004
「そそれから、お、起き攻めですけど、このキャラの場合、ちゅちゅっ中キックが有効で──」
両手に持ったレポート用紙が波打つ。教壇に立つ僕の膝はガクガクだ。クラスメイトのみんながクスクス笑ってる。分かっててもどうしようもない、終えないと解放されない生き地獄である。
今日のロングHRは自由課題だった。自分の好きなモノについて調べて発表するっていう僕にとって一番嫌な授業。手も脚も震えるし、しゃべるのだってまともにできなくなる。
みんなの反応は冷たかった。上がり症だからってのもあるけど、たぶん格ゲーのコアな話題のせいだ。こんな題材にしなきゃ良かった。クラスメイトにほんの少しでも格ゲーの面白さを分かってもらいたくて選んだのに完全に裏目に出てる。世間は想像以上にオタクに非情だ。
「おい、どうした。浅海のところだけ地震が起きてるのか」
郷田先生の一言に教室内がドッと笑いで溢れた。
顔面が赤くなっていくのが自分で感じられる。緊張を解こうと深呼吸をしてみても変化はない。それどころか症状は酷くなる一方で、頭は真っ白になった。
どうやって発表をし、どうやって席に戻ったのか覚えてない。気づけば授業が終わってて、まだみんなに笑われてる気がして教室を出た。どうして僕はいつもこうなってしまうんだ。
廊下の一角にはちょっとした談話スペースがある。ジュースを買い、自販機横のベンチに座ってうなだれた。教室の外はクーラーが利いてなくて、ますます気持ちを沈ませる。窓から射す光と熱が情け容赦なかった。いいんだ、僕なんて日干しになってミイラになってしまえばいい。
缶のプルタブを開けて中身を喉に流しこむ。一〇〇パーセント果汁のリンゴジュースが胃に染みこんでいく。やさぐれた内部がどんどん潤っていった。
みんなに引かれるって分かってても僕にはゲームしかない。
周りと同じように勉強や部活でスポーツをする方が楽なんだろう。それでもいまさら格ゲーを捨てられない。みんなはなんかしら持ってるけど、僕はこれ一本なんだ。
ベンチの後ろは、はめこみ窓になってる。それにしても日射しが強い。本当にミイラになりかねないほどで、ワイシャツが発火しそうだ。こんなところにしか自分に居場所はないのか。
そこから見える景色になにげなく目がいき、僕は立つ。空き缶をゴミ箱に捨てて廊下を駆けだした。
はめこみ窓からは東校舎と西校舎を繋ぐ渡り廊下もうかがえた。そこを歩く数人の姿が遠目に見えたんだ。あの赤いトサカは間違いない。
T字路で急ブレーキをかけ、渡り廊下を直視する。集団もこっちに気づき、みんなでヘラヘラ笑いだした。中央に位置する赤いリーゼントの青年が後ろポケットをまさぐる。
「探し物か、勇輝ぃ」
貞臣先輩が指につまんで振ってみせたのは例の駒箱。
予想してたとはいえ、最悪の展開だ。赤坊主が持っててくれたら、まだいくらか奪還の可能性はあった。そんな胸中を察してか、盗んだ当人は大ボスの背後で楽しげにほくそ笑んでる。
だからなんだ。こんなんで、もうダメだって諦める僕だと思ってるのか。バカにすんな、僕は将棋部の部長だぞ。僕が駒の管理を任されたんだ。誰に盗られようと同じだ、ふざけんな。
貞臣先輩が三白眼をギラリと光らせた。赤いタンクトップから露出した腕の筋肉が盛り上がっていく。平均より少々大きいぐらいの体が強固な壁のように見えた。
「あぁ? なんか言ったか、勇輝ぃ」
「ふざけんな、クソ野郎っ!」
ちらほら歩いてた生徒がなにごとかと注目してくる。その中を僕はダッシュした。壁だろうがなんだろうが貫いてやるつもりで、一直線に標的へ迫っていく。
取り巻きが迎え撃とうとするのを貞臣先輩が下がらせる。その意気や良し。もっとも、何人が立ち塞がろうと打破してやる。
接触まで数メートル。
「返せっ!」
発声とともに彼へ頭からぶつかった。回避はされず、心の中でガッツポーズする。恐かったのは避けられることとカウンターでの迎撃だ。さては僕のスピードを侮ったな。このまま一気に押し切って転ばせるんだ、そうしたら最低でも駒箱を奪い返せる。抱えこんで、殴られようと蹴られようと守り通せば勝ちだ。
望みの光を目がけ、足を踏ん張らせる。どんどん押して、どんどん押し──
動いたのはほんの一歩分ぐらいだった。蓄えた速度はみるみるうちに失われ、やがては消えてなくなってしまう。諦めないで押そうとも、ちっとも動きやしない。
正に壁。それに頭もグラグラした。とても人間に激突したとは考えられない反動だ。力を入れてるのに入れてないかのような錯覚をさせられる。
押せない?
決して僕を侮って回避しなかったんじゃない、力量を見定めてあえてなんにもしなかったんだ。そんな芸当を成し得るには、どれだけの力の差が必要になるのやら。
だからって諦められない。
「返せ! 駒を返せ!」
がむしゃらに拳を振り回す。そのどれもが厚い筋肉に阻まれた。
どうして僕はこんなにも非力なんだ。ノーガードの相手なんだから一発ぐらいダメージが通ったっていいじゃないか。どうしてだ、どうしてこうも差が生まれる。いくらなんでもキャラ差ありすぎ! こんなパワーバランスにした世界の開発者、出てこい!
貞臣先輩の右腕が動いた。
「暑苦しいだろがっ!」
腹部でゆで卵がレンジで破裂したみたいな響きがあった。強烈なボディーブローが僕を打ったんだ。一瞬で視界は真っ白になり、膝がカクンと折れる。
気分の悪さに襲われた。甘酸っぱいものが喉からこみ上げる。ヤバイ、て思ったと同時にさっき飲んだリンゴジュースと胃液のミックスされた液体をぶちまけた。周囲にいた女子生徒が甲高い悲鳴を上げる。他に、きたねぇだのキモイだのの感想を浴びせられた。味方なんていない。友達ができないのは彼に目をつけられたことも主要な原因である。
涙が滲む。殴られた痛みや嘔吐したことに対してじゃなく、ちっとも歯が立たない自分の情けなさにだ。手数は何倍も上回ってるのに、たった一発で撃沈させられた。格ゲーだったら、こんなみじめな結末にならないのに。
嘔吐物を避けて貞臣先輩が横に立つ。
「いい加減、俺に屈服しろ。お前だけだぞ、校内で歯向かってきやがるのは」
僕の応えは決まってた。
「誰がするもんか、クソ野郎」
「じゃあ、くたばってろ」
冷たい声と同時に脇腹に激痛が走る。上履きながら硬い爪先が僕を床に沈めた。
嘔吐した物の広がる床へ顔面を横たえる。酸味ある香りが鼻腔を抜けた。辛うじて残ってた意識は次第になくなっていき、やがて闇に溶けこむ。
どのぐらい闇を漂っただろうか。
目が覚めるとそこは保健室だった。
時計の針は放課後を指してる。最後の授業が終わってそう時間は経ってない。
保健室の先生に礼を言ってその場をあとにする。真夜中になってたり、廊下で一人永遠と転がってたりしなかったのが救いだ。あのあとどうやら数人の教師によって運ばれたらしい。
一旦、教室に戻って帰り支度をする。
クラスメイトの奇異なモノを見るような目には気づかないふうを装った。貞臣先輩のおかげで、また一歩おかしな存在に進化したらしい。気色悪い化け物扱いされるのも近い。
教室に長居したくなくて、リュックを右肩に担いでさっさと退散した。
昇降口まで来ると閑散としている。下駄箱は蒸し暑さでゴムともホコリともつかない異様な臭気を放っていた。そんな下駄箱の一つを開けて不快になる。空き缶が詰められるだけ詰められてたんだ。それもご丁寧にリンゴジュースばっかり。数からして複数人の仕業か。
犯人探しをする気力はなかった。頭の中は、いかにして将棋の駒を奪還するかしかない。
校庭で野球部とサッカー部が部活を始めてる、青春に汗を流してるってわけだ。同じ校内にいるのに別世界にいるみたいだった。校舎の影を僕は歩いていく。
駐輪場に来るとテニスボールが横切った。壁に当たったそれは打った主のもとへ跳ね返る。そして再びラケットに弾かれた。今度は明後日の方向に飛んでいき、柱に当たったあと僕のところへ転がる。
小太りの青年がゼェゼェしながらやってきた。ボールを手渡すと彼は照れ臭そうにする。
「なんだ、見てたのかよ」
「勝也、頑張ってんじゃん」
顔面は汗だらけで、ピンクのTシャツもあちこちシミになっていた。四角い縁のメガネレンズにまで雫がつき、視界が悪くなってそうだ。
「なんでこんなとこで練習してんの」
「一年がやるスペースないんだよ。ここ、結構穴場だろ?」
駐輪場は校門からは遠めで、利用者ぐらいしか訪れない。自転車の少なくなった放課後はスペースを広々と使える。それに日影になってて、わりかし涼しい風も入ってくる。なるほど、壁打ちの練習にはもってこいだ。
テニス部は忙しそうである。身近な人間が変化していくと自分がこのままでいいのか不安になってくる。僕だけがどんどん取り残されていくみたいだった。
じゃあまたね、と告げて原付を引く。校内でのエンジン点火は禁止されていた。そのルールを破ってるのは貞臣先輩ぐらいだ。
簡単な返事をした勝也が思いっきりラケットをスイングする。強打となり、ボールが壁にぶち当たった。ボールの速度は打った強さに比例する。残像を残して飛来するそれに合わせ、彼はステップする。ラケットを振りかぶった。
しかしボールを捉えられない。わずかな隙間を擦り抜けて彼の後ろへ勢い良く跳ねていく。そこには自転車や原付、バイクがまばらに並んでた。ヤッベ、と叫んだのは勝也だ。小さな目を限界まで開き、ダッシュする。ボールの行く先にあるのは真っ赤なバイク。
焦ったのも無理はない、それが貞臣先輩の所有車であるのは全校生徒が知ってる。
あとあと考えると、ボールが当たったとしても多少汚れる程度だったろう。落ち着いて拭いて綺麗にしてしまえば問題なかったんだ。ただ勝也は気が動転したようで、なにがなんでもボールが当たるのを阻止しようとした。
その結果──ボールはバイクに当たり、勝也まで一緒になって激突する。あっと思ったときには車体が大きく傾いた。原付を支える僕も膝をついた勝也も反応できない。倒れていくのを無力に見るしかなかった。
バキッともボキッともつかない不吉な破砕音が響く。明らかになにかが割れた。非常事態なのは確認しなくとも判断できる。原付が倒れるのもかまわずに僕は赤のレーサーレプリカに駆けつけた。とにかく起こしておかなくちゃならない、こんなのを目撃されたら一巻の終わりだ。
ハンドルを掴もうとすると肩を引っ張られた。勝也が顔面を蒼白にさせて首を振る。頬をブルブルと揺らしつつ、逃げよう、と呟いた。
「けど、このままじゃ──」
「いいから逃げるぞ!」
腕力は勝也の方が上で、されるがままに引かれていく。原付を起こし、そそくさと駐輪場を離れた。幸い、周りに人はいないようだった。
日の当たるところに出てきて振り返る勝也。
「いいか、このことは内緒にしろよ」
「勝也がそう言うならそうするけど、謝った方が賢明だよ。わざと倒したんじゃないんだしさ」
「バカ、そんなことしたらブッ殺されるぞ」
その顔つきは至って真剣だ。汗が粒状のものからベッタリとまとわりつくものに変貌してる。手足も震撼させ、夏なのに寒そうだ。
「いくらなんでも殺されはしないでしょ」
「大ヶ崎先輩が空手部の部長なの知ってんだろ。バレたら絶対殺される」
不良のトップでありながら全国大会優勝も噂されるレベルなのは周知の事実だ。部員のほとんどが取り巻き連中で構成されてて、去年はケンカ騒ぎで出場停止を食らった。今年は全国を獲ると本人もえらく張り切ってるらしい。
「けどそれなら大会のために、やりすぎな酷いことまではしないんじゃないかなぁ」
「あの人にとって大会なんて暇潰しみたいなもんだろ。大ヶ崎先輩の過去、知らないのかよ」
過去と言われても、派手に暴れてたってことぐらいしか聞いてなかった。凶悪な存在なのは日頃から体感してるし、過去を知ったって現状は好転しない。
生唾を飲みこみ、勝也は厚い唇を開く。
「中学のとき、二つの対立するグループがあったんだと。片方が大ヶ崎先輩のグループで、いよいよ全面戦争ってときに寝返ったんだよ」
「先輩が?」
逆だ、と勝也が言う。
「大ヶ崎先輩以外の全員が敵グループについた。味方ですらあの人に恐怖してる点を突いて、相手は根回ししてたんだ」
なんだそれ、と思ってしまった。貞臣先輩はうとましい存在で、いなくなってくれたらどんなに幸せか分からない。だけどその話を聞くと、つい応援してしまいたくなる。
僕をジッと見つめる勝也。
「敵は五〇人はくだらない。お前ならどうする」
「どうするって、逃げるよ」
本当は自分がどうするかは予想がつかなかった。僕なら裏切られた悔しさから玉砕覚悟で突っこんでしまうかもしれない。逃げるってのは一般論の話。なんだかんだで、それが一番利口なんだろう。いくら強くたって数の暴力には敵うはずがないんだ。
勝也は深呼吸をし、声を潜めた。
「あの人は一人で挑んだんだ。しかも、勝った」
「勝った!?」
シッ、と言って僕の口を両手で塞いでくる。
「あんま大声出すな。どこであの人が聞いてるか分からないんだからよ」
「ごめん。でも、そんな人数を相手に勝つなんて信じらんないな」
「最後に一人立ってた大ヶ崎先輩は笑ってたらしいぜ、すげー楽しそうにな」
唖然としてしまう。そんな怪物じみた人を相手に僕はいままで反抗してたのか。感情が爆発してのこととはいえ、我ながらよく大ケガもせず無事でいられたもんだ。
分かったか、と念を押してくる勝也が辺りを見回す。野球部でバッターがセンターフライを打ったところだった。ここは日常、全面戦争も裏切りもない。
「あの人は異常なほど強いんだ。一説によると、ヤクザも警察もおかまいなしでケンカするらしいからな。俺らみたいな小動物は知らんぷりして逃げるのが一番」
小動物っていう表現が勝也に当てはまるかはともかく、場合によっては命を失いかねないだろう。大事なバイクを破損させたってなると決して大げさじゃない。
それはそれとして、話に一つ引っかかる部分があった。
僕は、うーん、と首を捻る。
「どうして貞臣先輩は楽しそうに笑ったんだろう」
「んなの、勝ったからに決まってんだろ。五〇人以上に一人でだぞ?」
そうなんだろうか。僕の想像では、おそらく違う。
大ヶ崎貞臣の名が、いまや修羅学復活の声を地方にまで轟かせてるって聞いた。近隣も含め、彼に挑む者はいない。たまに遠方から来るケンカ自慢も返り討ちにしてる。中学生のときに現在と同程度の実力があったんだとしたら、当時も対等にやり合える相手はいなかっただろう。
「退屈だったんだ」
「あ? なにが?」
「貞臣先輩、ずっと退屈だったんだよ。どこにもまともに戦える敵がいなくて。だから五〇人以上を相手にできて嬉しかったんだ」
格ゲーも同じだ。弱いプレイヤーとばっかり対戦しててもつまらないし、成長が止まる。自分を負かすか、対等もしくは立場を脅かすようなプレイヤーが現れると燃えるんだ。どう攻略してやろうかって研究し、ひたすらに練習を積み重ねる。それがものすごく面白い。
勝也は溜め息する。
「あのなぁ、だからどうしたってんだよ。俺らがヤバイ状況にあんのは変わらないじゃんかよ」
「まぁ、そうなんだけどさ」
とにかく内緒な、と言って彼がテニスコートへ走っていく。
一人になって急に心細くなった。原付を引き歩いて校門へ向かう。貞臣先輩の心理が分かったってバイクの損壊箇所は直らない。逃げてしまった時点で、隠し通すしかなかった。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。