008
住所と地図を照らし合わせる。二階建ての建物につけられたアパート名が一致した、ここだ。僕は錆びた階段を上がっていく。アパートは全体が古めかしく、あちこちが錆びていた。
共用通路に洗濯機の置かれた一室で立ち止まる。表札には「武上」の文字が書かれていた。横に小さく知らない男の人の名と瑠羽の名が並んでる。
小窓からは明かりも漏れてなくて人の気配がない、不在なんだろうか。インターホンを押してみる。外にまでピンポーンとシンプルな響きが届いた。
間もなくして、はーい、という低い男の声がする。ドアが開くとそこに立ってたのは眉の長い老人だ。薄い白髪頭と同様に眉も白かった。
僕の制服を見て彼は顔面をシワだらけにして笑む。
「瑠羽のお友達かなにかかね」
「はい。あの、瑠羽のおジイさんですか」
そうだよ、とおジイさんがハッキリした物言いで応えた。外見は歳相応に老いて見えても、眉毛に半ば隠れた瞳は瑠羽のそれと似てる。意思を色濃く秘めた双眸だ。
「実は担任の先生に頼まれて武上さんに──」
「まあまあ立ち話もなんだ、入りなさい。もうじき瑠羽も買い物から帰ってくる」
おジイさんは最後まで聞かずに家の奥へ行ってしまった。瑠羽のことを知りたい僕としては好都合だ。入りなさいと言われてるなら入ったって失礼に値しない。
玄関へ上がる。中は思った以上に薄暗かった。よくあるアパートの構造で、入ってすぐ台所兼リビングになってる。奥にはガラス戸があり、もう一つ部屋があるらしい。
リビングがフローリングなのに奥の部屋は和室だ。開かれた窓際で扇風機が一生懸命に首を左右へ振っていた。座布団を用意したおジイさんに、さぁ座って、と促されてそれに従う。
荷物を置いて僕は部屋を観察した。アパートの外観と同じであちこちが傷みやシミでボロくなってる。なんというか、とても質素だ。瑠羽のフレッシュなイメージとは合わなかった。
おジイさんがおぼんにコップを載せてやってくる。
僕は早速、書類についての説明を一通りした。
ふむふむ、と老眼鏡を用意したおジイさんがしきりに肯く。
「あい、承知しました。わざわざ暑い中、ありがとうね」
書類をちゃぶ台に置いた彼は、こっちを見た。
「ちょいと君に訊きたいんだが、いいかね」
「なんでしょうか」
「学校での瑠羽はどうなんだい。上手くやってるんかね」
「楽しく過ごしてますよ。僕とはゲーセンで遊んだりもしました」
「ほほう、一緒にあのコが遊んだと。それは良かった」
おジイさんの肩から力が抜けて下がった。穏やかな表情からは瑠羽への愛情がうかがえる。ああいうタイプのコだからだいぶ心配をしてたんだろう。苦労を察する。
コップを手にした彼はウーロン茶を一口飲んだ。
「騙すように朱良学園に入れたもんだから、それが気がかりだったんだ」
「騙すって、なにがですか」
「修羅学というのを知ってるかね」
老人の口からその単語を聞くとは思わなくてビックリした。
ええまぁ、と応えると彼はコップに浮いた氷へ視線を落とす。
「強い者が沢山いると言って編入させたんだ、とっくの昔に内部は変わってるのにね」
転校初日、いきなり郷田先生にケンカを売ったのはおジイさんが原因だったらしい。あのことについてはあえて伏せておくことにする。余計な心労を与えちゃダメだ。
「そんな嘘をつかなくても良かったのに」
「そうでも言わんと進学したがらなかったんだ。あのコは、ちょっと変わっているだろう?」
どう返答していいものか困る。彼の孫を指して、はい変です、と胸を張っては言えない。実物は“ちょっと”どころじゃなく変わってるんだけど。
黙っていたら彼が続けた。
「修羅学であれば過去の悪評から信じさせるのも容易だった。しかし高校へ通わせるようになって、本当にそれがあのコのためになったのかと疑心暗鬼になってね。上手く馴染めないでいるんでないかと不安なんだよ」
だいぶ参ってるらしい。僕はおジイさんに同情した。自分に格闘ばかりを望む娘や孫がいたりしたら苦悩するだろう。孤立してしまうんじゃないかって心配するのも当然だ。
努めて僕はニッコリとする。
「大丈夫です、僕もついてますから」
弱々しい態度だったおジイさんに元気が戻っていく。
「ありがとう、いい友達ができたようで私も嬉しいよ」
彼が笑顔になった。
どっちかっていうと僕が守られてるようなもんだ。彼女がいなかったら貞臣先輩との衝突も切り抜けられなかった。将棋の駒を取り返せず、痛めつけられる毎日を想像したら陰鬱になる。
僕の手をしわがれた手で掴んでくる。
「今後も瑠羽をよろしく頼みますよ。願わくば、普通の高校生活を送れるように」
朱良学園はかつての修羅学とは別物だ。貞臣先輩のグループだってリーダーである彼が指示しない限りもう瑠羽に突っかかってこないだろう。少なくとも学校じゃ普通でいられるはず。
平気です、と言って僕は微笑する。
「僕からもちょっと訊きたいことがあるんですけど」
「なんだい、なんでも言ってみんさい」
かねてより知りたかったことだ。ショルダーバッグをちゃぶ台に置き、FAPを露出させる。鈍い銀色のアケコンを見たおジイさんが、まぶたをひときわに大きく開いた。
やっぱり知ってるんだ。
「僕が瑠羽から預かってるんです。おジイさんはこれをどこで手に入れたんですか」
彼女が入学祝いにもらったと言ってた。現実の人間を操作する道具をそこらの一般人が開発したり所有したりできるわけがない。絶対になんかしらの関連性があるんだ。
質問には応えず、彼はコップに口をつける。ゆっくりとした所作で飲んで一息ついた。それからFAPの表面を指先で撫でる。その手つきは優しかった。
「分からない、としておいてくれんかね」
「それは、知ってるけど言えないってことですよね」
首肯した彼は申し訳なさそうにする。逆にこっちが申し訳なくなってくる。おジイさんにとって、いまのが最大の返答なんだ。僕にはそれだけで充分だった。
FAPの裏には想像を超えた組織の影を感じる。僕みたいな庶民が首を突っこんだら、ひとたまりもないなにかがありそうだ。おジイさんという門番を押しのけてまで侵入する心構えはない。彼の口調から、これ以上は進んじゃいけないって思わせられた。気にはなるけど、僕としてはFAPが使えればいい。背景にどんなことがあろうと、そこは変わらなかった。
玄関の方でドアを開ける音がする。ただいまなのだー、と帰ってきたのは瑠羽だ。声ですぐに分かった。おジイさんが出迎え、僕が来てることを伝えてる。
和室に顔を出した彼女はパッと明るくなった。
やあ、と軽く手を上げて挨拶をする。
「勇輝、なっのっだー!」
ちょちょっ!?
いきなり跳びついてきてモロとも転がってしまう。豊かな膨らみが惜しげもなく顔面に押しつけられた。脱出しようにも体を刺激してしまいそうで自由に動けない。できることといえば、手足をバタつかせることのみだ。おジイさんが、おやおや、と微笑ましそうに言ってる。
祖父として、それでいいんですか!
束縛が緩み、ようやく半身を起こす。それでもまだ瑠羽が上にまたがった状態だ。相手が女のコとはいえ体重をかけられてると、ひ弱な筋力じゃ抜けられない。
心拍数が上がってる。胸元に手をやり、僕は深呼吸をした。
おジイさんの笑い声が落ち着かせてくれる。
「いやはや、友達というのはいいものだ」
「ちょっと過激ですけどね」
僕がジョークを言ったとでも思ったんだろう、彼はほがらかに笑った。僕も無理矢理に笑ってみせる。それを見てか、なぜか瑠羽も一緒になって笑い出した。
「瑠羽や、途中まで送っていってあげなさい」
おジイさんの指示に、はいなのだ、と言って僕を引っ張る。
外へ出た僕は頭がクラクラしていた。家自体は普通だったが、内容が濃かった。
空はわずかにオレンジ色が残ってるのに道は薄暗い。住宅街の細い道を並んで歩む。電柱の明かりに無数の虫が群がっていた。
「今日、どうして学校に来なかったんだよ」
「ん、仇の手がかり探しなのだ」
小石を蹴飛ばした彼女はそれを目で追う。
そうか、復讐するんだった。相手がどこにいるのか詳しく知らないと話にならない。いつも学校にいないのは、街を捜し回ってるからなんだ。復讐のときは僕も手伝うことになってる。おジイさんが彼女に普通の高校生活をさせたがってると知ったからには、どうにかしてあげたかった。早くに解決してあげないと出席日数が足らなくなって留年だ。
「仇って、どんな人? 良ければ僕も捜してみるよ」
「それは──」
言いかけ、瑠羽が鋭く息を吐く。
どうしたの、と訊く前に僕の視界がブレた。彼女に抱えられて跳んだんだ。二人してアスファルトの地面に倒れこむ。尾てい骨をしたたかに打ち、痛みに顔をしかめた。
「なにすんだよ、いきなり」
患部をさすりながら不満をぶつける。
瑠羽はさっきまでいた場所の方を厳しい表情で見ていた。そこにいるのは黒いジャージに黒い覆面をした者だ。筋肉をまとった体つきからして男に見える。
ニュースで聞いたことがあった。例の通り魔は全身が黒ずくめで平均身長の男だ、と。模倣犯の可能性もあるが、僕にはそうじゃないと分かった。彼は目つきに生気がなくて普通じゃない雰囲気をまとってる。それになによりの証拠として、彼の足元はクモの巣状のヒビが入ってた。中心には足型がクッキリ残ってる。こんなことができるのは常人を超えた存在だけで、悪知恵の働いた模倣犯ごときじゃ達せない。
コイツが貞臣先輩の捜してる通り魔。見つけろとだけ言われてたものの、今回のターゲットは僕らのようだった。連絡先を交換して、また後日ってわけにはいかない。かといって逃げるのも困難そうだ。あとあと先輩に怒られるのを覚悟で戦うしかない。
「どうする、瑠羽。FAP使う?」
実戦経験の浅い僕が操作するよりも、彼女単独で戦った方がいいケースもある。相手のレベルが計り知れない今回は正にそれだった。
返事がなかなか来なくて横の彼女へ目を移す。
なんだかおかしい、小刻みに震えてる。そこで、あっ、と思い出す。瑠羽はカラス嫌いで、黒い色の物が苦手なんだ。敵を見てるようでいて、彼女の焦点は定まってなかった。
「父さんに、たかってたのだ。いっぱいいっぱい集まって、父さんをついばんでたのだ」
恐怖のあまり、過去の映像がフラッシュバックしてるようだ。彼女の呟きは父親が殺された直後のことを指してるんだろう。それでカラスが死と恐怖の象徴になったと思われる。
一人で戦わせるのは難しかった。
使うよ、と言うと辛うじて瑠羽は肯く。すかさずFAPのスイッチをONにした。フラつく足で前に出た彼女が構えをする。僕の視界がキャラ役のものと重なった。
流れこんできたのは負の想いだ。不安や恐怖、おびえが自分の中へ押し寄せてくる。瑠羽の心の一部だ。気を抜くと僕までそんな感情におぼれてしまいそうになった。
グッと堪えて負の水面から顔を出し、目の前の敵に集中する。
こういうときのためのFAPだ。瑠羽が苦手に思っていようと僕がプレイヤー役になることで弱点をカバーする。二人が組めば最強なんだ、こんなことで負けてたまるもんか。
レバーを右に二度倒し、前ステップさせる。
いつもの瑠羽のスピードで覆面男に接近した。しかし違和感があった。それがなんなのかはまだ半信半疑。でも、なんとなく予想はついた。
レバーを下にし、しゃがませる。小キック、小パンチと繋げて中キックを入力。相手の下半身を中心に蹴りと拳を打つ。姿勢を低くして守りを固める相手にヒットはしない。コンボを中断し、レバーを離してニュートラルにする。
ガードが堅い相手には投げだ。半歩だけ前進させ、パンチとキックボタンを同時に押した。瑠羽が投げのモーションに入り、覆面男の襟首を掴もうとする──が、そこに標的はいない。両手が宙を掴み、投げがスカる。
読まれてた?
敵は上空だ。こっちは技後の硬直により操作不能で、完全なる無防備だった。しかも相手のジャンプ力は通常の人間を超えてる。まるで瑠羽と同じく豪泉を使ってるかのようだ。もしくは豪泉をコントロールする機器によるもの。
空中で回転した敵のカカトが瑠羽の頭部を叩きつける。強制ダウン技だ。受身はとれず、アスファルトへ倒れ伏す。僕は起き攻めに備えた。
ジャンプ力やいまの技からして、明らかになったことがある。
向こうもFAPを使ってる。動きや戦い方が格ゲーっぽいんだ。投げ技がスカッたのもFAPの特殊効果によるものとして説明できる。僕ら以外にも所持してる人間がいるんだ。出所不明ながら僕が持ってるんだから、他の者が持ってたっておかしくはない。
僕は分の悪さを肌で感じた。FAPを使用するとしても瑠羽の心がいくらか混ざる。好調なときはいいけど、いまみたいに恐怖を感じてるときは操作に支障をきたすんだ。
ラグが酷かった。入力してから一〇フレームぐらいの間を感じる。本当の格ゲーならラグい環境だと対戦者もそれを共有する。FAPだと個々でラグが生まれるから、こっちだけが不利な操作感でプレイしなくちゃならない。酷いハンデ戦だ。
自分のプレイヤー性能と瑠羽のキャラ性能で押しきるしかない。
起き上がりにジャブが放たれる。それを腕で受け、バックステップ。すかさず大キックを押す。相手の前歩きに回し蹴りが当たって退かせた。向こうはムエタイに近いスタイル。主力はさっきのような蹴りだろう。こっちの牽制に対して敵がどう出てくるかを先読みする。
上だ。覆面男が跳んだのと同時に僕は前ステップを入れる。敵の真下をくぐった直後、さっきのカカト落としが弧を描いて後方へ落ちた。隙だらけ。今度はこっちが跳びからの攻めに移る。相手を越えるか越えないかの微妙な跳び蹴りだ。前と後ろ、どっちのガードを入力すればいいかプレイヤーを困惑させる手法である。
蹴りはヒットし、相手を越えた。格ゲー用語で言うところの、めくり攻撃だ。さらに攻めが継続する。小パンチ一回に大パンチ、それから2・3・6にレバーを動かして大パンチだ。
コンボが切れ目なく敵を打ち、ラストに豪波を撃つ。薄闇が瑠羽を中心に明るくなった。覆面男は塀に当たって跳ね返る。コンボ成功だ。
ラグ環境であってもコンボは裏切らない。動作の反映が遅れていようとも、ボタンを押すリズムは同じなんだ。練習をしてた僕にはたやすいことだった。読みが当たったのが大きい。
相手はキャラクター役としては並の能力だったらしい。起きてこようとはしなくて、しばらくしてもダウンしたままだった。どうやら決着だ。
スイッチをOFFにする。
その瞬間、見計らったように覆面男が復活した。キョロキョロと忙しなく周りを見たあと、いきなり瑠羽に当たってくる。跳ね飛ばされた彼女を僕は受け止めた。クソ、まだ動けたのか。
追い討ちをかけてくるかと思いきや、彼はそのまま道路を走っていった。
なんだったんだろう。辺りを見回して様子を探る。仮にFAPだとしたら、傍にはプレイヤー役もいただろう。僕ら以外にひとけは感じられない。キャラ役の覆面男が使えなくなり、先に逃げたっぽかった。
なにはともあれ勝てたことにホッとする。
抱き留めていた瑠羽から体を離した。
「今回はなかなか手強かったね」
彼女と手を打ち鳴らせようとするも、うつむいてて気づいてくれない。
「どうしたの? どっかケガした?」
実質、大した攻撃をされたわけでもないのに苦しそうだった。
しかし次には瑠羽がシャキッとして明るい表情を見せてくれる。
「問題ないのだ。勇輝はすごいのだ」
「ビックリさせるなよ。どっか負傷したのかと思ったじゃんか」
ごめんなのだ、と言って彼女がベロを出す。僕を騙そうとするなんてタチが悪い。改めて互いに手を上げ、ハイタッチをした。ラグがあっても勝ててしまうとなると、いよいよ僕らは最強かもしれない。
「なんなのだ、これ」
しゃがんだ瑠羽が指に挟みこんだのはペラペラの紙のようだ。観察してみるとステッカーだと分かった。さっきまでなにもなかったのに落ちてたんだ、持ち主は覆面男に違いない。
ステッカーにはオシャレにデフォルメされた鳥らしきマークが描かれてる。いいぞ、重要な手がかりだ。こっからなにかが掴めるかもしれない。
翌日、僕は校舎裏にいた。
日陰になった車のボンネットで寝転がってるのは貞臣先輩だ。近づくと気づいたみたいで、軽快に車を下りた。
昨夜のことを簡潔に説明し、ステッカーを渡す。彼は眉間にシワを作った。
「ゴッズレイヴンだな」
「ごっずれーぶん?」
聞き慣れない名称に首をかしげる。
ああ、と貞臣先輩がステッカーを握り潰した。
「カラスをシンボルマークにした一種のカラーギャングだ。どこだったか忘れたけどよ、隣県じゃ派手にやってるらしい。他の勢力吸収して巨大化してるとは聞いてたが、とうとう東京にまで進出してきやがったか」
まったくもって知らない世界だった。アングラな業界にはそういった情報が流通してるみたいだ。あんまりかかわりたくはない存在だった。
通り過ぎようとする貞臣先輩に声をかける。
「一人で行くんですか」
「なんだ? お前も加勢してくれんのか」
「そ、そういうわけじゃ……」
「バカ、お前じゃ戦力にならねぇからいらねぇよ。あとはオタクらしくゲームでもやってろ」
そう言う彼は楽しげだ。ワクワクとでも言えばいいか、そういった情念が全身から滲み出てる。強敵ほど昂ぶるんだろう、もはや誰も止められはしない。
相手がFAPを使用していようとキャラ役が常識の範囲内のレベルだ。大ヶ崎貞臣という規格外の人物であれば充分に勝てる。昨夜に戦ってみての感触でそう感じていた。一方的に負けるような展開にはならないだろう。
僕は黙して赤いタンクトップ越しの分厚い背中を見送る。
──それから数日、彼は登校してこなかった。
さぁ昼休みだ、パンでも買って部室でFAPのイメトレでもしよう。
ショルダーバッグを背負い直し、売店へ向かう。朱良学園は学食もあるのに、有名店と提携してるパンも人気が高かった。行くとすでに人だかりができてて、人気のパン争奪戦が起きてる。げんなりだ、体格の良くない自分はいつも必死にならざるを得ない。
モタモタしてるうちに時間とパンはなくなる。肝を据えて群れの中に突っこんだ。押されようと気持ち悪がられようと関係なく進む。どんだけ恥を捨てられるかが勝負の分かれ目だ。
よし、あともうちょっとで最前列。腕をグイッとねじこむ。その拍子に誰かの紙袋に引っかかった。持ち主からこぼれ落ちた物から中身のパンが散乱する。そこまでなら良かったのに、みんなの足がそれを次々に踏みつけてしまう。
「どうしてくれんのよっ!」
「ごめん、弁償するよ」
ちゃんと謝ったのに女のコが掴みかかってきてショルダーバッグを奪った。彼女の激情がそのままそこにぶつけられる。ショルダーバッグは急速落下し、リノリウムの床へ衝突した。FAPは百科辞典程度の重量がある、落ちた勢いの分だけ大きな音を立てた。
「叩きつけることないだろ!」
抗議をしても彼女は涙目になりながら怒気をぶつけてくる。
売店の傍にいた生徒らがヒソヒソ話をしだした。それぐらいで、ていう非難の目が僕に浴びせられる。周りからしたら女のコを泣かせた最低な奴ってことらしい。
面白い、こうなったらとことん悪者になってやる。
「文句があるなら格ゲーでかかってこい!」
当然ながら対戦を申し出る者はいない。非難ごうごう。バカだの死ねだの言って、帰れコールがされる。どこまでもつまらない世界だ。
さっさとパンを買って僕は部室へ退避した。いつものこととはいっても心にモヤモヤは残る。僕のミスがきっかけとはいえ謝ったし、弁償もするって言ったのに結末はいつも同じである。
食べたパンはパサパサしてて、やたら喉に引っついた。
そんな気分の沈んだ日の放課後のことだ。部室にいたら二年の先輩が僕のところに来た。貞臣先輩が重傷で病院に運ばれたという。詳細は不明らしいが、ゴッズレイヴンにやられたようだ。僕は原付を駅近くの大学病院へ走らせた。
受付で病室を訊く。
あの貞臣先輩が重傷を負うなんて信じられない。FAPを使ってたってキャラ役が弱いんだ、負ける要素がなかった。瑠羽並の人物が向こうにもいたんだろうか。いいや、彼女のような並外れた格闘家がそこらにいるものか。
ノックをしてからドアを開けた。
四人部屋だ、中年のオジさんや老人が寝てる。窓際の奥のベッドに目当ての人はいた。開け放った窓から貞臣先輩が退屈そうに空を眺めてる。
目を見張る。ギプスこそしてないものの、頭から足まで包帯だらけだ。瑠羽とのバトルだって次の日には無傷同然でケロッとしてたのに、どうやったらここまでケガをさせられるのか。
ベッドの横に立つと彼はチッと舌を鳴らす。
「見舞いのつもりかよ。俺を笑いに来たのか」
「笑ってほしいですか」
「っざけんな──つっ」
起きて激昂しようとした貞臣先輩が脇腹を押さえた。
「ケガ、酷いみたいですね」
「別に入院なんてしなくていいのによ、医者が安静にしてろってうるせぇんだ。ったく、大げさに包帯巻きやがって、鬱陶しいったらありゃしねぇ」
言葉の威勢の良さとは裏腹に声には力がない。しゃべるたびに痛みがあるかのようだ。
再び枕に頭を乗せた彼は、気をつけろよ、と言う。
「次はあのチビ女が狙われるぜ」
「それって、どういう──」
訊こうとした直後、ケータイに着信があった。コールは短く、出るのは間に合わない。液晶モニターには瑠羽の名前が表示されていた。
どうした、と問う貞臣先輩に待ってもらい、僕はリダイヤルする。耳にケータイを押し当ててコール音をしばらく聞いた。優に一〇回は鳴らしてるのに出る気配がない。
「瑠羽です」
「奴ら、次のターゲットをアイツにするって言ってたからな」
前に覆面男に狙われた夜、彼女は実力を発揮できてなかった。あの黒ずくめの容姿がトラウマを刺激してるせいだ。襲撃されたんだとしたら、また恐れて力を出せなくなる。
取り越し苦労に思いたいのに胸のザワつきはどんどん激しくなっていく。
「ゴッズレイヴンの居場所を教えてください」
「行ってどうすんだ。まだ奴らにやられたって決まってねぇんだろ」
「行って確かめます」
狙われてる最中でのケータイへのワン切りは、きっと偶然じゃない。単なる杞憂であれば僕がリンチでもされて帰ってくればいいんだ。彼女がいたらいたで警察に通報するでもいい。とにかくゴッズレイヴンとやらに会ってみないと、なんにもならなかった。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。