最終話 「聖体拝領」 その5
かつては五、六頭の農耕馬が繋がれていたであろう馬小屋の中で、すきま風に吹かれた焚き火が、ゆらりゆらりと揺れていた。炎の灯りが照らす薄寒い小屋の壁に、おぼろげな人影が四つ、映し出される。影の二つが、忙しなく動いていた。
「ハノーバーより撤退した『旅団』ですが、現在はドルトムントに駐留しています。部隊の一部はケルンまで戻ったそうですが、アラン伯ら主だった者たちはドルトムントに残り、逆にケルンから増援が到着したという話です」
「またハノーバーに戻ったグスタフは、すぐさま娘婿のユルゲンに一隊を預け、急ぎハンブルク救援に向かわせました。自身も雪解けを待って進軍すべく、軍備を整えている様子です」
左の耳朶に青玉の耳飾りをつけた少年と、右の耳朶に紅玉の耳飾りをつけた少年は、瓜二つの顔で、余人に真似できぬ絶妙の間合いを取りながら、交互に主と思しき人物に説明を続けていた。
「司教グレゴリは、グスタフの帰還直前に姿を消したと言われています」
「噂では、ハンブルク領内のギュンター伯と合流したとか」
主の傍らに立つ初老の騎士が、がっしりとした顎にたくわえた、頭髪と同じ色の真っ白な髭を片手で撫でながら、眉間に深いしわを寄せて嘆息をもらした。
「皇帝、二大公家、そして『旅団』、この三つ巴の戦いとなったか……」
低く呻くように発した声には、苦々しげな響きが混じっていた。
「わずかな間にずいぶんと事態は変化しておりますな。しかし今上帝が大公家取り潰しに動くとは、正直このゴットフリーも予想だにしておりませんでした」
逆さにした飼葉桶に腰を下ろし、鷲を模した仮面に明かりを反射させて、彼らの主――フッサールは時折小さく頷きながら無言で従士たちの報告に耳を傾けていたが、ややあってわずかに面を上げ、自らの沈黙を破った。
「ともあれ、今となってはフランクフルトへ向かわなかったことが幸いしたな。これだけ周辺が混迷の度合いを深めれば、ロズルの奴め、ますます鎖国化を進め、領内の監視を強めているだろう」
「それにしても、口惜しゅうございますな」
ブレーメン郊外の決戦以後、ことごとく狂わされる主君の「計画」に対し、その心中を代弁するかのようにゴットフリーはつぶやいた。本来ならば今頃は、『旅団』から払われた莫大な報奨金を元手に、新たな戦への準備を進めているはずであった。そのために、『旅団』に味方し、死線をくぐり抜けてきたのである。「計画」に不可欠な貴重な手勢を失った上に報酬も受け取れず、あまつさえ配下の兵士が雇い主であった将軍を暗殺したかどで身を隠さねばならなくなるとは、敬虔な信者であるゴットフリーとはいえ、これを神の与える試練だと、好意的に考えるほどの余裕はなかった。
「どのみち、冬の間は三陣営とも動くことは出来ぬし、そのつもりも無かろう。我らは、この隙に出来ることをやる」
立ち上がり、青鹿毛の愛馬の顔を撫でつつ、フッサールは静かに言った。従士たちに聞かせるというよりは、己自身を納得させるかのように。事実、口には出したものの、有効で具体的な今後の方針を、フッサール自身が見つけられずにいたのである。
ゴットフリーに言われるまでもなく、ブレーメン決戦以後の事態の急展開には、さすがのフッサールも判断のすべてを正しく行えたという自信は無い。もっとも、それはフッサールだけでなく、現在対立している三大勢力の上層部も同じであろう。お互いに、いくつかの策が思い通りに進み、またいくつかの策が失敗に終わっていた。
しかし、それほどまでに混迷を深め、勢力が拮抗している状態だからこそ、先んずる確かな一手がフッサールには欲しかった。
闇のように暗く深い思案の中に埋もれつつあるフッサールの心を、愛馬の小さな嘶きが現実へと引き戻した。同時に、馬が見つめる闇の中に人影が浮かび上がった。
「たいへん遅くなりました」
隙の無い足取りで、ギョームは馬小屋の入り口から主君の御前へと進み、長身を折って片膝をついた。
「お待たせしまして、申し訳ありません」
詫びを入れつつ、神妙な態度で面を上げたギョームが口を開く寸前、
「あ、酒臭い!」
「ギョーム、若様を待たせて飲んでたんだ!」
冷気と緊張に満ちた場の空気を、双子の声が破った。
「うるせえ、小僧ども。俺には俺のやり方があるんだよ」
短く舌打ちし、大げさに鼻元を手で覆って彼を茶化すように非難する双子の少年たちを、ギョームは睨みつけた。
「お前たち、お館様の前で……」
若い従士たちの不遜な態度を目の当たりにし、ゴットフリーのまなじりがつり上がる。怒りの雷が小屋の中に落ちる寸前、フッサールは片手を上げてそれを制した。老騎士が不満げながらも押し黙ると、仮面の奥の瞳がギョームと双子たちに向けられる。一同の背筋が一瞬で伸び、場を再び緊迫した空気が支配した。
ギョームはうなずき、改まるように小さく咳ばらいをすると、
「消えた青母衣たちですが、どうやらこの辺りに潜伏しているようです」
その一言に、仮面の主君フッサールの口元が、わずかにほころんだ。




