005
アルファイの筐体の前に座り、ひたすらにボタンを押す。ゲームサウンドが耳朶を通って自身の中に満ちた。照明の暗いシェルパ内はゲーム画面の光があちこちに映りこむ。カラフルな光景に包まれてるとゲームの中に入りこんでるかのようだった。
制服ズボンのポケットでバイブレーションが発生する。気のせいかと思ったけど、今度は本当に動いてる。何度、勘違いしたことか。ゲーセンだと周囲の音が大きすぎるんだ。
僕は三〇連勝中だった対戦を投げ出し、ケータイを出した。勝也からのメールだ。液晶モニターをスクロールさせ、茶がかった髪をポリポリと掻く。
“わりぃ……部活が長引きそうだわ。今日、行けねぇ……。”
了解、と打って返事しておく。いわゆるドタキャンってやつだ。いつまで経っても来ないもんだから、そんなところだろうと予測してた。僕とは異なり高校生らしく青春してたし、時間が合わないのはやむを得ない。
ケータイをしまうころにはゲーム画面に敗北の二文字がデカデカと表示されている。それに対してなんの感慨もなくイスを立った。リュックを背負いながら簡単にストレッチする。
自動ドアを抜け、外の空気を四時間ぶりに吸いこんだ。ずっと大ボリュームにさらされてた作用で音にフィルターがかかって聞こえる。空はすっかり暗くなり、街灯が宝石のごとくきらめいた。僕はこの瞬間が好きだ。知らない世界に降り立ったような心地にさせてくれる。
駐輪場へ行こうとし、店頭に設置されたクレーンゲームを通りがかった。
少女が背伸びがちにケースを覗きこみ、ボタンを慎重に押す。クレーンが頼りなげに揺れて降下していく。彼女はその行く末を見届けた。ヌイグルミの山に乗っかったアームが閉じ、じれったく上昇していく。
アームはなんにも掴まずに帰還する。ガックリと肩を落とした少女はピンクのガマ口サイフを開き、ケース内と手元を交互に見てる。サイフの中は寒々しくなってるらしい。
僕は百円玉を握り、彼女の頭をポンと小突く。
上目遣いに少女が瞳をパチクリさせた。
「勇輝なのだ!」
瑠羽の表情から曇りがなくなる。登場しただけでそんなリアクションをしてくれると、こっちも嬉しくなってくる。
百円を投入してケース内を見る。ストラップ付きの小型なヌイグルミが景品として並んでた。このタイプのやつはストラップに上手く引っかければ簡単に獲れる。
「どれが欲しいの」
「私は別に欲しくないのだ。ヌイグルミ欲しがるほど子供じゃないのだ」
言いながらも彼女の綺麗な黒目は一点に集中してた。これで欲しくないんだとしたら、よっぽどひねくれてる。嘘をついてるのはバレバレだ。
彼女の目の奥を見て僕は笑む。
「どれ? 獲れるか分からないけどやってみるよ」
もはや逃れられないと察知したようで、瑠羽がモジモジとしだす。
「しいて言うなら、あれが獲れると嬉しいような気がしなくもないのだ」
控えめに指差した。小さな指先に目線を合わせ、了承する。
「あのトラの横のやつだね」
コクコクと彼女は肯いた。
ちょっと離れてて、と言って背後に立たせる。神経を研ぎ澄まし、ターゲットの位置を確認した。クレーンの速度やアームの力はだいたい脳にインプットされてる。格ゲーの息抜きにやり始め、勝也とハマッてた時期があったんだ。
いける。アームが閉じる前に確信した。
片側の爪にストラップが引っかかる、あとは運頼みだ。ヌイグルミの重量や他の物にぶつかったりする揺らぎに耐えられればゲットできる。
クレーンが初期位置に戻り、アームが開かれる。
ゴトン、と景品口にヌイグルミが落ちた。
「獲れたのだ!?」
「うん、バッチリ」
しゃがみこんで景品を掴む。柔らかな綿を包む布の感触だ、確かな手応えがあった。瑠羽は待ちきれないとばかりにピョンピョン跳ねてる。
僕はカラスのヌイグルミを渡した。
「ありが──」
言いかけ、にこやかな表情を凍りつかせる彼女。どうしたんだろう、受け取ろうとしてくれない。それどころか焦点が合わず、ひたすらに立ち尽くしてる。リモコンで停止させられたみたいだ。
彼女の前で手を振ってみる。
「生きてるかー?」
反応はない。獲得したヌイグルミを僕は見る。これに原因があるのかな。
カラスのクチバシを瑠羽の頬に近づけていく。まだ変化の兆しはない。さらに接近させ、ついにはクチバシがムニッと当たった。
「ファッ」
息を呑み、瑠羽が奥歯をガチガチと鳴らしだす。
「そそそそれ、ど、どっかやるのだっ」
「このヌイグルミ欲しかったんじゃないの?」
「ちーがーうーのーだー」
彼女は全身をフルに使って拒否した。水浴びしたあとの犬のようだ。
ふむ、これじゃなかったのか。僕はポケットにカラスを詰めこむ。それにしても反応が異常だった。
「このヌイグルミに嫌な思い出でもあるとか?」
彼女は深呼吸する。
「カラスが苦手なのだ、昔から」
「へぇ、意外。カラスぐらい瑠羽なら蹴散らせそうなのにね」
カラスは大きいし、知能も他の鳥に比べて高い。おまけにちょくちょく見かける動物だ。本気で襲われたら脅威だけど、彼女の格闘能力があれば意に介さないはず。
まだ瑠羽はおびえてる。
「全部黒いのだ。目、ギョロッなのだ。恐いのだ」
どんな人間にも得手不得手があるもんだ。知らなかったとはいえ、なんか悪いことしちゃったな。どうやら彼女が欲しかったのは逆側のハムスターだったようだ。
再度、コインを投入してクレーンを動かした。
ゴトンと音がして景品口の蓋が揺らぐ。すかさず手を突っこんでニヤリとした。
おびえてた彼女は徐々に顔の筋肉を緩ませ、期待の眼差しで見つめてくる。クレーンゲームの照明が映りこんでキラキラ輝いてる。
じゃーん、と取り出した。丸々とデフォルメされたハムスターが瑠羽と向き合う。
「すごいのだ! あっさり獲れたのだ!」
「よし、向こう歩いてる親子にあげてこよう」
「なんとっ!」
盛大に瑠羽が跳び退いた。目も口も開き、心なしかベリーショートの髪も逆立ってる。
大げさなリアクションに、つい吹き出してしまった。
「嘘だよ、瑠羽にあげる」
頭のてっぺんに乗せてやる。
それを両手で大事そうに掴む瑠羽。生き物を扱うような優しい手つきでハムスターのヌイグルミを眺めてる。その視線により命が吹き込まれるんじゃないかと思えるほど愛情に溢れていた。そのさまに大人の母性を感じてドキッとしてしまう。
瑠羽はそれをギュゥッと胸元に抱き締めた。
「本当にいいのだ? こんなにいい物を」
「喜んでくれた相手から取り上げるほど僕は冷酷じゃないよ」
そんな嬉々とされたら、自分が必要だったとしてもあげないわけにはいかない。
「家宝にして末代まで祀るのだ」
瑠羽の子孫が可愛らしいハムスターに拝んでる姿を想像して、またちょっと笑えてきた。
笑顔のまま首をかしげた彼女は、ありがとうなのだ、と言ってお辞儀する。
「礼には及ばないよ。そんなので良ければ、またいつか獲ってあげる」
「本当に!?」
「うん、嘘つかないよ」
「勇輝は神様の化身なのだ」
なにやら拝まれてしまった。分かってたけど、変なコである。
お互い他に用事もないし、途中まで一緒に帰ろうってなった。駐輪場から原付を引いてくると、ずっと彼女はハムスターを愛でていた。人のためになにかするってのはいいもんだ。
二人で並んで歩き、まばらな人波を抜けていく。
「そういえば瑠羽っていつから格ゲーやってんの」
「一年ぐらい前からなのだ」
一年、か。初心者から始め、その期間で中堅レベルになるには相当な努力が必要だ。もしくは他を圧倒するセンス。格闘能力を見れば、後者がかかわってると推測できる。
瑠羽がハムスターから僕へ顔を向ける。
「格ゲーは面白いのだ。技のヒントにもなるのだ」
「実戦に技まで活用できんの?」
「豪泉を使いこなせば、物理的に限界を超えたこともできるのだ」
暴力で人を傷つけてやろうっていう企みはないが、そういう話を聞くと自分も使えたらなぁって思えてくる。格ゲーみたいな動きをするのは一度ならず何度も憧れたことだ。
僕は足を止める。
「どうしたのだ」
瑠羽に、ちょっとね、と言う僕の目には数人の青年が見えてる。朱良学園の薄茶色をした制服だ。知らない顔ばっかりだった──一人を除いて。彼はこっちに気づかず歩いてる。
青年の一人がご機嫌に肩を組んだ。
「勝也、今日遊ぶ約束あるとか言ってなかったっけぇ」
「いいんだよ。だって遊ぶっつってもゲームだぜ? やってらんないっての」
ドクン、と心臓が跳ねる。そこには僕の知らない勝也がいた。
「んなことより、今度のバーベキューどうするよ、メンバー」
「うちの部の女子が適当に連れてきてくれるだろ」
「うっわ、めちゃくちゃ楽しみだ」
顔面がクシャクシャになるほど笑んで勝也は肩を揺らしてる。久しぶりに彼のテンションを上げた姿を見た気がする。中学時代は、なんでもないことでアホみたいにハシャイでた。それがいまじゃ、ずいぶんと遠くに感じられる。
ドタキャンしたのは彼らと遊んでたからなんだ。
進路を変え、僕は瑠羽を促した。
「あっちから帰ろう」
彼女が無言で肯き、ついてくる。
きっと今日は遊ぶタイミングじゃなかったんだ。僕だってゲームの気分じゃないときだってある。それに話の流れを断たないように、相手の意見に乗っかったりするのは普通だ。
──だけど、嘘でもゲームを否定してほしくなかった。中学三年間、ほとんど毎日のように本気で競い合ったあの情熱はなんだったんだろう。それとも本気だったのは僕だけだったんだろうか。彼は裏でいまみたいにせせら笑ってたんだろうか。
信じたくない。
いつもは通らない道を行くと天を貫く巨大な影が鎮座していた。周囲を足場と防護ネットに包まれていて、その実体は表に出ていない。
「大きい建物なのだ」
「コズミックタワーって言うんだってさ」
完成間近の電波塔らしい。より便利なデジタル放送や観光名所、日本の新たなシンボルとしての役割を担うようだ。なんでも、電波塔として世界一の高さになるとかならないとか。
薄闇に紛れた頂上を仰ぐ。こうして無機質な塔を見てると異様な胸騒ぎを覚えた。僕はなぜか逃げたくなり、早足になった。
こうなるってのは分かってたんだ。
石を飲みこんだみたいに胃が重くなってくる。なにも言えず、一階の空き教室に僕はたたずんだ。前方には貞臣先輩のグループメンバーが揃ってる。赤坊主以外、側近の取り巻き連中とは別の奴らだ。たぶん赤坊主が率いる一年の連中。戸にも数人の見張りがついてて、逃げようにも逃げられない。貞臣先輩自体がいないのは唯一の救いだ。
朝のHRの鐘が鳴る。やけに頭蓋に響くその音に、奴らの中央で正座をさせられた勝也がビクリとした。乱暴にされたのか、ワイシャツのボタンがいくつか千切れてる。
強制で連れてこられたかと思ったら、これだ。だいたいの事情は察しがつく。
ホコリっぽい机に座った赤坊主がこっちを見た。
「単車の傍に、お前らがいたって証言があんだぁ。倒して壊した奴が誰なのか知らねぇかぁ?」
その双眸は犯人と決めつけた色を多分に含んでる。僕ら二人のどっちか、もしくは二人がやったと確信してる物言いだ。下手に隠したって無傷じゃいられない。正直に白状するのが被害を最小に抑えられる手段だ。それに悪いのはこっち側だった。
正直に言うしかない。二人で土下座でもなんでもして謝ろう。なんなら一緒にバイトでもして弁償しよう。罪は罪、隠し通すには重すぎる。
さぁ、すべてを話そう。
「それは──」
「俺、コイツがバイク倒すの見たよ」
信じられないところから信じられない発言が飛び出す。一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。こっちを冷ややかな目で指差すのはバイクを倒した当人である。
勝也……?
本気で罪をかぶせようとしてるのか、他になにか狙いがあるのかは感じ取れない。そもそも僕の思考は停止してる。あまりの想定外な出来事に現実味が薄れた。
本当か、という赤坊主の問いに首肯する。
「言わないでくれって頼まれてたから昔の馴染みで言わないでやろうと思ったけど、もう付き合いきれねぇ。犯人はコイツだ」
よし行け、と言われて彼は解放された。
こうなったら終わりだ、実際に僕がやったんじゃなくとも赤坊主は言いわけを聞かない。誰だっていいんだ、適当にそれっぽい奴を犯人に仕立てあげればいい。赤坊主に嫌われてる僕は打ってつけの存在だった。
仮に真犯人が勝也だと証明できても、それは勝也が酷い目に遭わされるってことだ。悪いのが彼であっても、中学時代からずっと親しくしてきた奴がそんなことになると分かってて差し出すなんて僕にはできない。
自分が犠牲になる、それで済むなら越したことはなかった。
教室を出ていこうとする勝也に僕は言葉を投げかける。
「勝也、一つだけ訊かせて」
彼がゲームを否定していた夜のことがどうしても気にかかっていた。なぜ罪を僕になすりつけたかよりも、二人にとってはそっちの方が重要だ。
「ゲーム好きだよね?」
戸を開いた彼は黙りこくる。
「応えてよ、勝也」
彼を信じるしかなかった。きっと僕の思ったとおりの返事が来ると願ってる。だってそうだろ、中学三年間を本気で遊んだんだ。人生において三年は短い時間かもしれないけど、僕にとってはかけがえのない思い出だ。進学っていう些細な出来事が掻き消せるわけがない。
しかし教室を出ていく勝也は一度も振り返らなかった。
戸が無情にも閉められる。
「…………」
僕のなにがいけなかったんだろう。──そんなのは知ってる、自分が子供だからだ。ゲームにしがみつき、いつまでも立ち止まってるから見捨てられるんだ。
それでも僕にはゲームしかない。
傍に赤坊主が立つ。
「あとで大ヶ崎先輩が来るからさぁ、俺らの暇潰しに付き合ってもらう、ぜ!」
語尾とともに蹴りが放たれる。みぞおちに痛みが走った。
僕の感情は色んなモノが混ざり合って名前のつけようがない色になっていた。なにが正しくて、なにが間違ってて、なにが妥当なのか。唯一ハッキリと感じてるのは不条理さだ。
僕がバイクを倒したと仮定しよう。それなのに、なんでコイツらに好き放題にされないといけないんだ。そうする権利があるのは貞臣先輩一人だ。ここにいる人間に、なんの罪悪感も感じる必要はない。だいたい駒箱を盗まれた恨みは忘れてない。言わば、対等なんだ。
対等だ!
赤坊主の足を抱くようにした僕は膝に力を込めて踏みこむ。驚愕の声が頭上でしたけど、そのまま低い姿勢で走るようにした。バランスを崩した相手は難なく倒れる。
顔をしかめる彼に馬乗りになった。完全なマウントポジションだ、こうなったら人間はそうそう引っくり返されない。目潰しや金的攻撃、耳掴みにさえ気をつければいい。
一発でも仕返しするんだ。右手に拳を作り、顔面を目がけて振り下ろす。その瞬間、初めて赤坊主の臆した表情を見た。愉快とは言いがたい心地になる。
遠慮の念が攻めを鈍らせた。拳が当たる寸前、真後ろから蹴りつけられる。前のめりになって無様にでんぐり返しをした。そうだった、コイツには仲間がいたんだ。
「っの野郎ぉ、ブッ殺してやる!」
赤坊主の激昂。
仰向けになった僕にアメにたかるアリみたいに奴らが群がってくる。起きようとしたけど間に合わなかった。初めに側頭部を蹴られ、星が散る。
僕はひたすら踏みつけられた。痛みで自然と体を丸める。両手で後頭部を守り、両肘で顔面を塞ぎ、膝を曲げて腹を打たれないようにする。我ながらみじめな格好だ。立ち向かいたいのに、夕立のような乱打が次々に降ってきて為す術がない。不幸にも背中や脚へのダメージが徐々に内側に効いてきて、意識が途絶えるのも時間の問題である。
僕は何度負ければいいんだろう。
諦めかけたときだった。激しい物音がし、なんだオメェはっ、と聞こえてくる。続いて、呻き。見張り役が何者かにより倒されたのを不良らの脚の間から目撃する。
みんなが一斉に新たな客へ注目した。
倒れた戸を踏みつけ、トコトコと歩んでくるのは髪をベリーショートにした少女だ。ガラの悪い連中が揃ってるってのに呑気に室内を見回す。
そのコは僕に視線を固定した。
「勇輝なのだ!」
パッと明るい表情をして跳びこんでくる。
呆気にとられたであろう不良らが、とっさに退いた。遅れた一人は彼女の蹴りがクリーンヒットして壁に叩きつけられる。小柄な体で威力が出るのは、豪泉の使用によるものなんだろうか。
僕のもとで瑠羽はひざまずく。
「勇輝、ボロボロなのだ」
「なんでここに?」
もしかしたら勝也が呼んできてくれたのかと期待してしまった。アイツは彼女の強さを目の当たりにしてないから、それはない。じゃあ、なんで?
ニヤリとする瑠羽。
「戦いの気配がしたのだ」
ハハハ。なんとまぁ、彼女らしい。瑠羽が言うなら、それも説得力があった。なんにしても僕にとってはメリットしかない。二人で、このバカバカしい状況を打開するんだ。
ギシギシと悲鳴する膝を立てようとすると両肩を瑠羽に押さえられる。
「勇輝はそのままでいいのだ」
「僕だって戦えるよ」
「うん、二人で戦うのだ」
練習練習、と彼女が意味深に微笑した。なにを言ってるのか理解するのに数秒がかかる。あぐらをかいた自分が戦う方法は一つしかない。
僕は唇をつぐんで肯いた。
ショルダーバッグを下ろした瑠羽は即座に中身を取り出す。膝に乗せられた物は鈍い銀色のアケコンだった。側面にあるスイッチを僕は切り替える。間もなくしてモーター音が作動を始めた。手をグーパーし、しっかり動くのを確かめる。
赤坊主は一種異様な光景を怪訝そうに見つめてきた。
「そんなもん出してゲームでもしようってのか、勇輝君よぉ」
「そうだよ、格ゲーで勝負だ!」
言い放つ。
彼の顔面は髪の色と同様に朱に染まっていった。
「っざけんじゃねぇっ!」
素早い踏みこみで赤坊主が殴りかかってくる。
僕の視界は二人分のが重なっていた。このアケコンの作用で自分のと瑠羽のとでダブッて見えてるんだ。ワクワクした感情も入りこんでくる、たぶん彼女の高揚だ。これを使うと互いの想いまでも共有することになるようだった。
左手でレバーを握り締め、僕は思った──負ける気がしない。
小パンチボタンを二度押すと瑠羽のジャブが赤坊主の鼻面を打つ。勢いはそれで殺せた。レバーを右に二回入力する。敵の傍に踏みこみ、ゼロ距離だ。大パンチボタンを叩き、同時にレバーを入れこむ。2・3・6。
脇腹にフックが当たり、赤坊主がよろめいた。ヒットを確認し、再び大パンチを押す。攻撃から拳を引くモーションが省略されて次の技が発動を始めた。それは物理法則を無視した動きだ。つまり格ゲーで言うところのキャンセルっていうシステムだった。パンチやキックといった通常技から必殺技を繋げると硬直時間をなくして攻めを継続できるんだ。
瑠羽の手のひらから光の弾が放たれる。ふらつく赤坊主の胴へ命中し、四方に光が散った。それとともに彼は後方へブッ飛ぶ。後ろで待機してた仲間もろとも転倒した。
残った数人に照準する。
レバーを続けざまに右方向へ入れれば瑠羽が前ステップをして接近した。彼らは赤坊主というリーダーを倒されて戦意喪失したらしい、一目散に逃げていく。追おうにも僕は座ったままだ、瑠羽を目の届かないところへ行かせてはプレイできない。
空き教室がシンと静まり返る。さっきまでの危機的な状況が幻にさえ思えた。現実に襲ってくる者はもういない、これにてクリアーってことだ。
胸を撫で下ろし、アケコンのスイッチを切る。
「すごいや、このアケコン。システムもアルファイに似ててやりやすいよ」
操作から反映されるまでに二~三フレームのラグがあったけど、おそらく無線でのプレイのせいだ。慣れてくれば充分に対応できる。
脚に感じていたモーターの駆動が消え、視界が元通りになった。
瑠羽も構えを解く。向き合った僕らはハイタッチをした。
「近距離大パンチのヒット確認から豪波まで繋げるなんて、さすが勇輝なのだ」
そんなことないよ、なんて応えながらも照れた。褒められたのなんてどのぐらいぶりだろう。いくつになっても自分の好きなことを評価されるのは嬉しいもんだ。
彼女がショルダーバッグの中から一枚のレポート用紙を取って差し出してくる。いわゆる技表だ。いくつかのコンボレシピまで書いてある。いまさっきやった連係も書かれていた。
「自分でちょっとずつ調べたのだ」
「てことは、これ以外にも探せばあるのかな」
「なのだ」
大きく肯く瑠羽。
猛烈に心が弾んでくる。新しいゲームに触れるときはいつだってそうだ。どんなコンボや起き攻め、表裏の二択などがあるのか発掘したくなる。
待てよ、使用キャラは瑠羽で固定するとしても、対戦キャラは世界の全人類になるのか。通常の格ゲーより複雑そうだ。相手の格闘スタイルや背丈なんかを考慮して技を選択していかなくちゃならない。そうだ、今度瑠羽に付き合ってもらって各技の分析を──
彼女に笑われ、僕はハッとなる。ついゲームのことになると自分の世界に入りこんでしまう。
「気に入ったのだ?」
床に転がる赤坊主を僕は見下ろした。ダメージは相当だったようで、すぐには立ち上がってこられなさそうだ。彼の巻き添えを食った者も、うなされて蠢いてる。
FAPを使わなくたって瑠羽は全員を倒せただろう。しかし、このケンカにおいては僕の力も作用してた。間合いを見定め、ラグを念頭にコンボを繋げられたのはプレイヤーに依存する。
「気に入ったどころじゃないよ。これさえあれば誰にも負けない」
ゲーマーとしての能力を現実でそっくりそのまま活かせるんだ、こんなにも理想的な道具はなかった。自分のやってきたことがムダじゃなかったって思えるのは幸福だ。
なのだ、と肯定する瑠羽が胸を張る。
「プレイヤー役の勇輝とキャラ役の私がいれば最強なのだ」
「最強……」
なんと甘美な響きだろう。男たるものなにかを目指すなら喉から手が出るほど欲しい称号だ。最強ってのは、もっとも強いってこと。他の誰にも負けず、ヒエラルキーの頂点に位置する。その遥か上空から見る光景は、どんなものなんだろう。みんなからは僕がどう見えるんだろう。ゲーマーを受け入れてくれるようになるだろうか。
ずっと頭に焼きついてるフレーズが色濃く現れる。
──世界が格ゲーみたいだったら──。
FAPが僕の夢を叶えてくれる。いまこの瞬間から変わったんだ。僕は僕であって僕じゃない、格ゲープレイヤーの浅海勇輝なんだ。
一時限目の予鈴が鳴った。黒い瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
「FAP、受け取ってくれるのだ?」
前は返却したアケコンを僕は両腕に抱えたのであった。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。