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016 Round 5

     Round 5


 私立朱良(あかよし)学園の校門をバイクで侵入する。学校へ避難してきた者があちこちにいた、それに加えて暴徒と化した人間も多い。バイクは校庭を突っ切って一直線に一人の暴徒へ迫った。

 ぶつかる軌道上で大ヶ崎貞臣(だいがさきさだおみ)先輩が車体を大きく傾ける。前後のタイヤを滑らせつつ前進した。雄叫びをする男に迫る。

 激突。相手は転がり、バイクは起き上がった。

 僕と武上瑠羽(たけがみるう)はバイクを降りる。

「死ぬかと思ったじゃないですか!」

「クソバカ、ちゃんと停まっただろ。ついでに変な奴も倒したしよ」

 メットを脱ぎ捨てて赤いリーゼントにクシを通す彼に反省の色はない。

 心臓がバクバクいってた。この人はホントにムチャクチャをする。しょうがなかったとはいえ、貞臣先輩の後ろに乗ったのが悪かった。今度からは絶対に乗らないでおこう。

「それより神谷卯葵子(かみやうきこ)はどこにいんだよ」

「先輩、ここは任せました!」

 群がってくる暴徒をかわして駆ける。貞臣先輩の方にも何人かが襲いかかり、彼に呆気なく返り討ちにされていた。彼が僕を呼んだが、いちいち状況説明はしてられない。

 最短距離で目的地に向かった。

 テニスコートだ。金網に囲まれた三面のコートが並んでる。空いたスペースにはバーベキューコンロやクーラーボックスなどがあった。それぞれが横倒しになってて、串に刺さった食材もそこら中に散乱してる。誰の姿もないけど、ここでなにがあったかは察しがつく。不吉な予感が動悸を起こさせた。

 男の叫びがする。僕は瑠羽と肯き合い、急いで声のした方角へ走った。

 着いた先は体育館だ。外に面した扉が開けられてて中が騒がしくなってる。薄暗い室内を逃げ回るのは多田勝也(ただかつや)だ。それをワンピースの女子が追いかけてる。手には包丁を持ってた。

 足を絡ませた勝也がつまずいて転げる。尻をつき、ヒィヒィ言いながら彼は後退った。女子が標的を目がけて跳びかかる。

 金属を弾く音。瑠羽の蹴りが包丁を飛ばす。よろめく女子の腕をとった瑠羽がそれを肩に担いで一本背負いを決めた。したたかに背中を打ちつけた相手は失神して活動を停止する。

 宙にあった包丁が回転をしながら落ちてくる。その先にいるのは勝也だ。彼は自分のもとへ落ちてくると分かってても腰が抜けて動けないらしかった。ダッシュして勝也の頭上をジャンプした僕は包丁の柄を握り締める。ふぅ、ナイスキャッチ。

 振り返ると彼はふっくらした頬を揺らして震えてた。

「ゆ、勇輝(ゆうき)。俺、わけが分かんねぇよ。楽しくバーベキューしてたら何人かが暴れだしたんだ」

「僕らが来たからもう大丈夫だよ。勝也は体育倉庫にでも隠れてて」

 事情を呑みこめてない彼は腑に落ちないようにして従う。体育倉庫の出入り口は鉄の扉だ、体育用具なんかで押さえてれば簡単には破られない。

 とにもかくにも勝也が無事で良かった、あとはあの人を待ち構えるのみである。

「おい、行くのか」

 周囲の様子をうかがうと肩が掴まれる。首を巡らせたら不安げな表情があった。

 僕は微笑みかける。

「やることがあるんだ。すぐ戻ってくるよ」

 そうなのか、と勝也はうつむいた。

「お前、すげぇな。こんなときだってのに堂々としててさ」

「そんなことないよ。最近、色々あって慣れてきたっていうか、うん」

 短い髪をポリポリと掻く。短期間で本当に色んなことがあった。思い返すと五体満足でいられることが奇跡に感じる。一歩間違えたら、いまごろ入院生活だ。

「俺なんて友達助けられずに逃げ回ってばっかで、情けねぇよ。俺、ダメダメなんだ」

「勝也はすごいじゃん。テニス始めたり、積極的に新しい友達作ったりしてさ」

 どれも僕にはできないことである。彼の頑張りは普段から見かけてた。そのたびに僕は彼を遠くに感じたんだ。自分だけが取り残され、一生追いつけないだろう、と。

 勝也は、違う、と否定する。

「必死で周りに合わせてたけど、ついていけねぇんだ。俺だけなんにもなくて、焦って部活に集中したりしても空っぽなんだよ」

 そんなことを言うとは思ってもみなかった。実際、いつも見かける彼は頑張ってて僕とは一線を画してた。なんにもないなんて嘘だ。

 じゃないと、それはまるで──

 メガネレンズの奥で勝也の小さな目が揺らぐ。

「格ゲーに全力の勇輝が羨ましかった。お前が眩しすぎて、一緒にいられなかったんだ」

「でも僕を今日のバーベキューに誘ってくれたよ」

 彼が自嘲気味に笑んだ。

「そんなの自分の土俵に呼びこんで優越感を得たかっただけだ。最低なんだよ、俺は」

 すっかり自虐的になってる。確かに彼の言うような部分もあったんだろう。ゲームをやめさせようとしたのだって得意なことを奪おうとしたんだと考えられる。だが僕にはそれが全部じゃないように思えた。伊達に中学三年間をともに過ごしちゃいない。

「どんな理由でも嬉しかったよ、こんな僕を誘ってくれてさ」

 勝也は目頭を赤くして首を横に振る。

「お前はすげぇんだよ、俺の憧れなんだ。格ゲー大会でいつも俺は壇上のお前を見てた。同じ歳なのにあんなところに立って、なんなんだコイツって。どうして俺にはなんもないんだって」

「勝也……」

 あぁ、そうか、そうなんだ。僕はゲームが好きだけど、それができたからってなんにもならないって思い知らされてた。だけど勝也にとっては意味があることだったんだ。僕にとっては彼のしてることは尊敬に値する。ないものねだりっていうか、隣の芝生は青く見えるっていうか、きっとそういう感じなんだろう。

 ──僕と同じだ。

「僕も勝也が羨ましかったんだ。機械だっていじれるし、みんなと仲良くできてさ。逆に僕はみんなに嫌われてて、それでもゲームしかなくて、どんどん引き離されてるって思ってた」

 そうだったのか、と彼が目を伏せる。

 僕はショルダーバッグを下ろしてFAP(ファップ)を出した。

「勝也に迷惑かけるのは分かってる。だけど頼めるのはお前しかいないんだ」

 バッグには修理道具一式が入ってる。自分なりに調べてボタンを直そうとしたんだ。どっから手をつけていいのかさっぱり分からなくて結局は放置するしかなかった。

 勝也がFAPをジッと見つめる。

「ただのアケコンじゃないのは見当つくけどよ、格ゲーに関係することなんだろ」

「そうだよ、僕の格ゲーを活かせる唯一の道具なんだ」

「みんなに嫌われるって知ってて、どうしてやってられるんだよ」

「それは──」

 表の方でなにかが爆発したみたいな音がした。震動が伝達して体育館を細かく揺らす。そろそろ行かなくちゃならない。あの人のオーラのようなものが肌で感じられた。

 FAPを置き、きびすを返す。

「──負けたくないからだよ」

「そんなの納得できねぇよ! どうしたら俺もお前みたいになれんだよ、教えてくれよっ!」

 怒声を背に受けながら遠ざかった。質問に応えられるようなモノを持ち合わせてない。僕だって教えてほしいんだ。ただ一つ分かるのは勝也も僕と同じだってことぐらい。それはなんの解決にもなってないが、あるいは解決してるのかもしれなかった。

 横の瑠羽が離れていく体育館をチラッと見る。

「FAP直してくれたらいいのだ」

 壊れたままだとどっちにしろ卯葵子さんには勝ち目がない。勝也に託すのが最善だ。

「アイツを信じよう」

 なんにしてもこの騒動を鎮めないとならないんだ。警察が機能してないいま、力のある者が立ち向かわないと破滅が待ってる。修羅の国なんて、まっぴらごめんだった。




 校舎の出入り口で緑ジャージの中年男が茫然としてた。乱れた薄い髪も放置して校庭で起こってる事態を眺めてる。理性を失った者たちへの対処法が思い浮かばないようだ。

 こっちに気づいた郷田先生があんぐり開けてた口を慌てて閉じる。

浅海(あさみ)、なんなんだこれは。またお前のせいじゃないだろうな。こっちは休日出勤で会議してるってのに、ふざけるのも大概にしろ」

 こんなおおごとをただの男子高校生が起こせるはずないのに、どうしても僕のせいにしたいらしい。誰かに責任を押しつければ安心なんだ。いい加減、うんざりする。

 僕はイラ立ちを込めて彼を昇降口へ押しのけた。抗議はさせない。

「言われなくても僕が解決します! 先生はロッカーで震えながら隠れててください!」

 なにかを言いたそうにする先生が唇を横一文字にして黙りこむ。生徒に言い負かされようとも自分にできることはないと悟ったんだ。面倒事に巻きこまれたくない心理もあるだろう。

 ケガ人をできるだけ増やしたくない、嫌な先生であってもおとなしくしててほしかった。

 砂塵が晴れてくる。校庭の中央で対面するのは貞臣先輩と神谷卯葵子さんだ。僕らが近づこうとすると貞臣先輩が片腕を開いてそれを制する。

「邪魔すんなよ、待ち望んでた新旧対決なんだからよ」

「卯葵子さんはとてつもないですよ、三人でだって勝てるかどうかなのに」

「ヤベェってのは分かってるっての。けど嬉しいじゃねぇか、歳食っても現役なんてよ」

 赤いタンクトップから伸びる腕に鳥肌が立っていた。右手に拳を作り、筋肉を盛り上げる。気合を入れるように左の手のひらを打った。

 前方を三白眼で凝視して口元に弧を描く。

「今日で引退させてやるぜ、神谷先輩よぉ」

 ガンつけに対し、相手は平然とした。それどころか彼の緊張感を無下にするがごとく場違いな音色が発される。彼女が胸の谷間から出したのはケータイだ。

「なんじゃ。──そのようなこと、うぬらでなんとかしろ」

 キツイ口調で言い、通話を切った。

 衝突は突然だ、一気に間合いを縮めた貞臣先輩がハイキックを繰り出す。ライディングシューズの硬い爪先が卯葵子さんの延髄にヒットした。体勢を崩す相手へ、すかさずストレートパンチを打ちこむ。離れた僕のところにまでインパクト音が届きそうだ、攻撃が彼女の顔面を捉えた。攻めの手は止まらない、左フックを脇腹へ刺しこむ。

 だが浅い、かまわず踏みこんだ卯葵子さんのアッパーカットが下から突き上げられる。それを上体を反らして寸でのところでかわした。もう片方の手で放たれたパンチは見切り、ガッシリ掴んだ。力と力がぶつかって双方の腕がブルブルと震動する。そこに集約されたパワーがいかほどのものか想像に難くない。

 善戦する姿に感嘆の溜め息が出る。

「すごいや、先輩。卯葵子さんとあんなに戦えるなんて」

「貞臣は豪泉(ごうせん)使いなのだ」

「え、貞臣先輩が?」

 首肯する瑠羽。使い手である彼女が言うんだから本当なんだろう。どうりでそこらの不良が勝てないわけだ。ケガの治りの早さも関係してそうである。

「たぶん自覚はしてないのだ」

「じゃ、じゃあ無意識にやってるってこと?」

「よっぽどの修羅場をくぐり抜けてきてないとあり得ないのだ」

 ケンカの天才なんだ、敵とぶつかるうちに豪泉を身につけたらしい。僕はそんな人に一人で攻撃しようとしたりしてたのか。思い返し、無謀さに我ながら呆れた。

 おしいのだ、と瑠羽が呟く。

「なにが?」

「自己流のせいで技が荒いのだ。だから──」

 貞臣先輩の前蹴りが卯葵子さんの腹部に当たる。大したダメージは与えられずにその足首を掴まれた。片足立ちになった彼は完全に不利だ。僕ならあっさり転ばされて終わるところ、一本の脚の力のみで跳ねた。体を宙で捻り、爪先で側頭部を狙う。

「──負けるのだ」

 卯葵子さんには見切られていた。手の甲で受けた彼女が着物をひらめかせて旋回する。飛ばされた貞臣先輩は地面を滑って転がった。すぐさまに立とうとすると、そこへ舞うように降ってきた敵に踏みつけられる。ブーツが胸にめりこみ、ボキリと鈍い音がした。肋骨が何本か折れたんだ、彼は嗚咽する。

 地に足をつけた卯葵子さんは肉付きのいい生足を片方浮かせた。その足が紫に発光しだす。豪泉を一ヶ所に結集してトドメを刺すつもりだ。まだ貞臣先輩は立てない、不可解な現象を前に苦痛の表情を浮かべるだけだ。僕は助けに向かわずにはいられなかった。

 クッ、遠い。豪泉を宿した僕でも間に合うかどうか。

 紺色になった空を仰いだ卯葵子さんは恍惚とする。

「わらわの聖地、こんなにも狭かったかえ」

 かつての学園を回顧してるようだ、懐かしむようにした。

「されども血の匂いがする、まごうことなき修羅の血じゃ。喜べ、うぬの血で祝杯をあげてやるとしよう」

 紫をまとった足が勢い良く下ろされる。目指すは折れたばっかりの肋骨だ、その下には心臓がある。コズミックタワーで撃った豪波と同等の威力があるなら潰されてしまう。

 チクショウ、あとちょっとなのに距離がありすぎる。届かないって分かってても、疾駆しながら僕は腕を伸ばした。貞臣先輩、避けてっ!

 肉同士を打ち合う音が独特の響きで大気に放射される。

 思わず目をつぶった僕が再びまぶたを開いたとき、そこに新たな影が現れていた。いつの間に来たんだろう。卯葵子さんの足を膝で受けてるのは柴村源(しばむらげん)校長だ。

「浅海君、彼を連れていってくれたまえ」

 背を向けたまま告げる。それに応じ、瑠羽とともに貞臣先輩を引きずった。

 柴村校長の全身を淡い光が覆ってる。

「もしかしてあれも豪泉?」

「なのだ。あのムラのなさからみて、かなりの使い手なのだ」

 さすが修羅学(しゅらがく)と呼ばれてた時代から働いてる人だ。それぐらいじゃないと卯葵子さんを含めた生徒と渡り合えなかったに違いない。

 瑠羽を初めとして貞臣先輩に柴村校長、卯葵子さんという豪泉使いがこの朱良学園に集まってる。それに僕にもその力の兆候があった。修羅学の特質が僕らを呼び寄せたみたいだ。

 昇降口の扉へ貞臣先輩を寄りかからせる。彼の双眸は悔しさにまみれていた。

「ちっと休んだらぶちのめしてやる、クソ」

「ムチャですよ、そんな体で」

「うるせぇ、このまま終われるかよ」

 自ら動こうとして彼が苦悶する。折られたあばらはだいぶ酷い症状のようだ。普通の人なら動く気力さえ湧かない。元気なのはいいけど、戦おうとするのは危険だ。下手したら骨が肺や心臓に刺さりかねなかった。

 衝撃波が扉のガラスを波打たせる。とてつもないオーラに僕はよろめいた。校庭で柴村校長と卯葵子さんがぶつかってる。かと思えば離れ、直後にはまたも力と力を衝突させた。淡かった二人のまとう光が夜闇に煌々と輝きだしてる。

 柴村校長の撃ったバスケットボール大の豪波(ごうは)が卯葵子さんへ肉薄した。それは振り袖により薙ぎ払われる。光球は校舎に激突し、壁に穴を空けた。そうされるのを見越してたのか、彼は地を蹴る。筋肉隆々の巨躯を持ちながらにして速かった。卯葵子さんは豪波を弾いたせいで彼を近づけることになる。まだ腕を戻しきれてない彼女を岩のような拳が打った。

 防御。彼女の体が軽々と後方へ飛んでいく。校門の塀にぶつかり、そこにヒビが入った。校長は上空だ。急速落下し、彼女へ蹴りという名の鉄槌を下す。

 塀をカステラみたいに割り、柴村校長が着地する。そこに卯葵子さんはいない。彼の肩に乗るのは彼女の手だ。着物の裾を太ももで挟みこんで逆立ちしてる。背後に下りると同時、大きな背中へ肘鉄がねじこまれた。身を弓なりにした柴村校長がたまらずに呻く。

 すごすぎる戦いに、援護したくても近づけなかった。意気投合させないと邪魔になる。二人の気迫に付近の暴徒らは恐怖したのか、ほとんどが縮こまっていた。

 着物についたホコリを払い、卯葵子さんは頬を緩ませる。

「センセ、もうろくしたかえ。わらわがここへ通ってたときより格段に衰えてるわ」

「相変わらずだな、神谷。お前はなにも変わっていない、中身も容姿も強靭さも」

「あら、わらわを褒めてどうするつもりじゃ。デートの誘いかえ」

 満更でもないふうにしなを作る。露出された胸元や脚には充分な張りがあり、とても三〇代前半には見えない。一声かければ交際を申し出る男はいくらでもいるだろう。

 そういうところもな、と柴村校長は痛みを堪えるように眉間にシワを刻んだ。

「いまさらなにをしに来た」

「全国が修羅と化すのも時間の問題。今後の本拠地として、ここをわらわの城とするのじゃ。修羅の血に染まった修羅学をね」

「そのバカさ加減もあのころのままだな。だからこそ、いまのお前があるのだろうが。みすみす学校を譲ってやるほどお人好しではない」

「センセに、わらわは倒せぬわ」

 金縁のメガネを外してズボンのポケットへしまった柴村校長が鼻で笑う。

「さっき、もうろくしたと言ったな。私が本気を出すときは生徒を本気で叱るときだけだというのを忘れたか。そしていま私はお前を本気で叱らなくてはならなくなった」

 深く呼吸した彼がボディビルダーのごとく脇を開いた。短い発声をして身を震わせる。全身の筋肉は倍近く膨らみ、それに比例して豪泉の光も大きくなっていった。

 彼は鼻の下のヒゲを撫でる。

「この状態での私と神谷は五分。もはや無傷では帰れないぞ」

「センセ……」

 一回り大きくなった柴村校長を見上げ、卯葵子さんがおびえるように腕を抱いた。それは本来あるべき教師と生徒の姿だ。悪さをした者が職員室で説教をされてるのはありがちな風景である。いまの彼に怒られると思ったら僕は死を受け入れかねなかった。

 顔を下へ向けた卯葵子さんは小刻みに震えだす。それがおびえによるものじゃないと分かったのは彼女がクツクツと喉を鳴らしたからだ。次には、さもおかしそうに夜空へ笑い声を発する。狂ったようなその様子を柴村校長はいぶかしげに見つめた。

 彼女は目を細める。

「わらわはまだ五割も力を出しておらぬ」

「なっ──!?」

 一瞬のことだった。驚愕する柴村校長と卯葵子さんとの間で紫の光が破裂する。超低空で咲いた花火のようだった。一種の爆弾だ。直撃を免れなかった校長が上空を飛んでいく。勢いは弱らず、そのまま校舎の二階あたりにぶち当たった。クモの巣状にクレーターができる。めりこんだ彼は少しして壁を離れた。

 駆けつけた僕と瑠羽で彼をキャッチする。重量で危うく落としそうになった。こんな柴村校長を打ち上げるほどの豪波だったのか。計り知れないパワーは腹部の傷からも知れる。スーツとワイシャツには大穴が空き、強固な筋肉のついた腹はヤケドしたように赤黒くなってた。

 すまない、と喉から声を絞り出す柴村校長。

「私は、間違っていた。神谷のような生徒を、二度と生んではいけない……」

 それっきり言葉が途絶えた、失神したようだ。以前、彼は修羅学時代の朱良学園の方が好きだと言ってた。最近の生徒は生気が抜けたようだ、と憂えてたんだ。

「僕は柴村校長が間違ってるとは思いません」

 彼を寝かせ、悠々と歩いてくる卯葵子さんを睨む。悪いのはあの人だ、自分勝手に人を傷つけて楽しんでる。彼女をこのままにしておいていいわけがなかった。放置したら自分の大切な人がどんどん傷ついていくに決まってる。平和な学校は僕らが取り戻すんだ。

 卯葵子さんは迷いなく昇降口へ歩を向けてる。その境に僕と瑠羽は立ちはだかった。

 ほくそ笑む卯葵子さん。

「どきなさい、わらわはいま廊下を歩きたい気分じゃ」

 彼女を覆う紫の光が炎のように揺らめく。恐くないといったら嘘だ。しかし隣には瑠羽がいる。彼女と二人なら、なんでもできる気がした。

 一歩を踏み出した瑠羽に怖気や興奮はない、あるのは強い意志のみだ。

「ならば、私を──」

「僕を──」

 横に並んだ僕と彼女の目が合い、二人してニヤリとした。

「「──倒していけっ!」」

 ほとんど同時にスタートし、卯葵子さんへ挑みかかる。待ち構える相手へ拳を構えた。右ストレートが叩き落とされる。瑠羽の蹴りは片手でさばかれた。僕は回転をし、後ろ回し蹴りをする。手応えはない、彼女は必要分だけ屈んでた。そこを瑠羽の正拳が打つ。

 防ぎながらも弾かれた敵が跳んで宙返りをした。地に足を着けた直後、今度は向こうから迫りくる。瞬時の肉薄にド肝を抜かれつつ拳を受けた。ガードの上から骨にダメージが響く。即座に繰り出したアッパーは当たらない、回避を兼ねたサマーソルトキックが僕のアゴを跳ね上げる。グラつく視界の中、瑠羽が右手を淡く光らせていた。掌底を低く構えた彼女は半ば体当たり気味に接近し、卯葵子さんのみぞおちを打つ。

 派手に転倒した相手が砂塵を巻き散らしながら校庭を滑っていった。地に膝をつきながらも僕は手応えを感じる。明らかな優勢じゃないけど圧し始めてた。大技を食らわなければこのままいけそうだ。瑠羽と呼吸を合わせ膝に力を込める。

 正面の卯葵子さんが手を向けた。背筋に寒気がして横へ跳ぶ、瑠羽は反対側にだ。紫の閃光が立っていた場を貫く。大丈夫、見えてる。姿勢を限界まで低くし、地面を滑空するように疾走した。瑠羽も同じだ。成り行きとはいえ、左右からの挟撃になる。

 豪泉の扱いはまだまだよく分からないが、右手に体内のエネルギーが流れこむイメージをしてみた。外気の熱とは別の温もりが腕を辿って手に集まってくる。これが豪泉? 大砲でも手にしたんじゃないかってぐらいの心強さがそこにあった。

 目前の標的に照準する。狙うは的の大きい胴体だ、一発KOにならなくともダメージは残せる。瑠羽は下からの攻め。寸前で回転した彼女がしゃがみこんで足払いをする。

 激突。インパクトが反動となって肩へ抜けた。僕の攻撃は卯葵子さんの手のひらに握りこまれてる。瑠羽の足も靴裏で押さえられてた。正確無比に止めるとは常人の域を超えてる。

 卯葵子さんが紅を引いた唇を吊り上げる。

「この程度かえ」

 まだまだっ!

 腕を引くとともに、左手で用意してた二撃目を放ち──途中で中断する。彼女の後ろには見覚えのある長髪の大男がいた。卯葵子さんも僕らに気を取られて油断してたんだろう、あっさりと羽交い絞めにされる。

 僕の肩を踏み台に誰かがジャンプした。空中で逆さに舞うのは月山涼太(つきやまりょうた)君だ。素早い動作で卯葵子さんの頭部を何ヶ所も突き、それから大男を越えた。攻撃をしたにしては、あまりにも脆弱だ。現に卯葵子さんは無傷で、なんともなってない。

 もういいぞ、と彼が大男を離れさせる。

「ずっと待ってたさ、このタイミングを」

 涼太君は腰に下げてたFAP‐β(ベータ)のスイッチをONにした。途端、卯葵子さんが棒立ちになって無表情になる。切れ長な瞳におよそ意思といえるものは見受けられなかった。

 黒縁メガネを中指で押し上げる涼太君へ顔を向ける。

「もしかして、いまやったのって──」

「ご察しのとおり、受信装置さ。ずっと息潜めて狙ってたんだぁね」

「じゃあタワーを起動させて混乱を起こしたのって、このために?」

 返答の代わりに彼はニッコリと笑んだ。

 全部は計算尽くで、卯葵子さんをキャラ役にするのが主目的だったらしい。僕や瑠羽が彼女と戦うのも予想してたんだ。頃合いを見計らって受信装置を付ければ一丁あがり、最強のキャラがそこに生まれる。非常に合理的だった。

 歯車にされた腹立たしさも相まって僕は唇を噛む。

「こんなことのために、みんなを巻き添えにしたのか」

「そう怒らないでいいっしょ、手伝ってあげたんだからさ。なんなら好きなだけ殴る?」

「そういうことを言ってるんじゃない!」

 瑠羽も複雑そうだった。大勢の犠牲のもとに倒すというのは話が変わってくる。それに倒したくはあっても無防備な卯葵子さんを痛めつけたって不快になるだけだ。この時点で僕らがすべきことは、すでになかった。

 天然パーマの黒髪を涼太君が掻く。

「そんなに戦いたいなら戦わせてあげるっしょ、神谷卯葵子とさ」

「君って人は、どこまで腐ってるんだ……」

 僕と瑠羽は距離を置いた。

 大男の肩に座った彼は膝にFAPを載せてレバーを操作する。コントロールされる卯葵子さんが戦う構えをした。本気でやる気なんだ。ただでさえプレイヤー性能に優れてるのに、キャラ役まで最強となると卯葵子さん単体を相手にするよりも厄介だ。それにFAPのシステムが加わって混沌としてくる、掻き乱されてやられるのがオチだった。

 涼太君は気持ちが良さそうに笑う。

「さ~て、どんなプレイができるか楽しみっしょ」

 彼の格ゲーのスタイルは攻撃的だ、下手に向かっていけばなにもできないままに処理される。どんな初撃であろうと最小限のダメージに抑えられるよう備えた。

 FAPのレバーとボタンが目にも止まらない速度で入力される。

「行け、神谷卯葵子!」

 来る。ブーツで校庭の砂を踏み締め、彼女が近づいた。

 そう思えたのは一瞬だ、卯葵子さんの後ろにいた大男がわずかに跳ねた。その腹には黒き巨大な拳が接してる。それがなんなのか把握するのに時間がかかった。

 くずおれた大男から下りた涼太君が一早くに気づく。

「髪の毛? 技の一つっしょ?」

 巨大な拳の根元は卯葵子さんの頭部だ、長い髪が拳をかたどって大男を打ったのである。髪を束ねていた白銀のリングは外れていた。

 涼太君はレバーをガチャガチャ動かす。

「なんかおかしいっしょ。どうしてコントロール利かないんさ」

 言って、まさか、と顔を強張らせる。

 彼の頭上に掲げられた黒き拳が急速に下ろされた。容赦なく地面へ叩きつけられ、一撃で沈む。そこに慈悲や情けの魂はない、彼の意識を根こそぎ刈り取っていた。

 長い黒髪を浮遊させた卯葵子さんが受信装置を取って涼太君の上へ捨てる。

「わらわをそんなオモチャで操り人形にできると思ったかえ、愚か者。FAPは豪泉を引き出し、それを利用して操作するのじゃ。拙い出力では、わらわの豪泉は到底揺るがぬ」

 操作できるか否かの詳しいメカニズムは不明だ。豪泉の度合いに影響するのは確かなようだった。とにかく彼女をキャラ役にするのは不可能らしい。

 卯葵子さんがこっちを向く。

「今宵は愉快じゃ、わらわの一〇割の力を見せてあげるわ」

 その髪の毛一本一本がそれぞれ生き物のように蠢いた。豪泉でそれらを制御できるなら、関節のない無数の手足が生えたようなものだ。

 知ったことじゃない、攻撃手段が増えようともやれることをやる。先手必勝、相手が勢いづく前に突っこむんだ。なにかあっても瑠羽がフォローしてくれる、その逆もしかりだ。

 息を吸い、吐くと同時に飛び出す。その一歩目で四肢に電気みたいな痛みが走った。立ってられずに情けなくも四つん這いになる。ほんのちょっと動こうとしたら激痛で悲鳴した。

 わけが分からずにいると卯葵子さんはつまらなさそうにする。

「鍛錬不足の肉体で豪泉を使うからじゃ。うぬはもうまともに戦えぬ」

 それは死刑宣告も同然だった。

・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。

・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。

・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。

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