最終話 「聖体拝領」 その15
距離は五〇ヤード(約四五メートル)も離れていないだろう。ファーガスの掠れた声は、しんしんと冷える空気の中、礼拝堂の陰に潜むライヘルトたちにもはっきりと届いていた。しかし、ライヘルトとギイにはファーガスの言葉は分からない。同胞であるイーファだけが、その意味を理解し、端正な顔を歪ませた。
「私に出てこいと言っている。さもなくば父を殺す、と」
ライヘルトから向けられた視線に、イーファは塔を見つめながら答え、拳を握りしめる。今にも駆け出しそうであった。
「仲間がいるなら全員連れてこい! すべてを話してやろう」
ファーガスが顎をしゃくった。すると、背後から手枷をはめられた半裸の中年男が、両脇を抱えられながら現れた。肩幅が広く長身だが、髪はざんばらなうえ髭は伸び放題で、あちこちに鞭打たれたような痕がみえる。泥と垢に汚れきった体は、礼拝堂の陰まで体臭が匂ってきそうだった。囚人は、青母衣の長――シャムロックであった。
「フッサールの策通りにするぞ」
はやる様子のイーファの肩を押さえ、ライヘルトは帝国語で言った。唇をかみしめながらイーファがわずかに頷くと、ライヘルトはギイの左手を取り、その背後に回ってねじり上げた。
「い、痛い! よせ、乱暴をするな!」
あざらし男爵の異名のごとき巨躯のわりにやや短めな手足をバタつかせ、ギイは思わず悲鳴を上げる。ライヘルトは一向にかまわず、ギイの体を盾にするようにして礼拝堂の物陰から姿を現した。
男爵の姿に、ファーガスの瞳は瞬間戸惑いの色を見せた。すぐさま仲間たちの中に視線を走らせる。鋭い双眸が長い楊枝をくわえた男を見つけ、ファーガスの顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。しかし、当のボリスは口の端を上げ、おどける様に肩をすくませただけだった。
「お前こそ父を離せ。さもなくば男爵を殺すぞ!」
威勢の良いイーファの声に、ファーガスは心の中で舌打ちをした。砦にギイがいることをフッサールたちが知れば、シャムロック奪還を計る途中でギイも狙われる可能性はある。少なくとも、自分だったらそう考える。だからこそファーガスは、虫も殺せぬギイ一人を相手に二人の見張りをつけておいた。問題があったとしたら、その片方が指示を守らなかったことだった。
ギイを盾に喧嘩刀を引っ提げたライヘルトとイーファは、二〇ヤード(約一八メートル)ほどの距離をはさんでファーガスたちと相対した。奇しくも共に人質をとり、上手と下手に分かれていた。
「長を解放しろ!」
口火を切ったのは下手側であった。少女の強い眼差しが、囚われた偉丈夫とその傍らに立つ者へ向けられた。父への想いかファーガスへの怒りか、少女の体はかすかに戦慄いていた。
「裏切り者ファーガス!」
かつて青母衣衆と呼ばれた屈強な男たちが手に持つ松明が、シャムロックの傍らに立つ青年の横顔を左右から照らす。揺れる炎を映す瞳が、より一層暗さを増した。上手からイーファを見下ろすその顔は、仮面のように表情を失っていた。
「裏切り者……?」
ひとりごちるように呟いた後、ややあってからファーガスの肩が揺れ出す。笑い出したのだった。
「裏切り者がこの俺を裏切り者と呼ぶのか!? 『北の部族』最強と謳われた戦士ガウェインの弟、このファーガスを!」
呪文のように聞こえる言葉を、ライヘルトとギイは理解できなかった。しかし、そこにイーファへの嘲りが込められているのは、雰囲気から感じた。はたして、イーファの白い顔がみるみる紅潮していくのを、ライヘルトは横目で見た。
「ランツクネヒト! フッサールも聞こえているか!?」
帝国語で叫ぶと、ファーガスは外套の前を跳ね上げ、跪かせたシャムロックの長髪をつかんで引っ張り、その顔を上げさせた。
「よく聞け! 貴様らがシャムロックというこの男の真の名は、ローランド。前レンヌ伯であり今のルマン公アランソンより手ずから騎士叙勲を受けた生粋の北西人騎士よ!」
晴れた冬の夜空に、ファーガスの声は雷鳴のように轟いた。
「こやつは主君アランソンから密命を受け、北西諸侯と敵対関係にあった『北の部族』を内から崩すために送り込まれた密偵だ。そして部族の巫女をたぶらかし、本当なら長となるべきだった我が兄ガウェインを殺した」
シャムロックの髪をつかんだ手を離すと、ファーガスはおもむろにイーファを指さした。
「たぶらかされた女の腹から生まれたのがお前だ、イーファ。お前には我が部族の宿敵である北西人の血が流れている。本当の裏切り者はお前の方だ小娘!」




