015
最寄り駅で下り、瑠羽を原付の後ろに乗っけた。違反だろうと知ったこっちゃない。警察は道路交通を取り締まる余裕がなさそうだ、街中も遊園地と同じく暴れる者がそこら中にいる。道路は混乱し、渋滞が起きてる。
原付なのは好都合だ、車と車の間をどんどん擦り抜けていく。
コズミックタワーが近づいた。黒き影が悠然とそびえてる。披露日までは時間があり、いまだに工事の防護ネットが巻いてあった。そのネット越しに淡く光ってる。目の当たりにしたら騒然となるのが当然だけど、みんな暴動者の対応でそれどころじゃなかった。
あと少し──というところで原付が突然に失速する。エンジンがフガフガ言って不安定な回転をしてる。ついにはエンストし、惰性で走った末に道路の真ん中で停止してしまった。交通がまともに機能してなくて良かった、平常だったらクラクションを連発されただろう。
瑠羽に降りてもらって歩道へ寄せる。最近、どうも調子が悪かったんだ。心配になりながらもガードレールの横へつけてロックした。
タワーへ向かう。走るのが速い瑠羽に必死についていった。疲労を嘆いてられない、この騒ぎの原因があそこにあると思ってる一般人は僕らぐらいかもしれないんだ。自分がやらずに放置したら、あとあと取り返しがつかない事態に陥りかねない。
真下に来るとますますタワーの高さが際立つ。オレンジ色に輝き始めた空を貫き、永遠と上まで伸びていた。防護ネットの一部をめくって侵入する。淡い発光を頼りに入り口を探した。そこにあったのは回転式の自動ドアだ。電源が点いてるなら中央を支点に仕切りがゆっくり回って中へ導いてくれる。
いまは動作してなかった。ここまで来て入れないのは勘弁だ。
そんな懸念は間もなく消し飛んだ。仕切りのガラス板を手で押したら思いのほかスムーズに回ってくれる。ロックがかかってないのは誰かがここにいるからだ。
卯葵子さんか?
外壁の光と外の明かりにより室内はそんなに暗くない。一階は土産屋やカフェなどの店舗と休憩所がある。スペースをゆったり使ってて切迫感がまったくなかった。一周を丸々使えば、ちょっとしたマラソン大会を開催できる。
「どこから調べるのだ」
瑠羽の問いに思考がストップする。僕はバカだ、ここに来れば解決すると思ってた。こんなだだっ広い場所を闇雲に探ってたら夜が明けてしまう。
非効率と分かっててもやるしかない。
「エレベーターが使えるか確かめよう。上から順に調べていく方がいい」
階段は下りで利用すれば少しは時間と体力を有効に活用できる。
天上から吊るされた案内表示を頼りにマットが敷かれた床を蹴った。中央部へ向かって曲がる。幅の広い通路を直進すると床に立つ案内があった。エレベーターだ。
瑠羽とともに行き、ブレーキをかける。二つの明かりがちらついた。懐中電灯を持つのは警備員の制服を着た者である。オープンをしてないのに警備がいるのは誤算だった。
「誰だお前らは!」
一人がこっちを照らし、一人が無線機に口を当てる。
「こちら一階。高校生程度の男女二名を発見しました。青年の背格好など目撃された侵入者と似ています、どうぞ」
おとなしくしてろ、と警告して二人が接近してくる。
逃げたらなんの解決にもならない、ここは強行突破だ。
阿吽の呼吸で瑠羽と同時に突撃する。先行の彼女が一人を蹴り跳ばした。もう一人へは僕がタックルをかます。だが威力が足らない、押し倒すには至らず捕まった。暴れて身をよじるも、屈強な警備員には通用しない。
そんな彼の首に瑠羽が腕をかける。チョークスリーパーが見事に決まり、僕を拘束した力が解けた。床に尻をついた警備員はもがくのみで一向に抜けられない。
僕は彼を睨みつけた。
「神谷卯葵子さんがどこにいるか教えてください。もし教えないなら首の骨をへし折ります」
言葉に合わせ、瑠羽が腕を引き締める。手足をバタつかせた警備員は首を小刻みに振った。
もちろん折るっていうのはハッタリだ。相手にとって僕らは不審な侵入者であって、こうして追い詰められた状況だと凶悪な犯罪者に見えるだろう。警備員といえども所詮は雇われの人間だ、殺されるよりは情報を与える方を優先する。
再び瑠羽が首を強く絞めると彼は観念した。
「最上階、コズミックフロア……」
苦しげに言い、逃がしてくれと目で懇願してくる。
僕は瑠羽に肯いた。すると彼女がギュッと締め上げる。一瞬で男の体は弛緩し、静かに横たわった。念のため脈をとってみるとハッキリと鼓動がある。OK。
やっぱり卯葵子さんはここにいるらしい。
エレベーター内で待つ瑠羽に遅れて僕もカゴへ乗った。ボタンを押せば高速でグングン上昇していく。エレベーターの背面がガラス張りになってて街の家々が小さくなるのをうかがえた。
エレベーターがふんわりと停止し、扉が開く。
コズミックフロアとやらは明るかった、天井の蛍光灯が点いてる。ここは展望台のようで、外に面した壁が前面ガラスだった。地上の景色が非現実の絵画のように見えて目を奪われる。世界というキャンパスに絵の具を散らし、一枚の作品にしたみたいだ。
「わらわのコズミックタワーが気に入ったかえ」
艶のある女の声に我に返る。そこには花柄の和服ドレスに身を包んだ卯葵子さんが悠然と立っていた。意識が外へ行ってたのもあるけど、まったく気配がしなかった。
他にも警備や護衛が来てるのかと思ったら一人もいない。
卯葵子さんが口元に手を添えて微笑する。
「心配しなくとも、わらわは群れるのが嫌いじゃ。他の者は引き揚げさせたわ」
数で勝る相手がわざわざ嘘はつかないだろう。本当に単独行動を好んでるんだ。
「この騒動はタワーのせいですか」
「なんじゃ、それも知らずにシステムを起動したのかえ」
卯葵子さんが細い片眉を上げる。
タワーが動作してるのは彼女の組織のせいじゃなさそうである。階下の警備員の言葉も引っかかったけど、どうやら誰かと勘違いしてるらしかった。僕や卯葵子さん側じゃないとなると何者の仕業なんだ。
少なくとも彼女の口ぶりからしてタワーが混乱を招いた根源であるのは間違いなかった。
僕らの様子で卯葵子さんは悟ったらしい。
「そうか、うぬらではないな。まぁよい、遅かれ早かれ起動する予定だったわ」
「こんなモノ作って、なにを企んでるんですか」
世界屈指の大企業となったKAMIYAの会長という立場は社会あってのものだ。それが無差別な暴力によって揺らぎかねないのは言うまでもない。自ら危機に瀕しては意味不明である。
腰を超える長さの黒髪を卯葵子さんが撫でる。毛先を残して一くくりにしてる白銀のリングがきらめいた。
「修羅の苗は植え終わったわ、あとは開花するのみよ」
「修羅の、苗?」
「タワーから発した特殊電波を送信することで脳を刺激するの。FAPのようにコントロールとまではいかなくとも、感情の操作はある程度は可能じゃ」
外の人が凶暴になってるのは、怒りの感情を湧き起こしてるからだろうか。まともな人も多いのは電波にムラがあるか、影響の受けやすさで左右するからなのかもしれない。塔に近づいても僕や瑠羽になんにも起きないのをみると後者っぽかった。
さりげなく発された言葉が頭に引っかかる。
「FAPって、まさか……」
「ご名答、わらわが作らせた物じゃ。入学祝いは気に入ったかえ」
瑠羽に問いかけてくる。この人のすることには疑問だらけだ。自分を倒そうとする相手にパワーアップするような道具をあげるのは普通じゃない。
宗安さんの言ってたことを思い出す。誰かに止めてもらうことを欲している──正しくそうとしか思えない行動である。
「狂っていると思うかえ? わらわの胸の内は修羅の者にしか分からぬわ。戦いこそがすべて。シンプルに己同士でぶつかる、それこそがわらわの望み」
だんだんと興奮するように声を張り上げた。
一般人な僕の想像でしかないが、彼女は世界を壊すつもりだ。タワーの力で修羅を強制し、人々に争わせれば自然に秩序はほころんでいく。電波の範囲が全国規模なんだとしたら、全国民が巻きこまれることになる。やがては国が──世界が破滅する。
「FAPはハンデじゃ。βは期待外れだったが、うぬらにはもっと楽しませてもらいたいわ」
「自分の娘さえも遊び道具みたいにするなんてどうかしてる」
僕だって怒りの感情が湧くんだ、瑠羽はもっと憤りを感じてるだろう。それは歯を食い縛る彼女の表情からも読み取れる。さっきから射抜かんばかりに母親を凝視してた。
そんな瑠羽を見て卯葵子さんは至極愉快そうにする。
「その調子じゃ。怒りを蓄え、わらわにぶつけるがいいわ」
双眸を恍惚とさせて紅い唇を舌で妖しく舐め上げた。
僕は宗安さんの話で、彼女が豪泉の暴走により夫を殺害したんじゃないかって考えた。だけどこういう姿を見てると意図して殺したとも思える。否、殺したというよりは、殺すつもりで戦った末に相手が死んだというのが正しいか。
「どうした、来ぬのかえ」
彼女の挑発的な態度に瑠羽は動けずにいた。なんの構えもしてない相手は、あたかも隙だらけで逆に不気味である。どんな攻撃を仕掛けてもカウンターをもらいそうな恐怖感があった。瑠羽だって攻めたいだろうに、タイミングを失ってる。
クスリと笑う卯葵子さん。
「ならば、わらわから──」
発言が途切れた。僕はまばたきをする。
目を開いたとき、前方にいたはずの彼女が掻き消えていた。隣の瑠羽へ視線をやれば、彼女は前を向いたまま硬まってる。
ほんのりと花の香りが漂った。背後に卯葵子さんがいる。いつ、どうやって移動したのか。速すぎて瞬間移動みたいに思える。豪泉も極めると人間離れが進むようだ。
瑠羽のベリーショートの髪を彼女が白く細い指先で撫でる。
「怖気づいたかえ。うぬには期待しているのじゃ、もっと強くなってもらわねば困るわ」
指は首を伝って肩へ下り、さらには腰へ向かう。一見、優しい愛撫だが、瑠羽からしたら凶器を突きつけられてる気分だろう。傍にいる僕は脇に冷や汗をかいた。
手はショートパンツで止まり、ポケットに忍びこむ。取り出されたのはケータイだ。ハムスターのヌイグルミがブラブラ揺れる。不可思議そうにそれを見つめる卯葵子さんは顔を歪めた。
「少々たるんでいるのではないかえ。このようなふざけた物は修羅には不要じゃ」
ストラップが簡単に引き千切られる。
瑠羽がひるがえり、旋風が起こった。回転の勢いのままに敵へ裏拳が飛ぶ。速い。距離やタイミングも合わせて完璧だった。ヌイグルミを握る卯葵子さんは無防備だ。
されど攻撃は届かない、瑠羽が打ったのはケータイだ。外装にヒビが走り、真っ二つに破砕する。たまたまその位置にケータイを持っていたんじゃなく、瞬時に盾にして受けたんだ。
「なんじゃ、ケータイも不要ということかえ。いい心がけだわ」
「返すのだっ!」
殴りかかりは半歩だけ退いた敵にかすりもしない。高揚して攻撃が大振りになってるんだ、この人に当たるわけがない。瑠羽、冷静になれ。ヌイグルミなんてまた獲ればいいんだ。体勢を立て直してFAPを使用すれば、こっちにもチャンスはある。
止めようと名前を呼んでも彼女は仇へ突っこむ。そこに卯葵子さんはいない、今度は少し離れたところへ出現した。その手にはハムスターのヌイグルミ。
「わらわを満足させなさい」
冷たい声とともに紫の炎を生む。ハムスターが瞬く間に燃え、消し炭になった。チリとなったそれが空気に乗ってヒラヒラと舞う。まるで花ビラみたいだった。
怒気が瑠羽から瞬時に膨れ上がるのを感じる。全身に淡い光をまとい、身を沈めた。ダメだ、我を忘れてる。FAPじゃないと勝負にならないのは明らかだ。
「待って、瑠羽っ!」
声は届かない。彼女が発った位置のマットがめくれて後ろへ飛ぶ。一秒とかからずに卯葵子さんとはゼロ距離になった。当たれば相手を弾き飛ばすだろう。
あくまで、当たれば、だ。
攻撃は阻まれる。床から足を浮かせ、中途半端に繰り出したパンチを瑠羽がダラリと垂らした。腹には卯葵子さんの拳がめりこんでる。
自由落下して仰向けになった彼女の瞳に意思はなかった。まとってた光が消える。ケガを伴うダメージじゃなくとも意識を断つには充分な一発だった。
それを卯葵子さんは見下ろす。
「どうやらこの子を甘やかしすぎたようじゃ」
人差し指を立てて瑠羽を指した。
「風穴を空けて気合でも流しこんであげようかえ」
指先が紫に光りだす。それはビー玉サイズで極々小さかった。だが逃げ出したくなるほどのプレッシャーを感じる。銃口を向けてるように見えた。
撃たせちゃいけない。どうにかできると思ってなくても脚は走りだしてた。こっちの動きを卯葵子さんは楽々と視認してる。切れ長の瞳に震え上がりながら特攻した。
跳ぶ。生半可なパンチやキックじゃピクリともさせられないに違いない。防御をされてもいい、せめて体を揺さぶらせたかった。そうしたらその間は瑠羽が撃たれなくて済み、彼女が目覚める時間稼ぎに貢献する。回避してくれるなら尚良し。
足裏が標的にぶつかった。分厚い鉄板に当たったみたいな感触。
卯葵子さんがほくそ笑むのが見え、全身に鳥肌が立つ。
「プレイヤー役が、でしゃばるでないわ」
空いた手で足は掴まれ、人形を投げ捨てるみたいに軽々と放られた。視界がグルグルする。わずかな浮遊感を得たあと、衝撃に全身を打たれた。ガラス張りの壁に激突した僕は着地する気力なく無抵抗に落ちる。辛うじて意識は繋ぎ止めるも、体がバラバラになったみたいな痛みに制された。瑠羽を助けに行きたいのに這うのがせいぜいだ。
卯葵子さんが指先で小さく円を描く。瑠羽のどこを撃とうか迷ってるふうだった。その顔は色々ある好物の中からなにを食べようか選んでるときのような嬉々をはらんでる。
そして、ある一点で停止する。彼女は手首にスナップをきかせた。
「やめろ!」
僕の叫びを無視して紫の玉が主を離れる。超高速で明かりのある室内に光の尾を残す。紫の槍が瑠羽の肩口のあたりを貫いた。鮮血が散る。白地のTシャツを赤く染めて花を咲かせた。
悲鳴するのは瑠羽だ。痛みでもがく彼女を卯葵子さんが茶のブーツで踏みつける。恐ろしいことに、その手には二発目の弾が装填されてた。
「もう二、三個ぐらい空けておくかえ」
「やめろ」
僕は狂牛病の牛のように膝をガクガクさせて立つ。太ももを両手で押さえつつ倒れそうになるのを堪えた。物理的な痛覚なんかより瑠羽を失う方が辛い。穴が空くほど卯葵子さんを睨む。
向こうは意に介してないようで、楽しげに指を回した。
「やめろよ」
次なる照準が決められる。紫の玉が一際に大きく輝いた。無情に手が振られる。
光の線が瑠羽に伸びるのを見て自身の内でなにかが切れた。金属同士をかち鳴らした高音が頭蓋に響く。
「やめろって言ってるんだっ!」
距離にして十数メートルを一足飛びに縮める。おかしいとは感じない、いまの自分にならそれができると確信してた。目を丸くする卯葵子さんを渾身のパンチで叩きつける。
インパクトが彼女を飛ばした。靴底をマットに引きずりながら後退していく。摩擦により焼け焦げたマットの匂いが辺りに立ちこめた。
停止すると上体を反らしてた彼女が姿勢を正す。能面のような顔をし、こっちを見た。口の端から真っ赤な雫が垂れていく。それを舌でペロリと舐め取り、唇を吊り上げた。
「うぬも豪泉使いかえ。いや、そうであれば初対面でわらわも気づけた」
自問自答をする彼女が、なるほど、と肯いてクククと喉を鳴らす。
「FAPじゃ。αはキャラ役と意識を共有する設定にしたわ。瑠羽と繋がることで、うぬに豪泉が宿ったと考えるのが自然」
僕が豪泉を……?
実感はなかったけど、なんでもできそうな万能感はあった。瑠羽をFAPで操作するときの感覚や気分に似てる。誰にも負ける気がしないあの感じだ。
「豪泉を増幅させる狙いで作らせた物であったが、思わぬ嬉しい副産物よ」
「もしそれが本当なら、そんな楽勝ぶってられるのもいまのうちだよ」
格闘の経験なんてないのに、どう動けばいいのかが頭にあった。これはきっと瑠羽の技術だ。そこに自分のやりたいことが絡み合って行動を決めさせる。
姿勢を低く疾駆した。僕は風となる。
目に映るのはターゲットのみだ、肉薄して蹴りを打つ。腕で受けられたが今度は掴まれない、身をよじって回転する。放ったのは回し蹴りだ。敵はショルダーブロックをし、腕を振った。スウェーをしてそれを避ける。風圧に押されそうになるのを強引に力でねじ伏せた。
乱打する。ショットガンのごときパンチが卯葵子さんを打つ。目にも留まらぬ速さだというのに、そのすべてはさばかれた。しかし彼女を圧してるのは間違いない、ジリジリと後ろへ押しこんでいく。
これなら勝てる──そう思った。
油断大敵、突如として彼女が消える。
「レディーをいたぶるのが趣味かえ」
耳元での囁きがくすぐったかった。存在を感じた横へ肘打ちをしようと腕を上げる。それは間に合わず、思いっきり蹴りつけられた。転がった僕は受身をしてすぐさまに起きる。
視界に紫の点が映った。膝に力を込めた僕はサイドに跳びこむ。
頬に熱を感じながら転がった。見れば、背後の壁に穴が空いてる。判断が遅れてたら顔面を同じようにうがたれてただろう。そう簡単には勝たせてくれそうになかった。
それなら何度だって立ち向かうだけだ。
僕が構えると卯葵子さんは着物の振り袖をひるがえして背を向ける。
「勝負はまだ終わってないよ。それともハンデのつもり?」
「急くな、こわっぱ。わらわはいま機嫌がいいのじゃ、せっかくのご馳走をこのような狭苦しい場で味わうのはもったいないわ」
「そっちがどうするつもりだろうと逃がさないよ」
いつでも跳びかかれるように足の指先を床に噛ませる。背中を向けてるっていうのに隙らしい隙がない。あの弾丸みたいな豪波も脅威だ、安直には仕掛けられなかった。
ガラス張りの窓際に寄った彼女が振り向く。掲げた五指にはそれぞれ紫の光が灯ってて僕に警戒させた。あんなのを撃たれた日には回避しきる自信がない。
卯葵子さんは微笑する。
「やる気があるならば聖地に来なさい。わらわはあそこに用があるわ」
聖地とやらがどこなのかを訊く前に彼女は五指を向けた。発射されたそれらはガラスを撃ち抜く。簡単に砕け割れ、ガラス片がきらめいて散った。高所特有の風が吹き荒れる。
そののち、できた穴に卯葵子さんが身を投じた。ここを何メートルだと思ってるんだ……。
追って覗きこむと、もうそこに彼女はいない。タネも仕掛けもないマジックを見せられてるかのようである。
拍手が聞こえた。
振り返ると立ってたのは黒い衣服に身を包んだ涼太君だ。
「お見事。まさか君があの神谷卯葵子を追い詰めるなんてビックリっしょ」
「どうしてここにいるのかは訊かないよ。なんとなく、そんな気がしてたから」
僕と同じぐらいの背格好の青年が目撃されてたとなれば真っ先に頭に浮かぶのは彼しかいなかった。現れたことで確固たるモノへ変わる。
「涼太君がタワーを起動したんだね」
「そうさ、危うく捕まりそうだったっしょ」
「どうしてそんなことするんだよ。君はテロになるって知ってたんだろ」
黒縁メガネを上げた彼が、ん~、と考えてニッコリとする。
「しいて言うなら興味本位さ。だって面白そうっしょ」
「そんな理由で……。君のせいで、どれだけの人が傷ついてると思ってるんだ」
「知らないさ、そんなの」
無責任な振る舞いに怒りが湧く。
「タワーを止めるんだ、いますぐ。起動できたんなら止め方も知ってるでしょ」
「普通に断るっしょ。どうするかはオイラの気分次第さ」
「それなら力尽くでいかせてもらうよ」
僕が拳を腰に携えると涼太君は首を振った。
「おっと。いいのかな、そんな悠長にしててさ」
「どういうこと?」
「神谷卯葵子にとっての聖地がどこかオイラは知ってるんだぁね」
時間稼ぎに思えても拳を下ろすしかなかった。
それを認め、彼は口を開く。
「あの人の伝説の始まりといえばどこさ?」
思考するまでもなく声になった。
「修羅学」
自分の答えを理解するのに数秒を要してしまう。いまさら朱良学園に卯葵子さんが向かったのは、ただの母校訪問じゃないだろう。それに今日、あそこには勝也がいる。ただでさえ暴動により無事でいるか分からないのに、あんな人がなにかを起こしたら生命が危うい。
ケータイで連絡をとろうとしても電波は圏外になってる。たぶんタワーが近すぎる影響だ。すぐにでも急行しなくちゃならなかった。
僕は瑠羽に肩を貸す。
「ケガは?」
「かすり傷なのだ」
血が大げさに見せてたらしい、もう出血は止まってた。
そうこうしてる間に涼太君はいなくなってる。まぁいい、いまは学校へ向かうのが先決だ。
エレベーターで一階に降りていき、外へ出る。大空に夕日が煌々としてた。学校までは距離がある、走っていったんじゃ手遅れになりかねない。どうやって行こうか逡巡してると爆音がした。歩道をフルカウルの赤いバイクが徐行してくる。
手を振るとこっちに近づいてきた。停車し、メットを外した貞臣先輩が首をかしげる。
「なんでお前らこんなところにいんだ」
「それはこっちのセリフですよ」
「俺はアイツ追ってたんだ、あのメガネカラスをよ」
おそらく涼太君のことを言ってる。メガネカラスとは傑作だ。
貞臣先輩は大ケガをさせられて以降、彼を恨んでたんだろう。自分のみならず空手部の部員まで痛めつけられてる、その落とし前をつけずにいられる人じゃなかった。
「ここらへんで消えやがったと思ったらこの騒ぎだろ。なにが起きてんだ」
「それはあとで説明します。それより、学校に向かってください」
「おい、なに勝手に後ろ乗ってんだ」
許可なく後部座席にまたがった。さらにその後ろへ瑠羽が跳び乗る。貞臣先輩を前の方へ押しこむ形になってギュゥギュゥだ。
「バカ野郎! こんなんで走ったら捕まるのは俺だぞっ!」
「大丈夫ですよ、いまは警察も忙しいんで」
「そっか、それならいいな──て、そういう問題じゃねぇっ! 事故るだろうが!」
ノリツッコミをした彼がツバを飛ばした。上半身を捻って僕を降ろそうとする。
「神谷卯葵子と戦えるとしても嫌ですか?」
彼は反抗を緩めた。
「あぁ? なんで学校行くとアイツと戦えんだよ」
「それは僕にも分かりません。けど、あの人は必ず来る」
僕の目を見据えた貞臣先輩は、しばしして舌打ちする。それからメットをかぶり、バイクのエンジンをかけた。爆音がすぐ傍でして鼓膜を塞ぐ。
「嘘だったら承知しねぇぞ、勇輝ぃ」
騒々しさに混ざった彼の声に僕は肺活量いっぱいの返事で応えた。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。