最終話 「聖体拝領」 その10
曇天模様の空に立ち上る煙の柱は四つ、冬の風に吹かれてわずかに東へ流れていた。風下に届くのは肉の焦げる匂いと聞きなれぬ言葉の切れ端だった。
周囲に茂る大人の背丈ほどのセイタカアワダチソウの中で身を潜めながら、ライヘルトは傍らのイーファを一瞥した。少女は少年のような顔にある漆黒の瞳で小高い丘を凝視したまま、わずかに眉間にしわを寄せて口を結んでいる。さすがに距離が離れすぎており、言葉は理解できても会話の内容を知ることは出来ぬ様子だった。
「全員いるようだな……」
ごちるようなライヘルトのつぶやきに、イーファは視線を動かさぬまま頷いた。白い頬がわずかに上気して赤みがさしている。草むらの中から獲物を狙う若い豹のように、次の瞬間には駈け出しそうな雰囲気でもあった。
「父……、長は近い未来に行き詰まるであろう部族のために、大陸への進出を画策したのです。ローランドという無名の王国人に一芝居を打たせ、王子に取り入って。それを、あの男ファーガスが……」
きつく結んでいた口元がわずかに開き、絞り出すように少女はつぶやいた。
「仲間も仲間だ。苦楽を共にした長よりも、あんな奴の言葉に乗せられるなんて。裏切り者というなら、とうの昔に土地を捨てて王国貴族の雇われ人になっていた奴のほうが、よっぽど裏切り者じゃないか!」
イーファの主張に耳を傾けながらも、ライヘルトの頭に浮かんでくるのは疑問でしかなかった。イーファの言葉に嘘は無いのだろうが、それが物事の真相をすべて言い当てているとは思えなかったからだ。むしろイーファこそ、真実についてよく分かっていない遠い立場なのではないか? はたから見ても鉄の結束を誇っていた青母衣たちの仲が、いくら同じ血を持つ部族の人間から唆されたといえ、そう簡単に瓦解するとは思えない。
イーファの話によれば、眼前の丘陵にある廃城にはローランド暗殺後に姿を消した『青母衣』たちがいる。数は18人。イーファの父で長でもあるシャムロックを裏切り、ライヘルトの仲間であった公国人ランツクネヒト隊を粛清しようとした者たちであった。彼らを扇動したのはイーファがファーガスと呼ぶ男で、現在は『旅団』の主計参謀であるギイ男爵の側近リシャールと名乗っている。そしてそのリシャールことファーガスは、イーファやシャムロックら『青母衣』たちの同郷者だという。
王国貴族の側近がかつての仲間である『青母衣』を使って用済みとなったランツクネヒト隊を処分しようとした、というのであればライヘルトにとって話の筋は一応通る。イーファは父シャムロックが監禁されている事実を盾に裏切りを否定しているが、もともと彼らも傭兵だ。分の良い方に転んだとしてもおかしくはない。シャムロックの処遇とて単に多数決に負けただけといえなくもない。
しかし、ランツクネヒト隊を率いたフッサールは王国侍従長ミシェイル侯の尽力によって『旅団』に編入された経緯がある。まして停戦交渉のまとまらぬ前に功労者であったランツクネヒトたちを粛清する必要があるだろうか。
策謀家ではないライヘルトにも、『青母衣』たちの行動にはどこか引っかかる部分があった。いや『青母衣』たちというよりも、その背後にいるファーガスに対しての不審がイーファの話を聞いたライヘルトの心の中に芽生えていた。そしてどのみち、それを解決するには直接ファーガスらと対決するより他に道はなかった。
とはいえ、砦に籠っているのは18名もの手練れである。イーファを助けた時、ライヘルトは3人の『青母衣』たちを倒したが、なかば不意打ちも同然であったし、4人目に現れた男――ボリスの気まぐれが無ければライヘルトの命は無かった。万全を期して乗り込んだとて、ライヘルトと同等以上の力量を持つ者が最低でもボリス1人はおり、かつ手負いであろうシャムロックを多勢の中から救い出すのは到底無理な話だった。
「誰か来た!」
イーファの鋭い一声が思案に沈んでいたライヘルトの耳をついた。
丘陵の向こうから人影が見える。騎士が一人、くつわを取る従士と盾持ちの従士を従えて廃城の周りを囲う堀の近くへと近づいていた。騎士は遠目にも巨漢であることが分かった。さすがに遠すぎて顔の判別はつかなかったが、おそらくファーガスの雇い主である王国貴族であろうことは察しがついた。煙が昇りあきらかに何者かが占拠している砦に、騎士とはいえ知らぬ者が近づくはずはないからだ。
「ありゃ、シェルブールの殿様だな。確かギイとかいう……」
不意に背後から聞こえた男の声に、ライヘルトとイーファは飛び上がらんばかりに驚き振り返った。4つの目が向いた先5ヤード(約4・5メートル)ほどの距離に、かがんだまま右手を筒のように握って片目にあてがい丘陵を眺めている長身の男の姿があった。
塵埃にまみれて変色した外套の前を払いのけ、ライヘルトは瞬時に喧嘩刀を抜き放とうとしたが、それよりも速く長身の男は左の掌をライヘルトたちに向け機先を制した。
「待て、敵じゃない」
男は右手を開くと被っていたフードに手をかけ、顔を見せつつ音もなくわずかに後退した。野生動物のような隙の無さであった。ライヘルトの間合いを完全に外すと、男は向けていた左手も静かに下した。艶のある長い黒髪を後ろに撫でつけ馬の尾のように背中に垂らしている。面長で彫りが深く端正な顔立ちであったが、どこか軽薄さを感じさせた。
「俺の名はギョーム。フッサール様の従士だ。お館様の命でお前らを探していた」




