第4話 「讃美の生贄」 その11
潮の香りを含んだ強い風が、火の粉を荒々しく夜空に舞い上げる。赤々と燃え上がる炎の柱を、少女は傍らに立つ中年の偉丈夫と共に無言で見つめていた。頬を伝う涙は煙のせいではなく、心のうちから自然と溢れてきた、感情の塊であった。
「炎と共に、魂は天へ昇る」
豊かな髭をたくわえた偉丈夫の口元がわずかに動き、夜の黙に低く重い声が響いた。
「父上……」
「悲しむな、イーファ。いずれ我らも皆、天に還るのだ」
煙と炎となって天に還った母の遺品――円環十字架を握りしめ、イーファは涙をぬぐった。母譲りの白い肌を炎の明かりが紅色に染める。切れ長の瞳には、強い意志の光が見えた。
「行くか……」
おもむろに身をひるがえした父娘の前に、いつの間にか数十人の人影が集まっていた。それぞれ面に青い顔料を塗り、熊や狼、猪や鹿といった獣の毛皮を羽織って腰に鉈のような直刀を佩いている。いくつもの青い顔の中の双眸が、一斉に父娘に注がれた。
「行くか」
一同を見渡して短くうなずくと、偉丈夫は再び繰り返した。
「我らの『王国』を取り戻しに……」
イーファは誓いを、そして母を忘れぬため、一度だけ振り返り、燃え上がる炎の光景を目に焼きつけるようにじっと見つめ、ゆっくりと瞼を閉じた。母の魂に、部族の悲願を、かつての国土を取り戻すことを誓った。いかなる犠牲を払ってでも、と。
「母上……」
切れ長の双眸が再び開いた時、漆黒の瞳に映ったのは霞んだ星空だった。言葉にならないつぶやきを発した後、イーファは自分が仰向けに寝ていることに気づき、跳ねるように上体を起こした。
後頭部に鈍い痛みがはしり、イーファは端正な顔をしかめ、右手を首筋に当てた。同時に、頭の中にかかっていた靄が晴れ、思考が瞬時に駆け巡った。
ここは? 自分はどうなったのだ?
首をひねった瞬間、イーファの動きは固まった。イーファからして左側、ほんの一ヤード(約九〇センチ)すこし離れた場所に、小さな焚き火を挟んで人影があったからだ。全身が緊張し、瞬時に噴き出た汗がこわばったイーファの頬を滑り落ちた。
「気がついたか」
張りつめた空気を破ったのは、人影の方だった。薄暗闇の中に浮かび上がったそれは、つばの広い革帽子をかぶり、片膝を立てて座っていた。よく見るとイーファよりやや年長の若い男のようだったが、その表情は仮面のように生気がなく、虚無的な目をしていた。
「俺の言葉は分かるな」
抑揚のない声が、やや訛りのある帝国語でイーファに向けられた。彼女が地元の人間ではないことを、革帽子の男は見抜いている。追っ手からイーファを救ってくれたように思えるが、その真意は分からない。何者なのか、そして何が目的なのか――。緊張の糸を張りつめたまま、イーファは頭の中で慎重に答えを探しつつ、小さくうなずいた。
「ええ、分かります……」
呼応するように、焚き火のゆらめきに照らされた男の横顔が動く。顔の正面を向けた男の左手が、S字型の鍔をした剣の柄頭に置かれているのが見え、イーファは小さく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと吐き出しながら沈黙を保ち、イーファは男の質問をうながした。
「聞きたいことは一つだけだ。ローランドとお前たち青母衣衆は、なぜ俺たちランツクネヒトを裏切った?」




