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003

 結局、赤坊主は発見できなかった。僕は帰ってくるなりベッドへ身を投じて、ひたすらにあのときの光景を思い返す。どうして盗られちゃったんだろう。あそこで食い止めておけば、ややこしいことにならなかった。意地でも奪われちゃいけなかったんだ。

 すっかり暗くなった部屋の中、闇にあいつの顔が浮かんでくる。

 チクショウ。枕を目がけてパンチを打ちこんでみても鬱憤は晴れない。僕がもっとケンカが強ければ──あるいはもっとしたたかな頭脳を持ってれば悔しい想いをしなくて良かったんだ。後悔しても、起きてしまったことはどうしようもない。これだから負けるのは嫌いなんだ。

 黙って拳を振る。静寂な室内に、柔らかなクッションのへこむ音が断続して響いた。成り行きを柴村校長に言えば許してはくれるかもしれない。されど、三〇〇万円だ。それも僕を信じて管理を任せてくれた上でのもの。きっとあの人は酷く悲しむ。

 どうにかバレる前に取り返すんだ。そうしたら一件落着、なにごともなく部活動を再開できる。問題は、どうやって返してもらうかだった。

 階下から玄関の内側に付けた鈴の音が聞こえてくる。父さんが帰ってくるには早い時間だから誰かが来たんだ。宅配便かなんかだろうか。

 間もなくして母さんの呼ぶ声が届く。返事をし、重い体を起こした。ずっと寝転がってたせいで頭に血がのぼってボーッとする。窓からの薄明かりを頼りに、ふらつく足取りでドアを開けた。変な癖のついた短い茶髪をワシワシ掻き乱しながら階段を下りる。

 玄関で、やや太った青年が片腕を上げた。

「なんだ、勝也(かつや)か」

 なんだとはなんだよ、と厚い唇をとがらせたのは多田勝也(ただかつや)だ。四角い縁のメガネレンズの奥から、つぶらな瞳がこっちを睨んでる。

「中学からの付き合いなのに冷たい奴だぜ」

「こんな時間にどうしたの。格ゲーでもする?」

 彼は、お前それしかないな、と苦笑してバッグを開いた。白い外装のアケコンを出す。

「FASの修理したから届けにきたんだよ」

「ああ、それ! 最近ゲーセンばっかだったから忘れてたや」

「おい、怒るぞ」

 ごめんごめんと言いながらアケコンを持った。主要な八個のボタンはそれぞれ色違いでカラフルなデザインになってる。かれこれ三年は同じのを使ってた。レバーとボタンの調子が悪くなってきて、勝也に頼んだんだ。昔から機械が得意で、ちょくちょく直してもらったりしてる。

「わざわざありがとう。学校で渡してくれて良かったのに」

「ん? ああ、まぁ、早く渡してやった方がいいと思ってな。お前、格ゲー好きじゃんか」

「そりゃ好きだけどさ」

 同じ学校なんだから、いつだって渡す機会はある。特に急かした覚えはないし、変な奴だった。でも荷物になるから大変っちゃ大変か。

「立ち話もなんだし上がってよ。久々っしょ、二人で格ゲーするの」

 勝也が首を横に振るとふっくらした頬がブルブル揺れる。

「やめとく、これから用事があんだ」

「そっか。じゃあ、また今度遊ぼう」

 ああ、と生返事をした彼は視線を外した。丸い鼻の頭にはうっすら汗をかいてる。

 どうしたんだろう、用事があるってわりに帰ろうとしない。ソワソワしてアーとかウーとか言ってる。トイレを借りたくて言い出せないのかな。

 訊こうとしたら、ようやく勝也は口を開いた。

「んでさ、俺もそろそろ忙しいじゃん?」

「そうなの?」

「忙しいんだわ、高校生だし」

 同じく高校生の僕としては、そんなに多忙な日々は送ってない。しかし、あえてツッコミを入れなかった。クラスも部活も違うんだ、生活だって差が出る。

 勝也が意を決したようにした。

「だからさ、アケコンのメンテやらは、これっきりにしてくんねぇか」

 強張った笑みをした。口は笑ってるのに、目は笑ってない。

 僕は気づいてないフリをする。

「それはしょうがないよ、こっちは頼んでる側なんだしさ」

 安堵したような彼は表情を明るくした。

「悪いな、マジで。またいつか格ゲーしようぜ」

「それなら明日の放課後、シェルパに行かない?」

 勝也は、明日かぁ、と考えこむようにする。

「部活終わってからならいいぜ。シェルパ集合でいいよな」

 うん、と応える前に彼はノブを回し、そそくさと玄関を出ていってしまった。ドアの鈴が虚しく揺れる。その動きが止まるのを立ち尽くして待った。

 勝也はいい奴だ。いままでよく修理してくれてたなって思う。初めはゲーセンで知り合ったんだっけ。それから同じ中学に通ってるって気づいて、放課後は二人でゲーセン通いをして過ごすのが多くなってた。進学して、そういった関係が変わってきてしまうのは避けられない。

 自分の部屋へ戻ってサイフと原付のキーをGパンのポケットにねじこむ。再び玄関へ来て白い運動靴へかかとを詰めこんだ。爪先を床でトントンしてるとリビングの戸が開くのが見えた。

 母親だ、エプロンで手を拭きながらやってくる。

「ユウ、こんな時間にどこ行くの。もう夕ご飯よ」

「シェルパだよ。帰ってきてから食べる」

 シェルパがゲーセンなのは母さんも知ってた。

 空気がピリつく。

「アンタ、またゲームばっかりして」

「ワンクレジットだけで終わらせるよ」

 ワンクレジットあれば数時間は遊べる自信がある。よっぽどの猛者が現れれば別だが、平日だしあそこに来るのは中堅どころがせいぜいだ。

 どうやら母さんはワンクレジットどうこうじゃなく、ゲーム自体を批判したいらしい。

「多田君はテニス部入ったって言ってたわよ。ユウもスポーツぐらいしたらどうなの」

 なんで勝也と比較されないといけないんだ。アイツだって中学時代は僕と同じで文化部の幽霊部員になってたんだぞ。きっとまだ僕とも大差はない、きっと……。

 ちょっと待ちなさい、という金切り声を聞き流して後ろ手に玄関のドアを閉じる。

 狭いスペースに押しこんだ原付を路上へ移動させた。母さんが追いかけてくるんじゃないかと思ったけどドアは開きそうになかった。

 ウィンカーを出し、大通りへ出る。イラ立ちも悔しさも全部おもむくままに走って振りほどいた。だから僕の通った道は負の感情で汚れてるだろう。そうしてるうちにヒリヒリした心は癒されていく。自分にはなんにもないことも忘れられた。

 夏の空気に身をゆだねてたら、いつしか駅が迫ってた。シェルパまでちょっと距離があるのに路肩に寄ってエンジンを止めたのには理由がある。メットをしまうのももどかしい。

 ガードレールを越え、まばらな人波の中を横切った。

 白のTシャツにピンクのショートパンツというシンプルな出で立ちの少女が歩いていく。僕は緊張気味にその小さな背中を叩いた。人違いだったらどうしよう。

 ベリーショートの後ろ頭が振り向き、こっちを見つめる。

 一瞬、別人かと思った。なぜなら彼女があまりに厳しい顔つきをしてたからだ。視線だけで地面に叩きつけられたみたいなプレッシャーに襲われる。

 しかし、それはあくまで一秒にも満たない時間のこと。

「勇輝なのだっ!」

 少女は顔をパッと晴れさせた。夜なのに周りの光度が強まった気がする。

 やっぱり瑠羽だ、僕の知ってる彼女がそこにいる。それだけで胸中に残った不快な残骸が消失していくようだった。

 瑠羽は誰かと遊んでたわけじゃないらしい。

「なにしてんの? ゲーセン?」

「猛者を探してたのだ」

「それなら僕が相手になるよ。シェルパなら休日しか猛者はいないから」

 口を曲げる彼女。

「勇輝はヘナチョコなのだ」

「失敬な、これでも僕は大会上位者だよ!」

 つい声を荒げてしまう。この前は僕が勝ち越したってのにヘナチョコとは言ってくれる。いくら万年二位以下だって、そこらの中堅プレイヤーには負けない。

 瑠羽にセンスはあれど、勝負においてはまだまだこれからだ。一〇本先取戦できっちり実力の差を見せてあげる必要がありそうだった。

「大会に出てるのだ?」

「うん、この前だって準優勝だったんだ」

「じゃあ、やるのだ」

「望むところさ。こっから近いからシェルパでいいよね」

「ここでいいのだ」

 なにを言ってるんだろう。傍にはラーメン屋と牛丼屋しかなくてゲーセンなんてどこにもない。それとも彼女が見つけた秘密のゲーセンでもあるんだろうか。

 話が食い違ってると気づかせてくれたのは瑠羽のファイティングポーズである。

「ちょ、ちょっとタンマ!」

「待ったなしなのだ!」

 いきなり殴りかかってくる彼女にビックリして転んだ。頭上を風切り音が突き抜ける。本当に恐いときって案外叫べないもんだ。短い吐息が漏れ、それっきり喉が塞がってしまう。

 見下ろしてくる少女の瞳が近くの赤信号を反射して光った。

「この街に来て私の攻撃が避けられたのは初めてなのだ」

「る、瑠羽さん? 一旦、落ち着こうか。ね?」

「相手にとって不足なしなのだっ!」

 どわああああっ! なに勝手に盛り上がってんだよ!

 再び向かってくる瑠羽に無心で跳びついた。またも運良くパンチは虚空を打つ。僕は勢いを止められずに彼女の腹部に顔を押しつけてしまった。いくら瑠羽が強くても体重差は埋められない、ことのほか簡単に一緒になって転倒する。

「一度ならず二度までも。しかも私の手を地に着かせるなんて、かなりの手だれなのだ」

「いやだから誤解だって! 僕は格ゲーの話をしてるんだよ!」

 いつ即死させられる技が飛んでくるとも知れなくて一気にまくし立てた。

 半身を起こした彼女はキョトンとする。

「格ゲー? 実戦じゃないのだ?」

「違う、ゲーム、アルファイで対戦」

 また殴ってくるんじゃないかと思って必死に彼女へしがみつき、カタコトになりながらも説明する。油断したらやられそうで内心ビクビクだ。

 瑠羽は頬を掻き、それからアハハとカラ笑いをした。

「それならそうと早く言ってくれれば良かったのだ」

「待ったなしって言ったじゃんっ!」

「そうなのだ? 忘れたのだ」

 ケラケラ笑ってる。

 まったく、調子のいいコだ。とぼける彼女に怒る気になれなかった。勘違いだと分かってもらえて安心したのもあるし、瑠羽を相手にしてると夏空のような爽快な気分にさせられる。今夜、彼女に出会えて良かったって心底思えた。

 ふと気づけば視線を感じる。それも一つや二つじゃなくて複数だ。周辺で遠巻きに通行人が僕らを見てる。警察がどうのこうのと言ってるのが聞き取れた。

「ところで勇輝。そろそろ離れてほしいのだ」

 瑠羽がほんのり頬を染め、恥ずかしそうに目を背けた。そして気づく、彼女のふくよかな胸をわし掴みにしてることに。おまけに押し倒し、覆いかぶさってる形だ。はたから見たら犯行現場以外のなんでもない。

 僕は跳ね起きる。

「わわわ、ごめん!」

「気にしなくていいのだ」

 そう言いながらも照れたようにし、はにかんだ。

 依然、人々の視線が痛くて、とりあえず歩くことにする。適当な道を曲がって人の目がなくなると僕は、ごめんね、ともう一度謝った。

「そんな深刻にならなくていいのだ。初めてのことで、ちょっとビックリしただけなのだ」

 初めて──その単語が胸に突き刺さる。あんなこと、本当は好き合ってる者同士でやることなんだ。それなのに勢い余って触ってしまった、あの柔らかい膨らみを。触れているのかどうか分からなくなるほどの手応えと体温がまだほんのりと手のひらに残ってる。

 なんとなく気まずい空気が流れた。

 僕は堪えられなくなり、話題を切り替えることにする。

「猛者を探してるって、リアルのことだったんだね」

「そうなのだ、強い人は私の成長の材料になるのだ」

 良かった、わりと普通にしゃべってくれた。本当に気にしてないのか、あるいは気を遣って平然を装ってるのかは態度からは区別つかない。

「いつもそういうことしてんの?」

「時間があるときは、なのだ」

 猛者を求めてうろつくなんて、まるで格ゲーのキャラみたいだ。

 なんだか羨ましかった。いつだって願ってる、世界が格ゲーだったらいいと。だけど現実にしたら問題がある。僕は腕力がなくて貧弱だし、格闘技だって習ってない。それに、強くなったらなったで最後は警察のお世話になってしまう。プロ格闘家にでもなれば別だが、求めてるのはそういうことじゃなかった。

・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。

・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。

・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。

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