表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よほろ軍談記   作者: 鈴木カラス
30/64

第4話 「讃美の生贄」 その1

ブレーメン郊外の決戦が王国側の勝利に終わり、「大戦」はついに古都ハノーバーにて停戦の交渉に入ったのだが……。

 都市の中心を流れる運河の上を、無数の蜻蛉とんぼが飛び交っていた。水面に夕日が反射する。晩夏から初秋へと季節を変える、涼しげな風が穏やかに吹いていた。古くから商工業で栄える帝国の古都ハノーバー。帝国五大公の一人グスタフが治めていた街は今、王国の遠征軍『旅団』の占領下にあった。

 『旅団』を率いるのは王国貴族レンヌ伯アラン。王国北西部の大諸侯ル・マン公アランソンの長子で、先王アンリ二世の遺児シャルル王子の叔父にあたる。王族と呼んでも差し支えのない血統と家門を誇り、帝国で言えば五大公と遜色ない地位にある実力者であった。

 色鮮やかなステンドグラスが貼られた天井、美しい絵画が飾られた壁、豪華な調度品で埋め尽くされた大公グスタフの城館の一室にて、アランは北西人特有のやや浅黒い肌をわずかに紅潮させながら苦り切った表情をその顔に浮かべていた。原因は停戦交渉のために帝都より派遣された特使が彼に告げた、勅旨ちょくしの内容にあった。

 「全面撤退せよと申されるか」

 「左様で……」

 アランの対面に座る司教グレゴリはいとも涼しげに短く王国語で返答した。六〇を過ぎた年齢ながら血色の良い白い肌とうすら笑いを浮かべたその顔は、喜劇の演出であるかのようにアランと真逆であった。先々代の皇帝カール四世より皇室に仕え、聖職者でありながら高利の金貸し業を営み女色に耽る破戒僧として名が知られていたが、幅広い人脈と情報網を有し、国内外の貴族の弱味をも握っていると恐れられていた。

 「名将と呼ばれたローランド将軍を亡くし、ご難儀でしょう。皇帝陛下のご賢察けんさつでございます」

 「なんだと!?」

 ローランドのいないお前たちなど恐るに足らず、お前では軍団を統率できまい、要はそう言われたのである。思わずアランは椅子から立ち上がりかけた。しかしその気勢を削ぐように、直後アランの背後から咳払いが一つ聞こえた。

 「閣下、王都へのお伺いが必要と存じます」

 静かな口調ではあったが、よく通る低い声には威圧的な響きが込められていた。

 「我ら『旅団』はシャルル王子殿下の兵なれば……」

 「皆まで申すな、分かっている」

 冷静さを取り戻したアランは椅子の中で居住まいを正し、鋭い目つきで司教グレゴリを見つめた。齢三〇を過ぎてもなお坊ちゃん育ちの性格と童顔ゆえに「小公子アラン」などとあだ名される事もあったが、幼少より帝王学を学んだ大貴族の惣領そうりょうである。努めて冷静に振る舞いさえすれば、数千の兵団を束ねる長に相応しい威厳を保つ事ができた。

 「騎士ライオネルが言うまでもなく、我々はシャルル王子の臣下でござる。兵団を任されているとは言え、かような重大決議は私の一存では出来ぬ。しばし検討させていただこう」

 言い終えると、アランは椅子から腰を上げた。ゆったりとした動作で。

 「帝都よりの旅、お疲れでしょう。司教殿には屋敷をご用意させていただくつもりでござる。しばらくは長旅の疲れを癒されよ」

 「ご配慮に感謝を。伯爵閣下に神の御祝福あれ」

 生臭坊主が何を抜かす、と敬虔な聖教徒であるアランはグレゴリの言葉に瞬間カッとなったが、今度は努めて気持ちを御し、それを表情にも態度にも出さなかった。



 「いらん口を挟みおって、カイン=ローレルの犬が」

 アランが騎士ライオネルや他の幕僚と共に退室した後、勅使グレゴリは糸のように細い目を開き、窓の外を眺めながら吐き捨てるように独りごちた。

 「まあいい、どのみち長引けば長引くほど不利になるのは奴らの方だ」

 勅使の任をカール五世から受けるはるか以前より、『旅団』が帝国への侵攻を開始した直後からグレゴリはその一連の動きに注意を払ってきた。その結果見えてきたのは、『旅団』は決して一枚岩の組織ではないという点である。

 総司令官のアランやカイン=ローレルの代理として参陣している騎士ライオネルら諸侯の私兵団、フッサール率いるランツクネヒトら傭兵部隊、そしてシャルル王子の名の下に集められた農民兵たち。『旅団』は大まかに三つの勢力で構成されている混成部隊であり、中でも最も多い割合を占めているのがローランドが指揮していた農民兵の部隊であった。過去の戦闘においても、農民兵部隊を前衛とし、ランツクネヒトたちを遊軍または強襲部隊として活用する戦法で『旅団』は快進撃を続けてきた。諸侯の兵は後詰めか、追撃戦の際に投入されただけで、数の上から言っても主力とは言い難かった。

 そして今、ランツクネヒト隊は壊滅し、ローランドはいない。諸侯や騎士たちは農民兵を自分たちと同じ戦士だとは考えてはおらず、ローランドほど彼らを巧みに指揮できるとは考えにくい。中には『赤羽の騎士団』の団長でもあるライオネルのような統率力ある戦闘指揮官もいるが、主君と同格のアランが総司令官として上にいる以上、手勢以外を勝手に動かすことは不可能である。

 つまるところ、現在『旅団』の戦闘能力は大幅に削減されているとグレゴリは見ていた。加えてハノーバーの統治が不十分であることも調査済みであった。

 フッサール率いる別働隊の奇襲によって短期間で攻略したケルンでは、都市内部の建物や人、経済に対して大きな被害が無かった。また代官に抜擢されたベルトラン伯は大公ザンダーに冷遇されていた経験から、王国への報恩と保身の為に安定統治に東奔西走しており、占領下にありながら今までと変わらない平穏な日常が続いていた。しかし、経済封鎖と兵糧攻めによって長期的に攻め落としたハノーバーでは、飢えを経験した民衆や商売の邪魔をされた商人たちからの反発が強く、また大公グスタフが割りと人気のある君主であった為、『旅団』に対する反抗が頻繁に起きていた。

 さらにハンブルク近郊にはカール五世が大公アーバインの援軍要請を受けて派兵した、ギュンター伯率いる五〇〇〇の兵が無傷のまま残っている。尤も、この兵団は「ある事情」から容易に動かすことが出来ない戦力ではあったが、現時点では王国側に圧力をかけられる有効なカードの一枚である事は確かだった。

 「さてさて、アランソンの小倅こせがれめ、どこまで耐えられるかな」

 残照を浴びながら、グレゴリは独り、楽しげに口元をほころばせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ