007 Round 2
Round 2
ちょっとゲーセンで格ゲーでもしていこう。学校終わりに駅前のシェルパへ寄ったのはそんな気楽な動機でだ。武上瑠羽とペアを組んで以降、僕の格ゲー熱はますますヒートアップしていた。平日のシェルパはそれほど猛者が現れないけど現状維持のための材料にはなる。
そんなふうにヌルイ態度でいれたのは、四九連勝をしたところまでだった。
別に連勝にこだわりはなく、ああもう一回勝ったら五〇連勝だなぁ、てなにげなく思ってたんだ。きっと自分は五〇連勝するだろう、て確信してた。
そんな幻想は、いとも簡単に崩される。今日はそんなに強いプレイヤーがいなくて油断もあった。それを差し引いても僕はたやすく負けたんだ。どうも不可解だった。
相手キャラは人型の黒いゼリーで、アルティメットファイターのストーリー上はラスボスになってる。CPUによるコントロールなら優秀で強いキャラだ。ただし人間が使うとなると非情に弱い。なぜか? 攻撃には突出してるものの、異様に体力が低いせいだ。その特性がCPUに向いてるのは人間の反応を超えたことができるからであって、そうでなければ装甲のない戦車みたいなもんだ。
以上のことから僕はこのキャラを使用するプレイヤーには負けない──一人を除いて。
だけど、しかし、まさか……?
疑問に思いながら再戦を挑んでみる。再戦一回目は普通に、二回目は攻めの戦いで、三回目は堅い守りで行った。そのどれもが冷静な対処をされ、まさかの全敗だ。人間が使うにはあまりに不安定なキャラで山のようにドッシリとした安定感があった。
こうなると、もはや疑いようがない。僕は対面側の筐体へまわる。
「なんでここにいるの、涼太君」
そこに座ってるのは黒いノースリーブのパーカーを着た青年だ。黒い髪は天然パーマでクルクルしてて、大きな瞳が猛禽類を想わせる。先日の国内最大の格闘ゲーム大会「怒号戦戯」予選決勝にて僕を負かしたプレイヤー──月山涼太君である。次に会うのは本大会の決勝トーナメントだと思ってただけに唖然としてしまった。
黒縁メガネの中央を涼太君が中指で押し上げる。
「なんでって、ゲーマーだからに決まってるっしょ、勇輝君」
彼は同年代ながら幼さの残る顔を微笑ませた。
格ゲープレイヤーがゲーセンに通うのは当然だ。僕が言いたいのはそういうことじゃない。彼は神奈川に住んでて、東京のこのシェルパに来るには結構な距離を移動しなくちゃならなかった。神奈川にも強豪プレイヤーはいるんだ、運賃と時間をかけてまで遠征する必要性がない。しかもメジャーなゲーセンでもないシェルパに来るのは一種異様だ。
ゲーム中の筐体に興味が失せたとばかりに彼は体を離した。
「時間ある? せっかくだし、どっかでしゃべろうさ」
「え、あ、うん、いいけど」
唐突な誘いに茫然とし、つい了承してしまう。
道中、どんな会話をしたかは記憶にない。
そうして着いた先はスイーツ店だった。気づくとテーブルにはミルクレープやケーキがいくつも並んでる。そのほとんどが彼の注文した物だ。
涼太君は口の周りについたクリームを紙ナプキンで拭きとる。
「悪いね、オイラの好みに付き合わせちゃってさ」
「僕も甘いの好きだからいいよ」
ゲームに集中したあとなんかは特に甘いものが欲しくなる。普段は男がスイーツを食べるなんて恥ずかしい気がして、こういう店には来られない。共通点を発見できて嬉しかった。
彼はカバンからノートPCを出してテーブルの一角に置く。
「そういえば初めてっしょ、オイラたちがまともにしゃべるのってさ」
「そうだっけ?」
言って、過去を思い返してみる。会うのはほとんどが格ゲー大会で、いつも彼は優勝していた。対する僕は二位以下で地味なポジションだ。優勝者の周りはファンで溢れ、賞賛の雨あられである。負けた僕は悔しくて早々に帰ってしまう。誰かとしゃべる気にもなれないんだ。
よく冷えた水を飲み、喉に流しこむ。
「うん、そうかも。いつかしゃべりたいとは思ってたけど」
「奇遇、オイラもさ!」
笑顔で声を張る。他の客が注目してきても気にしてない。
その大きな瞳をイタズラっ子みたいに歪ませる。
「ここだけの話さ、強い奴いないっしょ」
なんというぶっちゃけ方だろう。呆気にとられてキョトンとしてしまう。
実力を伴ってるから傲慢とも言い切れない。正直というか素直というか、彼が言うと嫌味に聞こえなかった。それに同感でもある。猛者は沢山いても、真の意味で強いって感じるのは目の前にいる青年ただ一人だ。
「オイラがゲーム楽しめるの、もう勇輝君だけさ」
「そんな、持ち上げすぎだよ。僕なんて、いっつも負けてるし」
顔の前でブンブンと腕を振る。
褒められたのが久しくてどうリアクションしたらいいのか分からないのと、そんな自分が情けなくもあって話題を変えることにする。
「PCでなにやってんの」
「ボソボソさ」
「一言で近況報告するっていう?」
「イエス、『勇輝君とスイーツ店でマッタリ』ってボソッたんさ」
ボソボソは若者を中心に広まったネットの交流ツールだ。短い文章で、いまどこでなにをしてるかなどを垂れ流す。連絡用にも使えて便利らしいが、僕は一切使ったことがなかった。そんなにいいモノなんだろうか。メカにはてんで弱いため、評価を下せない。
う~む、と考えこんでたら涼太君が天パーの髪をワシワシと掻いた。
「もしかして、ここにいるの知られたくなかった?」
「そんなことないよ。知られたって、どうってことないから」
なにかあるとしたら、せいぜい対戦を申し込まれる程度だ、なんの問題もない。
「けど、そういうのってスマホでやるのかと思ってたよ」
「ほとんどの人はそうっしょ。PCなら他にも色々できるからこっちを持ち歩いてるんさ」
「色々って、どんな?」
「それ、訊いちゃう?」
ニヤリとした彼がショートケーキのイチゴをフォークで刺した。
慌てて首を振る。
「言いたくないならいいんだ」
「ハッキングさ」
へ? 縁のない単語にマヌケな声を出してしまった。
イチゴを食べた涼太君は、残ったケーキ本体部分を半分に切り、口に放りこむ。口内はスイーツ天国となってるだろう。頬を目一杯に膨らませて味わってる。
「格ゲーメーカーのサーバーをハッキングしてデータを盗むんだ」
PCに詳しい人なら、そういうことができるってなんとなくだけど知ってる。でもそれって法律に引っかかるんじゃなかったっけ。
涼太君がプッと吹き出し、それから腹を抱えて笑った。なにがなんだか分からず、僕は首をかしげてしまう。鼻の頭にクリームでも付いてるのかと思い、さりげに触れてみても異常はない。そんなこっちを見て、また笑ってる。
僕はちょっとムッとした。
「言いたいことあるなら言ってよ」
「冗談さ、冗談。メーカーのハッキングなんてしてないさ。本気にしたっしょ?」
おかしそうにする涼太君。
なんだ、そうだったんだ。彼が犯罪に手を出してなくて安心する。
「騙すなんて人が悪いなぁ、涼太君も」
「ごめんさ。実際そんなことして捕まったら、オイラたちゲーマーの立場が危うくなるっしょ」
まぁ、そうだろう。犯罪者が捕まり、悪くもないゲームが原因であるかのように報道されるのはよくあることだ。ただでさえオタク扱いで肩身が狭いってのに勘弁してほしかった。
「僕の親なんてゲームばっかしてって最近やけに厳しいよ」
「オイラのところもさ。顔を合わせたら勉強しろばっかで、ゲームやる奴はゴミって思ってる」
「みんな、ゲーマーを誤解してるよね。格ゲーだって極めていけば読み合いとか判断力とか反射神経とか色んな面が鍛えられるのに」
「ゲームを悪者にしとけば社会は安心なんさ。原因不明な犯罪ほど恐いものはないからさ。本当はゲームが悪いんじゃなくて、悪い奴がたまたまゲームやってるってだけっしょ」
ウンウンと相づちを打って共感する。自分の内にある想いと彼の言葉がことあるごとに投合するのが快感になってくる。よくぞ言ってくれました、てなもんだ。いまだかつて、こんなふうに気が合う人はいなかった。どうしてもっと早くしゃべろうとしなかったんだろう。
俄然、彼に興味が湧く。
「涼太君って、いくつぐらいから格ゲー始めたの」
「ん~と、習い事のストレス発散目的でゲーセン行くようになったから、七歳ぐらいさ」
「小学一年じゃん! もしやいいところの生まれ?」
「父親が外交官で、母親は宇宙工学研究所の所長っしょ。オイラは覚えてないけど、教育はゼロ歳児のころから始めてたってさ」
どっからツッコミを入れていいか迷うほどの家柄だ。いわゆるエリートコースまっしぐらってやつじゃなかろうか。すごそうな職業の両親に期待されたらそりゃストレスも溜まる。
水を飲んだ僕はグラスを揺らし、中の氷をカランコロン鳴らした。グラスの外側に付着したいくつもの水滴には茶がかった髪の僕が丸みを帯びて映ってる。
「でもいいなぁ。僕の親なんか、ただのサラリーマンと主婦だよ」
「良くないっしょ。敷かれたレール歩かされるのは苦痛さ」
「よくそれで、あんなに格ゲー強くいられるね」
「勉強に影響がなければ黙視さ」
そこだけが救いっしょ、と彼は肩をすくめて苦笑いした。
いい環境に生まれたとしても、みんな悩みは抱えてるんだ。たまに、こんな家に生まれてなければって考えたりするけど、それは逃げなのかもしれない。大変な家庭にいながらトッププレイヤーでいる涼太君には励まされる。
アルファイについて情報交換をしたり愚痴をこぼしたりして過ごした僕らは時間を忘れた。彼には知性がある。ためになる話や考え方が多くて僕にとっては有意義だった。
外の騒がしさに感づいたのは会計をしたあとだ。
夕方だってのに日射しは強く、目の上に手でひさしを作って駅前の方を見る。バスターミナルで何人かがケンカをしてるようだ。目を凝らすとセーラー服の少女が中央にいた。
嫌な予感がし、涼太君と一緒にいるのも忘れて一直線に向かう。
あのコは節操がない、少しは注意してやった方が良さそうだ。
野次馬の先頭に踊り出る。そこには大柄の男が三人、横たわってた。見るからにカタギの人じゃない。彼らを倒したと思しき少女は拍手する野次馬にVサインをしてる。
僕は瑠羽の手首を握った。
彼女が口を開ける。
「勇輝なの──」
もう片方の手で口を塞ぎ、性急に引っ張った。人混みを掻き分けていく。やや離れた路地で涼太君が手招きをしてた。瑠羽を連れ、そこに入りこむ。誰も追ってはこなかった。
手を離すと瑠羽はこっちを見て発声を始める。
「勇輝──」
「なのだ!」
ほんのり怒気を含んで彼女の先回りをした。瑠羽はビックリしたようにし、むむむ、と唇を「へ」の字にする。途中で言葉を奪われたもんだから心地が悪いらしい。
「ダメだよ、あんなところでケンカしちゃ。まだ日だって出てるし、近くに交番だってあるんだ。おまけに相手がヤクザって、最悪の場合ひっちゃかめっちゃかじゃんか」
すねたのか、彼女が口をとがらせる。
「ケンカじゃなくて真剣勝負なのだ」
「同じだよ!」
ノリでゲンコツをした。反動で彼女は首をわずかに縮ませ、両目をつぶる。少しばかり強くやりすぎたかな。謝ろうかどうか迷うも、彼女は危ないことをしたんだ、これぐらいしないと理解してくれない。うん、ゲンコツは正義だ。
まぶたを再び開いた瑠羽が、こっちをジト目で見てきた。
「せんせんふこくなのだ?」
「違う違う!」
構えをし、いまにも殴りかかってきそうにする。僕は慌てて身を退けた。瑠羽と戦うってなったら、それは死を意味する。彼女の格闘能力からしたら、僕なんてひややっこみたいなもんだ。醤油としょうがで、あっさりいただかれる。
ジリジリと間合いを狭める彼女から本気でどう逃げようか思案してると、傍にいた涼太君が笑い声を発した。僕らは揃って彼に注目する。
おかしそうにする涼太君は中指で黒縁メガネの中央を押しこんだ。
「二人とも、いつもそうなん?」
「えっと、まぁ、うん」
瑠羽と出会って以来、こういう悪ふざけみたいなのがちょくちょくある。
「仲いいなぁ、オイラにも紹介してよ」
僕としては本気で彼女の力を恐がってるのに客観的にはただの仲良しに見えるらしい。やれやれだ。でも彼のおかげで瑠羽も毒気を抜かれたようで、僕の後ろでおとなしくなった。借りてきた猫みたいになっちゃってる。
どうしたっていうんだろう、いままでの威勢の良さがない。
「同じ朱良学園の武上瑠羽だよ」
よろしくさ、と涼太君が人懐っこい柔らかな表情で言った。
次に彼を指し、僕は瑠羽に向き直る。
「瑠羽、こっちは格ゲーマーの──」
「知ってる、月山涼太なのだ」
「あれ? 知り合いだった?」
彼に視線を向けると首を振って否定した。
僕の背中に隠れたまま、涼太君を彼女が見る。
「プレイヤー役選びで候補にしてたのだ」
ああ、そういうことか。FAPを操作する者を探してたときに彼のことを知ったんだ。てことは、涼太君の強さを知った上で僕を選んだってことなのかな。そう思うと有頂天になってくる。僕のプレイスタイルに感銘を受けたのかもしれない。
瑠羽は彼のことを下から上まで眺め、ブルッと震えた。ハイカットの黒いスニーカーにハーフ丈の黒い綿パンツと黒いノースリーブパーカー、加えて黒縁メガネに天パーの黒髪。
「カラスみたいで嫌いなのだ」
そんな理由!? ついコケそうになった。
おい、僕のこのルンルン気分をどうしてくれる。もう一発ゲンコツを食らわせてやろうか、こんにゃろうめ。拳を胸に携え、グッと堪えた。
嫌われちゃったさ~、と心の広い涼太君は呑気に微笑んでる。ごめんねこういうコで、と言うと、いいさいいさ、と快く流してくれた。なんていい人なんだ。
ところで、と彼が前置く。
「朱良学園って大ヶ崎貞臣って人がいるっしょ」
涼太君の口からあの人の名を聞くとは意外だ。
「うん、いるよ。それがどうかした?」
「どうってわけじゃないけどさ。さっきの瑠羽ちゃんの勝ちっぷりを見たら、どっちが強いのかなって思ったんさ」
「ああ、それなら──」
先日の貞臣先輩との勝負を説明してあげた。もちろん、FAPについては隠す。どうせ本当のことを言ったって信じてくれないだろうし、あまり知られたくもない。あれこれあって、最終的には瑠羽が勝ったと伝えておく。
「へぇ。瑠羽ちゃん、めちゃくちゃ強いっしょ」
そう言う彼はニコニコし、ケータイを出した。
「もうこんな時間かぁ」
いくら日の長い夏でも暮れていく。空がオレンジ色に染まりだしていた。
残念なのは、もうそろそろ帰らなくちゃいけないって言われたことだ。せっかく会えたんだ、記念に格ゲーで一〇本先取戦をやりたかった。
「ちょっとだけシェルパでガチンコするってのはダメ?」
「ごめん、また今度にしようさ」
どうやら時間が迫ってるみたいで、真剣勝負は叶わない。終始、申し訳なさそうにする彼を僕らは見送った。しかし一生会えなくなるわけじゃない。決勝大会だってあるんだ、またすぐに会える。それまでにさらにアルファイの腕を磨いておこう。
授業の合間、トイレから帰ろうとしたら前方から赤いトサカをした影が視界をチラつく。僕はクルリと反転し、別ルートから教室に戻ろうと決めた。一歩二歩と足を進めて角を曲がったらダッシュする予定だ。メーデー、メーデー。これは逃げるんじゃなくて戦略的な撤退である。
一歩、二歩──よし、いまだ!
足裏でリノリウムの床を蹴ろうとしたのに蹴れなかった。上から猛烈な腕力で押さえつけられたからである。僕の肩を掴んだのは赤いリーゼントをした貞臣先輩だ。
三白眼が鋭い眼光を帯びて睨んでくる。
「おいコラッ、なんで逃げやがる」
「恐い顔で向かってくるからです!」
「ぶん殴られてぇのか」
彼の凶悪なまでの迫力に身が萎縮した。それそれ、その顔だよ。こんな人がズンズン歩いてきたら誰だって避けたくなる。いまはFAPだって持ってないし、あったとしても瑠羽が傍にいなきゃ普通のアケコンと同じ。
要約すると──僕は無力だ。
そんなに恐い顔してっかぁ、と彼は怪訝そうにする。
「それはともかく、ちとツラ貸せ」
「顔は交換できませんよ」
「そういう意味じゃねぇよっ! ついてこいって言ってんだ!」
鼓膜が破けんばかりの声だ。そんな怒鳴らなくたっていいのに……。
とんでもない握力で肩を強引に引っ張られていく。帰宅するころには手形の綺麗な跡がつきそうだ。半ば引きずられるようにし、階段の踊り場まで移動させられた。
まだ二時限目が終わったところで、昼休みまでは遠い。ひとけはほとんどない。あったとしても貞臣先輩が睨みをきかせたら、みんな逃げていってしまう。
「なんなんですか。いまの僕とケンカしてもつまんないですよ、弱いから」
貞臣先輩が舌打ちする。
「別に殴りゃしねぇよ」
さっきは、ぶん殴られてぇのか、とか言ってたくせに。
呟きにギロリと睨んでくる。恐いからやめてください。
「この前、お前らにずいぶんいいようにやられたよな」
「あれは、その、まぁなんというか、こっちも頑張って──」
弱った子犬ぐらいならそれだけで殺せそうな顔面が至近距離に迫った。僕は引きつった笑みをする。泣きたいのに泣けない、だってそうしたら殺されそうなんだもん。
念を押すかのごとく、彼は問いかける。
「やられたよな?」
「はい、やりました。それはもうコテンパンに」
「それは言いすぎだろ、ぶっ殺すぞ」
襟首を掴まれ、息が苦しくなった。
もうどうにでもして。どう応えようと結局は殺される終着点にしか辿り着かない列車に僕は乗ってしまったんだ。ガタンゴトン、ガタンゴトン。ハハハ、旅は楽しいなぁ。
「なに薄気味ワリィ顔で笑ってんだ、変態か」
「なんなんですか、僕をどうしたいんですか」
死の予感だ。願わくば苦しませず、一瞬で処してほしかった。
おっとそうだった、と貞臣先輩が襟を離す。
「もうちょっとしたら空手部の関東大会なんだけどよ。お前らにやられた奴、主要部員なんだわ。あちこち痛めたらしくて、出場できねぇんだとよ。率直に言うと人数が足らねぇ」
貞臣先輩を倒したあとにケジメをつける名目で襲ってきたあの人らはそんなに強いメンバーだったんだ。FAPと瑠羽の合わせ技もあって、あんまりそうは感じなかった。
事態は深刻だ。貞臣先輩は大会に意気ごんでるって話だし、人数不足で出られないともなれば心穏やかじゃいられないだろう。あっちから向かってきたとはいえ、責任を感じてきてしまう。だからって僕には謝ることしかできない。
ただし一つ気になることがあった。
「主要部員っていっても、他にも部員はいるんですよね。僕がかかわったのはほんの一部のはずなのに、なんで出場できないんですか」
「問題はそこだ」
いい質問だとばかりに彼は真面目になった。
「お前、通り魔知ってっか」
「ああ、チラッとニュースで見たような」
今朝もテレビでやってた記憶がある。夜中、いきなり殴りかかってきて姿をくらますらしい。この犯人が変わってるのは、どれも屈強な男を標的にしてるっていう点だ。人間心理からして通常は自分より弱い存在を狙ってもいいのに、あえて格闘家や警察官、ヤクザなどに挑んでる。それがどうしてかは不明だが、強そうな男は要注意ってのは間違いなかった。
「もしや、出場できないのって」
「まだニュースにはなってねぇけど、ソイツに部員の大半がやられちまった」
貞臣先輩が歯を噛み合わせてギシリと鳴らした。
にわかに信じがたい被害だ。部員っていったって、貞臣先輩の厳しい指導についていってる生徒である。精鋭とも言える人らが片っ端からやられるとは考えにくい。よっぽど通り魔が強いんだろうか。もしそうなら、どんな人間なんだろう。
そこまで思考し、好ましくない推測が脳裏をかすめる。犯人は瑠羽なんじゃないか、て。九割方それはないだろう。残り一割──彼女だったらそういうことをしてもおかしくはない。悪意はなく、強い者を求めた結果に通り魔として分類されてるんだ。
しかし、それらはいままでの付き合いから来る想像だ。どれも根拠はなく、もし裏の顔があるんだとすれば悪質な動機による犯行も考えられる。僕はまだ瑠羽のことをよく知らなかった。
「──を見つけ次第、報告しろ」
「え?」
しまった、考えごとをしてて話を聞いてなかった。
イラ立ちを声に乗せる先輩。
「だから、通り魔を見つけてこいって言ってんだ」
「な、なんでですか」
警察だって手がかりを掴めないでいるのに、そんなのお手上げだ。
拒否の態度を示した僕は張り手で壁に押しつけられる。
「部員にケガさせたのはお前らの責任もあるだろうが」
「あれは、向こうから──」
「それにな、一回勝ったぐらいで勘違いすんじゃねぇぞ。俺は別にお前らを恐れてねぇ。どっちかが死ぬまでやり合ったってかまわねぇんだ」
その口調や目の色に冗談めいた要素はスズメの涙ほどもなかった。
死ぬまでって、なんて恐ろしいことを言い出すんだ。そこらの不良が言うなら安いハッタリだけど、貞臣先輩の場合はそうじゃない。強くあることに命を賭してるんだ。
「いいか、発見できなきゃお前を大会に出場させるからな」
「い、嫌だよ! 僕が上がり症って知ってるだろ!」
「うっせ」
真顔で頬を殴られた。
あうち、と変な叫びをして踊り場に横たわる。ものすごく力加減をされたパンチだったのに、このざまだ。FAPと瑠羽により彼を超えられたと思ってた節がいくらかあったものの、この調子じゃ以前となんも変わってない。
勢いでケンカをして負けるのと観衆の前で試合をして負けるんじゃ雲泥の差がある。大勢に醜態をさらすぐらいなら彼に従った方がいい。
素直に引き受けると、頼んだぜ、と残して貞臣先輩が階段を下りていった。僕は反対に上りの階段へ足をかける。
あ~あ、とんでもないことになっちゃったなぁ……。うつむき加減にトボトボ歩む。
そこへ、こんなところにいたのか、と声をかけてきたのは郷田先生だ。
「お前、武上と仲いいだろ。これ、渡しておいてくれ」
一枚の用紙を手にする。どうやら転校手続きに関する内容のようだ。氏名の記述や押印する箇所があって大事な物であるのは一目で分かる。先生が直接渡さないのはおそらく彼女を深層心理で恐れてるからだ。僕には強気だってのに嫌になる。
今日、瑠羽はまだ来てなかった。いつものパターンだと朝からいないときは大抵その日は来ない。これはいい機会だ。
僕は了承しておく。プレイヤー役を引き受け、住所と連絡先は交換してて知ってた。私立朱良学園からはそう遠くなく、原付でも行ける距離である。
どうしても通り魔との関連があるかどうかが気になってる。それにFAPの謎についても知りたい。彼女の家に行けば、なんかしら得られるモノがありそうだった。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。