017
視界いっぱいを光で埋め尽くされる。エネルギーの塊は遠慮知らずにパワーを押しつけてきた。体が楽々と浮き、瞬く間に瑠羽や卯葵子さんから離される。高速により周りの景色が線条になった。脱出を試みても及ばない、紫の豪波が僕を飛ばす。
後頭部と背中に激痛が走った。豪波はなおも僕を壁へ押しこもうとする。全身の骨が粉々になるんじゃないかって思えるほど、あちこちからパキパキと小気味いい音がした。
気が遠くなって風景がかすむ。おそらくほんの数秒のことが永遠に感じられた。気づけば昇降口の外に寝そべってる。神経が全部切れちゃったみたいにどこも動かせない、死ぬってこういうことなのかなぁ。僕は、なにをしてたんだっけ。
「おい、大丈夫かよ! 勇輝、起きろ!」
やけに遠くで声がする。あれは勝也だ。そういえば、ここは学校だった。今日の授業はなんだったかなと考える。そもそも何曜日かを覚えてなくて錯乱した。
頬を叩かれる。
「どうしたんだよ。おい、勇輝!」
「勝也……?」
遠かった声や物音が次第に近くなった。離れたところにいると思った勝也がすぐ傍でしゃがんでる。見上げると彼は眉をハの字にしてた。もともと小さい目がさらに小さくなってる。
「良かった、目覚ましたか。死んだかと思ったじゃんかよ」
「僕、行かないと。瑠羽一人じゃ勝てない」
硬いタイルの床に腕を突っ張る。電気ナマズでも住んでるんじゃないかってぐらい体内が痺れてた。少しずつ慣れてきたみたいで、我慢すればなんとかやれそうだ。
瑠羽は卯葵子さんに果敢に立ち向かってる。当然、髪という武器が加わったことで劣勢になってた。通常のあの人にだって一人で戦うのは無謀だ、僕の力が不可欠なのは明白。
行こうとすると、持ってきたぜ、と勝也がなにかを差し出す。アルミ製の鈍い銀色をしたアケコンだ。いまのいままでその存在を忘れてた。
「直してくれたの?」
「言っておくけど、今回だけ特別だぞ。やたら複雑な構造だったしよ」
勝也は団子っ鼻をこすって明後日の方向を見やる。きっとやってくれると思ってた。腕が残ってるならアケコンはいじれるんだ、これさえあればまだまだ戦える。
礼を言ってFAPを受け取る。別にいいって、と応えた彼がいきなり呻いた。ヨタヨタと歩み、寄りかかってくる。支えた僕が見たのは包丁を持ったワンピースの少女だ。体育館で撃退したコが覚醒したらしい。刃は新鮮な血液でベットリと濡れてる。勝也の白黒チェックのシャツがどんどん赤く染まった。
彼女が包丁を逆手に持ち、振りかぶってくる。勝也を支えるのに精一杯で対抗の手段がない。迫る刃を凝視する以外になかった。
甲高い金属音が鳴り響く。落とされた凶器がタイル上を跳ねて伏せた。僕との間に遮るように突き出されたのは太い腕だ。柴村校長が少女の延髄へ手刀を打ちこむ。気を失った彼女を校長は抱きかかえた。その重みで彼は苦しげにする。普段なら少女の二、三人をお手玉するぐらいはやってのけそうなのに、卯葵子さんによる負傷はだいぶ残ってるようだ。
「これで数時間は眠ったままだろう。そっちはどうだね?」
勝也の脇腹の傷口を見て顔をしかめる。出血は止まらず、ズボンにまで垂れてきてた。腕や脚の傷と違って止血がしにくい。柴村校長がハンカチで患部を押さえる。
「すぐに適切な手当てをしなくてはな。しかしこの騒動では病院も機能していないか」
「あの人は僕がなんとかします。勝也のこと、任せていいですか」
頼みに彼は肯く。弱ってるっていっても柴村校長に託せば安心だ。あとは早急に卯葵子さんを倒してタワーを止めさせる。勝也の出血量からして長くはもちそうになかった。
FAPを抱えて校庭を突っ切る。後ろに気配がして見ると貞臣先輩が並走してきた。
「もういいんですか、ケガ」
「いつまでもくたばってられっかよ」
ダメージは決して少なくないはずなのにその姿からはケガをしてるとは想像もつかない。血色が良くてピンピンしてる。この人は本当に恐い人だ、なるべく敵に回したくなかった。
「で、あのメガネカラスはどこ行ったんだ」
「え、あそこに──」
涼太君がいなくなっていた。ついさっきまでいたはずなのに、どこに行ったんだろう。必死になりすぎて全然気づけなかった。
逃げやがったか、と舌打ちした貞臣先輩がFAPへ目をやる。
「また使うのか、そのコントローラー」
「僕にはこれしかないんで。フォローお願いします」
「俺の邪魔はすんなよ」
彼が先行する。僕は戦いの現場から距離を置いてあぐらをかいた。数十メートルがあろうと卯葵子さん相手じゃ気休めだ、警戒は怠らない。
アイコンタクトで瑠羽に肯き、FAPのスイッチを入れる。ボヤけた視界が自分のものと重なって見える。同時に、疲労感や危機感の感情が混ざりこんできた。奥に潜むのは勝利への熱望だ。それが次第に大きくなっていき、目前の敵へ向けられた。
いくよ、瑠羽。
レバーを横に二度倒し、前ステップさせる。発生の早い小パンチを押した。ひとまず接近戦で勝負だ。タイミング良く貞臣先輩も攻めを仕掛ける。
場違いな着信音が鳴った、卯葵子さんのケータイである。二人は無視して拳を打つ。瑠羽は顔面へジャブを、貞臣先輩は大振りながら切れ味のあるフックだ。ケータイを耳にやった卯葵子さんは片腕と髪で難なく身を守った。僕は小パンチ、大パンチ、2・3・6からのパンチボタンを入れこむ。
肩と耳でケータイを挟みこんだ卯葵子さんは不機嫌そうだ。
「うぬらで処理するのじゃ! わらわの楽しみに水を差すでないわ!」
怒鳴りながらも、こっちの攻撃をすべて防いでる。瑠羽のパンチのあと、キャンセルがかかって腕を構える。手に光のエネルギーを溜め、それを至近距離で相手へ放った。髪の盾で霧消したものの、豪波の威力により後退させる。
いい意味で違和感があった。やけに操作がサクサクで、コンボが難なく繋がる。僕の反応がリアルタイムで反映されるんだ。タワーの電波の影響だろうか、いままでで一番の融合具合である。自身が瑠羽になったみたいな状態だ。
ケータイを胸の谷間にしまった卯葵子さんの手元が紫に輝いた。それは読んでる、飛来する弾を前ジャンプでかわす。中キックで彼女の頭上を狙った。豪波のあとには技硬直がある、絶好の隙だ。ヒットを確信し、接触の直後に大パンチからのスーパーアッパーを狙う。ラグを気にして使ったことがないコンボだったけど今日はいけるはず。6・2・3・6とレバーを動かし、パンチボタンを叩く。脳内で上空に跳ね上がる卯葵子さんの映像が浮かんだ。
現実は異なる。当たったと思ったジャンプ蹴りがガードされてたんだ。早めのジャンプだったのに、彼女の豪波の技硬直は異様に短かった。瑠羽がストレートを打ち、瞬時に身を屈めると真下から垂直にアッパーを発射させた。防御は割れない、空中にいる瑠羽には反撃が確定してる。コンボは成功してたってのに、なんてこった。
紫の閃光が着地にきらめく。モロに食らった瑠羽は体を曲げた。地を転がり、倒れ伏す。ダメージの大きさが伝わってきた、いい条件は揃ってるのに、あの人に勝つビジョンが見えてこない。
諦めの念が湧きかける。そこへそれを消し去る勇ましさが浸透した。起きた瑠羽がこっちへ目を向ける。彼女はやる気だ、僕が弱気になってどうする。レバーを倒し、強気に前進した。
乱打し合う貞臣先輩と卯葵子さんの手前で斜め前へレバーを入れる。二人を跳び越え、キックでめくり攻撃だ。それは髪の束に阻まれるも、貞臣先輩と挟みこむ形にはなった。
下にレバーを入れたまま小キックを押し、小パンチへ繋げる。その二撃でヒット確認をし、コンボへ移行するかを見極めた。下段攻撃は二つに分かれた毛に阻止される。その間、貞臣先輩は正面からハイキックだ。おしくも手の甲に邪魔される。
前後からのコンビネーションだってのに、なんて堅さだ。まともにダメージが通らないすごさに敵ながら感心させられる。ただし、そんなときは──
パンチとキックのボタンを一緒に押す。背後から卯葵子さんの腕をとり、瑠羽が背負い投げた。打撃が通らなければ投げが有効だ。パンチやキックに意識がいってるから硬いんであって、投げ技への警戒は緩かったりする。叩きつけた敵へ、サッカーのシュートに似たローキックを貞臣先輩がする。命中。横へ転がった彼女は両手をついて身軽に起きた。
卯葵子さんの切れ長な瞳に緩みはない。確実にクリーンヒットはしたんだ、この調子でいけばなんとかなる。気を引き締めてレバーを握りこむ。ブーツの先をトントンと地面で叩く彼女の次なる動向を見逃すまいとした。あっちが様子見するなら、こっちから攻めてやる。
忽然と標的が消えた、ずっと目を離さなかったのにもかかわらずだ。否、彼女は超スピードにより移動したんだ。瑠羽と貞臣先輩の中央を抜け、後ろへ立つ。二人は肘打ちをかまされ、よろめいた。旋回した敵は二人の首へ手をやって逆立ちをする。夜空に艶かしい双脚がそびえた。頭同士が引き寄せられ、激しくぶつけられる。
チクショウ、速すぎてFAPの入力が間に合わない。
振り袖をひらめかせて舞い降りた卯葵子さんは両手に紫をまとった。瑠羽と貞臣先輩、それぞれの体に手が添えられる。回避不可。僕はガードできることを祈ってレバーを左へ入れっぱなしにした。紙袋を膨らませて割ったような破裂音がする。光源が四散し、二人を転倒させる。
敵は上空だ。跳びながらにして、豪波の予備動作をする。
それを確認した瞬間、僕はバックステップを入力した。一回じゃ足らない、二回三回とあからさまに退避だ。放たれた豪波の軌道上に瑠羽はいない。が、貞臣先輩は卯葵子さんが上にいると気づくのが遅れる。FAPを使用してるかどうかの差がそこに出た。僕が場を遠目に見てるのに対し、彼は主観で把握するしかないんだ。
豪波を察知したとき、彼に避ける術はなかった。直撃し、圧倒的なパワーによって地面へ押さえつけられる。そこへ急降下した卯葵子さんが爪先を綺麗に揃えて突き刺さった。ちょっと前に折られた肋骨の部分だ、貞臣先輩は咆哮をする。
瑠羽を前ステップさせ、大キックボタン。牽制の回し蹴りは卯葵子さんの残影を裂くのみだ、跳び退った彼女はフワリと間合いを空ける。
仰向けのまま貞臣先輩が動かなかった。心配だけど安否を確かめてはいられない。
来る。疾駆する卯葵子さんへ豪波を撃つ。待ってましたとばかりに相手は跳び避けた。向かい来る彼女には対空技で迎撃だ。衝突の前に大パンチを押し、アッパーで落とす。受身をした敵は即座に間合いを詰めてきた。速い。蹴りからの連係で拳が繰り出される。他にどんな技を持ってるか分からないため、うかつに手を出せない。小パンチでもした拍子にスカされて大技をもらいかねなかった。プレッシャーに負けないよう我慢して防御する。
完全に狙われてた。ハッとしたときにはもう遅い、左手で首を引き寄せられて右手を胸に押し当てられる。投げ技だ。パンチとキックのボタンを何度同時押ししても抜けられない、さっきこっちがやったことを返された形。至近距離で豪波が速射される。
電気で弾かれたみたいに瑠羽が飛び、上空で弧を描いて落ちてきた。落下地点にいるのは僕だ。とっさに動けず、下敷きになる。受け止められたら格好がついたのに情けない。
ぶつかった拍子にFAPのスイッチがOFFになったらしい、瑠羽が苦しげに半身を起こして僕からどいた。見た目の派手さに反し、彼女の傷は浅い。
卯葵子さんという一点を見つめる瑠羽。
「勇輝、試したいことがあるのだ」
「どんな?」
「FAPで私に豪泉を流しこむのだ」
「そんなこと──」
できるわけがないと言いかけて考えこむ。FAPにより僕と瑠羽は繋がってる、その作用で僕に豪泉が宿ったんだ。つまり彼女の豪泉に刺激されたってことである。てことは、その逆も可能だと推測するのが普通だ。肉体はボロボロでも豪泉は自分の中にわずかながら残ってる、やってやれないことはない。成功すればパワーアップを期待できる。ジリ貧になるぐらいなら、そこに賭けるのはありだ。だけど──
僕はかぶりを振る。
「ダメだよ、そんなことしたら瑠羽がどうなっちゃうか分からない」
豪泉の使いすぎは暴走を招きかねなかった。卯葵子さんだってそうなんだ、二の舞にはさせたくない。自身以外の豪泉を吸収した末に無事でいられる保障もない。
彼女は拳を強く握りこんだ。
「勝ちたいのだ」
「僕だってそうだよ。でも──」
「勝ちたいのだっ!」
発声が広い校庭に木霊する。
静けさが訪れた、一陣の風が吹いて汗を冷やす。
僕はバカだ、あの卯葵子さんを相手に無傷で勝てるはずがない。安全策でいってどうにかするってのは甘すぎる。瑠羽だってそんなので乗り切れるとは思ってない、とっくに腹を決めてるんだ。それを前提に頼ってきてるのに、僕は断ろうとした。それは裏切り行為に等しい。
FAPをONにする。
「やろう、瑠羽」
彼女が嬉しそうに顔をほころばせた。
卯葵子さんが歩んでくる。月明かりに照らされた彼女はファッションショーのモデルみたいだった。ランウェイは真っ直ぐにここまで伸びてる。
瑠羽の表情は再び引き締まり、黒眼で父親の仇を射抜いた。
レバーを握る手に僕はエネルギーを注ぐ。問題はそこから先だ、FAPからさらに瑠羽へ届かせるイメージをした。上手くできてるかどうかの自覚はない。成功したと感じられたのは彼女の気配に変化があったからだ。堂々とたたずむ姿は精練としててムダが一切ない。静穏なのに内側にとてつもないパワーを秘めてるのがありありと分かる。
瑠羽を前進させる。距離は徐々に縮まり、あと数歩で間合いだ。
「面白いアイディアじゃ、うぬらは本当に楽しませてくれるわ」
ほくそ笑んだ卯葵子さんが掻き消えた。肉眼じゃその姿は追えない。しかし僕の豪泉を送りこんでるおかげか、瑠羽の感覚がダイレクトに伝達された。敵の居場所を察知してる。
左だ! 垂直ジャンプし、投げ技をスカす。冷静に大キックを押して頭頂部を踏みつけた。完全なるヒットだ。ここからはどんなコンボでも繋がる。どう繋げようか考えると知らない技が脳に刻まれてた。いま瑠羽ができると自覚してる攻撃なんだろうか。躊躇なくそれを選択。
大パンチを押し、続けて豪波とは反対のレバー入力である2・1・4。フィニッシュにキックボタンを三つ一遍に押した。アッパーがヒットし、そのあとに強烈な蹴りが炸裂する。打ち上げられた卯葵子さんは無抵抗だ。
2・3・6を二度繰り返し、僕はパンチボタンを三つ押す。右手を肩にやった瑠羽は通常の豪波よりも長く溜めを作った。手中の輝きは大きく膨らみ、バスケットボールを遥かに超える。それを標的に向けたとき、大玉送りの大玉ぐらいのサイズになっていた。
放出された超必殺の豪波が大気を震えさせる。金色の太い光線が周囲を一気に照らし出した。それが卯葵子さんを呑みこむ。影となった彼女は野球のバックネットへ飛んでいった。金網の一部をヘコませ、止まる。跳ね返ったのち、力なく落下した。
地面に伏せた敵は復活してきそうにない。豪波の何倍もの技をモロに食らったんだ、立てるわけがない。
僕はFAPの電源を切り、茫然とする瑠羽へ歩んだ。豪泉を流しこんだせいかゆっくりしか近づけないのがもどかしい。彼女の肩へ手を乗せてやると、いま気づいたみたいに振り向く。
「倒したのだ?」
「そうだよ、僕らは勝ったんだ。あの神谷卯葵子さんにね」
正直に言って、その感動はまだない。あんなすごい人に勝つなんて、信じがたかった。
瑠羽の緊張にまみれた顔が、みるみるうちに和らいで満面の笑みとなる。
「やった──」
彼女の言葉は途切れさせられた。僕には黒い残影しか目に映らない。体ごと持っていかれた瑠羽が無慈悲に地へ沈められる。僕を制するのは全身を震撼させるプレッシャーと恐怖だ。ヘビに睨まれたカエルとでも言えばいいか、危ないって自覚してても身じろぎできない。
目前で揺らめくのは卯葵子さん。本当に卯葵子さんなのかは判別つきにくかった。背格好は同じなのに歯を剥き、長い髪は波打ち、猫背で野生動物然としている。一番の特徴は深紅に染まった双眸である。血液のようにヌメッた表面はどこまでも深い世界へ誘う。
暴走だ。南宗安さんが話してくれた現象に他ならない。豪泉に操られた卯葵子さんはその力を制御できなくなってる。その力は計り知れなかった。通常時であれば、いくら彼女が相手であろうと瑠羽も攻撃を察知してなんかしら行動をとる。しかしいまのは、まったくもって反応ができなかった。瑠羽が笑った次には変わり果てた卯葵子さんがいたんだ。
離れたところで倒れ伏せた瑠羽は起きようとしない。彼女が万全であっても、この敵には勝てないだろう。丸っきり次元が違う、僕はただ立ち尽くすしかなかった。
こっちを深紅の瞳が見下ろし、荒々しい吐息が顔面に吹きかけられる。
「バカ野郎! ボケボケすんなっ!」
怒声とともに体が弾かれた。地を転げた僕を抱えるのは貞臣先輩だ。
地面が大きくえぐれる。卯葵子さんの爪が鋭く輝いた。あのままあそこにいたら体は真っ二つになっていただろう。
貞臣先輩が呻く。彼のふくらはぎがズボンの生地ごと裂かれていた。僕を助けたためにこんなことになったんだ、申し訳なさで胸が締め付けられる。
「んな顔すんな、それよりあのバケモノをなんとかしやがれ」
「けど、早く治療しないと──」
「いいから倒す方法を考えろ! じゃねぇと俺ら殺されっぞ!」
そうは言われても、どうしようもなかった。貞臣先輩をFAPでコントロールしようかって頭を一瞬よぎったけど、彼の命が危うくなる。それにひいき目に見ても敵いそうにない。誰をキャラ役にしようと勝つイメージすらできないのに、なにをしたって妥当性を欠く。
悔しさでFAPを掴む手に無意識で力がこもる。僕には格ゲーしかなくて、このアケコンでようやく自分を活かせるって思ったのになんでなんにもできないんだ。僕はまだ動ける、なにかやれることがあるはずだ。考えろ、なにをするのが最善で最強かを考えるんだ。
手元のFAPと近くで倒れる瑠羽へ目を移す。脳の奥でなにかがスパークした。
「まだワンチャンスあるかも」
「なんだ、なんか思いついたのか」
「でも、リスクが高すぎて話にならない気も」
「んなこと言ってる場合か。俺も手伝う、なにすればいい?」
確かになにもしなくたって殺されかねないならハイリスクに賭けてみる方がいい。状況判断は貞臣先輩の方が明らかに優れてる、傍にいてくれたのがありがたかった。
腹を据えてなんとか半身を起こし、瑠羽の頭を撫でた。良かった、呼吸もしっかりしてる。これならすぐ病院に行けば助かる。
僕は夜空へ吼える卯葵子さんへ眼差しを向けた。
「あの人の動きを五秒──いや、二秒だけ止めてください」
「なんだそんなことでいいのか、て言いてぇところだけど大仕事だな、そりゃ」
気合を込めるように膝を思いっきり叩いて立った貞臣先輩が苦笑する。
「その仕事、私にも手伝わせてくれ」
背後に現れたのは柴村校長だ。口ヒゲを撫でた彼は変わり果てたかつての教え子を見つめる。
「多田君は応急処置をして校舎の教師らに預けてきた、安心しなさい」
希望が湧いてきた。柴村校長が戦力になってくれるなら成功率は高まる。あとは自分次第だ。
一際に大きく吼えた卯葵子さんは頭部をフラつかせてこっちへ体を向けた。狂気を秘めた瞳は獲物を狙う獣のそれだ。目を逸らせば首を落とされかねない。
行くぞ、と貞臣先輩。柴村校長と一斉に立ち向かう。僕はその後ろへついた。絶対にミスるわけにはいかない、一回のみのチャンス。
二人の体がわずかに跳ねる。
それぞれの胸に卯葵子さんの指先が刺しこまれていた。貞臣先輩が吐血する。チクショウ、ダメだ。チャンスどころじゃない、作戦失敗だ。
助けに入ろうとすると二人が彼女の腕をガッシリと掴む。
「さぁ、いまだ! やれ、勇輝っ!」
なんてことだ、初めから二人は捨て身で動きを封じるつもりだったらしい。攻撃が心臓に達してれば命だって危ういのに、僕を信頼して託してくれてる。
ムダにはしたくない。肉薄した僕は、さっき撫でたときに瑠羽から取ったFAPの受信装置を卯葵子さんの頭部へ当てがった。即座に体当たりをして貞臣先輩と柴村校長から離れさせる。二人の傷口から血が噴き出すのを横目に僕はFAPを起動させた。
仰向けになった貞臣先輩が苦鳴する。
「おい、そんなことしてどうすんだ! あのメガネカラスの二の舞になるぞ!」
「これが僕の作戦です!」
体中のエネルギーを振り絞るようにして意識を集中させる。これで死んだっていい、そのつもりで豪泉をFAPへ流しこんだ。瑠羽に対してだってできたんだ、僕の豪泉が卯葵子さんに混ざりこめばコントロールだってできなくないはず。涼太君のβと違って、αは精神の共有ができる。物理的にじゃなく、精神というナマの部分に働きかければ止められる可能性はある。
頼む、成功してくれ。歯を食い縛って豪泉を送った。
ドス黒いなにかが自分の中に入りこんでくるのを感じる。これは、卯葵子さんの感情? 視野が急激に狭まり、赤紫に染まっていく。息が苦しい、すべてを呑みこまれてしまいそうだ。送りこんでたつもりが逆流してる、僕より彼女の精神の方が強かった。頭が割れそうなほど痛い、それに吐き気もする。怒りや殺意、憎悪という様々な負の感情が自身に渦巻く。
抗おうとする意思を根こそぎ持っていかれた。
ごめん、みんな。意識を失いかけてる。寒々しい闇の中を落ちていく。底まで落ちたら、きっと戻れないだろうって予感がした。いままでのことが走馬灯のごとく現れては消えていく。
結局、僕はなんにも成し遂げられなかったな。おぼろげに、そんなことを思った。最後に強く残ったのは、悔しい、という想いだ。もっと戦いたい、戦える、戦わせてくれ。
すべてが消える寸前、底の方に光が出現した。それはとても暖かく、僕を癒してくれる。比例して記憶が、意思が、心が戻ってきた。目の前の視界が次第に色彩を帯びてくる。
僕の手にかぶさるのは小さくて、それでいて心強い瑠羽の手だった。彼女も豪泉をFAPへ向けて発してる。近づいてくる卯葵子さんの動作は鈍くなってきてた。しかしそのプレッシャーは健在で、ちょっとでも力を緩めれば瞬時に命を奪われるだろう。卯葵子さんにとって、それはロウソクの火を消すよりもたやすい。
あとちょっとで押し切れそうなのに力が足らなかった。全身がどんどん痺れてくる。このままじゃマズイ、豪泉で止める前に直接攻撃で殺されてしまう。だからって防いだり回避しようとしたら終わりだ、身を裂かれようと続けるんだ。
敵が数歩先に迫る。黒髪が刃のごとき形状になった。
止まれ、止まれ、止まれ!
強く念じたところで、彼女の髪は射出された。
凶器と化したそれが額に当たる。温かい液体が眉間の間を伝い、鼻の横を通っていった。痛みといえばそのぐらいで、他には特にない。
重かった荷物が急に軽くなったような感覚があった。手元を見れば、合計で四つの手がFAPに載ってた。僕と瑠羽と貞臣先輩と柴村校長のものだ。それぞれが淡く光り、FAPへ通じてる。それらは目と鼻の先で停止する卯葵子さんへと伝わってるはずだ。
僕らの豪泉は数秒ともたずに光をなくした。ほとんど同時に卯葵子さんは糸の切れた操り人形みたいに崩れ落ちる。みんなも動けなくなっていた。
これでダメなら本当に終わりだ。
しばらく様子を見てみても起き上がる素振りはない。貞臣先輩が、やったのか、と目で訴えかけてくる。僕は首を横へ振って、分からない、の意思表示。
急の電子音に心臓が口から飛び出そうになった。卯葵子さんのケータイだ。うつ伏せの彼女の下から聞こえてくる。会社かなにかからだろうか。静寂な校庭に響き渡る。
そこにいた全員が驚愕に目を見開いた。
いとも簡単に卯葵子さんが立ったんだ。彼女は無表情に胸元からケータイを出して通話ボタンを押した。機嫌悪そうに受け応えてる。
いまのうちに仕留めようというのか、貞臣先輩が動こうとする。それを引き止めた。なにかがおかしい。周りを見ると暴徒が一人もいなくなってる。代わりに倒れてる者が幾人もいた。
ケータイをしまった卯葵子さんが乱れた黒髪を掻き上げる。
「わらわは用事ができた。ここはしばし、うぬらに預けるとするわ」
拍子抜けするほどあっさりと彼女はきびすを返した。校門をまたげば姿が完全に消える。
なにがなんだか分からない。何度も電話を拒否してたのに、どうしていまの電話には素直に応じたんだろう。柴村校長と顔を見合わせても首をかしげるだけである。
「どうやら上手くいったっしょ」
緊張感のかけらもなく歩いてきたのは涼太君だ。
「上手くいったって、なにが?」
「万が一に備えてタワーのシステムにそれ自体を壊す仕掛けをしてたんさ」
暴徒が沈静化されたのはそういうことだったらしい。なにをしたのか詳しくは分からないけど、コンピュータに長けてそうな彼のことだ、どうとでもできたんだろう。
釈然としない。
「タワーを起動させたのは涼太君じゃんか」
「オイラはどっちでも良かったんさ。修羅の世界も一回見てみたかったし」
だけど、と涼太君は黒縁メガネの位置を直した。
「しこたまやられて勝ちたくなったんだぁね。やっぱ勝たないと楽しくないっしょ」
その気持ちは痛いほどよく理解できる。僕だって卯葵子さんに勝ちたくて全力でぶつかっていったんだ。勝てるなら命を投げ出したっていいとさえ思った。
結果として勝ったんだか、そうでないんだかあやふやだ。それもこれも涼太君のせいである。
接するようになってから彼という人間がどういうものか、だんだん分かってきた。自分本位で気まぐれで、本当にそのときの状況が楽しければそれでいいんだ。そこに他者の感情は考慮されてない。そんな彼を好きにはなれないけど、もし今回タワーを止めてくれなかったらどうなってたか。文句を言いたくても黙りこむしかなかった。
手を頭の後ろで組んだ彼がおどける。
「本当はあの人をオイラのキャラにしたかったけど、ちょっと難しいみたいっしょ。残念」
これが最善だったのかもしれない。もし卯葵子さんが涼太君の軍門に下ったりしたら、それこそ世界が混沌としてしまう。タワーのシステムだって利用するだろう。
んじゃね、と言って帰ろうとする涼太君の背を貞臣先輩が睨んだ。
「気に食わねぇけど今回は借りにしておいてやる。俺はお前に負けたとは思ってねぇからな、首洗って待ってろよ」
「いつでも待ってるさ、貞臣さん」
至極、楽しそうにほくそ笑んだ涼太君が離れていった。
入れ代わりに駆け寄ってきたのは郷田先生である。汗にまみれ、血相を変えていた。
「多田が、多田が……」
「勝也がどうしたんですか」
アイツの傍にいるはずの者がここに来た時点で嫌な予感がしてた。そしてそれは的中する、郷田先生がたどたどしく説明した内容は深刻なものだった。
僕は校舎へ向かって彼の名を叫んだ。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。