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龍翼のディオスクロイ  作者:
十章
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 丈の長い法衣を腰の位置で引き上げ、フードの中に髪をしまう。法衣の中に隠れ揺れるのは小型の剣だ。術が使えない場合を憂慮したラケイユが、念のためにと託したものだった。

 裾から鞘が見えないことを確認して、ハルミヤは神殿の裏口に回り込んだ。遠目に護神兵の姿を確認する。

「バルク」

 呼べば、それまで手持無沙汰にしていた男が壁から身を離した。顔を隠したハルミヤ、つき従うアルヘナの姿を見比べて、彼はほうと息をつく。差し出された自分の護符を受け取り、頷いた。

「打ち合わせ通りだ。正確だな。……そちらの方が?」

「ああ」

 バルクの目礼に、アルヘナは眉を揺らすだけで反応する。

 彼女が神官の法衣を身につけているのは、当人の力の賜物だった。それまでの衣は間に合わせで作り上げたものであり、いわば龍体の纏う鱗と同じものであったという。

 なぜそれが法衣であったのかと問うたハルミヤに、アルヘナは唇を吊り上げて、お前たちが初代の神子と呼んだ娘のものだよと笑った。

 衣を変化させなかったのは気分に過ぎないという。ならば銀龍がかの少女に向けていたものは、憎悪は当然、妹分を奪われたことへの嫉妬でもなかったのだろう。

「殿下から話は伝わっていると思うが」人の耳を案じてか、バルクはようやく声を落とす。「目指す場所は地下だ。俺が案内する」

「退路は」

「エツィラが戻ってくるのはいつだって神殿だった。だが俺は、それ以降、あいつがどこへ姿をくらませているかを知らない。エツィラはただここに帰ってくるだけだ。ということは」

「神殿の地下に、抜け道がある」

 バルクが重々しくうなずく。

「外から見る限り、ここと正門のほかにそれらしき出入り口はなかった。だが、地下ともなれば話は別だ」

 すなわち、地下通路を通じて、王都のどこかへ抜け出している可能性が浮かび上がるということだ。

 彼女の息つく場所が神殿になかったとしても、あえて神殿を帰り道に選んでいるからには、経由せねばならない場所があるのだろう。

 秘された地下の一室――あるいは、彼方へと続く通路の存在。ハルミヤは過剰な期待を抱かぬようにと、意識して呼吸を深くする。

「時間はない。案内してくれ」

 彼に頼ったのはいつぶりだろうと考える。頭を掘り返したところで、思い当たる節はなかった。エツィラに次いで長く付き合ってきたものだが、結局のところ自分は彼によりかかることも、頼みごとをすることも、一度としてなかったのだ。

 ああとそっけなく返したバルクが声に喜色を滲ませていたのも、思い違いではなかったのだろう。微かな予感に眉を寄せ、ハルミヤは彼の後に続いた。


 屋内に満ちた無音には、人の気配がしなかった。

 外装こそ荘厳な神殿であるが、構造そのものは簡素だ。吹き抜けのために中心をくり抜いた円形をした中央広間から、四方八方に棟が伸び、そのそれぞれを繋ぐように渡り廊下が巡らされている。広間の周囲に添うように渡された水路には絶えることなく水が流れ、棟に続く廊下をもの言わず区切ってゆく。上層や下層へ続く階段は吹き抜けを横切るように続いていた。

 ぽつぽつと姿を見せるだけの神官たちは、ハルミヤやアルヘナに軽い一礼を向けながら通り過ぎていく。暗黙の信頼が存在しているのか、他人の顔をまじまじと眺めるようなことはしなかった。

「嫌な臭いの場所だ」

 ゆえにアルヘナが静寂を破るまで、誰一人として喋ろうとはしなかった。ハルミヤは即座に振り返ると、彼女をひと睨みする。

「声を抑えろ、響く」

「そうしてほしいなら先に言うことだな」

 注意に耳を貸すつもりもないのだろう。アルヘナは吹き抜けの先を見据えていた。

 三階の天井には龍と神子を映した絵画が描かれている。地に伏し頭を垂れた龍と、その顎先に触れるひとりの少女の姿の構図だ。背景には雪野原が広がり、周囲には枠を彩るように花を模した文様が綴られている。

「あれの鱗は白だった。ああもくぐもった色はしていない」

 アルヘナがぽつりと呟くので、ハルミヤも彼女の視線の先を追う。鈍色に塗られた鱗は、雪に溶け込ませぬための配慮なのだろう。背景の純白と対比を為し、龍は寂しげに佇んでいた。

「どうせ龍が隠されてから描かれたものだ。想像でしかない」

「でしかない、とは、厳しい物言いをなさいますね」

 背後から声がかかった。ハルミヤは驚きを飲み込んで、そろりと振り返る。

 音もなく近寄っていたのは一人の神官だった。フードの下から目に映す顔つきには老いが感じられない。彼は体をハルミヤからそらし、おやと声を上げる。

「そちらは……、ロア殿で間違いありませんか」

「ええ、シラク殿。お久しぶりです」

 司祭シラクの名であれば、ハルミヤにも聞き憶えがあった。年若くして学院を卒業、神殿でもめきめきと頭角を現し、齢三十にして司祭の座にまで上り詰めた男だ。彼はハルミヤとアルヘナとを検分した後、わざとらしく溜息をついてみせる。

「神官の供とは珍しい。例の一件以降、あなたは他の神官に仕えることをしていなかったように記憶していましたが?」

「こちらのご両人はまだ神殿に迎えられて間もないようでしたので。迷っておられたところに自分が通りかかりましたゆえ、案内をと」

「此度の卒業生でしたか。私も神官になりたての時分は、よく行き先を見失ったものでした。後々お困りになることのないよう、丁寧にご案内差し上げるとよろしいでしょう」

「そのつもりです」

 さて、とシラクはハルミヤらへと相手を変える。

「それでは新たなる同胞よ。私たちはあなたを歓迎し、いつまでも正しく神の徒であることを願うとしましょうか」

「……仰ることがわかりかねますが」

「なに、神官でありながら世俗に染まり、神に逆らう者も存在するというだけのことですよ。……特にあなたを輩出した、神学院の院長のようにね」

 布の下で、ハルミヤは人知れず眉を寄せる。神学院の院長――テオドール・キュヴィエ。ハルミヤを宿房から脱出させ、イシュティアとしての再入院を許可した男だ。

 ハルミヤの生存は彼の名のもとに伏せられ、神殿に伝わることもなかった。だがその思惑は未だ知れないままだ。王家に身を寄せて以来、ハルミヤ自身、一度として彼と連絡を取ってはいなかった。

「私にとってもあの方は師。疑うよう仕向けるのは心苦しいことですが、心を鬼にするとしましょう。ここは学院とは違うのです、友よ。誰を信じ、誰を疑うべきか、ご自分で判断なさい」

 はいと答える声は、図らずも暗いものになった。シラクはそれを重く受け止めていると判断したのだろう、満足げに頷いてから去っていく。ひらりと翻った法衣の裾、切り揃えられた髪の一筋すら洗練され、最後まで隙は伺えなかった。

 その背が消えた頃、ハルミヤはごくりと生唾を飲み込む。シラクの言葉の裏には探ろうとするような響きが込められており、気を張らねば見透かされそうだった。

「どこも同じだよ」

 本人に届かないと知りながら、呟く。

 神殿であろうが、学院であろうが、王宮であろうが同じこと。誰を信じるも誰を疑うも自分次第だ。もたらされる結果もまた、受け止めるのは自分なのだから。

 けれど。

(迷う必要はない)

 セルジュやラケイユ、バルク。彼らの手を借りて、ハルミヤはようやく神殿に辿りついたのだ。一人でも同じことができていたとはもう考えられなかった。

「行こう」

 すべてを信じることはできない。

 それでも選んだものだけは、離さずにいようと思った。

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