第4話 「讃美の生贄」 その4
「ハノーバーの和議」
後の世に決着のつかない話し合いを指す例えの由来となった停戦会議は、勅使グレゴリのハノーバー到着より一ヶ月を過ぎても、遅々として進まなかった。
ケルン大公の身柄を押さえ、ハノーバーを占領し、ハンブルク大公を敗死させた実績から、『旅団』の総司令官アランは強硬な姿勢で帝国側へ多額の賠償金を要求したが、勅使グレゴリはのらりくらりと要求をはぐらかしつつ時折ハンブルク郊外に駐留中の皇帝軍の影をちらつかせ、『旅団』の帝国領内からの全面撤退を主張した。両者は譲歩の構えを一向に見せず、堂々巡りのままいたずらに時間が費やされた。
アランを始めとする『旅団』の幕僚たちにとって、皇帝側の強硬な姿勢は予期せぬものだった。
そもそも『旅団』が侵攻し占領しているのは大公領であり、広い意味では帝国領だが、厳密には帝国皇帝の土地ではない。表向き五大公は皇帝の臣下ではあるが、実際は独立した君主という面が強く、特にケルン公ザンダーやハンブルク公アーバインは、年若い皇帝カール五世をあからさまに軽んじていたのは有名な話で、『旅団』討伐の勅命も、出兵を渋る皇帝をアーバインが恫喝して発令させたとまで噂されたほどである。
敵ではないものの厄介な存在ではある大公たちのため、カール五世が政治顧問であるグレゴリを派遣してまで『旅団』と張り合うとは、死んだローランドでさえ予想していなかった。
生前、ローランドがシャルル王子や幕僚たちに語った計画としては、ケルン、ハノーバーあたりまでを占領した後、大公を通り越してカール五世と直接交渉の場を設け、大公領の分割統治を持ちかけるつもりだった。皇室財政の立て直しと中央集権化を図りたいカール五世にとって悪い条件ではないと、事前に収集した情報を分析したローランドは強く言い切った。
広大な帝国は皇帝と五大公という六つの勢力によって成り立っているが、それらをまとめあげる皇室の力が武帝カール四世の死後低下し続けていることは王国貴族たちも知るところであり、ローランドの計画は万全であるように思えた。少なくとも、ハノーバーを占領しハンブルク大公の軍勢を撃退するまでは。
しかし今、そのローランドは亡く、与しやすいとみたカール五世は予想外の態度を示し、『旅団』側にとって状況は混乱を極めつつあった。
宮殿の中庭に据えられた噴水と木立ちを見下ろす書斎の間にて、青年は純金製の小さな酒杯をじっと見つめながら微かに手首を動かした。酒杯を満たす琥珀色の貴腐葡萄酒から濃厚な甘い香りが漂う。神経質そうな鋭い目つきが一瞬ゆるみ、端正な白い顔に恍惚の色がさす。中身をひと口に煽ると、帝国皇帝カール五世は満足そうに小さく頷いた。
「やはりトカイの産が一番だな」
独り言のように呟きながら、カール五世は傍らに控えていた侍従の盆に酒杯を置いた。正面よりやや斜めの位置に、正装をして直立不動の姿勢で控えている中年の貴族が一人。しかし若き皇帝はそちらに視線を向けようともせず、椅子の背に体を預けると、軽く上げた片手を振った。
侍従が深々と頭を下げ、静かに足音を立てず隣室へと向かう。カール五世は片肘を椅子の肘掛に立て、軽く握った拳の上に顎を乗せると足を組んだ。
「で?」
侍従が一礼して次の間に消え去るのを確認し、直立不動の男――帝国宰相エメリッヒは厳かに口を開いた。
「万事、予定通りに進んでおりまする」




