006
午後の授業の予鈴が鳴ったあとで、廊下には生徒がほとんどいない。みんな、それぞれの教室へどんどん入っていく。僕は階段を一段飛ばしで上がり、一‐Aの戸の前に立った。クラスメイトらのざわめきが聞こえてくる。
戸を開けた。
突然、静寂になった。心なしか、視線がこっちに集まってるようだ。否、集まってる。みんなが僕をニヤニヤして見てるんだ。なにごとだろう。
机に着いて判明する。窓際の僕の席は八個の脚が上を向いていた。ホコリの塊がこびりついてて切なくなる。いつも引きずったりしてるから、こんなにも固まり溜まっていくんだ。
誰が机とイスを逆さまにしたのか見当もつかなかった。あえて言うなら、全員が共犯だ。実行犯に便乗し、僕の反応を面白がって見物してる。実験動物の心境である。
ヒソヒソ話は絶えない。悪意ある無数の眼光が束となって突き刺さった。僕の心からは無色の血液がこぼれだす。ドバドバと止めどなく、足元に垂れていった。傷は深く、応急処置をしたって焼け石に水となる。やがて出血多量となり、手足が震え始めた。
隣の席に瑠羽はいない。彼女はちょくちょくどっかへ行ってしまう。せめて瑠羽がいてくれたら──いや、男の僕が異性に甘えてどうする。助けを求めたら、それは負けに等しい。僕にだってできることがあるはずだ。
みんなの机の間を縫って歩き、教壇へ立つ。僕を追う視線は一つも外れない。変わらずニヤニヤし、好き勝手に言ってる。上等だった、そんなにも僕を負かしたいなら相手になってやろう。無料サービスで敗北を認めるなんてしてやるもんか。
震える手足を押さえ、クラスメイトを睨み返す。
「不満があるなら、格ゲーで勝負だ!」
室内に虚しく声が広がった。
「どうした、かかってこい! シェルパでガチンコだ!」
生気のない瞳が遠慮なく向けられる。まるで人形を相手にしてるようだった。命あるのは自分のみだ。外は灼熱の快晴だってのに、冷気が立ちこめているみたいな肌寒さがあった。
分かってる、こんなことしたってどんどん自分を追いこむんだ。やればやるほど周りの温度は下がっていって、いつかは絶対零度にまで達する。そうしてこごえ死んでいくんだろう。
僕は僕を止められなかった。負けた悔しさでベッド上をのたうつよりは何倍もいい。その結果、死に至ってもかまいやしなかった。
教室の戸が開く。入ってきた女の先生が目を丸くした。教壇に僕一人がいるという異様さに事態を呑みこめてないようだった。なにがあったの、と訊かれて、なんでもありません、と応える。目を合わせないまま席へ向かった。
机とイスを起こし、授業の準備をする。机の中から筆記用具を出すとなにかが太ももに舞った。雑に切り取られた紙切れだ。その中央に、これまた雑な文字が書かれている。
“放課後、武上瑠羽と校舎裏に来い”
僕の席を引っくり返した犯人は分からなくとも、これに関しては察しがついた。彼女とともに呼び出される原因は一つ──赤坊主が早速バイクの件をチクッたんだ。
さっきまでとは違う意味で震えてくる。あっちから来てくれるのは好都合だった。クラスメイトとは異なり、あの人はぶつかってきてくれる。その現実に心が躍った。
朱良学園の正門は南西にある。北東にも出入り口はあれど、教師や学校の客なんかが車で来たときに使用する程度だ。建物の高さや位置関係もあって、裏門へ足を踏み入れるとなんとなく薄暗くなる。もっと遅い時間なら幽霊でも現れそうだった。
大丈夫、僕にはこれがあるんだ。校舎の角を前にショルダーバッグを肩に担ぎ直した。後ろをついてくる瑠羽の存在を確かめて決意する。恐れず、自分を信じればいいんだ。
角から体を出し、校舎裏を視野におさめる。
僕は少なからず動揺した。貞臣先輩とその仲間がたむろってるのは想定してた。だけど、その中に明らかに毛色の違う青年が混ざってる。メガネの柄は曲がり、ピンクのTシャツは土と鼻血であちこち汚れていた。襟が伸びきってしまってダルダルになってる。
「なんで勝也がやられないといけないんですか」
バイクについては僕がやったことになってるはずだ。彼が自白でもしないと真犯人は突き止められはしない。罪をなすりつけたのに、わざわざそんなバカをするわけがなかった。
誰かの車のボンネットに座った貞臣先輩はポケットから丸い物を出す。それをこっちに投げつけてきた。手首のスナップがよく利いてる、僕が反応できる速度を超えていた。
腕で防ごうとした寸前、小さな手がそれをキャッチする。瑠羽が握り締めたのはテニスボールだった。楽々と取ったのを見て貞臣先輩が、へぇ、と感心したようにする。
「こんなところに呼び出してキャッチボールでもしようって言うんですか」
ヘッと笑った彼は車を降り、首を捻ってコキリと鳴らす。
「カウルにボールが挟まっててよ。そこに、このブタ野郎の名前が書いてあったってわけだ」
決定的な証拠だ。てっきり勝也が回収したのかと思ってた。そんなところにあるんじゃ、発見しようがない。状況証拠と合わせ、犯人と判断するには充分すぎた。
貞臣先輩がリーゼントをクシですいた。真っ赤なトサカが乱れ一つなく立派に整えられる。今日も絶好調のようだ、それどころか全身から傲慢なほど力をほとばしらせていた。赤いタンクトップから伸びた腕は色艶良く筋肉を盛り上がらせている。
くたびれて座る勝也を指した。
「コイツ、お前のせいにしてたんだろ。俺様が制裁しておいてやったから感謝しろよ」
「丸分かりの嘘ですね。感謝させるために呼んだんじゃないでしょ」
犯人が勝也と知って痛めつけ、その上で僕らをここに来させたのには理由があるんだろう。初めから逃がしてくれるとは考えてなかった。
相変わらずの減らず口だな、と彼は前へ出てくる。
「さっさと俺に白状しなかったお前も同罪ってことだ。生きて帰れると思うなよ」
三白眼がギラリとこっちを睨みつけてきた。
勝也の話してた過去の逸話が脳裏によみがえる。果たして、FAPを使ったからって勝てるんだろうか。いくら瑠羽の格闘能力が高かろうと力比べになったら危なそうだ。
考えてはいられない、自分の役割をこなすんだ。
FAPを出し、スイッチをONにする。座りこむとモーターの震動を太ももに感じた。レバーを握れば落ち着いてくる。校舎裏の全体が自分のフィールドになった。格ゲーをやると思えば、ここにいる人間の誰よりも経験を積んでる。
瑠羽の視界を通して見る敵に、いままでの脅威はなかった。
貞臣先輩は片眉を上げる。
「それが例の機械か。原理は知らねぇが、それ使うとこのチビ女が妙な技を出すってんだろ」
だいたい当たってることに胸の内がざわついた。野生の勘か、赤坊主の報告でそこまで推察するとは侮れない。伊達にここらの不良をまとめてなかった。
バレるのは想定の範疇だ。どっちにしろこんな体勢でいたら、いずれバレたこと。問題は、こっからだった。
僕は不敵に笑んでみせる。
「恐いなら謝ってくれてもいいよ。なんせこれを使った僕らは最強だからね」
手足を振って彼が柔軟をした。
「俺はなんでも大歓迎だ。その最強とやらを見せてみろ」
すんなり使用許可が下りた。もっとも懸念してたのはFAPを操作する自分を攻撃されることである。そうなってはいままでと大差はない。
あっさり好条件が揃い、上手くいきすぎてるのが恐くなる。どっかに落とし穴がありそうだ。都合が悪くなったら、FAPを壊そうとしてくるとか。
プライドが凝縮されて人間の形になったような先輩がそんなことするかな。いいや、するとは思えない。この人は本気でぶつかり合える相手を探してる。あるとしたら、逆上した取り巻きが向かってくることだ。
「それじゃ俺が情報渡した意味ねぇでしょ。こんな奴ら、全員でボコッちゃえばいいんスよ」
しゃしゃり出てきたのは赤坊主だ。鼻筋にくっきりと瑠羽にやられたアザができてる。
目を細めた貞臣先輩がニッと笑みを形作った。
「それは楽しいのか」
「当たり前ッスよぉ。シメたあと女の方は別の楽しみ方があるしぃ」
下卑た笑いをして瑠羽をいやらしい瞳で見てくる。
僕は身構えた。そんなことは自分の命を引き換えにしてもさせはしない。いくら弱くても捨て身でいけば急所を狙って致命傷ぐらいは負わせられる。人間、その気になればなんだってできるんだ。なにをしでかすか不明な赤坊主の動きを僕は注視した。
なるほどな、と言った先輩が身をひるがえす。
小規模な破裂が起きたようだった。僕と瑠羽は呆気にとられて口をポカンと開けてしまう。貞臣先輩の強烈な拳が赤坊主のみぞおちに食いこんでるじゃないか。
地に落ちた彼は膝立ちにすらなれず、そのまま転がって苦しそうな呼吸をした。口からはだらしなく唾液を垂らし、瞳孔は開きっ放しだ。
貞臣先輩が足蹴にする。
「そんなんだからお前はダメなんだ。闘争こそ娯楽だろ、悦楽だろ、快楽だろ」
頭部を黒いライディングシューズで踏みつけ、グリグリとダメ押しをした。
え~と、と彼は目を斜め上へ向ける。
「コイツ、なんて名前だっけか」
メンバーを振り返ると彼らは肩をすくめて、分からない、というジェスチャーをした。そういえば僕も名前を知らない。ただ、一年の不良をまとめてるのは赤坊主だ。そんな立場にある者であっても貞臣先輩にとっては意に介さない存在なんだろう。
赤坊主を端っこに運ばせ、こっちに向き直る。
「万が一にもお前らが勝ったら将棋の駒も返してやってもいいぜ。まぁ、あり得ねぇけどよ」
「男に二言はないよね」
ヘッと鼻で笑う貞臣先輩。
「生意気こいてんじゃねぇよ。ゴチャゴチャ言ってねぇでかかってきやがれ、勇輝ぃ」
手のひらを上にして手招きをしてきた。仲間はその背後でそれぞれ傍観してる。自分らのリーダーを信じてる様子で、加勢をする素振りはなかった。
体が熱い。暑いんじゃなくて、熱いんだ。頭から生産された熱が末端を目指して進行していく。こんな感覚は格ゲーでガチの勝負をしてるときにしかなかった。現実世界でブレていたなにかがピッタリ当てはまって鮮明になる。
これが本物の僕だ。
いくよ、瑠羽。アイコンタクトをすると彼女はコクリとアゴを引いた。
レバーを右方向に二回入れたら瑠羽が前ステップをする。構えらしい構えをしてない貞臣先輩が踏みこみの速さに表情を引き締めた。大キックボタンを押す。大振りの回し蹴りは牽制技だ、背丈が低い瑠羽の脚でも充分に有効となる。受けた相手は地面を後方に滑り、いくらか距離が空く。
すかさず間合いを詰めたのは貞臣先輩だ。姿勢を低く脇腹を狙ったパンチ。僕はレバーを左へ入れた。両腕をサイドでクロスさせてきっちり受ける。
彼の攻撃は止まらない、前に進みながらワンツーのパンチを飛ばしてくる。ここで技を暴れさせるのは危険だ、きっちりとディフェンスを固める。この間、レバーを左に入れっぱなしにしてるだけだけど、瑠羽は攻撃に合わせて腕や脚の位置をその都度変えた。ガードの入力さえしてれば自動で細かい動作をしてくれる。こういうのも豪泉が成せる独特のシステムだった。
攻めに隙間が空いたのを見逃さない。フレーム単位で格ゲーをする僕には、どこが攻めどきでどこが防ぎどきか全部見えてる。格ゲーの画面に向かってるときよりも客観的に見られる分、落ち着いた状況判断を下せた。
小パンチを二度叩く。相手が腕を引くのに合わせてイメージどおりのジャブが風を切った。
上半身を強引に捻った敵の頬をかする。攻めこんでこようとする足を見て大パンチを叩きこんだ。ボディーブローは彼の筋肉質な片腕に防がれる。赤坊主とやったときよりも少々ラグい、コンボが繋がらなかった。その場の環境によって変化が生じるんだろうか。
されど瑠羽の攻撃は重く、相手をよろめかせるのに充分だ。ついでに2・3・6からの大パンチを入力しておく。ボディーブローの動きはキャンセルされ、豪波のモーションへ瞬時に移った。光の弾が手から放たれ、貞臣先輩の胸元を目がける。
両の腕を交差させた彼に命中し、その体を大きく退かせた。ライディングシューズの底が地面をこすり、レールのような跡がつく。
腕を下げた彼の顔つきからは余裕のそれが一かけらも残ってなかった。ジャブのかすった頬がミミズ腫れになってる。そこを親指でこすった貞臣先輩がほくそ笑んだ。
「やるじゃねぇか、勇輝ぃ。俺はこういうのを待ってたんだ」
「そう言ってられるのもいまのうちだよ。僕の格ゲーはこんなもんじゃない」
言うと同時に相手が動く。こっちは立ち大キックで牽制だ。惜しくも間合いの外で、回し蹴りは当たらない。そこを狙うように大胆な前蹴りが突き出された。左レバー二回でバックステップをしようとするも間に合わない。爪先が当たり、瑠羽が宙に飛ぶ。
落下の直前、レバーを下に入れる。彼女はバック宙の要領で手をつき、綺麗な受身をとった。
危なかった、バクステ入力してなかったらまともに食らうところだ。空中食らいをしたおかげでダメージは浅い。間合い管理は相手によって見極めないといけないから注意が必要だ。
追い討ちを仕掛けてくる相手に対し、僕はレバーを上に倒す。蹴りは跳んだ瑠羽の下方で空ぶった。助走もない垂直ジャンプが完全に人間離れした高度を生んで敵の身長を越えてる、これも豪泉による能力上昇のためだろう。
すかさず中キックを入力、カカトを相手の額へぶち当てる。グラついてるところへ、しゃがんで大キックを押せば足払いだ。貞臣先輩の下半身が横に浮き、受身もとれずに転倒する。
しかし彼はすぐさま立ち、ばく進してきた。
ガードすべきか? それとも牽制?
どれもダメだ。これは──
瑠羽が腰を掴まれて倒される。ジャンプでの回避が正解だったんだ、チクショウ。判断のわずかな遅延がダメージに繋がってしまう。
拳が振り下ろされ、腹部を打った。彼女が短く悲鳴する。僕は急いでレバーを左右に振った。掴み系の技はこれで抜けられると技表に書いてあった。
身をよじった瑠羽は片足を解放させ、貞臣先輩を蹴り飛ばす。
互いに起き上がると距離が近かった。ほとんどゼロ距離でストレートが交差する。瑠羽の左肩に無骨な拳が当たる。その代わり、こっちの中パンチは彼の顔面を捉えた。
相打ちOK。
初めてのクリーンヒットを機に更に中パンチを押す。ラグを考慮した目押しが難しい。一発二発と当たり、大パンチへ繋げる。コンボ成功。ここまでくれば先行して入力を入れこめばいい。レバーを動かし、最後に大パンチを叩く。
大きめの光の球が貞臣先輩に発射された。防ぐのも回避も不可能だ。もらった!
胸を射ると四方に輝きが飛散し、相手が激しく飛んだ。仰向けに叩きつけられた貞臣先輩は動かない。だからって油断はしない、僕はリバーサルに備えて今日一の集中力を発揮する。あらゆる攻撃を想定し、間合い管理をきっちり行った。相手の技がスカれば反確を狙ってく。
それらは間もなくして杞憂に終わることとなった。
不良の一人がしゃがみこんで様子をうかがう。
すると仲間に向かって、気失ってる、と告げた。予期してなかったらしく、一様に驚愕してるのが表情から分かる。それは僕と瑠羽の勝利を意味していた。勝ったと判明しても、まだ実感が湧いてこない。
五人が彼を守るようにして前へ出てくる。短い金髪の青年がポケットへ手を突っこみ、なにかを握り締めて出した。将棋の駒箱だ。それをこっちへ放ってきた。
僕は慌ててキャッチする。
「うちの頭がやられたら渡すように言われてた。バイクの修理代も出さなくていい」
「へぇ、ずいぶん気前がいいですね」
「その代わり、ケジメはつけさせてもらう。俺らは大ヶ崎君ほど強くはないから全員でな」
そんなこったろうと思った。駒箱をしまった僕はすぐにFAPのレバーを握る。
貞臣先輩に手堅く勝った僕らにとって残る者は敵じゃない。要の彼が含まれてたら全員とやり合うのはキツかっただろう。貞臣先輩一人と五人を比べると格段に後者の戦力の方が劣る。FAPのレバーを握った僕にはそれがハッキリと測定できた。
数分も経たぬうちに五人を地面へ沈めたことから、それが正しかったことは証明できたと言えよう。騒ぎ立てる者がいなくなって静寂が訪れてる。校舎裏で意識があるのは僕と瑠羽、それに勝也のみだ。
文句なしの完全勝利だった。アケコンのスイッチを切り、ショルダーバッグにしまう。
僕と瑠羽は互いに両手を上げ、手のひらを叩きつけた。
「見事だったのだ、勇輝は最強なのだ」
「瑠羽こそ最強だよ」
動悸がやまない、僕らは本当にあの大ヶ崎貞臣を倒したんだ。どんなに立ち向かったって、とても敵わなかったあの貞臣先輩に! 倒れ伏す彼を見つめ、だんだん感覚と結果が合致してくる。駒箱も取り返したし、万々歳だ。
横を勝也が通り過ぎた。
「どこ行くの、勝也」
「部活だよ。Tシャツ伸びたから着替えてからだけど」
「大丈夫?」
ああ、と肯いた彼が歩いていく。呼び止めようとしたが、口を開くと彼はもう姿を消してる。
五〇人を全滅させた伝説のある貞臣先輩を倒したりすれば良くは思われない。恐怖されたってしょうがなかった。僕は倒すことばっかり考えて、そういった反応があるのを忘れてた。望まぬ展開に、気分が沈んでくる。
だけどきっと、いつか分かってくれるだろう。勝也だって格ゲーをやってたんだ、現実世界を格ゲーに変えられるFAPの良さを知ったら面白いって言ってくれる。
「お前ら! そこでなにをやってる!」
突然の怒声に背筋が伸びる。
この声は──
「また浅海と武上か! 今度という今度こそは許さんぞ!」
郷田先生が緑ジャージの袖まくりをしてやってきた。さすがに騒がしくしすぎたか。一度や二度はごまかせても、今回ばかりは逃げ道がない。
先生は転がってる者を見回し、面食らったようだ。
「なんだ、大ヶ崎たちじゃないか。お前らがやったのか?」
僕と瑠羽は応えない。どっちにしろ言い訳を言えるような状況じゃなかった。そもそもの初めの原因が僕らにないと言ったって聞いちゃくれない。こうなったら観念するしかなかった。
あぁ、停学かぁ……。勉強も運動もできない僕だけど、こうした大それた問題は中学でも起こさなかったからちょっとショックだ。親になんて説明したらいいだろう。
まぁいい、と郷田先生は僕らの手を引っ張る。
「どういう方法でやったのか分からんが、とにかく職員室に来い。処分は覚悟しておけ」
先頭になった郷田先生の薄い頭頂部が向けられた。
途端、瑠羽が跳躍する。速すぎて止められなかった、と言っておこう。彼女は構えた右腕を瞬速で払うようにし、彼の後ろ頭を打つ。
おう、と呻いた彼の膝がカクリと曲がって崩れた。
えっと、なにが起こったんだ? 瑠羽が跳んだかと思ったら、手刀でズビシッと郷田先生を攻撃した。そしたら気絶しちゃった、と。
うん、一大事だ。
誇らしげにする彼女にゆっくり顔を向ける。
「なななっなんてことするんだよ! これじゃ停学どころじゃないじゃん!」
「大丈夫なのだ」
「どこがだよ! 先生、白目剥いてグッタリしてるし!」
「一〇分前後の記憶が飛ぶ打ち方をしたのだ」
「ほほう、それなら良かった」
ポンと手を打つ。
瑠羽と向き合って肯いた。
「逃げよう!」
「なのだ!」
二人してダッシュをし、校舎裏から抜け出す。こうして走るのは気持ち良かった。それもこれも瑠羽のおかげだ。隣の彼女はベリーショートの前髪を後方に揺らめかせ、おでこ全開に走ってる。その顔は無邪気で子供みたいだ。とても貞臣先輩を倒したようなコに見えない。
昇降口に来てベンチに座りこむ。肩でゼェゼェと息をした。瑠羽の方は汗一つかいてない。僕もちょっとは体力つけるべきかな。
徐々に呼吸が平常になっていく。駒箱が無事なのをチェックして安堵した。
「ありがとう、瑠羽。こうやって取り返せたのは君がいたからだよ」
ヘヘヘ~、と照れ臭そうにした彼女が後ろ頭をポリポリと掻く。
感謝の気持ちが溢れてきて、いままでになく穏やかになれた。
「僕にできることがあったら言ってよ。今度は僕が手助けする番だ」
ていっても自分のできることなんて、たかが知れてるけどね。なんでもいい、彼女が喜ぶことをしてあげたくなった。自分一人じゃ今回の件はどうにもならなかっただろう。
すると瑠羽は小さな唇をモゴモゴとさせ、爪先で床を軽く叩いた。その表情には、どこか影が見え隠れしてる。そんなふうにされると僕も訊かずにはいられない。
「なに? なんかあるなら言ってよ、できる限りのことはするからさ」
「倒したい相手がいるのだ」
そう言うわりに、控えめな声だった。倒すってのは拳を交えて勝つってことだろう。それなのに自信なさげにし、彼女らしくなかった。こんなに強いのに、弱気にさせるような相手がいるんだろうか。
「それって誰? 強いの?」
「お父さんの仇なのだ」
「仇って……誰かソイツに殺されたってこと?」
彼女が首肯した。唇を噛み締め、瑠羽が辛そうにする。事情の急な打ち明けに当惑するも、僕はすべてを受け止めた。そんな重い話をしてくれたってことは、それだけ信頼してくれてるってことだ。警察でなく、わざわざ僕に頼むのは相応の理由があるんだろう。
「どこの誰かは分かってる?」
「よく知ってるのだ。居場所はたぶんこの街の周辺」
瑠羽からは、さっきまでの爽やかさがなくなっていた。その目に映るのは復讐の相手だろう。
僕の中ですべて合点がいく。僕にFAPを渡してプレイヤー役にしようとしたのには、そうしなくちゃならない背景があったんだ。
「分かったよ、手伝う」
「なのだ?」
「ソイツを倒すために強いプレイヤー役を探してたんでしょ」
彼女の黒の瞳が厳しいものから柔らかさをまとう。
「じゃあ……」
「うん、一緒に戦おう。なんせ僕らは──」
わわっ!
いきなり瑠羽が僕に抱きついてきた。両腕を首に回し、完全に密着する。さっきまでのドキドキとは別の感情が湧いた。彼女の体温と感触にドギマギしてしまう。
体を離した瑠羽は満面の笑みをした。
「勇輝がいれば最強なのだ!」
「そういうこと!」
差し出された手を握り返し、僕らは笑った。
二人が組めば、なんでも解決できる。そんなふうに感じられた。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。