第4話 「讃美の生贄」 その3
カーン伯領のさらに北、海峡に突き出た半島の最北端に位置する都市シェルブールは、古来より港町として栄えた。そこを治める現領主ギイ男爵は、アランの父アランソンの末弟ルイの娘メアリーを妻に持つが、生まれは生粋の貴族ではなく、父親はニシン相場で大儲けして爵位を金で買った王都出身の豪商であった。
北西部は伝統的に閉鎖的な土地柄で、そこに住む人々は昔から武骨な気風を好む。それ故に商家の出身で武芸はからきし駄目なギイは、鈍重な体型もあって「海豹男爵」などと北西人貴族たちからは揶揄されていた。しかし、商人の子らしく思考が柔軟で領地経営と数学に秀で、保守的な土地柄の中で身分や国籍を問わず積極的に人材を登用し、小都市シェルブールの金庫をかつてないほど潤わせた手腕を持つ。その実績と、ローランドを副司令に登用した侍従長ミシェイルの強引な人事に反発したアランが、当てつけに他の幕僚を自分に近い者たちで固めようとしたことから白羽の矢が立ち、『旅団』の兵站および会計の責任者として抜擢された。
幕僚とはいえ肩書きは主計参謀――つまり会計係であり、自前の鎧は一式揃えているものの戦場に立った事は一度もなく、過去の軍議の席でも黙って広げた帳面に筆を走らせているだけの人物だったが、何故かこの時は妙に落ち着きがなく、発言のきっかけを求めているようにライオネルには見えた。
「ギイ卿、いかが致した?」
ライオネルと同じくギイの不自然な動きに気づいたアランが声をかけた。
「何やら先ほどから心ここにあらず、といった様子だが……」
「海豹殿は久しく海を見ていないので、そろそろ故郷が恋しくなったと違うか?」
ギイが答えるより早く、バリアンが横槍を入れた。武闘派のバリアンにとって、ギイは金勘定しか能のない人物でしかなく、階位が上という立場もあって何かと突っかかった。
「いや、特には」
体同様に丸々とした顔に愛想笑いを浮かべ、ギイは首を横に振ると、居住まいを正してしかつめらしく帳簿に目を落とした。
「しかしまあ、兵站の被害も少なくありませんなあ」
「それは十二分に存じておる。欲しいのは報告ではなく対策法だ」
やや間延びした声に、アランがため息混じりに答え、居合わせた幕僚たちの間で苦笑が漏れた。その苦笑がきっかけとなって張り詰めた空気が緩み、幕僚会議は一旦解散となった。
眉間にしわを寄せたまま退室するアラン、脱ぎ捨てた武具を従者に拾わせながら大股に歩き去るバリアンらに続き、帳簿を大事そうに胸に抱えてせかせかと部屋を出ていくギイの姿を、ライオネルだけがずっと目で追い続けていた。
ギイ卿は何かを隠している――。ライオネルはカイン=ローレル伯の名代であり、北西貴族たちで編成された『旅団』の幕僚部の中では数少ない外様だ。だからこそ先入観なくものが見えた。先ほども、バリアンの侮蔑を含んだ一言のせいで、ギイは口に鍵をかけてしまったようにライオネルには見えた。
「このような時だからこそ、皆が協力せねばならぬというのに……」
人気の消えた室内を見渡し、ライオネルは独りごちた。勇猛な騎士であったが、うす暗い回廊に漂う闇の深さに、得体の知れぬ不安を感じていた。
「ふん、儂が海豹なら、図体がでかくて戦うことしか能のない貴様は羆ではないか」
吐き捨てるように呟くと、ギイは不意に足を止めて後ろを振り返った。明かりの灯った回廊には、寒々とした空気だけが漂っており、彼の他に人影はない。安心したように一息つくと、帳簿を抱え直し再び歩を進めた。自然と頬が緩んだ。
「例の事件の黒幕を、儂が捕らえたと知ったら、あやつらどんな顔をするかな」
「お館様」
不意に暗闇から声をかけられ、ギイは驚きで巨体を震わせ、手にしていた帳簿を落とした。
「リ、リシャールか? お、驚かすでない」
足音なく闇の中から浮かび上がった人影にギイが非難の言葉を投げたが、黒影は意に介した様子もなく、片膝を付いたまま垂れていた頭をゆっくりと上げた。まだ若い、しかし険のある顔つきをした若者は、闇夜と同じ漆黒の瞳で主君を見つめた。
「青母衣どもの身柄、つつがなく例の古城に移し終えました」
若い容貌に似合わぬ低く乾いた声は、まるで地の底から響いてくる亡者のうめきのようで、回廊の気温を一段と低下させるかのようだった。




