第4話 「讃美の生贄」 その15
焚き火の明かり越しに、それまで無表情だった若者の目に強い怒気が宿るのを、イーファは見て取った。その怒りは彼女を通し、その血脈、その仲間たちへ向けられていることも、聞かされた話の内容から容易に想像できた。
「あの日、ローランドはあの場所にはいなかった。いたのは、お前たち青母衣衆だけだ」
噛みしめるように、押し殺した声でライヘルトは苦い記憶を反芻した。
「水車小屋と、湖の中に、弩を構えて潜んでいたお前たちが! ウルリックを、クローターを、俺の、仲間たちを……」
柄に置いた左手が、無意識のうちに強く握りしめられ、喧嘩刀が鞘ごと小刻みに震えた。怒りの爆発を、かろうじて抑え込んでいる様子だった。
少しでも下手に動けば斬られる。本能がイーファにそう告げていた。しかし、このまま沈黙を続けても、状況は何一つ好転しない。それに、彼女にも眼前のランツクネヒトに対し、聞きたいこと、言いたいことが山ほどあった。
「私は……」
緊張で固まった顔の筋肉を何とか動かし、慎重に言葉を選びながら、かつ毅然としてイーファは口を開いた。
「私はあなた方を闇討ちになどしていません。そのような卑怯な真似、我が父が、長が命じるわけがありません」
金属のこすれる音が、夜の静寂の中で響いた。喧嘩刀を抜き放ち、ライヘルトは仁王立ちとなってイーファを見下ろした。一言も発しなかったが、全身から放たれる強烈な殺気が、焚き火の炎を大きく揺らめかせた。
圧力にイーファはすくみ上りそうになりながらも、彼女は居住まいを正してライヘルトの双眸を見つめ返した。
「私の名はイーファ。あなた方が青母衣と呼ぶローランド殿の配下であり、『北の部族』の長シャムロックの子です。部族の誇りと先祖の血にかけて、私は偽りは言わない」
静かに、明確な発音の帝国語で、イーファは告げた。言葉に嘘が無いことは、誰よりも自分自身が知っている。しかし、目の前の若いランツクネヒトにそれを信じさせる確証がないことも事実であった。
「だが、青母衣は俺たち公国人を密殺しようとした。生き延びた、この俺自身が何よりの証拠だ」
全身に激しい怒気を帯びながらもライヘルトの声は氷のように冷たく、石の壁に投げつけた球のように、イーファの訴えは跳ね返された。
「ですが、公国人が襲撃された事件のことは、今はじめて知ったのです。私は常に長と共にいた。私が知らぬことは、長も知らな……」
言いかけて、イーファは何かを思い出したように一瞬言葉を切った。
「確かに、フッサール殿と長との間で何かの話があったようだが……」
「ふん、用済みになった公国人を始末する算段か?」
嘲るように、ライヘルトはイーファの話を遮った。少女の話など、毛ほども信用していないという態度であった。
「いくら積まれた、あの裏切り者に!」
「侮辱するな! 我らは金でなど動かぬ」
突如として、イーファは立ち上がり、声を荒げた。切れ長の瞳でライヘルトを睨みつけ、丸腰にも関わらず今にも飛び掛からんばかりの勢いであった。交渉ごとにおいて、激昂する相手に対し乱暴にやり返すのは下策中の下策である。だが、若いイーファには、追い詰められた状態であったにも関わらず、ライヘルトの誹り言を冷静に受け流すことは出来なかった。
「母の魂に誓って、私は裏切ってなどいない」
目に涙を浮かべつつ、イーファの右手は膨らみかけの胸の中央を強く握りしめた。ゆるく開いた胸元から、独特な形状をした十字架の上部が見えた。
「取り消せ! 我らへの侮辱を撤回しろ!」
売り言葉に買い言葉、火に油を注ぐがごとしイーファの言動であったがしかし、それがかえってライヘルトに落ち着きを取り戻させた。少女の剣幕からして、嘘を言っているようには見えない。それに、イーファは仲間であるはずの青母衣たちに追われていたのだ。長の娘が、何故――。
「俺たち公国人を待ち伏せたのは、確かに青母衣たちだ」
ライヘルトは繰り返したが、その声には先ほどまでの荒々しさが消えていた。冷静になった脳裏に、いくつもの疑問が湧き上がってきた。
「シャムロックが関わっていないのなら、一体誰が」
怒気の柔らんだ茶色の瞳を向けられ、イーファは涙が伝った顔を恥ずかしげに伏せ、頬を拭った。少年とも少女とも見える中性的な面を、焚き火の明かりがゆらゆらと照らす。その炎を黒い瞳でじっと見つめたまま、イーファは噛み殺すようにつぶやいた。
「長を裏切り、仲間たちを唆した者がいるのです」
胸元の円環十字架が、再び強く握りしめられた。
「その男の名は、ファーガス」




