010 Round 3
Round 3
廊下を武上瑠羽が歩いてくる。僕とは視線を合わせてくれない。彼女は頭や手足のあちこちに包帯やテーピングをしていた。それは日に日に増えていて、気になって訊いてみても教えてはくれなかった。身近に感じられた日々が嘘のようだ。
瑠羽と擦れ違う。後ろを振り向いた僕は彼女を呼んだ。
数歩を行き、止まってくれる。その表情は硬く、いつも見せてくれた柔和さはない。胸がズキリと痛んで言葉が出てこなかった。
「なんなのだ、復讐を手伝ってくれるのだ?」
たぶん仇である神谷卯葵子さんに関することでケガをしてるんだ。ムチャをしてるのはその姿から充分うかがえる。傷ついていくのは僕にとって不本意だ。
「もうやめようよ。あの人の強さ、見ただろ」
「勇輝は敵が強かったら逃げるのだ?」
彼女のシャープな問いに心を裂かれて二の句が継げなくなる。同じ立場だったら、どんな強い者であろうと挑んだだろう。なにもせず逃げるなんて論外だ。
それでも危ないことをしてほしくなかった。
「勇輝には分かってもらえると思ったのだ」
話はここまでとばかりに言い残し、瑠羽は教室へ入っていってしまう。
僕は両拳を固く握り締めた。なんにもできない自分が悔しい、今回ほど無力さに嫌気が差したことはない。なにかをしてあげたいのに、できることがなんにもなかった。
一番望まれてることをすれば、きっと瑠羽を壊してしまう。それだけは避けたい。
放課後、昇降口へ下りていくと下駄箱周辺が騒がしくなっていた。数人の男子が倒れてて鼻や口の端から血を流してる。そのうちの一人は、あの一年の不良を取り仕切る赤坊主だ。
「大ヶ崎先輩がいないから、調子に乗って報復してんだ」
誰かが言った。
上履きからローファーに履き替えつつ耳を澄ませる。どうも赤坊主らに他校の生徒が絡んできたらしい。そういえば最近、青みがかったズボンの不良をここらでよく見かける。シェルパにも多く出入りしてて嫌な感じはしてたんだ。
大ヶ崎貞臣先輩はいまだに入院してる。検査の結果、全治二ヶ月だそうだ。それをどこからともなく伝え聞き、抑えつけられてた勢力が幅を利かせ始めたようだった。
おとなしくしてれば僕には関係ない──そんな甘い考えは、すぐに覆されることとなる。
シェルパを出ようとすると自動ドアが開く。日はすっかり沈んでいた。ついでに僕の気持ちも沈んでる。格ゲーをやると相変わらず連勝するのに、ちっとも楽しくなかった。僕は一人でなにをやってるんだ。こうしてる間にも、みんなは青春に汗して人生を満喫してる。僕にとっての格ゲーがそれのはずなのに、無意味なことをしてるように感じられた。こんなことをしてて、いったいなにになるんだろう。こうしてみんなゲームをやめていくのかな。
溜め息をつき、原付を押し歩く。発進しやすい路地に入っていき、一旦そこで止まった。メットインから青のハーフメットを出す。
かぶろうとしたら手首が強制的に下へやられた。反動でメットを落としてしまう。振り返れば青みがかったズボンの青年二人組がニヤニヤしていた。
「オメェ、修羅学だろ」
無言でメットを拾い、再び原付を押そうとする。フロント側に一人がまわりこんできて行く手を封鎖した。どうしても行かせてくれないらしい。
「どいてよ、帰るんだ」
「そうはいかねぇよ。俺ら、修羅学狩りやってっからよー」
二人が愉快そうに笑った。赤坊主をやったのも、そんなくだらない動機でだろう。ゲーム感覚で朱良学園の生徒を狙ってるんだ、鬱陶しいったらありゃしない。
ウルフカットの奴がガムをクチャクチャ噛んで自らの手のひらに拳を打ちつける。
「そんじゃ、ちょっくら殴らしてちょ」
言ってから実行するまでに間がなかった。迫るパンチについ目をつぶってしまう。
ところが、なかなか攻撃は到達してこない。僕がビビッたのをからかってるんだろうか。まぶたをうっすら開けていき、なぜ打ってこなかったのかハッキリする。
グレーのスーツが窮屈そうな男がウルフカットの手を掴んでいた。双方の腕の太さには明らかな差があり、不良の方は小枝に見える。
空いた手で柴村源校長が鼻下のヒゲをつまむ。
「浅海君、これは正当防衛になるかね」
「はぁ、殴られかかったんで、おそらく」
「ふむ、それなら問題はあるまい」
なんだこのツルッパゲ、などと悪たれる二人に取り合わず、柴村校長はウルフカットの額へ手を添えた。乱れのない動作に相手は警戒を一切できなかったようだ。
鈍い音。それとともにウルカットがアスファルトの地面へ勢い良く倒れる。
もう一人がそれを見て形相を変えた。
「なにしやがんだ、このクソジジイ!」
「知らないのか、デコピンだが」
そう、柴村校長がしたのは変哲もないデコピンだ。
ふざけんな、と殴りかかってくる相手の額へ彼は構える。校長に拳は届かない。ベチッと鳴り、ウルフカットと同じ末路を辿ることになった。ただのデコピンにしては威力がありすぎる。中指を放つとき、ほのかに指先が光ってたようだった。僕の見間違いだろうか。
寝た二人を見下ろして柴村校長は、やれやれ、と呆れるようにする。
「昔と比べて、なんとひ弱なことか」
修羅学時代のことを言ってるんだろう。
「昔ってそんなに強い生徒がいたんですか」
「修羅学は特にな。力と力のぶつかり合いだった」
「いまそんなことしたら問題になりそうですね」
「こっちから手を出しはしないがな。向かってきたのなら、やり場のない溢れるエネルギーを発散させてあげるのが教師としての役目だろう」
それが許されてたことから過去の朱良学園の壮絶さが伝わってくる。そういうのが好きな生徒にとってはいい学校だ。貞臣先輩なんかは暴れて喜ぶに違いない。
「良かった、いまの時代に生まれて」
「浅海君も訓練を積めばトップ層になれたと思うぞ」
「そんなのなれないに決まってますよ」
手を振って照れる。我ながら弱いし、お世辞はくすぐったかった。
柴村校長は真剣な眼差しをする。
「君には闘志がある。修羅学全盛のときにトップだった神谷卯葵子のようにな」
え?
手を振ったまま停止してしまう。いま確かに神谷卯葵子って言った。
「あの神谷総合商社会長の?」
「そうだ、知っていたかね。私は三年間、神谷の担任だったんだ」
卯葵子さんも朱良学園の生徒だったんだ。奇しくも母子で同じ学校に通ってることになる。朱良学園には強き者を集めるなにかがいまだにありそうだ。
「卯葵子さんってどんな生徒だったんですか」
夜空に浮かぶ月を柴村校長が見上げる。
「あの子は大バカだ。神谷が問題を起こせば、いつだって私が後処理をしていた」
「普通の教師と生徒の関係を超えてそうですね」
「一番の問題児だったが、一番思い入れがあるのもあの子だ。なんせバラバラだった修羅学を三年間でまとめあげたんだからな」
本人を目の当たりにした僕としては、どんな伝説を語られても信じてしまうだろう。修羅と言われる生徒が集まり、その頂点に君臨してたのが卯葵子さん。現在の立ち位置はごく自然だ。
しかしな、と柴村校長。
「どこか孤独そうだった」
「孤独、ですか」
「彼女を収める器がなかったんだな、強いがゆえに一人だった」
「けど結婚したんですよね」
「うむ、その報せを聞いて私も喜んだものだ。それが、あんなことになるとはな」
ちらっとネットで調べてみたところ、世間的には強盗による殺人とされてる。瑠羽の間違いじゃないなら、夫を殺したのは卯葵子さんだ。僕の乏しい検索力では腕力と会社の力で殺人を隠蔽したらしいとしか結論づけられなかった。そうとなれば警察にまで息がかかってるってことだ。法治国家と言えど、この国は権力や経済力に弱い。
「実は同じクラスに武上瑠羽ってコがいるんですけど、あの人の娘なんです」
これには彼もビックリしたようで太い眉を持ち上げた。
「なんと、娘が入学してたか。赤ん坊だったときに神谷が連れてきたことがあったな」
そうかあの赤ん坊がな、と柴村校長はしみじみと呟く。
「なにも起こらなければいいが」
「それって、どういう──」
肩を叩かれ、僕は顔だけを振り返らせた。頬に人差し指がめりこむ。さも楽しそうに笑ったのは黒ずくめな印象の月山涼太君だ。彼の指が頬を執拗に突いてくる。
友達が来たと思ったのか、柴村校長は気を利かせるように離れた。気をつけて帰りなさい、と言って駅の方へ歩いていく。もっと詳しく卯葵子さんについて訊きたかったのに残念だった。
涼太君の手をどける。
「僕にはもう用ないはずだよ」
「それは冷たいっしょ、やっと友達になれたのに」
瑠羽にあんなことをしておいて、よくそんなことが言える。タイプも全然違うし、彼とは仲良くなれそうにない。
「オイラが勇輝君を買ってるのは本当さ。今日だってスカウトに来たんさ」
「スカウト?」
「ゴッズレイヴンに入ればいいっしょ。瑠羽ちゃんには君のプレイが必要なんさ」
なにを言ってるのか理解できなかった。彼の組織に入れというのも意図不明だし、それと瑠羽がどう結びつくのかもさっぱりだ。
彼は僕の疑問に対して先回りする。
「瑠羽ちゃん、ゴッズレイヴンに雇われたんさ」
彼の声が耳へ入って鼓膜を震動させ、神経を伝って脳に伝わり、意味のある言語として聞き取るのに数秒を要した。聞き取れはしても受けつけられはしない。
「嘘だ」
「オイラも目を疑ったけど自分から来たんさ。神谷卯葵子を倒すのに協力してほしい、てさ」
利害の一致ってやつだろう。瑠羽は卯葵子さんを倒すため、涼太君は卯葵子さんをキャラ役にするために結束したんだ。
僕がプレイヤー役を降りたからって、よりにもよってどうして涼太君のもとへ行くんだ。目の前にいたら叱ってやりたかった。
「瑠羽ちゃんはキャラ性能のバランスはいいんだけど、とがってないっしょ。オイラのプレイスタイルには合わないんかなぁって思ってさ」
瑠羽のケガは涼太君による乱暴な操作のせいみたいだ。彼女はそこらの奴に負けない能力があるのに、どうしたらあんな負傷をさせられるのかが知りたい。
「それで、瑠羽専属のプレイヤーとして入れと?」
「大当たりさ! ようこそ、ゴッズレイヴンへ」
「言っておくけど、暴力されたって手を貸さないよ」
そんな回答は想定されてたようだ。
そっかぁ、と涼太君は天然パーマの黒髪をワシワシと掻く。
「まぁ、気が向いたらおいでさ。ゲーマーの理想郷は勇輝君だって望んでることっしょ」
ゲーマーにとって住みやすい世界になったらいいとは思う。でも彼には賛同できないし、人間を物のように使うのは許せなかった。
瑠羽が心配だ。いまの彼女にはなにを言っても僕の声は届かないんだろうな。取り戻したいけど、彼女がついてきてくれる材料はない。
それじゃ、ときびすを返した彼がなにかを思い出したように立ち止まった。
「ついでに教えておくさ。神谷卯葵子は、なんかとんでもないことをしようとしてるっしょ」
「例えば?」
「全国を潰しかねない規模のテロさ。あの人の居所を捜索中に関連会社をハッキングして得た情報だから信憑性がどのぐらいあるかは分からないけどさ」
「テロ? どうして?」
世界屈指の大企業の会長がそんなことをする理由がない。それに傘下の会社が手伝ったとしても範囲は限定的になる、国が潰れるほどのことをするのは不可能だ。
方法は分からないが、仮にそんなことが起こるなら早急に対処しなくちゃならない。
「警察に通報するのはダメかな」
「どこでなにをするかも分からないのに?」
彼は苦笑いをする。自分の頭の悪さが恥ずかしくなった。どっちにしろ卯葵子さんの息がかかった警察なら通報ごときは無駄な足掻きである。
それに、と涼太君は付け加える。
「あの人は表舞台に出ないことで有名っしょ。居場所を突き止めるだけでも骨が折れるさ」
八方塞がりだ。卯葵子さんの力と地位と財力があれば、きっとなんかしらはできる。それに対抗し得る術を持ち合わせてないのは絶望的だ。
いままではどんなことでも立ち向かえるって思ってた。だけど世の中にはそれ以前に負けてることがあるんだ。僕は人生を甘くみてたんだろう、自分にはなんにもなさすぎた。
・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。
・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。
・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。