001 Round 1
Round 1
校門傍の路肩に原付を寄せて停車させる。まだ早い時間だってのに、登校する生徒をちらほら見かける。僕はキーを回し、エンジンを切った。汗が噴き出す。走ってる間は爽快なのに、こんなに暑くなる乗り物だとは原付免許を取るまでは知らなかった。
日射しと体温で熱くなったシートを降り、校内へ引き歩く。外壁には行書体で刻まれた「私立朱良学園」の札が埋めこまれてる。入学して数ヶ月が経ち、門構えにも慣れてきた。
駐輪場の端っこの方でセンタースタンドを下ろす。青のハーフメットを脱ぎ、シート下のメットインの中へ投入した。通学リュックを背負い直し、忘れ物がないか確認する。
そこへ朝の青天を貫く爆音が鳴り響く。エンジンを切らずに無意味にアクセルを回したバイクが徐行してきた。四〇〇ccのレーサーレプリカだ。真っ赤なフルカウルの車体が目に痛い。
僕の進路を閉ざすように停車する。その周りで取り巻きの男子生徒が数人集まり、こっちを恐い目で見てる。早足で横を通りすぎようとすると、日に焼けた筋肉質な腕が妨害した。
バイクにまたがった者がフルフェイスの赤いメットを脱ぐ。赤褐色に染めた髪が汗と整髪料に濡れてあらわになった。取り巻きの持つ鏡を三白眼が覗きこむ。クシを慣れた手つきで動かし、彼はリーゼントを形作っていった。
「おい勇輝ぃ、先輩に挨拶はどうした?」
朝から面倒なのに巻きこまれちゃったな。今日はいい一日にはならなさそうだ。
「おはようございます、貞臣先輩」
大ヶ崎貞臣先輩は二年の先輩だ。入学早々に絡まれたのは記憶に新しい。以降、顔を合わせればなにかとイチャモンをつけてくるし、その仲間にもちょっかいを出される始末。まったくもって迷惑でしかなかった。
それじゃ、と行こうとするのを片腕で止められる。二の腕を掴むその力はアザができかねないほどだった。これには僕も顔をしかめて抗議の表情をする。
貞臣先輩は気にしたふうもなく、首を回してストレッチした。それからギラリと光る三白眼でこっちを見てくる。シャープな顔立ちも相まって、いつもヘビに睨まれる想いだ。
「ガス代貸せよ」
脈絡もなんにもない。単なる暴虐な振る舞いだった。
ガソリン代を捻出するのはバイトをしてない僕にとって悩みの種だ。他人にお金を譲ってあげられるほどお人好しじゃなかった。
「ありません、通してください」
腕を掴んでいた力が緩む。
安堵したのも束の間、手首のスナップを利かせた軽い裏拳に鼻面を叩かれた。肉体のダメージというより、そうされた驚きで双眸に涙が滲んでくる。
顔が接近し、額がゴツリとぶつかった。
「寝ぼけた脳みそにも分かるように言ってやる。ねぇなら用意しろ。いいな?」
脅しをきかせた低い声だ。大抵の者がこれで参ってしまう。もはや三年生にさえ逆らう生徒はいなかった。噂じゃ一年のときにはもう誰一人として敵わなかったって話だ。
鼻と額の痛みはすでに消えてた。僕の中にあるのは沸々と湧き起こる感情である。
「なんで僕が先輩にお金あげないといけないんですか。そんな義理ないじゃないですか」
額が離れる──次には激しくぶつけられた。視界が暗転して一切が見えなくなる。割れそうな痛みの走るおでこを押さえてよろめいた。
必死にかかとを踏ん張って睨み返す。
「なんでいっつも僕に突っかかるんだよっ!」
バイクごと倒してやるつもりで突進した。四〇〇ccの中型バイクと言えど重量は一〇〇キログラムを優に超える、俊敏に避けるのはまず不可能だ。それでいてバイクを支えるのはなかなか難しい。接触さえしてしまえばバランスを崩せる。一矢報いてやるんだ。
腹部に鈍痛。強制的に呼気が漏れ、その場にうずくまる。阻んだのは彼の足だった。バイクをちょいと傾けて右脚を突き出してる。カウンター気味にめりこんだのがいけない。膝に力が入らなくなり、しばらく立てる気がしなかった。
「懲りねぇな、お前はよ。何度同じ目に遭えば分かんだ? もしかして脳みそねぇのか?」
取り巻きとともに笑い声を上げる。
自分でも素直に服従しちゃったら楽だろうなって思う。だけど、たった一つしか歳の違わない相手にどうしていいようにやられないといけないんだよ。挑まずに負けるなら、死んだも同然だ。手も足も頭も動くうちは、どんなことされようと反撃してやるんだ。
赤い坊主頭の奴がリュックを引っ張ってくる。
「いいから、出すもん出せばいいんだよぉ。分かるっしょぉ、浅海君」
貞臣先輩に及ばずとも、こっちはこっちで腕力があった。コイツは一年の不良を取り仕切ってる奴だ。同じ学年には意地でも負けちゃならない、腕を抱えこんで必死に抵抗した。
取り巻き全員が加わって面白がるように蹴ってくる。硬い爪先が腹や太もも、脇腹なんかに命中する。チクショウ、なんて容赦ないんだ。身長だって平均にやや足らない僕を、寄ってたかって攻めるなんて恥ずかしくないのか。
僕は転げるようにして囲いを抜ける。バカにした笑いをされようといい、闇雲に逃げた。
教室の机に荷物を置き、大きく溜め息をつく。朝のHRが始まる時間だ。なんで朝っぱらからこんなに疲労にまみれなきゃいけないんだろう。制服の汚れたあちこちを叩いて砂ボコリを落とす。砂の粒子が布の繊維に入りこんじゃって取れやしなかった。
なんだか今日は教室が騒がしい。担任の郷田先生が連絡事項をしゃべってんのにクラスメイトは後ろを向いたりしてザワついてる。窓際の最後方の席だとそういった異常にはすぐ気づけた。なにか事件でも起きたんだろうか。
転校生。女のコ。可愛い。見た。可愛くない。告白。
聞き取れたワードでだいたいの事情を察せる。みんな、くだらない妄想に頭を働かせて勝手に興奮してんだ。転校生イベントはどこでも似たリアクションをするらしい。
正直、どうでも良かった。異性なら尚更に卒業まで接点なく終わりかねない。ゲーマーでオタクな僕には無縁の事柄である。そんなんで胸をときめかせるのはとっくの中学時代に通過した。甘酸っぱい青春を夢見るだけ損で、日々はなんにもなく過ぎていくんだ。青空に流れる雲の形がなにに似てるかを想像してた方がよっぽど有意義ってもの。
郷田先生が薄くなりかけた頭頂部を一撫でする。それから教机上で出席簿とプリントを束ねた。セキ払い。みんながざわめきを止め、なにが起こるのか知らないふうを装いだす。
「今日は新しい仲間を紹介する。みんな、仲良くしてやってくれ」
クラスメイトの大半が頬を緩ませてニヤニヤしてる。こんな状況に投げこまれるのって、たまらない気持ちだろうな。自分が在校生で良かった。
入っていいぞ、と戸の方へ郷田先生が言う。戸にはめこまれた擦りガラスに影が透けた。クラス内のテンションは最高潮だ。興味がないフリして、僕も気になりだした。なんだ、結局は同類ってことなのかな。もちろんチラッと見たら素知らぬ顔で一時限目の数Aの準備をする。
──そのつもりだった。
戸の隙間から開け放たれた窓へ一陣の風が吹き抜ける。誰かのプリントが舞い、宙を回転して床に滑りこんだ。郷田先生の少ない髪の毛は揺らぎ、彼が自然な動作でそれを押さえる。
一‐Aに足を踏み入れたのは白地に薄茶のセーラー服を着た少女だ。ベリーショートの髪にしっかりとした眉と双眸は忘れようのないものだった。
先日、シェルパで会った少女だ。郷田先生の指示でチョークを握った。爪先立ちになり、黒板に線を引いていく。武上瑠羽──それが彼女の名前だった。転校生なんてどうでも良かったはずなのに、細かな一つ一つの動きに注目してしまう。いわば僕は抜け駆けして彼女と知り合ってるんだ。机に立って「このコ知ってる!」と叫びたくなった。
衝動を引き止めたのは、手もとの書類と黒板を交互に見比べてた郷田先生の声だ。
「名前、それで合ってるか? 字が違うようだが」
「合ってるのだ」
その口調はシェルパで聞いたのと完全に一致する。訊きたいことがいくつもあった。格ゲー歴が何年か、大会には出たことあるか、あのとき駐輪場で不良を倒したのは君か、また格ゲー対戦してくれるか、エトセトラエトセトラ。
郷田先生が出席簿を指先で叩く。
「嘘の名前を書いちゃダメだ。みんなに間違って覚えられたら困るだろ」
「困らないのだ。合ってるのだ」
「そうは言っても書類で確認してるんだ、ちゃんと書き直しなさい」
なんだか物々しい空気になってきた。転校初日に担任と揉めるとは前代未聞だ。少なくとも僕はそんな生徒を見た前例がない。
瑠羽は郷田先生を真っ直ぐに見据える。
「どうしてもダメなのだ?」
「ああ、ダメだ。訂正させてもらうぞ」
黒板消しを持って彼女の書いた文字を消そうとする。
その手を瑠羽が超速度で掴んだ。先生はビクリとした。流れる動作で彼女は両の拳を構える。足は肩幅に開き、芸術にさえ感じる隙のないファイティングポーズをとった。
「ならば私を、倒していけっ!」
えええ? なんだ、なんなんだこの展開は。まるで昔のゲームやマンガで使われてそうなセリフだ。僕のみならず、みんながポカーンとしてついていけてない。
郷田先生が一早く正気に戻ったのは教師としての使命感からか。
「よりにもよって生徒指導主事の俺に暴力を振るおうってのか!」
一喝が彼女にぶつけられる。
瑠羽の右腕が残像と化した。瞬間、先生の傍にあった教机が爆発を起こす。彼女が手刀を放ったんだ。破片が天井にまで届き、無数に散らばった。
先生が一喝した表情のまま固まってる。彼は錆びたブリキ人形のごとくゆっくり首を巡らせていった。そこには引き出しの金属部分ごと真っ二つになった教机が横たわってる。
普段の威張った態度に似つかわしくなく先生は女々しく尻を床についた。
さっきまであんな楽しげにざわめいてたクラスに、その面影は残ってない。
「名前、直さなくていいのだ?」
コクコクと肯く郷田先生。
瑠羽は満足げに胸を張った。その目がクラスメイトを見渡す。みんなには次のターゲットに狙いをつける猛獣に思えただろう。誰かがゴクリと唾を飲みこむ音がした。
やがて一点を彼女の瞳が射抜く。獲物を発見したんだ、こっちを凝視してる。可哀想に。
──て、僕っ? 黒々とした視線は間違いなく自分を貫いていた。
最前列の机へ跳び乗り、瑠羽はさらに跳躍する。吊るされた蛍光灯擦れ擦れに低空飛行し、幾人ものクラスメイトの頭上を越えた。
軽い身のこなしで近くに着地する。目が合い、瑠羽は満面の笑みをした。僕もつられ、引きつった笑いを浮かべる。
彼女の左手が振り上げられた。ぶたれる!?
バンッ、と打ちつけられたのは頬でも頭でもなかった、隣の席だ。今度は半分こにならなかったが、所有者である女のコがイスから落ちた。
「私、ここの席がいいのだ」
振り向いた先の方には、ようやく腰を上げた郷田先生がいる。
尊厳を取り戻そうとしてだろう、顔を真っ赤にして厳しい表情になっていた。
「そんなこと許されるわけがないだろ。武上の席は廊下側の一番後ろだ」
これだけは絶対に譲れんと言わんばかりの荒い語気だ。
表情を消した瑠羽がファイティングポーズをとると先生はヒッと短く悲鳴する。黒板にぶつかるほど仰け反ったのもしょうがない、彼女は本気だ。オーラとでも表現すればいいか、心なし熱風が周囲に渦巻いた。逆らおうもんなら身を一刀両断されかねない殺気。
こめかみから汗を垂らした隣の席の女子が手を上げる。
「あの、私、向こうの席に移ります」
女子はそそくさと荷物を整える。きっと先生に気を遣ったんだ。これ以上、生徒指導主事として──というより、大人としての体面を悪くさせてはならない、と。先生は特に反対も賛成もしなかった。ただ一人でいたら泣き出すんじゃないかってほどおびえてる。
女子がいなくなると瑠羽は両拳を下ろして首をかしげた。おとなしくイスに座る。
「おかしいのだ、この学校では教師も生徒も殴り合うのが日常って聞いたのに」
「どんな学校だよっ」
ツッコミを入れずにはいられなかった。確かに一二年以上前の悪名高いころだったら、そういうこともなくはなかったんだろう。それにしたって殴り合うのが日常ってのはいきすぎだ。教師と生徒で暴力沙汰を起こしたら、どっちかは重い処罰を受ける。そういったルールやモラルが通用しないなら別だけども。ハハ、まさかね……。
瑠羽が顔を向け、パッと明るい表情をする。
「よろしくなのだ、武上瑠羽なのだ」
「え、えっと、僕は浅海勇輝。よろしく」
いまさっきまでの無法者さは欠片もなくて呆気にとられた。なにが嬉しいんだろう、僕を見てニコニコしてる。危害を加える素振りはなさそうだった。
おとなしくしてれば、いわゆる普通のコだ。案外、悪いコじゃないのかもしれない。
「あのさ、あんま目立たない方がいいよ。面倒に巻きこまれたくなかったらね」
声を潜め、教室の一角をチラッと見る。
こっちの方を睨みつけてるのはガラの悪い連中だ。女子であろうと調子に乗ってる者は目をつけられる。彼女に武道の心得があろうとも、相手は男で学校中に仲間がいるんだ。その頂上にはあの貞臣先輩がいるし、変に刺激しない方が身のためだった。
ふぅん、と瑠羽は彼らへ視線を向ける。その顔はどこか上機嫌に見えた。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。