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009

 閉鎖されたビルとビルの間に細い路地がある。一見すると見落としてしまいそうな通り道だ。メモによると間違いなくここらしかった。人が多く行き交う新宿も駅から離れると温度が薄れる。オフィスビルが多く、夜ともなるとこっち側は人影がほとんどなかった。

 暗い路地裏を真っ直ぐに進んでいく。瑠羽がいるなら助けたいという一心で恐くはなかった。道の切れ目は月明かりにより判別できる。ここで引き返すつもりはない。

 僕は一歩を踏み入れる。ビルの陰から抜けた途端、月光が降りかかってきた。そこには体育館ぐらいの空間がある。周りは全部ビルの壁に囲まれてる。唯一、正面のビルだけは入り口や窓があった。奴らがアジトにしてるのは、たぶんあそこだ。

 土が剥き出しになった地面を歩いていく。自分の足音だけがジャリッと響いた。

 我ながら気が張ってる。なにが待ち受けてるか分からないと、こうも精神が不安定になるものか。瑠羽を助けるってことでいっぱいで、具体的にどう助けるかは考えられなくなっていた。

 そんなもんだから自分に大きな影が覆いかぶさったと気づいたのは押し倒されたあとだった。後ろへ腕を捕られ、背に乗っかられる。暴れても拘束が緩むことはない。

 上の男が腕を引っ張った。関節が悲鳴を上げる。

「瑠羽を出せ! ここにいるのは分かってるんだぞ!」

 要求に男は応じず、ケータイでどこかに連絡をした。不審者がいるとでも言ったんだ。タコ殴りにして道端に捨てるつもりだろうか。瑠羽がいるかどうかを確認するまでは帰れない。

 ガラスがはめこまれた扉の向こうにいくつかの影が見えた。間もなく開き、彼らは僕を見下ろしてくる。先頭に立つ者は黒いパーカーのフードを目深にかぶっていた。小脇に抱えてるのはアケコンだ、色こそ黒いがFAPとほとんど同型だった。予想どおりコイツらも所有してたんだ。ゴッズレイヴンが製作したとも考えられる。

「離していいさ」

 先頭の青年に対し、しかしそれだと逃げるぞ、と僕の上の男が躊躇した。

「聞こえたっしょ? 離せって言ったんさ」

 フードの影に隠れて表情は見えない。声には冷たく残酷な響きが混ざっている。男はかしこまったようにし、上からどいた。青年がリーダーかなにかのようだ。

 自由になった僕は警戒しつつ起き、ショルダーバッグを持ち直した。

 フードの青年は僕と身長がそう変わらない。口調でまさかと思ったけど、背格好まで知ってる人間と当てはまってしまった。フードをつまんで彼が正体をあらわにしていく。

 天パーの黒髪に黒縁メガネ、その奥に光るのは大きな猛禽類の双眸だ。

「せっかく仲良くなれたのに、なんでだよ。教えてくれよ、涼太君」

 メガネの中央を中指で押し上げた涼太君は微笑する。

「そんなの決まってるさ。楽しいからっしょ」

「楽しいからって人を襲うの? そんなの間違ってる」

「間違ってるのはこの世界っしょ、どいつもこいつもゲーマーを否定したがる。毎日、血の滲むようなトレーニングをしてても、そんなものはムダと言って切り捨てるんさ」

 熱のこもった言葉だった。彼の言うことも分からなくはない。ゲーマーは不遇な運命だ、たまたま好きで熱中できる対象がゲームだっただけで社会に気味悪がられる。

「だけど、だからって人を襲うのは違うよ。もっとやり方があるはずだ」

「ないさ。世界を変えるには、ときに強引にいかなくちゃっしょ」

「世界を?」

「オイラの力で変えるんさ。ゲームをヒエラルキーの頂点にするバカげた世界に」

 クスクスとさもおかしそうに涼太君が笑った。

 どうかしてる。大会で優勝する輝かしい彼のイメージがもろくも崩れていった。目の前にいるのは狂気に走った異常者だ、格ゲーマーなら誰もが憧れるプレイヤーなんかじゃない。

 涼太君が空いた手を差し伸べる。

「勇輝君、君には才能があるさ。オイラとともに世界を壊してやろう。親も友達もクラスメイトも、みんなを見返そうさ」

 本来、そんなふうに言われたって普通の人は即断で拒絶する。僕もそうしたかった。すぐに断れなかったのは身体に染みこんだ日々の不満があったせいだ。彼に誘われて初めて自分にも似たような思想があると気づかされる。

 理想なんだ。ゲームで世界が動き、ゲームにより称賛される。そんな世の中になったら僕はきっと楽しく生きていける。そういう世界にしていこうとする活動は魅力があった。

 しかし手は握らない。

「僕は僕のやり方で変えていく」

「へぇ、どうやってさ」

 新しいオモチャを見つけたみたいに彼は表情を歪めた。

「ゲームの楽しさを知ってもらうんだ。そうすれば悪くも言われなくなる」

「そんなの焼け石に水さ。せいぜい身内の誤解がなくなるだけっしょ」

「少しずつそういう人を増やしていけばいい。回りくどくたっていいんだ」

 何年何十年かかろうと地道にゲームの楽しさを普及させていけば、いずれは分かってくれる。いま分かってもらえてないのは僕らゲーマーの努力が足らないからだ。

 僕は拳を固める。

「世界を恨むのはお門違いだよ。ゲームを好かれるようなことをしなくちゃダメだ」

 ふぅ、と彼は肩をすくめた。呆れ顔になって見つめてくる。

「残念さ、君なら理解してくれると思ったのに」

「瑠羽をどうした」

「瑠羽ちゃん? なんのことさ?」

 わざとらしいリアクションをし、それから腹を抱えて笑い出した。なんちゃって、と言ってベロを小さく出す。部下に連れてこいと命じた。

 廃ビルから現れたのは縛られた瑠羽だ。両手両足をビニールヒモで封じられてる。男に突き飛ばされ、涼太君の後ろに転がされた。口にガムテープが貼られててムームー言ってる。

「瑠羽っ! 大丈夫!?」

「おっと、そこまでさ。瑠羽ちゃんはもうオイラの持ちキャラっしょ」

 近づこうとすると周りの仲間まで瑠羽の前に立ちはだかる。

 涼太君がアケコンを掲げた。

「これ、知ってるっしょ。似たようなのを持ってるって報告があったさ」

「FAP……」

「正解さ。いま持ってきてるっしょ、背負ってるの見せて」

 なにもかもお見通しってわけだ。強情になったって暴力をもって奪われる。おとなしくショルダーバッグからFAPを取った。

「ふぅん、色が違うっしょ。性能も違うんかね」

「これは君らが作ったの?」

「そんなわけないさ。解析してみても謎が多い道具っしょ」

 可能性の一つが潰れた。嘘をつく理由はないから本当なんだろう。ますます誰が作ったのかが分からなくなってくる。機械に詳しそうな彼でさえ仕組みが不明ってことは、よっぽどの組織がかかわってるんだろう。

「じゃあ、どこで手に入れたの」

「ここに置いてあったんさ。オイラは楽しめればいいから、誰がなんの目的で作って、なんのためにそうしたかなんてどうでもいいけどさ」

 側面のカバーを外し、涼太君はカプセル状の物をいくつも出した。それが受信装置であることは瑠羽に教えてもらった。だけど個数が明らかに多い、僕らが使ってるのは四つなのに一〇個以上はありそうだ。この差はなにを表してるんだろうか。

「どうするつもり」

「瑠羽ちゃんを使わせてもらうさ」

 そうだ、と目を輝かせる涼太君。

「勇輝君もこっちから誰かキャラ役に選ぶっしょ。対戦しようさ」

 言ってることがめちゃくちゃだ。本当に楽しければなんでもいいらしい。快楽ばかりを追い求める姿は丸っきり子供で、それが脅威でもある。

「分かったよ。選ぶから先に準備してて」

「そうこなくっちゃ。さすがオイラの見込んだトッププレイヤーっしょ」

 無邪気に喜んだ。僕もそれにならって愛想笑いをする。

 彼はしゃがみこみ、瑠羽の頭部に腕を伸ばした。金属のカプセルが付けられようとしてる。全部付けられたら彼女はキャラ役になってしまうんだ。

 そんなのは嫌だ。

 FAPのスイッチを入れ、僕は即座に2・3・6から大パンチを入力する。瞬間、鈍くなにかの引き千切れる音がした。闇の空間が瑠羽を中心に光りだす。

 涼太君が跳び退くと空に向かって光弾が飛んでいった。

 レバーを左右に振れば瑠羽が身もだえをする。またも千切れる音。彼女の近くに切断されたビニールヒモが落ちた。FAPによる能力上昇で拘束を純粋なパワーで断ったんだ。

 自由になった瑠羽へ男らが取り押さえにかかる。そうくると踏んで、僕はバックステップを入れこんでいた。残像ができるほどのスピードに誰もついてこられない。

 こっちに彼女を呼びこみ、口のテープを外してやる。

「待たせたね、もう平気だよ」

 瑠羽は嬉しそうにした。

 天パーを掻き上げる涼太君が溜め息をつく。

「まさか受信装置を付けっぱなしにしてるとは思ってなかったさ」

「一か八かやってみて良かったよ」

 以前、覆面男に襲撃されたときも彼女は受信装置を付けていた。その存在が涼太君にバレてなければFAPを使えるって思ったんだ。狙いが外れたら、為す術はなかった。

 しょうがないさ、と涼太君は隣にいる長髪の大男にカプセルを渡す。

「勝って返してもらうっしょ」

「そうはいかないよ、こうなった僕と瑠羽は最強なんだ」

 操作してみて前よりラグが少なくなってると判明する。彼らと長い時間一緒にいたおかげで瑠羽は黒い衣服の者に少し慣れたんだ。少なくともコイツらが相手ならトラウマが軽減してる。

 涼太君が離れたところに座りこみ、スイッチを入れた。黒いFAPの一点に赤いランプが点灯すると筋肉隆々の大男が両腕を構えた。

「最強、か。普通の格ゲーでも勝てない勇輝君がオイラに勝てるんかね」

「やってみれば分かるよ」

 僕はあぐらをかいて右に連続してレバーを入れる。瑠羽が素早いステップをして敵の群れに突撃していった。大男を除き、みんなが後退する。一対一で勝負するらしい、そんな余裕を見せられるのもいまのうちだ。

 中距離に迫る。ここで大キックの牽制だ。ボタンを素早く叩く。

 大男がゆっくりと歩んできた。回し蹴りは発生しない。もう一度、大キックを押してみても瑠羽は棒立ちだ。なんだ、どうしたんだ。全然ボタンが利かない。

 故障? だとすれば、売店で女子に落とされたあのときだろう。

 敵は近距離に来ていた。このまま戦うのは非常にマズイ。僕は急いでバックステップさせ、間合いをとる。他のボタンチェックをするのが先決だ。

 相手は動作の遅さからしてコンボを連鎖させるようなキャラじゃない。打撃よりも投げを得意としたタイプのようだ。そういう相手に牽制の通常技を使えないのは痛い。うかつに近づいたら投げ技の餌食だ。一発のダメージが致命傷になりかねなかった。

 距離を置き、豪波(ごうは)を放つ。牽制技の代用だ。

 大男は太い腕を固める。そこに二撃目を撃った。またも防御。そのたびに向こうは反動で後退する。歩いてきても、また豪波だ。近づきたければジャンプをしてくるしかない。それが僕にとっての狙いだ、跳んできたら対空技で迎撃できる。

 うかつに跳んでこないのは、さすが涼太君だった。格ゲーを熟知した彼がそうやすやすとダメージをとらせてくれるわけがない。そんなのは僕だって知ってる。

 狙いはもう一つあるんだ。さっきから撃ってる豪波は最後にパンチボタンを押すけど、大中小のどれでも技が発生する。僕は一回ごとに押すボタンをズラしてた。そうすれば、そのボタンがちゃんと利いてるかが攻撃と同時に確かめられる。

 パンチボタンには異常がないようだ。再三の豪波のあと、相手がガードをするのを見てから小キックを入力してみる。瑠羽の下段蹴りがなにもないところへ打たれた。これもOK。

 残るは中キック。しゃがみというフェイントを織り交ぜつつ、大男が近づくのを待つ。涼太君も豪波をしゃがみを経由してから放つコマンドだってのは分かっただろう。彼は自キャラよりも僕のキャラを見てる。本当の格ゲーでも上手い人は相手キャラの動きを見てるものだ。

 中距離をまたぎ、敵が接近する。豪波を撃つ──と見せかけて僕はしゃがみ中キックを入力した。当たったかどうかは関係なくレバーを2・3・6に動かす。最後にパンチボタンだ。

 低い姿勢での蹴りが大男のスネに刺さる。その瞬間、瑠羽にはキャンセルがかかって豪波のモーションに移る。俗に言う“仕込み”だ。中キックに豪波を仕込んだ形である。中キックが当たるかガードされれば豪波が発生する。当たらなかったら豪波は出ないシステム。

 今回は中キックが当たり、ひるむ敵に隙なく豪波を撃ちこめた。相手は二コンボの威力に上体を大きく反らしながら後ろへ下がる。

 故障したのは大キックのみのようだ。これならなんとかいける。

 豪波を食らったからには一般人はもう立ってるのがやっとだろう。ここが勝負どころだ、一気に畳みかけるに限る。よろめく大男へ前ステップで急接近し、小パンチを重ねる。ガードをさせたら即座に投げようと思った。そっから跳んで起き攻めだ。勝ちはすぐそこにある。

「ミルクレープより甘いっしょ、勇輝君」

 涼太君の不吉な言葉に背筋が凍った。

 瑠羽のジャブは防がれていない。拳が打ったのは敵の残影だ。彼女と密着するほど大男が近づいている。そしてガッシリと体を抱えた。通常、発生の早い小パンチなどよりもスピードで勝る技はない。こっちを不利にもっていけるのは技の発生直後に無敵効果のあるものだ。

 大男の投げ技には数フレームの無敵がついてる、そのことを僕は予測できなかった。貞臣先輩が苦戦を強いられたのも納得する。FAP独特の効果に惑わされたんだろう。

 ヤバイ、と思っても捕まった彼女は操作不能だ。次には逆さまにされ、大男が自らの身長を超えるジャンプをした。重力は彼を地面へ引きつける。

 抵抗や受身もできず、瑠羽は頭から激突させられた。着地した大男は倒れ伏す彼女から跳び退く。地面が土で助かった、アスファルトなら一発で終わってた。

 瑠羽がフラつきながらも立つ。僕に見えてる彼女の視界がやや薄暗くなっていた。それほどまでにダメージがあったってことだろう。敵が歩いてくる。近づけちゃダメだ。豪波のコマンドを入力する。瑠羽は放つポーズをし、光の弾を生む。

 しかし目前に標的はいなかった。上だ。豪波が大男の下を通過する代わりに、跳び蹴りが飛来する。こっちは技硬直で動けない。さっきまでは全然跳んでこなかったくせに、ことごとくこっちの動きを読んでる。蹴りは瑠羽の肩に当たり、着地後にパンチが彼女の腹を打った。

 再度ガッシリ抱えられる。目を伏せたくなった。上空に彼は跳び立ち、全体重をかけて落ちてくる。阻止する手段はない。レバーをどう動かそうとボタンを押しまくろうとムダだ。

 地面に落ちれば大ケガ──その現実に絶望する。どうしていままで気づかなかったんだろう、なまじ毎度勝ってたのがいけなかった。格ゲーと異なり、キャラは生身の人間なんだ。攻撃を受けたら痛いし、ダメージだって負う。なんならガードしたって痛みはあるんだ。

 いまさら分かったって遅かった。システム上、彼女を救う方法はない。

 いや、一つだけあった。発想を精査してる猶予はない。僕はFAPを投げだしてダッシュする。落ちてくる彼らの真下に僕はスライディングのように滑りこんだ。

 嗚咽と骨の軋み。腹部にすさまじい重量が押しつけられる。呼吸ができなくなって足掻いた。ギャアともグワァとも表現できない叫びをしたと思う。意識が遠のきかけるのを必死に堪えた。

 ボヤけていた視界が徐々に戻り、夜空が見えてくる。大の字になって倒れていた。腹に乗っかってるのは倒れこんだ瑠羽。声をかけるとかすかに呻いてくれた。

 良かった、命に別状はなさそうだ。ホッとする自分の傍らに足が並ぶ。

「利口なプレイとは言えないっしょ」

「こうしなかったら彼女は死んでたかもしれないんだ」

「キャラはキャラっしょ、使えなくなったら別のキャラを探せばいいさ」

 薄ら笑いを浮かべる涼太君が死神のように映った。

「命があれば強くなってまたリベンジできる。人は使い捨てじゃないんだよ」

「弱キャラなんていらないっしょ。最強キャラを求め、使えない奴はどんどん捨てていく。それが勝つための方程式さ」

「そんなことない、キャラ愛さえあれば無限に強くなれるんだ!」

「いいや、強キャラを探し出したプレイヤーが勝つんさ」

 格ゲープレイヤーとしてのスタイルは僕とだいぶ違いがあった。

 格ゲーにおいて、どっちが正しいとかはない。涼太君みたいなプレイヤーは多い。でもFAPの使用者としては絶対に誤ってると断言できた。

 こっちが動けないのをいいことに彼は僕らのFAPを拾う。

「FAP‐α(アルファ)、か。オイラが持ってんのがβ(ベータ)だから別仕様なんかね」

 レバーを握りこんだ涼太君が眉をしかめた。

「なにさ、これ。目が変になるっしょ」

「瑠羽の視界と意識だよ」

 それを聞いて彼は面食らったようにする。

「精神が連結するんかね。βにはない特徴っしょ」

 どうやら向こうのFAPはプレイヤー役とキャラ役が完全に分離するらしい。普通の格ゲーと同様に操作する感覚なんだろう。ということはキャラ役の意思はシャットダウンされ、プレイヤー役にすべてがゆだねられるんだ。恐いシステムだった。

 αが僕の横に投げられる。

「ハッキリ言って出来損ないっしょ。キャラ役の精神なんて勝負には不要さ」

 黒いFAPを脇に抱えて彼は笑んだ。

「必要なのは、こっち。瑠羽ちゃんはもらっておくよ」

「やめろ、ケガをしてるんだ。もう逃がしてやってよ」

「ダメー。大ヶ崎貞臣よりも強い瑠羽ちゃんしかオイラは興味ないっしょ。瑠羽ちゃんさえいれば、さらなる強キャラゲットの足がかりになるしさ」

 指示により彼女の手足がビニールヒモでくくられていく。

 連れていかれたら二度と会えない気がした。縛らせちゃダメだ。せめて彼女が目を覚ましたら脱出できるようにしておかないとどうにもならない。

 マヒしたみたいな全身にムリを言わせて僕は涼太君へ突進した。彼を人質にすれば、ひとまず帰してもらえるはず。それぐらいのことは僕にだって可能だ。

 そんな当ては外れる。おっと、と呟いた彼はヒラリとかわし、アゴに膝蹴りを打ってきた。脚の力が急に抜けて正座をしてしまう。いま置かれてる自分の状況が飲みこめなかった。

「オイラが弱いって思ったっしょ? 文武両道の教育方針なんさ、オイラの家」

 愕然とした。プレイヤーとしても肉体的にもなにもかも彼は上回ってる。思想は受け入れがたいのに、勝てる戦略が一切ひらめかなかった。

 涼太君はわざわざ僕のFAPを膝の上に乗せてくる。

「勇輝君のプレイはオイラを楽しませてくれるんさ、また新しいキャラ見つけてリベンジするっしょ。君にお似合いのその出来損ないのFAPでさ」

 彼とその仲間がドッと笑った。夜空に楽しげな声が混ざって昇っていく。

 それを止めたのは、広場の中央で起きた爆発だ。砂ぼこりが舞い、辺りが薄モヤに包まれる。みんなの姿は影となり、ほとんど見えなくなった。涼太君らがなにごとかと騒いでる。彼らの意図したもんじゃないらしい。

 なんにしろチャンスだ。僕は這いずるようにし、瑠羽のいる方へ寄る。

 まだ彼女は縛られる途中だ、これなら逃げられる。頬を叩き、起こした。

「おはようなのだ、ご飯食べるのだ」

「そんな呑気にしてらんないよ。立てる?」

 眠そうに目をこすった瑠羽がぎこちなく立つ。転びそうになるのを僕が肩を組んで持ち堪えた。こうして互いに支え合えば、なんとか歩ける。見つからないように路地裏へ歩を向けた。

 モヤがだんだん晴れてくる。あとちょっとで広場から逃げられるのに、無情にも視界は鮮明になっていく。奴らが追いかけてきたら瑠羽だけでも行かせよう。時間稼ぎぐらいはできる。

 振り返ると予想してた光景とは、だいぶかけ離れていた。涼太君たちは僕らには目もくれず、ただ一方を凝視してる。それも強く警戒していた。

 広場の中央にちょっとしたクレーターができている。そこに和服をまとった見知らぬ女が立っていた。仲間ってわけでもないらしい。臀部にまで届く長く綺麗な黒髪が月明かりを艶やかに反射してる。

 その人は鋭利な双眸を爛々とさせ、みんなを見回す。芸術的に整った顔立ちに、僕はつい目を奪われた。紅を引いた唇が妖しく弧を描く。

神谷卯葵子(かみやうきこ)なのだ」

 瑠羽が苦虫を噛み潰したような表情をした。

 接した体を通じて震えが伝わってくる。彼女は奥歯をガチガチと鳴らしだした。

「誰? 知り合い?」

神谷(かみや)総合商社の会長さ」

 涼太君が応えた。

 それは経済に詳しくない僕でも知ってる社名だ。ゲームコントローラ会社JING(ジン)を傘下にしてる。金融や石油、電機にコンピュータやゲームなどありとあらゆる市場に参入し、国内外に会社を大量に持ってる。KAMIYA(カミヤ)は世界屈指の大企業だった。

「最近だとあのコズミックタワーの全設計も政府に委託されてるっしょ。それに──」

 そんな人がどうして、ここに現れたんだ。むしろ、どうやって現れたんだ。それに瑠羽はなぜ彼女を知ってたのか。大企業の会長だからって、こうして恐れおののくのも変だ。

 黒縁メガネを中指で押し上げた涼太君はニヤリとする。

「──オイラの知る限り、最強のキャラさ」




 空を漂流する雲が月を覆い、通りすぎる。月光を全身で浴びた卯葵子さんはそれが自分への賛美であるかのように気持ち良さそうにした。着物ドレスとでも言えばいいか、ミニスカート並の丈で、若々しい脚を惜しげもなくさらしてる。胸元も豊かな谷間が露出されていた。廃ビルに囲まれた場に一輪の花が咲いたかのようだ、着物に描かれている牡丹に似た花柄が彼女にはよく似合ってる。

 卯葵子さんが紅い唇に指を這わせた。

「コズミックタワーかえ。あのようなもの、わらわの計画の礎にすぎんわ」

 夜風に乗って届く透き通った声が耳朶をくすぐる。一言を聞いただけなのに、なぜか心を揺さぶられた。意味もなくついていってしまいたくなる魅力がある。

 涼太君でさえ動揺を隠せず、落ち着かなさそうにしてる。

「神谷さんがゴッズレイヴンになんの用さ、それも一人で。社員にも言えないビジネスの話?」

 卯葵子さんは鼻で笑った。

「わらわは群れるのが嫌いなだけじゃ。会社はほとんど部下に任せておる」

「へぇ、じゃあどういった用件で来たんさ」

「なに、少々経過を見にな」

「経過?」

 訊きながらも涼太君はなにかをしようとしてるようだった。さっきから自分の仲間に目配せしたり、指先を小さく動かしたりしてる。卯葵子さんはそれには感づいてないみたいだ。

 焦げ茶のブーツで卯葵子さんが地面を踏み締める。

「味見というわけじゃ」

 その回答と同時に涼太君が動いた。FAPのスイッチをONにし、大男と他の仲間を彼女へ向かわせる。彼は卯葵子さんを最強のキャラって言ってた。なりふり構わず、捕獲して自分の持ちキャラにしようとしてるんだ。

 どの程度の力がある人なのか分からないが、この人数を相手にするのは最強といえども厳しいだろう。しかも一人はFAP使用だ、生身の者じゃ対応が難しい。

 二つの勢力が接触する──その一瞬、卯葵子さんが片足で地面を叩いた。まばゆいばかりの閃光がほとばしる。ゴッズレイヴンのメンバーは標的に触れもせず宙に投げ出された。

 踏ん張る涼太君が、ひるむなっ、と檄を飛ばした。たった一発で動けるメンバーは半数以下に減らされている。FAP操作により、長髪の大男だけは堂々と歩んだ。

 厳しい顔つきをする瑠羽。

「ムダなのだ、神谷卯葵子は豪泉の達人なのだ」

「瑠羽と同じような力があるってことか」

「私とは比べものにならないのだ」

 その声は震えていた。確かにいまの衝撃波も軽くやったようでいて、とてつもなかった。卯葵子さんが本気を出したらビルが半壊しそうだ。

「なんでそんなにあの人に詳しいの」

「それは──」

 瑠羽の返答を遮り、震動が起きた。

 大男が投げの間合いになり、低い姿勢で前ステップする。その胸部に卯葵子さんの華奢な腕が突き刺さったんだ。

 驚いたことに大男の巨躯が浮く。直後、紫の発光。一拍のあと、彼はダンプカーに轢かれたみたいに飛んだ。涼太君を越え、遥か後方にあったビルにぶち当たる。再起することはなく、FAPのレバーを涼太君がガチャガチャと振ってもピクリともしない。

 残ったのは彼一人。FAPを置き、黒縁メガネを正す。涼太君は自らを昂ぶらせるように絶叫した。ストレートに卯葵子さんへ突っこむ。相手の方はそれをジッと待ち構えるのみだ。

 到達の寸前、彼は斜めに跳んだ。トリッキーな動きにより卯葵子さんの視野から外れただろう。横に構えた涼太君に反応できてない。彼は全体重をかける体勢で拳を放った。

 側頭部を捉えた──そう感じたのは気のせいだ。彼の拳と彼女の間には細やかな指を備えた手が挟まっている。

 卯葵子さんは涼太君の拳を握り締めた。

「期待外れとはこのことかえ。ムダ金を使ったわ」

 悔しげにした涼太君はもう片方の手でパンチを打つ。それさえも軽々と避けられた。そこへ膝蹴りが命中する。上空に舞った彼を追い、卯葵子さんは跳んだ。瞬時に追いつき、華麗に蹴り飛ばす。地面スレスレに滑空した涼太君は派手に落ち、転がり伏せた。

 着地した卯葵子さんが着物の袖を振りながら踊るように身を整える。もはやあの人に立ち向かおうとする者はいない。

 否、正しくは一人のみ闘志を瞳に燃やしてる者がいた。

「あの人が私の仇なのだ」

 卯葵子さんが? ショッキングな告白に声が出なくなる。

 しゃべれなくなったのは背後に気配を感じたせいでもあった。瑠羽とともに後ろを見れば着物の女が立っている。卯葵子さんと同じ柄の衣服と体つきの人だ。

 彼女が瑠羽のベリーショートの髪を優しく撫でる。

「髪は女の命。こんなにしたら髪が可哀想じゃ」

 似た人なんかじゃなく、正真正銘の卯葵子さんだ。ついさっきまでいたところに彼女はいなかった。あそこからここまで数十メートルはあるってのに、いつ背中にまわられたんだ。

 微動だにできなかった。動こうもんなら首を切り捨てられるんじゃないかってほど空気が張り詰めてる。フフと笑った卯葵子さんは胸の谷間からケータイを掴んだ。どこかへ電話し、茶道がどうのこうのと言っている。短い通話をし、ケータイはしまわれた。

 彼女の切れ長の目が瑠羽を見据える。

「万全なときに会おうぞ。わらわを楽しませなさい、可愛い我が子よ」

 絹のような黒髪を揺らめかせ、きびすを返した。彼女は壁に向かって跳び立つ。垂直の壁を何度か跳ね、屋上へと消えていった。

 僕の肩に重みがのしかかる。膝を折った瑠羽が苦しそうに呼吸をしだした。

「まったく動けなかったのだ。倒したい相手が目の前にいたのにっ……」

 額から汗をビッショリかいている。僕みたいに力がない奴よりも瑠羽のように豪泉を扱えたりするぐらい実力ある者の方があの人の計り知れないパワーを感じられるんだろう。瑠羽にはおとぎ話に出てくるバケモノに見えてたんだろうか。

 彼女の肩を優しく抱き締める。

「あの人が仇なのは分かったけど、『我が子』っていうのはどういうこと」

 確かにこの耳で聞いた。卯葵子さんは瑠羽に対してそう言ったんだ。

 瑠羽が伏し目がちになる。

「私の本名は、瑠卯(るう)。ウの字が(はね)じゃなくて卯葵子の卯なのだ」

「血の繋がった娘ってこと……?」

 彼女は首肯する。

「名前の一部でも名乗りたくなくて、いまの名前にしたのだ」

 転校してきた当日、郷田先生に名前の訂正について激怒していた。そんな事情が裏にあったんだ。いくらなんでも名前であんな感情的になるなんておかしいと思った。

 ということは、待てよ。

「お父さんを殺したのはお母さんってことじゃんか」

「そうなのだ。いままで二度挑んで、かすり傷もつけられなかったのだ」

 すごい親子である。殺し殺され、復讐する家族なんて嫌な関係だ。

「それで僕をプレイヤー役にしたんだね」

「勇輝がいれば、きっと──」

 瑠羽がよろけて地に手をつく。苦痛の表情をし、呻き声を上げた。涼太君にやられたダメージの影響だけじゃなさそうだ。心当たりはなくはなかった。

 僕はFAPのデメリットに着目する。

 FAPは通常は出せない力を引き出す道具だ。便利そうでいて、そこに落とし穴がある。格ゲーのようなキャンセルをかけた動きや非現実的な技を可能にするために体に多大な負担をかけるんだ。頑丈な肉体が必須と言える。

 要するに、FAPは使うだけでダメージを負う。彼女は見た目以上にボロボロのはずだ。僕は自分のことばっかり考え、瑠羽がどうなるかは微塵も考えてこなかった。

 なにが最強だ、僕って奴は本当に最低な男だった。

 彼女が苦笑いする。

「──勇輝がいれば倒せるのだ。次にアイツと出くわしたら頼むのだ」

 その望みに返事はできなかった。痛ましい彼女を見つめてると辛くなる。

「もうやめよう。こんなことになるなら、僕はプレイヤー役をやめる」

 瑠羽は呼吸をやめ、悲しそうに見てきた。

「どうしてなのだ。私と勇輝なら最強なのだ、絶対に負けないのだ」

「僕の下手なプレイのせいで瑠羽がケガしたり、体を痛めていくのが嫌なんだよ」

 今日だって涼太君に完敗した。卯葵子さんはもっと強いのに勝てるわけがない。

「戦う以外になにか方法はないかな」

 代替案があればそれに越したことはなかった。だいたい親子で戦い合ってどうするんだ。仲良くとはいかずとも距離を置くなりして忘れればいい。おジイさんも望んでるし、楽しいことに目を向けて生きていく方が有意義だった。

 唇を噛み締めた彼女が瞳に力を宿す。

「いままでありがとうなのだ。勇輝には頼まないのだ」

 僕からFAPを取り上げた彼女はヨタヨタと歩いていく。いまにも転びそうだ。

 追いかければ追いつくのに、そうできなかった。復讐を手伝うって言っておいて早々に投げ出したんだ、そんな奴がどんなふうに接すればいいのか。

 この季節にしては冷たい風が皮膚を凍らせる。彼女に見限られるのは寂しかった。

・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。

・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。

・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。

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