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龍翼のディオスクロイ  作者:
五章
32/66

 命龍の加護を受けてなお、王都の夜は冷気に包まれる。春が近づいているとはいえ、雪原に雪の名残が残されているのも事実だ。大陸の最北部に位置するこの都が温暖な夜を取り戻すまでには、まだ幾月かの時間がかかるだろうと思われた。

 中央通りを踏む三つの足音は、否が応にも高く響き渡る。その上大声で探し人の名を呼んでいるのだから、遠方からでも彼らの立つ位置を把握することは容易であった。

 建物の陰から、陰へ。つかず離れず、彼らの後を追いかける。今にも爆発しそうなハルミヤの怒りを煽るのは、側から漏れ聞こえるおし殺された笑声だった。

「きみも優しいな」

「……うるさい」

「あれだけ文句を垂れておいて」

「黙っていろ、気が散る」

「集中が要るようなことはしていないくせに」

 当然のように後をついてきたのはラケイユだ。彼からすれば、ハルミヤが引き回されている状況が楽しくてたまらないらしかった。

 建造物の壁に手を置いて、ハルミヤは一度彼に向き直る。どうしたんだと言わんばかりの目が向けられるのに辟易した。

「いいか、理解していないようなら何度でも言うがな。これはあいつらの問題で、私は巻き込まれただけ、いわばただの被害者だ。正義感なんぞに突き動かされたわけじゃないし、ましてやお前が……あいつらとは何の接点もないお前が、面白半分に首を突っ込むようなことでもない」

「はいはい」

「聞く気があるのか!?」

 ハルミヤが声を荒げたところで、当の本人はどこ吹く風だ。軽く肩をすくめる程度で叱り声を受け流す。

「聞いているし、理解しているよ。お嬢さんの言葉の、五割方は本心でないことも」

「その言葉をそっくりそのまま返してやる。お前の場合は九割強が空言だろうがな」

 ほんの少しでも、仮面の裏側を見たと思っていた。それも虚構にすぎなかったのだ。結局のところ彼はひとつ層を隔てた場所に立っており、安全な位置からハルミヤを眺めているに過ぎない。どこまでも必死で、傍から見れば滑稽であるだろう姿を。

「くそ、気が狂う。一体お前は何がしたいんだ」

 きょとんとした様子で、蜜色の目が瞬く。その動作ひとつを取ってもわざとらしさは抜けなかった。その顔をやめろ、嘘くさい、と嫌悪を露わに言いやったところで、わずかに眉を寄せられるだけだった。

「きみ自身に比べれば、俺はまだ正直者なほうだと思うよ」

「どの口が言う」

 吐き捨てる。ラケイユが小さく首を振った。

「少なくとも、俺は、自分に正直だ。目的だって前に伝えただろう」

「私の背を――か? 馬鹿馬鹿しい。お前のそれが興味本位なら、その関心は十分満たしてやったはずだ。王都を出た理由も、戻ってきた理由も、話してやった。……そもそも、あいつらの蛮行なんて、私の事情には何ら関係ないだろう。こんなところにまで付き添う必要がどこにある」

「……馬鹿馬鹿しいかい?」

「そんな理由で後を追われるのが不愉快な程度にはな」

 盲点だった、というようにラケイユが考えこむ。真面目くさった表情を装ってはいるが、どこまで本気でいるかも定かではないのだ。その口が再び言葉を吐きだすのを待つつもりはなかった。

 隠れていた角を飛び出し、三人との距離を近付ける。足音は殺していた。ハルミヤひとりであれば無法者を地に伏すことも容易だが、本来学徒の手元に護符があるわけではないのだ。コレットらに目をつけられて、無用な関心を引くのは避けたかった。

(今でさえ好奇心の塊を引きつれているというのに)

 一瞥すれば、ラケイユは未だに考えごとに没頭しているようだった。静かでいる分には願ったり叶ったりであるが、いかんせん気味が悪い。声をかけようとしたところで先手を打たれた。

 無言のままで一歩を詰められる。ハルミヤは同じだけを離れようとしたが、腕に退路を塞がれた。彼の指が肩先をかすめ、その向こう側の壁に突き立てられる。

「――たとえば」

 一言は軽く、浅く。しかしささやかな甘さをもって、ハルミヤの鼓膜に潜り込んだ。

「たとえば俺が、きみを愛しているとしたら?」

 固まった。

 指先、足先、目蓋から全ての筋肉に至るまで、硬直して動かなかった。今すぐに木槌で頭を殴られ、雑言を吐かれたとしても、もはやハルミヤの耳には届かなかっただろう。小さく開いた唇から、「……は?」という声を出せたのは奇跡だった。

「愛している、と言った」

 理解を拒絶するハルミヤの呟きは、聞き直しを要求した、と思われたらしい。ラケイユは表情を和らげ、幾分か明るい声でくり返す。

「言葉を重ねることで、その重みが増すとは思わないけど。信じてもらえないなら言葉を尽くすほかないかな。俺はきみのことを」

「……ふざけるな」

「うん?」

「ふざけるなと言ったんだ!!」

 覇気が生まれたのは声色と顔だけだった。張り倒すことも、術を紡ぎ出すこともできないままで、ハルミヤは目の前の金色を睨み据える。

「なに、が、……っ、からかうのもいい加減にしろ! 静かだと思って放っておけば……!」

「からかってなんかいない、正直だと言っただろう」

「あれだけ虚仮にしておいて、一体誰が信じると思うんだ!?」

 叫んで、ひとつ息をつく。呼吸を乱している事実が動揺を煽りたてた。爪を掌に食い込ませても、衝撃はかけらも消えてくれない。その上ラケイユは、ハルミヤの逃げ場を奪ったまま離れようとしないのだ。むしろ一層身を寄せられ、ハルミヤは思わず息を詰めることになる。

「興味がある」

 蜜色の瞳に自分の姿を認める。呼吸の気配さえ伝わりそうだった。

「きみの生き方、貪欲さ、そのために自分自身すら偽る覚悟、身を顧みずにここへ戻ってくるだけの意志――朝、晩、いつもきみのことばかりを考える。ひとときとして眼裏から離れない。気にかかる。知りたい。それは恋をしたということじゃないか?」

「そ、んな、馬鹿なことが、あるか」

 反駁すべく、必死に頭を回す。できることなら背後の壁に埋まりこんでしまいたかった。今すぐにでも奴を遠ざける術を、髪の一本にも触れることのないままで、と考えている自分の存在が、ひどくか弱いものに思えてくる。

「お前のそれは、違う。愛だの恋だのというものなんかじゃない。決して」

「きみが恋愛のなんたるかを知っているとでも?」

 浮かんだ揶揄の色が、今回ばかりはありがたかった。ハルミヤはようやく常の呼吸を思い出し、ラケイユの目前につむじ風を巻き起こす。ひるんだ隙を狙って腕の中から抜け出すと、転がるようにして三歩の距離を取った。

「お前は真新しいものに目を引かれているだけだ。彫像や景色を眺めるのと同じ、ただ、面白がっているだけのことで」

「それの何がいけない」

「だから、呼び名を改めろと言っているんだ! 好奇心を色恋の類と混同するな!」

 彼と会話をしていると、同じ言語を話しているのかさえ不安になる時がある。どれだけ気を使って言葉を選んだところで、彼が相手では曲解されているように思えてならないのだ。

「……分からないな」

「お前、まだ――」

「どうして他人の好意を受け入れようとしない? そうも頑なに別の思惑を疑うのは何故なんだ。信じられないならそれでいい、世辞としてでも、どうとでも受け取ればいいだろうに」

 冷えた調子を声色に含みながら、ラケイユは何気ない動作で頬を拭う。見れば皮膚はぷっつりと裂け、血の色を滲ませていた。ハルミヤが目を見開くので、彼もまたようやく傷の存在に気付いたらしい。掌の血痕をちらりと見て、わずかに眉を上下させた。

 ――ハルはいつも、そうしてきたの?

 口ごもったハルミヤの脳裏に、少女の声が反響する。どこへ抜け出ることもなく、虚ろにくり返されるばかりの問いかけが、苛むように廻り続ける。

 ――他人から向けられた、好意、心配、尊敬。信じないで生きてきたの?

(違う)

 信じないのではなく、信じられなかったのだ。

 自分にあるのは、死に物狂いで身に付けた学術だけ。そうして得た、学徒としての立場だけだった。人よりも弱く、脆く、生まれてきてしまった少女は、本来、何も――何も、持ち得るはずが無かったのだから。

「きみはまるで、自分自身の価値を認めようとしていないみたいだ」

 躊躇もなく、貫かれる。胸奥のそれに血が通っているのなら、まるで潰された果実のように、ぬめった苦痛を途切れなく滴り落としていただろう。

 何も言わなかった。言えなかった。凍りついた口は、閉ざされたまま動こうとしなかった。立ちつくしたハルミヤの視線の先で、ラケイユは眉をひそめ、力なく首を振る。

「……責めるつもりはないよ、もちろん。俺の声が届かないこと、届いてはいけないことも、よく分かっている。ただ」

 続きを聞くことは叶わなかった。布を裂くような叫び声が、彼の言葉を遮ったのだ。

 呪いを解かれたかのように立ち直って、三人の気配を探す。しかし鼓膜を叩くはずの声も、彼女らの足音も、もはや響いては来なかった。呆然としたハルミヤとは対照的に、ラケイユはいち早く街路に躍り出る。

「探すんだろう」

「あ、ああ」

「悲鳴はそう遠くない。まだ追いつける。……友人なんだろう?」

 添えられた一言に、唇を引き結ぶ。寒々しい言葉だった。上辺だけのものであると、名を明かせば崩れ去るような関係に過ぎないと、理解していたはずだった。

(くそ)

 それでも足は地を蹴った。硬直したハルミヤの背を最後に押したのがその問いかけであることは、疑いようもなかった。

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