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龍翼のディオスクロイ  作者:
九章
51/66

 心を乱した際に取る行動は、身に染みついた逃避に他ならなかった。王宮外部の庭園へと早足で飛び出して、刺すような日の光に目を細める。振り払って歩を進めたところで、行き着く先は噴水脇の木立の中にしか見つからなかった。

 腹を破って暴れまわろうとする衝動を、うずくまることで抱え込む。

 学院の法衣は便利だった。どんな思いを抱こうが、翻る裾が覆ってくれる。しかし付き人の正装に身を包んだ今、そこに膝を抱えているのは、剥き出しのハルミヤ自身に他ならなかった。

 腕に立てた指先が震える。捨て去ったはずの望みに縋ろうとする。やめろと叫んだ声は、噴水の水音に弾けて消えた。

 しかしその呻きは、歩み寄る者の威勢を殺ぐぶんには役に立ったらしかった。小気味よく響いていた草を踏む音に、いくらかの迷いが生まれる。それを悟って顔を上げれば、ハルミヤの視線の先には少年の姿があった。

「……気味の悪い女だな」

 呟いて、第二王子ジュリアンは鹿爪らしい表情で腕を組む。

 平伏すべきかと逡巡して、膝をつくのみにとどめた。兄の側への応対に慣れると弟への距離感が曖昧になる。ジュリアンは鼻を鳴らした。

「呑気に休息か、いい身分だな。授かった任はどうした」

 二人からわずかに距離を置いたところには帯剣した近衛の影がある。王族は王宮の中でさえひとりで出歩くことをしないのだ――普通ならば。ハルミヤは溜息をつきたい思いで頭を下げた。

「王太子殿下は、私に行動の自由を許して下さいましたので」

 傍にいた方が厄介事は減るだろうけど。そう注意を受けていたのを思い出す。確かにラケイユという人間の持つ壁は、人々に雑言を飲み込ませるだけの重みを持つらしかった。

(たまたま離れてみればこれだ)

 ジュリアンはハルミヤの内心など知る由もない。わずかばかり気を悪くした様子で言った。

「お前のような人間に自由が与えられるとでも思っているのか。自惚れるなよ、父上が滞在を許したのは、付属する龍の力を見込んでのことだ。お前自身には小石一つほどの価値もない、むしろ今すぐにでも死すべき罪人でしかないのだからな」

(わかっているよ)

 罪人になるまでもない。自分が価値のない人間であることは、物心のついたその瞬間から理解していた。だからこそ神官を目指し、あがいてきたのだ。ただ生きるためだけに。

「どこに行ったところで、望まれぬ人間であることは分かっています」

 傷口に爪を立てる。忘れることのないよう、目蓋を開いていられるように。絞り出した声は喉を突いた。

「望まれなくとも生きるほかにはないのです、殿下。犠牲を生みながら、人を斬りながら。……私は、そうして繋いだ命で、確かにことを為さなければならない」

「……ことを為す? 大それたことを言うものだ。よもや王家の財を奪って逃げ出そうなどと考えては、」

「ジュリアン」

 対話に割り込んだのはラケイユだった。彼は二人の目を受け止め、諌めるように声を落とす。

「俺の付き人に、何か粗相が?」

「っ、その粗相がないようにと言いつけていたんだ。あなたが軽率に手綱を離すものだからな!」

 ぴりぴりと鼓膜を張る声量に顔をしかめながら、ハルミヤは再び庭園へと目を向ける。

 ラケイユの傍には護衛の姿がない。それは客人のあった今日に限らないことだった。ハルミヤが見る限りは常時、朝目覚めてから夜床に入るまで、彼が人を傍に置いていることは稀なのだ。

「手綱がなくとも」ラケイユは言葉を切り、けろりとした顔で肩をすくめて見せる。「噛みついたりはしない。吠えるばかりの犬とも違う」

(……誰かとは違って)

 飲み込まれた言葉の続きを思う。憤慨したジュリアンが足音も荒く歩み去っていくのを、ハルミヤは横目でうかがっていた。再び木の幹に背を預けて座り込む。

「またお前ひとりでいたのか」

「きみがいるだろう」

「そういうことを言っているんじゃ……もういい、言い合っても疲れるだけだ」

「それは残念」

 会話を断ち切った途端、当然のように隣に座られる。距離を置こうと腰を浮かせれば笑いをかみ殺す気配がした。一度それを屈辱に思ってしまえば、安易な移動は自分自身が許さなかった。

 芝を巻き上げるような風が起こり、木々の梢を揺らしていく。追い立てられた鳴き鳥は蒼穹の彼方へと飛び立った。それまで差していた日光のうららかさに気付かされ、ハルミヤはにわかに居心地を悪くする。

「……バルクは」

「先ほどお帰りになった。今日は唐突に申し訳なかった、と」

「それはお前にあてたものだろう」

 ラケイユは肯定も否定もせずに、ただ笑う。

 その何もかも見通していると言わんばかりの笑みが、ハルミヤの癇に障るのだった。奥歯を噛んで顔を背ければ、ラケイユはそれを追求する様子は見せなかった。

「弟が珍しく威勢を呑まれていた。ことを為すとかなんとか言っていたのを聞いたけど?」

「鼻白んでいただけのことだろう」

 彼ら王室の者たちからすれば、ハルミヤが神殿に刃向かった理由など歯牙にかけるまでもないのだ。罪人は罪人、さりとて龍をたらしこんだ罪人――それがハルミヤの評価である限り、その価値は王家への貢献によって量られるのだから。

 意志を持たない道具。あるいは奴隷。ハルミヤに向けられる認識は、それらと変わりはしないだろう。

「目指すものは変わらない。エツィラのもとに辿りついて、その立場を、神子の座を」

「妹を殺してでも、か」

 胸の奥に、つきりと刺されるような感覚があった。なにを今さらと息をついて耐える。黙り込んだハルミヤに対し、ラケイユは「まるで」と小さく吐き出した。

「惰性に動かされているみたいだ。自分で引き起こしたものに、逆に引きずられているように見える」

「なにを」

「放り出してしまうことも、生半可にすることも選べないで、重い荷車を引き続けている……不自由そうだ。今も昔も、変わりなく」

「……っ!」

 ハルミヤは腰を跳ね上げ、怒りのままに木の幹を殴る。

「今さら投げ出せと言いたいのか、あれだけの人を殺しておいて……こんな立場に追い込まれておいて!? ふざけるな、そんなことができるわけ、」

「可能か不可能かの問題じゃないよ。放棄することができたところで、きみはそれを選んでくれないんだから。……そんなに睨まないでくれ、要領を得ないと言いたいんだろう。わかっているから」

 訊きたいだけだよ。いくらか拗ねたふりをして、ラケイユはハルミヤを仰ぐ。

「きみがなにを望んでいるのか。しなければならないことじゃない、きみ自身が求めていることを知りたい」

 ――お前が望むものはなんだ。

 そう言い残して薄れていった、銀龍の記憶が蘇る。

「私は」

 口にしたきり、続きが漏れない。焦燥はハルミヤを煽りたてて、喉を締め上げていった。

(なにを)

 奪うだけ奪い取っておいて、今さら何を望めというのだ。掌に残ったものを懸命に握りしめておくことしか、自分には許されていなかったというのに。

 落ちた静寂に身が竦んだ。知らず指を握り込む。ラケイユは助け船を出すように、再び口を開いた。

「ディルカであることを蔑まれないだけの地位? 誰もに尊ばれるだけの権力? 望むものがそれだけなら、別段神子である必要はないだろう。それこそ俺の妃にでもなればいい」

「…………はあ!?」

 俯いたまま聞き流しかけ、一拍遅れて、弾かれたように顔を跳ね上げた。

「な、にを、どさくさに紛れて……!」

「選択肢はいくらでもあるということだよ。王家に属する兵とその龍の力とをうまく用いれば、神殿ごと潰してしまうことだって不可能じゃない。ディルカメネスは王の支配する国と変わるだろう。そのとき、王妃がどれだけの権威を持つことになると思う?」

 ほら、と与えられた間に制されて、ハルミヤは仕方なく言葉を飲み込んだ。

 考えるまでもないことだ。信仰すべき龍を失えば、神殿は次第に民の信頼を取り落としていくだろう。死した龍を失せぬ神と持ち上げる一派が起こったところで、その声をすりつぶすことは赤子の手をひねるより容易いことだ。命龍なき神殿にはもはや奇跡とされた法術もなく、残るは寄せ集めの兵団だけなのだから。

 あとは知恵と謀略を巡らせて、民に納得のいく説明を与えてやればいい。噂は確かな信頼となってディルカメネスを駆け巡り、盲目な民衆を作り出すだろう。

 勝利した者こそが真実であり、歴史の紡ぎ手である以上、革命はいくらでも起こりうる。ラケイユの父――国王であるギュスターヴが望んでいるように、だ。

 ハルミヤが黙したのを悟ってか、ラケイユはゆるやかに首を振った。

「もう一度考えてみることをお勧めするよ。きみがそれでも神子にこだわるというなら、そこにはなにか別の理由があるんだろう。……ほら、この話は終わりだ。他のことを伝えようと思っていたのに、忘れるところだった」

 言うが早いか布を押し付けられた。

 帯状の縁取りには鼻につかない程度の刺繍が施されており、どうやら素材にもありふれた糸が用いられているらしい。手の上のそれをまじまじと眺めていると、毒蛇なんか入っていないよと苦笑された。

 促されるままに広げて、それがフードであることを知る。町娘の縫い込んだものに似せた刺繍の柄に引き比べ、隠された縫い目は職人が手をかけたかのように緻密だった。

 一見高価でないもの、を作り上げるために、どれだけの手間が掛けられたのだろう。ハルミヤはごくりと唾を飲み込んだ。

「おい、これ」

「被るものがなければ、おちおち町にも出ていけないだろう。ささやかながら贈り物だよ」

「金なんか持っていない」

「きみから金を取ってどうするんだ」

「む、無償でものが貰えるか!」

 力を望まれることが対価であり、ラケイユの付き人として随行することが任務であったからこそ、食事も、服も、なにも言わずに受け取ることができたのだ。

 今にも突き返そうとするハルミヤを、ラケイユは呆れたように一瞥する。それじゃあ代わりにと指を立てた。

「明日、一日でいい。町の視察についてきてくれ。年に一度の祝祭日だ、騒動が起こらないとも限らないからね」

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