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龍翼のディオスクロイ  作者:
六章
36/66

 帰り着いた宿房でリディが眠りこけていた、という非難を、きょう一日で何度耳にしたことだろう。

 同室の友人に文句をつけ続けるコレットを、ハルミヤはうんざりした気持ちでなだめすかしていた。その傍らでは、耳が痛いといった様子でリディが苦笑を浮かべている。

 聞けば、夜にしか開かない雑貨屋を見つけたからと、こらえきれずに宿房を飛び出したという。心配をかけたことへの詫びの印か、それとも本来贈り物のつもりで買ってきていたのか、リディの腕には紙袋いっぱいの飴玉が抱えられていた。

 砂糖を溶かし固めただけのそれをほおばりながら、コレットは栗鼠のように頬を膨らませる。こっちがどれだけ心配したと思っているの、あれだけ苦労して走り回ったのに――とむくれてはみせるが、セルジュらともども悪漢に捕まっていたことは、一度として口にしようとしなかったのだった。

 昨晩の出来事について語ろうとしなかったのは、彼女に限った話ではない。偶然すれ違ったダヴィドは日頃の人懐っこい笑みを見せ、セルジュもまたおはようと一声挨拶をしただけだった。

(気を使われているのは、コレットだけではない、か)

 彼らを助け出した時に振るった力は、確かに見られていたはずだ。彼らはイシュティアという少女が護符を持ち得ないことを知っている。好奇の目を向けられることを半ば覚悟してきた、というのに。

「ちょっとイシュ、聞いてる?」

 コレットがハルミヤの目の前に手をかざす。リディは申し訳なさそうに首をすくめていた。

「……ええ。リディがかさばる人形を買ってきた話でしたか」

「ちっがーう! それはずいぶん前に蹴りがついたでしょ、今はこの大量の飴の話! あれだけ配り歩いたっていうのに、まだ山ほど残っているんだから」

「た、たくさんあった方が、みんなで食べられていいかなって」

「それにも限度があるでしょう!? あんなに余らせて、どうするのよ、もう!」

 コレットの憤懣を、リディの的外れな言い訳が煽り立てる。ハルミヤは受け取ったばかりの飴玉を掌で転がし、じっとその包装を見つめる。同じ包み紙をどこかで見たような気もしたが、見当をつけることはかなわなかった。しまいには飽きて放り投げる。

「なんにせよ、大ごとにならなかっただけで十分でしょう。次はありませんよ」

「その時はちゃんと人を呼ぶわ。昨日はありがと、イシュティア」

 臆面のない言葉にたじろいだ。構いませんが、とそっぽを向くと、小さな笑い声がかけられる。食って掛かるのも子供らしく思えて、口を引き結んで余所を見ていた。

「や、お揃いで、お嬢さんがた」

 気取った声の主はダヴィドだ。にやついた笑みを浮かべる彼の隣には、当然セルジュの姿がある。彼らは女生徒たちの顔を見回し、最後にリディの持つ紙袋を目にしてびくついた。

「……なんだよそれ」

 ああと声を上げて、コレットは表情を明るくした。

「二人がいたじゃない。ほら」

 リディから紙袋を取り上げて、セルジュの胸に押し付ける。思わずといった様子で受け取った青年は目を白黒させた。

「ほらって、これ、一人で食べる量じゃないだろ」

「誰も一人で食べろなんて言ってないでしょ。あんたたち、知り合いも多いんだから、ちゃっちゃと配っちゃってよ。リディが買ってきて困ってるの」

「ほう」ダヴィドが瞳を光らせて、その間に割り込んだ。「つまり女生徒のまごころのこもった贈り物であると、そういう理解で間違いはないんだな」

 ダヴィドはならばと立ち上がり、さらに椅子の上に飛び乗った。本来小柄な青年ではあるが、小規模な講義室ではよく目立つ。その上で足を踏み鳴らせば、生徒の視線は一斉に彼へと向けられた。

「やあやあお集まりの男子生徒諸君! 独り寝の寂しさ、男ばかりのむさくるしい環境に涙を飲む諸君らに朗報だ! 括目せよ、ようく聞け、ここに存るは甘き誘惑、宝玉のごとき神秘の結晶!」

「ただの飴だろ」

 突っ込んだセルジュの脇腹は、ちょうどダヴィドの足が届く範囲にあった。容赦のない蹴りを浴びせられて青年は悶絶する。

「あー、ごほん。……この天上の果実を罪深き我らに与え給うたのは、古今東西に伝え聞く伝承に住まいしいかなる女神、天使の化身か! 聞いて驚くなかれ、リディ・コンスタン嬢を始め、コレット・ベルジュ嬢、そしてあの、イシュティア・ディルカ嬢の名を!」

「ちょ、ちょっと」

「私を巻き込まないでくれる?」

「あの、とはどういう意味ですか」

 ほうぼうから上がる声に反し、講義室の動揺は色を変えていく。

 授業の内容上、圧倒的に男子生徒の数の多い室内だ。ダヴィドの抱えた紙袋と自分たちにおぞましいほどの注目が集まるのを、ハルミヤは恐怖にも似た心地で感じ取る。

 一拍、にしては長い間をおいて、ダヴィドは声を落とした。

「……欲しいか」

 興味から、殺気へ。空気が変貌する。

 ああ、とセルジュが諦めを吐いた。講義室に集う青年たちのうち、その演説に意識を傾けていないのは彼ぐらいのものだ。冷めていく少女たちの目とは裏腹に、講義室の高揚は最高潮へ達しようとしていた。ダヴィドは獰猛な笑みを浮かべ、ついにこぶしを振り上げる。

「ならば集え! 奪い取れ! その手で、力で! 自らを勝利者たらしめよ!」

 搖動を最後に、ダヴィドは教壇の側へと飴をばら撒いた。耳朶を叩く衝突音に続き、男子生徒たちは我先にと教壇へ殺到する。

 青年はそれを見届けてから、一仕事終えたとばかりに椅子を下りた。今や魔窟と化した教室の前方へ目をやり、コレットが顔をしかめる。

「馬鹿ばっか……」

「生活が潤いに満ちているなら、俺に絵を頼むような奴なんかいないんだよなあ」

 寂しい寂しい。呟きながら、ダヴィドは平然と教本を開き始める。その手元にはちゃっかりと飴玉が抜き取られていた。

 その後、飴玉がすっかり腹の中に消え去ったころ。教師は荒れ放題の教室を見るなり干からびた声で説教を飛ばしたが、誰ひとりとして耳を傾けようとする者はいなかった。


 ――よいこのしんわ、はるのおほしさま。

 高い位置の太陽が照らすのは、机の上に重なった古書だ。ハルミヤは古代語の題を読み取って渋面をした。異国で用いられていた幼児教育のための本なのだろう、手慰みに頁を繰れば、単調な構造の文が大文字で綴られている。

「……なにが面白いんだ」

「面白くないかい?」

 ラケイユの手には同じ装丁の一冊がある。あきのおほしさま、と題末に加えられたそれを、彼は興味深そうに眺めているのだった。

「星に親しむことを建前に、子供のころから宗教教育を施す。立派な布教活動だ。耳触りもいいし、なにより文章が簡明で分かりやすい」

「次に続くのはディルカメネスの教育批判か」

 ねめつけてやると、おや、と目を丸くされた。

「よく分かったね」

「聞き飽きた」

 同じことをこの国も行っているのだ、と言いたいのだろう。神殿に批判的な彼が、異教のあり方に感心して終わりなどということはあり得ない。ラケイユは残念そうに話の続きを放棄して本を畳んだ。

「探し人は見つかったようじゃないか。昨日のお嬢さんがご友人を叱りつけているのを見たよ」

「……宿房に帰ったらぐっすり眠っていたそうだ。本人は雑貨屋に行ってすぐに帰って来たらしい。とんだ無駄足を踏んだ」

「雑貨屋、か」ラケイユが眉を寄せる。「……随分と荘厳な雑貨屋があるものだね」

 椅子に手をかけたまま、ハルミヤはぴたりと動きを止めた。彼に向き直ると、そこには神妙な表情が待ち構えている。

「何を知っている」

 暗い声で問いかける。

 ラケイユは言葉を選ぶような間を置いた後、ひとつ息をついた。

「きみのご友人を見送った後、学院の生徒が神殿へと入っていくのを見てね。そのときは不審に思ったぐらいだったけれど、今朝、きみたちの探し人を見て確信した。……彼女で間違いない」

 リディが神殿に、ということだ。何故と考えるより先に矛盾に気付く。

 彼女は雑貨屋へ行った後、まっすぐ宿房へ戻ってきたはずだ。コレットが部屋にたどり着いたときには、すでに寝台で眠りに就いていたと言っている。リディが神殿へ寄っていたとすれば、その時間に間に合っているわけが無い。

「見間違いじゃないのか」

「疑うならご自由に。嘘は言っていないつもりだよ」

 一度睨んで、すぐに視線を放す。このような内容で虚言を吐くような男ではない。リディの行動をさらい出すべく、ハルミヤは深く椅子に腰かけた。

 学院を出ていく姿は自分が確認した。本人が買ったという品物が実際に宿房へ運び込まれているのだから、彼女が雑貨屋に行っていたというのも嘘偽りではないだろう。

(なら、神殿に入っていったのは、誰だ)

 兄妹はいないと聞いている。ならば酷似した別人か、それともリディを装った他人か。学院の生徒に彼女と似た人間がいるのであれば、その噂が耳に届いていてもおかしくはないが。

「……彼女は法衣を着ていた。学院の生徒であることは間違いないんだ。少し探りを入れておくよ」

 ハルミヤの疑念を読み取ったかのように、ラケイユが申し出る。頼むと頷けば、「俺も気になるからね」と一笑を返された。

 会話が途切れ、揃って視線を外す。あたりから漏れ聞こえてくる紙のこすれる音、ひそやかな囁き合いが、途端に重みを増したように感ぜられた。ハルミヤは頬づえをついて口を閉ざすも、余暇を潰すあてはない。未だ始業の鐘には早く、かといって今から本を広げるには時間が足りない。手持無沙汰に書棚を睨みつける。

 そこに非常識な靴音がこだまする。誘われるようにして顔を上げると、生徒たちの注目の最中には見慣れた銀糸が揺れていた。

「なっ」

 顔がこわばる。アルヘナはそこでハルミヤの所在に気付いたのだろう、迷うことなく歩み寄ってきた。

「なんだ、娘はいないのか」

 平然と普段通りの声量で話す彼女に、ほうぼうから迷惑げな目が向けられる。ハルミヤは声を抑えるようにと指示すると、自分も囁き声で問い返した。

「なぜここにいる。クロエはどうした」

「知らん。だからお前の元へ来たんだろう」

「……知らない? どういうことだ」

「私が訊きたい。お前の元へ行く、すぐに帰ってくる、目立つから独りで平気だと、そう言ったきり音沙汰もない」

 絶句する。数瞬の後、椅子を蹴って立ち上がった。

「いつだ。クロエはいつ部屋を」

「お前が出ていった、その少し後だったな」

 まだ太陽が中天にも達していない頃だ。立ちくらみを起こしそうになり、唇の内側を噛んで踏みとどまった。見知らぬ場所で知人を探すにしても時間がかかり過ぎている。迷っているだけであれば、と期待をかけたくとも、自分の置かれた立場は安易な安心を許さなかった。

 代わりに考える。クロエの向かいそうな先、望む場所。そこではたとした。

(あいつは)

 どこに行こうとすることも、無かったではないか。

 背筋に冷たいものを感じる。必死に記憶を掘り起こそうとするたびに、描きだせたはずのクロエの顔からは表情が抜け落ちていった。どうしても思い出せない。笑顔、憤慨、それすらも。空洞のような少女の顔を思い描いてぞくりとした。

「クロエ、」

「待った」

 駆けだそうとしたところで、鋭い声に呼び止められた。きっとラケイユを睨みつける。向けられたのは、いくらか温度を下げた瞳だった。

「クロエ、というのは、港で一緒にいたお嬢さんで間違いないか」

「っ、そうだ、早く探さないと……!」

「学院を探すんだろう。ひとり、いや、ふたりでも探すのは厳しい。すぐに人を呼ぼう。きみの妹だとでも言っておく」

 いったい誰に。問い返そうとして気付く。瞠目したハルミヤを落ちつかせるよう、ラケイユはゆるやかに笑みを形作った。

「きみの友人は、恩返しのできない人間じゃないだろう?」

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