び戻される。愛娘に向けるものに似た穏やかな眼差しで、テオドールが彼女を見つめていた。

「きみもまた、原型の一人だった」

 胸に去来したものは、安堵。そしてその直後に訪れた、黒々とした罪悪感だった。

(今、私は、安心したのか……?)

 自分は、自分だけは作られた存在ではないと。母体の胎から生み出された、人間であると――無意識の中に、蹴落とそうとした他人の命がある。価値の差をつけようとした自分がいる。

 喉をかきむしりたくなる衝動に、ハルミヤは衣の袖を握って耐えようとした。食いしばった奥歯が音を立てて耳を犯していく。

「赤子のきみから生まれた何人もの兄弟たちの中から、最もきみに近く、健常な一人が選ばれた。私たちは彼女に――」

「っ、黙れ!」

「――彼女に、エツィラと名付けた。そうしてきみの傍に置いた。双子の妹として、親なきハルミヤ・ディルカの唯一の血縁として」

 ――ミィ。

 ――ミィ、だいじょうぶだよ。だれもきみを、きらいになってなんかいないよ。

 膝を抱えていた日も、木陰に逃げ場を求めた日も、ハルミヤを見つけ出しては手を引いた少女。もう一人の自分。同じ姿をしながら、決定的なところで自分とは違っていた妹。ハルミヤがふるい落とした表情を拾い上げるように笑っていた片割れ。

 首を振る。何度も、テオドールの言葉を拒絶するべく。しかし彼は畳みかけるように口を開いた。

「競争心、信頼、愛情、エツィラの心を育てるために、原型であるはずのきみもまた、彼女とともに学院へ迎えられた。そうして時期を見計らった神殿は、神子の死亡を公のものにし……きみに対して、刺客を放った」

(用済みになった、と)

 納得を覚えても、不思議と絶望は感じなかった。

 要らないと言われることには慣れていた。けれども痛みさえ鈍り始めた頃に、初めて価値を与えられた。揶揄でも嘘でも、生を望まれるなら立っていられると思った。神殿に居場所を求めずとも、自分ひとりで空を見上げることができるだろうと。

 仰ぎ見た窓からはもう日光も差していない。薄雲に覆われた太陽は黙し、街の輪郭を灰色に沈めていく。影と光との境は曖昧に塗りこめられ、空の青もまたその精彩を欠いていた。

 軽快に扉が叩かれ、「失礼しますよ」と声がかかったのはそのときだ。大扉の隙間から滑り込むようにして中に入った青年が、わざとらしく肩をすくめた。

「これはまたお揃いで。……先生、あんたの悪だくみがばれたのかい」

 飄々とした態度に、表面上は柔和な顔つき。一同を眺める目元は愉快そうににやついている。

 ハルミヤは横目に彼を睨み、しばらくして瞠目した。頭の端に眠っていた数ヶ月前の記憶が、彼の存在を叫びだす。

「お前、」

 男はおやと声をあげて、首だけで一礼した。

「その節はどうも、お嬢さん。おかげで俺たちごろつき一同、今日も元気に過ごしてますよ」

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