最終話 「聖体拝領」 その4
皇帝直轄領であるミュンスターは、ケルンとハノーバーを繋ぐ大きな街道からは外れた都市であったが、ドルトムントからブレーメンへ至る道が通っており、人の交流はそれなりに盛んである。また、先の戦いにおいても、『旅団』の進軍経路からは外れていたこともあり、大した戦禍も受けず、比較的安定した土地であった。
安酒場を出て、鼻唄交じりに人気のない夜道を、ギョームは歩いていた。人気も火の気も無い閑散とした農道は、街中よりもひときわ冷気を強く感じさせる。自然と、長い脚の歩みも速くなっていた。
その足取りが急に止まったのは、ミュンスターの市壁が完全に見えなくなるほどの距離に来た時だった。
前方の闇の中、自分の目線と同じくらいの高さに、白い湯気のようなものがゆらめいているのを、ギョームは目ざとく見つけた。距離にして二〇ヤード(約一八メートル)ほど。射手として、人一倍優れた視力がそれを可能にし、同時に歴戦の戦士としての勘が、警告を発した。
しかし、ギョームはすぐに緊張を解くと、口元をわずかに歪ませ、小さく笑った。そして、何事もなかったかのように、再び鼻唄交じりに歩き出した。こころなしか、さきほどよりも楽しげに。
はたして、歩を進めたギョームの前に、闇の中から人影が二つ、徐々に浮かび上がり、彼の行く手を遮った。
「よお、色男。ご機嫌だな」
投げかけられた帝国語は、気安い言葉であったが、決して親しげではなかった。
「あんた、ずいぶん景気が良さそうだな。安い林檎酒じゃなくて、葡萄酒を毎日飲めるんだしよ」
夜陰に紛れてギョームの行く手に立ち塞がったのは、地元の人間らしき若者たちであった。小奇麗な身なりだが、一人は腰の革帯に悪趣味な意匠の短剣を差し、もう一人は手首くらいの太さがある一フィート半(約四五センチ)ほどの割り木を手にしていた。二人とも年の頃は二〇歳前、ギョームに声をかけてきた方はまだ鼻にそばかすが残る幼い顔をしていたが、しかしそこには幼さとは相反する邪な笑いが浮かんでいた。
「そんなに懐が温かいなら、俺らにも分けてくれねえか? やりもしない給仕女に小遣いあげるほどなら、よっぽど余っているんだろ」
徐々に近づいてくる二人の若者たちを無言で見据えながら、ギョームは小さく頭を振り、軽いため息をついた。待ち伏せしていた相手が、街の不良――おそらくは金持ちの放蕩息子であったことに対する失望からであった。
帝都に屯している無産階級者と同様に、都市の行政を司る市参事会員や有力商人の子息、それも次男や三男といった連中の起こすいざこざは、各都市で常に問題に上がっていた。彼らは仕事と家を継ぐ長子ほど責任感が無く、また大した仕事は与えられずやる気もないが、金だけは不自由なく使えるという贅沢な立場にあり、金と暇に任せて徒党を組み、治安や風俗を乱す厄介者でもあった。
大公や諸侯の領地では、領主の私兵たちによってある程度安定した警察力が機能しているため、彼らのような無頼の輩は少ないし、大手を振ってはいない。だが、皇帝直轄領では帝都から派遣された代官もわずかな手勢を率いている程度の存在で、実質都市の財源と治安を握っている有力者たちに繋がる若者たちを、厳しく取り締まれる者はいなかった。
「恐ろしくて声も出せねえか?」
「痛い目みる前にさっさと出しな!」
それまでむっつりと押し黙っていたもう一人が、威嚇するように割り木を振り上げた。
ギョームは巨躯を縮めるように腰を折り、祈るように胸元に両手を寄せた。
その様が命乞いに見えたのか、割り木を振り上げた若者が嘲笑いを浮かべながら半歩踏み出した刹那、その顔の前にギョームの左拳がまっすぐ伸びた。それが軽く鼻先を触った次の瞬間、渾身の力を込めた右拳が若者の顔面に叩き込められた。
鼻骨の折れる鈍い音が夜の静寂に鳴った。一拍後、いったん前に傾いだ首が後ろに折れ、若者は振り上げた割り木を取り落し、鼻から血を噴き出しながら仰向けに倒れた。したたかに後頭部と背中を地面に打ちつけると、短い呻き声を発した後、ぴくりとも動かなくなった。
全く隙の無い動きで、ギョームは腕を胸元に構えたまま、もう一人に向き直った。
「おい、お前はどうする?」
呆けたように口を半開きにして立ち尽くしていた若者は、ギョームの問いかけを受け、せわしなく倒れた仲間と半笑いを浮かべた長身の男の顔を交互に見やった。
「痛い目みる前にさっさと出すか?」
逃げ去る、と思った若者は、ギョームの経験則に反して、後ずさりながら、おぼつかない手つきで腰に差した短剣を抜いた。悪趣味な意匠の鞘に納められていた短剣ではあったが、その刃はよく磨かれており、わずかな月明かりに反射して、鈍い光沢を放っていた。
「怪我する前にしまって、消えろ。悪いことは言わないから」
抜いてはみたものの、腕だけで短剣を突き出している相手の構えに力量を察し、ギョームは諭すように言った。情けからというよりは、不良の輩とはいえ、土地の者相手にあまり派手な行動をこれ以上とりたくはないというのが本音だった。
しかし、ギョームの親切心は自身に対して逆に働き、若者はこめかみに怒りの筋を立てながら抜き身を振り回した。
短い舌打ちと同時に、ギョームは長い腕をだらりと下げながら上半身を後ろに倒して短剣の刃を躱すと、体勢を戻す勢いのまま右の拳を突き出す。若者は反応したのか偶然なのか、その一撃を寸前で躱し、再び刃をギョームに向けようとしたが、躱された右の拳を引き付けるのとほぼ同時に、ギョームの左拳は若者の死角から弧を描くように飛来し、その顎先を打ち抜いた。目の焦点が飛び、短剣を握ったまま若者の体は崩れ落ちる。意識を失った若者を見下ろし、ギョームは構えを解いて嘆息をもらした。
「大人の言うことは聞いておくもんだ。勉強になったか?」




