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龍翼のディオスクロイ  作者:
三章
20/66

「俺たちが納得できるように、ちゃんと説明してもらおうか。ええ?」

 アルヘナが先導役を務めた集団であったはずだが、その実、彼らを束ねていたのは牧場主であるドニ・シュマンであった。彼は粉々になった小屋の扉と暴れる牛たちの姿を見るや、雷のような怒号を上げたのだ。

 大柄な男が声を張り上げれば、それだけで威圧感が生まれる。村人たちは一歩離れた位置から、遠巻きにドニの背中を見つめていた。

「あいつだ、親父。あの余所者が、化け物みたいな力で」

「化け物だあ? 馬鹿言うんじゃねえ」

 父親とは対照的に、傍らに立つロドルフは及び腰だった。自分を顧みる余裕もなかったらしく、涼やかな青年の姿はどこかへと消え去っている。

「本当だ、神官の法術みたいな……でもあれは違かった、あいつは護符を持っていない」

「そりゃあ小娘一人で壊せるような扉じゃねえが。ロドルフ、てめえ寝ぼけてたんじゃねえだろうな」

「いいや、この目で確かに見た。神たる命龍に誓って本当だ」

(……神龍の名も軽くなったな)

 他人の山羊を殺し、娘を誘拐して手籠めにしようとした男には似合わぬ単語だ。ハルミヤは呆れてため息もつけず、ロドルフの語るいきさつを他人事のように聞いていた。

 自分が為した所業は巧妙に包み隠し、ハルミヤばかりを責め立てる。良い噂ばかりがつきまとうのも当然だ。精悍な顔つきや均衡のとれた体つきに演技力が伴えば、印象の操作などお手のものだろう。その上当の本人は自身の善性を信じて疑わないのだから性質が悪い。

 あとに残されたのは、山羊の死体と壊れた扉。ハルミヤらが被害者側に回るのは困難だった。

「おい、あんたからは何も聞いちゃいねえ。言いたいことがあるなら言ってみな」

「どれだけ弁を尽くしても、あなた方の納得が得られるとは思えませんが」

 同情はロドルフ側にある。それは周囲の表情を見れば一目瞭然だった。忌避の視線は尖りを伴って、余所者のハルミヤに突き刺さっている。

「それならなおさら、謝るのが筋ってもんだ」

「……そうですか」

 自分の息子が恥さらしであった、などとは考えもしないのだろう。固定された天秤に重りを乗せていく気分だった。ハルミヤは背後のクロエの存在を意識しながら、仕方なしに言葉を紡ぐ。

「扉を破ったのは私です。それは間違いない。法術ではない力を使ったのも確かだ」

 人々の間にささめきが伝わった。混じる女の声はひときわ重みを帯び、悪意を練り込んだ推論を波状に広めていく。追いやられるかのように集団から距離を置かれたアルヘナは、すでに興味を失ったのか、うるさそうにその討論を眺めていた。

 その間に、ロドルフはいくらか自尊心を取り戻したらしい。俺の言った通りだと呟いてほくそ笑んだ。

「親父、やっぱり奴にはちゃんと責任を負わせるべき……」

「ですが、扉を破壊したのはクロエを連れ返すためです。あなたの息子に無理やり連れて行かれた彼女を」

 一斉に向けられた奇異の視線に、クロエが肩を震わせる。

 失敗したなとハルミヤはほぞを噛んだ。ハルミヤの法衣を握る手に力が込められている。注目に慣れていない彼女を、矢面に立たせるべきではなかったのだ。

 ドニは眉を揺らし、自分の息子を顧みる。

「ロドルフが? クロエをか?」

「いっ、言いがかりだ! 俺はクロエに牛小屋を見せていただけで」

 ロドルフの声がわずかに上ずる。彼の否定に力は無いが、ドニを説得するには多少耳障りだった。ハルミヤは苛立ちを抑えてロドルフを睨みやる。

「少し黙っていてくれないか。私が話しているのはあなたじゃない、この牧場の持ち主だ」

「いけしゃあしゃあと……そうだ、山羊! あの山羊もおまえがやったんだろう!?」

「は?」

 思わぬ方向から水を浴びせかけられる。一瞬でも戸惑ったのは失策だった。ロドルフはハルミヤを指さし、声高に訴える。

「クロエの山羊を、その訳のわからない力で殺したんだろう! ひと月も世話になっておいてよくもあんな真似ができたものだな!」

 何を馬鹿なことを。一蹴しようとしたハルミヤの声は、途端に声量を挙げた囁き合いにかき消された。俺も見た、私も、と、村人たちの口調には次第に熱がこもっていく。状況が芳しくないと気付いたのは彼らが怯えの表情を見せてからだった。

 ハルミヤが力を振るうに至った経緯など取り上げる必要もない。村に及ぼされた被害と、未知の力を持つ余所者の存在さえ目の前にあれば、それだけで排斥の感情は芽生えるのだから。すぐに上がり始めた非難の声がその証となった。

「そいつを追い出せ! 今すぐに!」

「今度は誰の家畜が殺されるか分かったものじゃないわ!」

 怒声はつぶてのように耳をつく。いつ本物の石が投げられるとも知れなかった。

 そのまま集団の合間に目を走らせれば、中央で黙した男の顔にたどり着く。見間違いようもない、先ほど言葉を交わしたばかりの男だ。周囲に迎合することもなく立ち、揺れぬ瞳でハルミヤを貫いている。静止の姿勢は、ハルミヤのから下される決断を待ちかねているようでもあった。

 求められている答えを探る。状況を整理し、自分の無実を納得させるだけの弁を立てたところで、いきり立った相手は聞く耳を持たないだろう。

(……出ていけと、言うなら)

 出ていくことは容易い。しかしそれが正解だとは思えなかった。ハルミヤは唇の裏側を噛みしめる。背後の気配が消えたのはそのときだった。

「ハルは、私を助けてくれました」

 怯えていたはずのクロエが土を踏み、ハルミヤの傍らにまで進み出る。片手は法衣の裾を掴んだまま、しかし両の目はきつく村人を睨みつけていた。

「嘘を言っているのはそっちの方でしょう。私を抑えつけたのはあなたたちでしょう? 私のことなんか何ひとつ考えもしないで、勝手に祀り上げて、勝手に喜んで。外の人が現れれば寄ってたかって責め立てて」

 細い首が、こくり、と鳴った。ついに草原は静まり返り、全ての眼差しがクロエを見つめているというのに、彼女は一歩として退こうとしない。それどころか、はしばみ色の瞳には徐々に力が籠められていく。剣を握る者の決意と色を同じくした光だった。

「あなた達は弱虫だ。外の世界も、誰かの心も、知ろうとしない。見ようともしない。私と同じ弱虫だ。あなた達なんかより、ハルのほうが、ずっと……!」

 嗚咽に溶けた言葉を悔しがるように、クロエは歯を食いしばる。

 泣きじゃくっていた少女はすでに消え失せていた。そこに凛とあるのは、明確な敵意をむき出しにする娘の姿だ。遠目から罵倒を浴びせかけていた村人は彼女に呑まれ、唖然と口を上げたまま、微動だにできないでいた。

「――余所者をかばうのか、クロエ」

 一石を投じたのは、先の男だった。

 二人の少女が同時に顔を跳ねあげ、一方は驚愕に、もう一方は納得に表情を染める。男は周囲の村人を睥睨すると、ふんと鼻を鳴らした。

「ことはおまえだけの問題じゃない。山羊が一頭、殺されているんだ。扉を壊したのだって、次に牛に手をかけようとしたのかもしれん。そうでなくても、さっきの刺激は牛に毒だ。怪我のひとつやふたつ負っていてもおかしくねえ……そうだろう、シュマン?」

「あ、……ああ、そうだ! あの中には都に送る大事な牛もいたんだぞ、衝撃で肉の質が落ちているかもしれねえ。けっ、なにが弱虫だ、親兄弟が死んだからって情けをかけてやれば調子に乗りやがって」

 くすぶりかけた火が再び勢いを取り戻し、周囲に次々と燃え移る。その光景が目の前に巻き起こったかのようだった。言葉を失ったクロエの前で、村人たちの敵意はより重みを増して襲い来る。

 彼女にとり男の言葉は手酷い裏切りだ。言い返すだけの力も薄れ、クロエはとうとう唇を引き結んでうつむいた。ハルミヤは彼女を見下ろし、それからいっそ哀れなほどに右往左往するロドルフの姿を目に留める。彼もまた、自分の持ち込んだ火種がこれほどまでに燃え上がるとは考えていなかったのだろう。

 そうして最後に、雑音に紛れた男を見据える。あとは任せたとばかりに、余所を眺めるばかりの彼を。

(不器用な人だ)

 差し向けられたのは裏切り。しかしその切っ先は、繋がれた山羊を解き放つための刃に変わる。

「追放だ!」

「クロエを追放しろ!」

「二度とこの村に帰ってくるな!」

 クロエの目は限界まで見開かれ、やがて痛みに堪えるように瞑られる。彼女の目蓋の裏に何がよぎったのか、その中身までを思いやることは不可能だった。脱兎のごとく駆けだしたクロエに引かれ、ハルミヤもまたその場を後にする。

 それに続いたアルヘナは、気だるそうにため息をついた。


 掘削の音が響く。

 畑の土を掘り返すべく振り下ろされ続けてきた鍬の刃は、硬い地面に突き立てられていた。重力に任せて落下させるだけで、少女の手元では小石混じりの大地が削られていく。十度、二十度、くり返し、くりかえして。自らの存在を刻みつけるかのように、クロエは穴を掘っていた。

「クロエ」

 ハルミヤはそう呼びかけて、続く言葉が見つからないことに気付いた。一時だけ手を止めたクロエであったが、伸びた沈黙に再び腕を動かし始める。鍬が大地を抉るたび、ガラス玉のような汗がこぼれていった。

 知ってるよ。

 結ばれ続けたクロエの唇は、やがてぽつりと言葉を漏らした。

「あの人は、きっと最後まで私のことを考えてくれたんだ。……私がいつまでも、逃げようとしないから」

 クロエの呟きに、ハルミヤはつい先ほどの出来事を反芻する。

 落ち着きかけた村人の苛みを、男の言葉が蘇らせた。そうして敵意と害意を煽り、彼らの感情をクロエの追放に駆り立てたのだ。未練なく、彼女が村を棄てていくことができるように。男が火をつけようとした先は、クロエの怒りでもあったのだろう。

(聡いことは苦痛だろうな)

 いっそ村を憎むことができたなら、クロエは二度と故郷に思いを馳せずに済んだのだろう。しかし彼女の聡明さはそれを許さない。心残りと愛着を、一握りだけ落としてゆくのだ。

 鍬の音が止まる。腰ほどの深さの穴を作りあげたクロエは、放られたままの山羊へと目を向けた。血だまりはとうに地に染み、歪な斑を生んでいる。それでもこの地に降り注ぐ雨は、いつか彼女の痕跡を洗い流していくのだろう。

 肉を、骨を、拾いあげては捨てていく。儀式めいたそれを、ハルミヤとアルヘナは傍らで眺めていた。クロエは最後に頭を穴の中に下ろし、汚れた毛並みを惜しむように撫でた。ありがとうと呟いた後に、土をかぶせていく。

「ハル。私、知りたいよ」

 盛り土の上には墓石代わりの丸石をひとつ。黄色の花弁を降り撒いて、クロエはハルミヤに向き直る。

「今まで目を背けていたこと。外のこと、王都のこと、お兄ちゃんが知ろうとしたこと、それから、アルのことと、あなたのこと」

「……私?」

「あなた達が抱えて、話してくれなかったこと」

 だからそれまでは。言葉を継ぎ、クロエは居ずまいを正す。

「ふたりと一緒に、いさせてください」

 そのまま、祈るように腰を折る。

 龍に向かう神子の姿に似たそれに、ハルミヤはもうひとつ、自分の似姿を重ねていた。爛漫に笑み、軽快に回廊を蹴る銀の娘の姿を。そうしながら、手の中にぼんやりとした諦めを握りこむ。

(私がクロエに、あいつの姿を見るなら)

 ――クロエもまた、兄の姿を透かし見ているのだろう。

 どこか遠くで、野焼きの煙がたなびき、揺れる。空は煙を呑み込んで、朦朧とした色をたたえていた。

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