第4話 「賛美の生贄」 その8
ハノーバーを放棄し、皇帝と大公を戦わせる――。
ライオネルは呆気にとられ、しばし白痴のように口を開いてギイの丸顔を見つめた。戦時下の緊迫感に耐えかね、ついにギイは正気を失ったのかと一瞬思ったほどであった。しかし、金勘定しか取り柄のないと思われていた男の口から作戦の詳細が語られると、いつしかライオネルは身を乗り出して真剣に話に聞き入っていた。
王都出身で元商人という身分から、保守的な北西人貴族の間ではよそ者として軽視されているギイであるが、基本的に温厚で失政も無かったので、統治するシェルブールの領民からは人気があった。またシェルブールは港町なので、同じ港湾都市でもあるハンブルクとの間には商船による交易があり、懇意にしている海上商人たちから最新の情報を入手することが出来たのである。
その情報によると、ハンブルク領の内陸部ではブレーメン郊外の決戦以後、街道荒らしが多発して陸路による隊商や人の移動が停滞しているのだが、それがどうやらギュンターの率いてきた傭兵部隊によるものだと判明したらしい。
当然、戦死した大公アーバインの後を継いだ長子エグロンは、ギュンターに対して直ちに兵をハンブルク領内から撤退させるよう申し入れたのだが、ギュンターはそれを無視したという。さらに帝都の北にあるバルト港には軍船が招集されており、つい先だって帝都にミュンヘン大公フリードリヒが皇帝カール五世の招集に応じて兵を率いて入城したとの情報もあった。
内陸の都市であるハノーバーを攻めるのに、わざわざ海上から兵を輸送する必要は無い。距離的に帝都からハノーバーは陸路の方が遥かに近いからだ。
だとすれば、北方の港に集められた軍船は何を意味するのか。皇帝より「援軍」の兵を預けられたギュンターがハンブルク領内を荒らす理由は。
ギイの口から結論を聞く前に、ライオネルの頭はすでに一つの答えを導き出していた。
「皇帝カール五世は国内の混乱に乗じ、自分の意に沿わぬハンブルク大公領を取り潰そうとしている」
なるほど、そう考えればブレーメン郊外の決戦で、ギュンターがハンブルク軍を助けずに撤退したのも合点がいった。あの時、確かに総大将アーバインが討たれ主力の『巨人兵団』も壊滅していたが、それでもまだハンブルクの軍勢は二〇〇〇人近く残っていた。それら敗残兵をまとめ、再編成してすぐさま反撃に転じれば、帝国側は勝利を奪い返すことが出来たはずである。
またグレゴリは交渉の席でしきりにギュンターの存在を強調して『旅団』陣営を牽制しているが、圧力をかけるのならハンブルク郊外ではなく、ハノーバーの近くに部隊を駐留させるべきではないか。そうすれば落ち延びているハノーバー大公グスタフの残党とも連絡が取りやすいし、共同戦線を張って都市を包囲することも出来る。グレゴリがわずかな従者と共に占領されたハノーバーに乗り込んでくる必要など無かったはずだ。
つまりギュンターに預けられた皇帝軍とは、『旅団』討伐のために用意されたものではなく、ハンブルク侵略の先遣部隊だったのだ。
「我ら『旅団』がハノーバーを占領し続ければ、かえってカール帝はハンブルク攻略に専念できるわけか……」
呻くようにライオネルは呟いた。戦傷の刻まれた精悍な顔に、いつの間にかじっとりとした汗が浮かんでいた。
「然り、然り」
緊張した面持ちのライオネルに対し、ギイは笑みを浮かべながら満足したように何度も頷いた。態度に若干の余裕があらわれたのは、ライオネルを納得させたと確信したからだった。
「しかし、それだけで終わりますまい。五大公の領地の中で、このハノーバー領は他と比べて小さいながらも帝国領土のほぼ中心に位置し、東西南北の街道が交わる要衝でござる。ハンブルクを制すれば、次なる矛先は当然……」
ライオネルは無言で頷いた。その先は聞くまでもない。だからこそ一刻も早くハノーバーをグスタフに返すべきだとギイは提案したのだ。
「しかし、大公が戻ったとして、皇帝と対決するではなく恭順してしまったらいかがする? 戦力の差を考えればありえなくはない。両者が手を組めば再び万を超える軍勢を相手に戦わねばならぬ」
優秀な武将だけに作戦の短所にも気づいたライオネルが片方の眉を上げて疑問を口にしたが、すっかり落ち着き払った様子のギイは、太鼓腹をさすりながら鷹揚に答えた。
「ライオネル卿、お忘れか? ハノーバーとハンブルクは五大公の中で古くからの遠戚関係ですぞ。しかも現在アーバインの遺児エグロンはグスタフの娘を妻にしておる。まず簡単に降伏することはないでしょう。仮に早々とグスタフが皇帝に屈し、連合を組んで進撃してきたとしても、我らがケルンまで退いて陣を敷き直して万全の構えを見せれば、計算高いグレゴリあたりは損得を考え、適度なところで今度こそ本当に手打ちを皇帝に進言するとは思われませんかな」
多少ご都合主義な部分もあるが、それを補って余るほどの説得力もあった。確かにケルンまで後退すれば、補給も容易になる上に王国都市ランスからも近くなる。援軍を得て戦力を立て直せば、帝国の軍勢が万を超えようとも十分に対抗出来るはずである。
しばしの考慮の後、ライオネルはギイの作戦に乗ってみる覚悟を決めた。しかし、同時にまた別な問題にも気がついた。
経理係のギイの話を、『旅団』の実質的な指揮官であるアランやバリアンたちがまともに聞くだろうか。ギイの親戚であるアランはともかく、戦場に出たことの無い人間を心底蔑むバリアンなどは端から相手にしないはず。さてどう切り出すべきか。
すると、また一段とギイは声を潜めて、
「そこでものは相談でござるが、この秘策、カイン=ローレル伯から届いた助言として貴公の口から軍議にかけていただけぬかな。儂のような者が進言したところで、諸将には一笑にふされるでしょうからな」
こちらの胸中を見透かしたかのような言葉にライオネルは瞬間返答に詰まった。が、その動揺を決して顔にも態度にも出さず、熟慮のそぶりを見せた後、了解の旨を伝えた。心に警戒の鎧を着せると同時に。
「爵位を金で買ったなどと揶揄されているが、なかなかどうして。金の計算だけはなく、権謀術数にも長けているではないか。さすがは北西貴族の一員ということか」
ライオネルの了承を取り付けて気を良くしたのか、秘蔵の酒を手ずから切子硝子の酒杯に注いで勧めるギイの姿を見やり、カイン=ローレルの重臣は心の中で呟いた。
「善は急げ、時は金なりと古より格言にありますからな。グスタフはハメルンの城塞に兵を集めて篭っているとのこと。一刻も早く使者を出さねばなりますまい」
興奮気味に放ったギイの言葉に、ライオネルは口元に運んだ酒杯の手を止めた。双眸が、獲物を狙う鷹の目のように鋭くなった。
「ギイ卿、グスタフ大公の所在、どこで知り得たのでござるか?」
ハノーバー陥落の際に逃げ失せた大公グスタフの行方は未だ不明であったはず。近習と共に領内のいずこかに潜んでいると考え『旅団』陣営は兵を出して捜索はしていたが、場所をはっきりと特定したのはギイが初めてだった。まさか内通していたのではないか……。
「い、いや何、儂の部下には主に似ず大変優秀な者がおりましてな。まあだからこそ己の足りぬ部分を補うために手元に置いておるのですが」
ライオネルの指摘に、ギイはあからさまの狼狽を見せた。
「隠しておったわけではないのでござる。ただ、話す機会を逸していただけで……」
先程とは打って変わって落ち着きをなくしたギイを、ライオネルは冷ややかな目で見据えていた。
しかし、すぐに取り越し苦労だとライオネルは自分に言い聞かせた。どう考えてもギイが帝国側と内通する理由は見当たらない。『旅団』の不利は彼の不利益でもあるはずだ。恐らく、何かと突っかかる天敵バリアンの存在がギイの口を塞いでいた原因なのだろうと、自身の記憶の中からライオネルは推察した。伝統を誇る貴族の社会とは、言いたいことも自由に言えぬ窮屈な世界なのだと若干の同情を覚えながら。




