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 最後の階段を使い古した運動靴で踏み締めたとき、僕の頭の中は入道雲よりも真っ白になっていた。壇上から見下ろせば大会会場となるゲームセンターを埋め尽くす人、人、人。大型店舗だっていうのに満杯だ。大半がこっちを見てる。

「国内最大の格闘ゲーム大会『怒号戦戯(どごうせんぎ)』予選! ついに決勝です!」

 実況解説の若い男が張り上げた声により僕の聴覚は復活した。怒涛のごとく流れこんでくるのはギャラリーの歓声だ。さっきから心臓が不規則な鼓動をしている。

 大会で勝ち上がるたびに、いつも思う。なんで僕はこんなところに立ってるんだろう。

「ここまで勝ち上がった選手を改めてご紹介しましょう。まずは当大会で優勝常連の──」

 男を挟んで向こう側にいる青年が慣れた仕草で手を振る。黒縁メガネの中央を中指で押して微笑した。色んな格ゲー大会で活躍する彼にはファンも多い。

 二人の短い会話が遠くに感じる。なにやらユーモアのある返しをしたようで、ドッと会場が沸いた。比例して重圧が増す。ドンッドンッドンッドンッ。耳朶の内で誰かが激しくノックする。それは僕──僕自身が逃げ出そうとする抵抗。

「続きまして、こちらも上位常連である浅海勇輝(あさみゆうき)選手です!」

 岸辺で激しく弾ける波音のような拍手が押し寄せてくる。それが自分の名前だと認知するまでに軽く数秒かかった。男が唇を何度か開閉させてからマイクをズイッと差し出す。いまいち聞き取れなかったけど、意気ごみかなんかを訊いてるんだろう。

 やたらフワフワした気持ちでマイクを握った。その手は季節特有の熱気も加わって汗ばんだ。脚だって生まれたての鹿並に震えてる。生きてるのが嫌だ、存在するのが申し訳ない。

 空っぽの頭じゃろくな言葉が浮かばなかった。あぁ、みんなが待ってる。なにか言わなきゃ、言わないと! 思えば思うほどなんも出ない。見かねたらしい男が、頑張るとか、と小声で伝えてくる。それは自分にとって砂漠のオアシスだった。無様でもすがらずにはいられない。

 カラカラに渇いて貼りついた喉を辛うじて開く。

「が、頑張りま、す」

 たった一言が酷く小さく、酷く震えた。

 まさか言われたままを発するとは思わなかったんだろう。呆れた目つきの彼はマイクを引ったくるようにする。消沈しかけた会場の熱を取り戻す軽快なトークが繰り広げられる。

 もはや僕にはなにも期待されてない。ぞんざいにゲーム筐体の前へ座らされ、見慣れた画面を見つめた。数え切れないほどプレイした格ゲー「アルティメットファイター」──通称・アルファイが新鮮に映る。爆発的なブームを生んだタイトルだ。全国で行われる予選の一位と二位の者が決勝トーナメントへ進める。そう、どっちにしろ進める。でも僕は勝ちたかった。大会で彼を破ったことが一度もないんだ。勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい。その想いが自分の心と体を岩礁のように強張らせる。こんなんじゃ勝てっこないのに、分かってるのに……ダメだ、待って、まだ始めないで。ちょっと水でも飲んで仕切り直したい。

 待っ──

「それでは行ってみましょうっ! 決勝戦、ラウンドファイィィィッ!」

 容赦なく実況解説の男が絶叫のような声を上げる。

 ──関東地区予選、決勝が始まった。

 ピンポン玉程度の丸い球体が付いたゲームレバーを軽く握り、縦横無尽に動かしていく。人の形をした黒いゼリー状のキャラが相手の持ちキャラだ。その攻撃をドット単位でかわし、反撃に転じた。上段と下段に三つずつ並んだボタンをリズミカルに叩く。

 小パンチ、小パンチ、大パンチ、必殺のアッパーカット。

 気づくと僕は馴染みの駅前ゲーセン「シェルパ」にいた。こぢんまりとした店内に無数のギャラリーはいない。大会じゃ繋がらなかったコンボが面白いぐらいに繋がる。簡単なものだ。それが全然できなかった、そりゃ負ける。

 どんなにトレーニングを積んでも、僕はいつだって万年二位以下だ。それじゃ誰も認めてくれない。今日だって優勝者ばかりに人が集中して、僕は取り残された。

 世間どころかゲーマーからも冷たくされてどうしたらいいのか分からなくなる。浅海勇輝から格ゲーを取ったら、なんにもなくなるんだ。てか、あのときあの場で勝てなかった僕には、もうなにも残されてないのかもしれない。

 皮肉にもシェルパでは連勝が続いた。これ以上にないほどキャラが理想の動きをしてくれる。緊張しなければ、こうやって勝てる。でも、大会でできないんじゃどうしようもない。

 KO。

 左上に表示されるWinの数にまた一つ勝ち星が加算された。ジャスト五〇連勝。ますます大会での失態が悔やまれる。僕は強いんだ。誰よりもやりこんでると自負してる。

 それなのに、負けた。その現実に腹の奥で気持ち悪さが渦巻いてくる。歯を噛み締めて暴れ出したくなる衝動をグッと堪えた。自分の部屋にいたらベッドの上で枕を振り回してる。

 先日に切った短めの茶髪を掻きむしった。今日はもう忘れて、次の対戦者を待とう。

 CPUを相手にゲームをスタートさせようとすると店内の照明を遮る影に覆われる。嫌な予感がした。時すでに遅し、険を含んだ力で肩を押さえこまれてイスを立てない。

「お前、どこの学校だよ」

 自分と同じ高校生ぐらいと思われる金髪の青年が眉間にシワを寄せて睨んでる。青みがかった制服は他校生徒を表している。土曜の夜ともなれば、こういう輩が出没するのが普通だった。

 朱良(あかよし)学園だけど、と応えると彼は眉間のシワをますます深くしていく。

「俺んところは修羅学(しゅらがく)の奴ともめたら遊んでやんのがルールなんだよ」

 修羅学──それは一二年以上も前の名残ある呼び方だった。

「僕が通ってんのは修羅学じゃなくて朱良学園だよ」

「同じだボケがっ!」

 いきなり突き跳ばされ、イスもろとも転倒してしまった。尾骨あたりに激痛が走る。どうしてこんな仕打ちを受けないとならないんだ。

 頭のてっぺんに急速に血が昇っていく。

「僕に勝ちたかったら格ゲーでかかってこい!」

 星が散る。鼻を中心にツンとした痛みが滲んだ。青年は拳を握りこんでいる、いきなり殴ってきたんだ。鼻の下に生温かい液体が垂れていく。

 手の甲でそれを拭い、真正面から睨みつけてやった。

「この──」

 ──この野郎よくもやったな、と紡ごうとした口が開かれることはなかった。

 ケンカの腕は立つようだ。こっちが構える隙も与えてくれず全身を好き放題に殴る蹴るされて床に突っ伏した。クーラーで冷やされた温度がひんやりしてて気持ちいい。感情の昂ぶりもみるみる落ち着いていく。

 店員に声をかけられて起きると不良はいなくなっていた。カッとなると考えなしに挑んでしまうのは自分の悪い癖だ。

「大丈夫? 通報しようか?」

「いや、いいです。大したことないんで」

 人の親切を無下にし、格ゲー筐体の前へ座る。店員は苦笑気味に離れていった。高校生にもなって大人に守ってもらうのは気恥ずかしい。頼らなかったのは精一杯の強がりだ。

 痛っ。切れた唇がピリリとした。鉄の味が口内へ不快に広がる。

「世界が格ゲーだったら、僕も惨めにならないのに」

 呟きは周囲のゲーム音に溶けて消えた。硬貨を投入し、ゲームを始める。ケンカでボコボコにされようと手は動く。手が動けばプレイできるのが格ゲーのいいところだ。

 格ゲーをしてる間は、なにもかも忘れられる。

 CPUに向けてコンボを決めてる最中に画面が切り替わった。新たな乱入者だ。決して怖じ気づいたわけじゃないけど、念のため対面側の席を覗きこんでみた。

 そこには同年代と思しき少女がいた。ベリーショートにした黒髪が一瞬、同性に思わせる。力強い眉と瞳が男なんじゃないかと錯覚させたのもある。

 白のTシャツにできた二つの膨らみは異性であることを主張していた。ボーイッシュなだけでよく見ると顔立ちも女のコのそれだ。

 いまでこそプライズゲームや音ゲー、プリントシール機の効果で女のコがゲーセンに通ったりする。しかし格ゲーをやるコはレアだ。

 異性だからって負けてあげるつもりはなかった。ゲームレバーを握りこむ。

 しばしして僕を動揺させたのは相手が女のコだからじゃない。純粋に彼女が強かったのが原因である。心のどこかに残ってた「異性だから本気出さなくてもいいだろう」というヌルさは、開幕に牽制攻撃を差し返されて霧散した。

 ケンカで消えかかった自分の中の火が炎へと変貌していく。乱暴な攻めが通用しないとみるや、僕はジリジリと追い詰める戦法へ切り替えた。

 彼女は間合い取りが非常に上手かった。ヌルい牽制は全部差し返される。いったいどんな目と反射神経をしてるんだ。アルファイという格ゲーは簡単に言うと有利フレームをとれたときに攻め、不利フレームのときに守るのがセオリーだった。ちなみに一フレームは六〇分の一秒だ。そんなフレーム単位で目まぐるしく攻守交代して戦う。それがきっちりしてる彼女は攻守の名手だった。瞬時に有利か不利かを状況に応じて対処してる。

 だけど、それじゃ僕には勝てない。

 画面端で自分の胴着キャラが放ったエネルギー弾がガードされる。不利フレームが発生した。攻めと守りの入れ代わり。相手キャラであるセーラー服の少女が小パンチを打ってくる。

 僕は、その前にレバーとボタンを素早く入力した。

 アッパーカットがセーラー少女を吹き飛ばす。この技には発生後の三フレームに無敵がつく。要するに向こうの小パンチはスカり、僕の攻撃が優先されて命中するんだ。

 仮に彼女が小パンチを打たずにガードしてたら、隙の大きいアッパーカットは格好の餌食になってしまう。だから、いかにも攻めてきそうだっていう場面でしか通用しない。不利なときにあえて勝負に出るのが逆転に繋がる。ていっても、やたらめったらやるんじゃなくて、相手の行動パターンから読みを取り入れて行うんだ。

 こうした不規則な暴れ技の使い方で僕の方が勝っていた。合計で三本やり、なんとか全勝するに至る。高レベルな猛者とやるのと一寸も違わないプレイでだ。

 対戦で、緩んでた気持ちを引き締められる。おかげで大会での無様な敗北の感情を紛らせられた。魂をたぎらせ、ぶつけ合って勝利をもぎとる。これこそ格ゲーの醍醐味だ。

 もうあの女のコは乱入してこないのかな。残念になりながら、対面の席を見ようとする。

 真横に少女が来ていた。ピンクのショートパンツからは健康的な脚が伸びてる。

 小さな手で肩を押さえこまれて体が強張った。小柄な体格に似合わず、手指から伝わってくる力は強い。不良に殴られるに飽き足らず、僕は女のコにまで殴られるのか。

「見つけたのだ、私のプレイヤー」

 少女の顔が迫り、耳にくすぐったい囁きをされる。他になにをするでもなく離れ、背を向けた。出入り口の方へ軽い足取りで歩いていく。僕は茫然とそれを見送るばかりだ。

 私のプレイヤー? なんのことだろう。小学生時代からゲーセン通いしてるけど、こんな体験は初めてだ。あのコの言葉がなにを意味するのか考えれば考えるほどミステリアスに思えてくる。また会えるかな、てことで頭がいっぱいになった。

 今夜はもう格ゲーをする気が起きない。追おうとは考えてなかったが、結果として追う形になってシェルパを出る。人口密度の多くなった駅前の歩道にはもう彼女を見つけられなかった。

 夜とはいえ外は蒸してて、すぐに肌が汗ばんでくる。格ゲーをしてる間は気づかなかったけど、体のあちこちが痛い。さっさと帰ってシャワーでも浴びたい気分だ。

 店横の駐輪場に停めた原付バイクのもとへ向かう。

 人影があった。しかも倒れてる。転んで気絶したか通り魔にでも襲われたか。恐る恐る窺うと、それは見覚えのある青年──さっき僕をしこたま殴った奴だ。

 頬を赤く腫れさせ、意識を失ってる。綺麗に一発、強烈なのを食らったようだ。どんなに嫌な奴だって、このまま見て見ぬフリをするのはちょっと気が引けた。

「おーい、なにがあったの?」

 青年は苦しそうに呻き、薄目を開けた。

「お、女が……あの、おん、な……クソ……」

 告げたきり力をなくし、うわごとのようにブツブツなにかを言ってる。生死に別状はないみたいだし、あとはシェルパの店員に任せよう。

 それにしても女の人にやられたってことなんだろうか。僕が逆立ちしたって勝てそうにない相手に? 普通じゃ考えられない。それこそ格闘技に精通してるぐらいじゃないとね。

 脳裏にあの少女が浮かぶ。

 アルファイ、強かったなぁ。間合い取りに反射神経、隙を突く能力、どれをとっても秀逸だった。リアルのケンカにそれらの技術を持ってこられたとしたらどうだろう。

 なんとなく──本当になんとなく、あの少女が不良を倒したんじゃないかって思えた。もちろん根拠もなんにもない憶測だ。むしろ女のコが倒したって方が不自然である。

 でも僕はあのコがやったと確信に近いものを感じてた。勘というかシックスセンスというか、よく分からないけど格ゲーマーの血がそう告げている。こんな感覚は人生で初めてだ。

 ──それが僕と少女との出会いだった。

・一人でも多くの方に楽しんでもらえればと思います。

・感想や意見、その他もろもろに対する反論や否定などを当方は一切しません。作品を読んで思いついたメッセージを自由に残してください。もちろん、一言でもかまいません。

・完成作品を修正しつつアップしています。更新は数日に1回を目安に考えていますが、遅れることもあるかもしれません。

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