第3話 「呪われし者」 その15
夜の山道を支配しているのは、秋の冷気でも静寂でもなく、奇妙なざわめきであった。その中心に、髭面の男がいた。傭兵仲間と共に隠れ里を襲い、財産を強奪して若い女と子供を拐かした帰路。突如として現れた一本の矢と双子によって仲間二人が殺されてしまった。男の背筋を冷たい汗が流れる。同時に、混乱する頭がとっさの判断を下した。
「ま、待て! 参った!」
剣を捨て、高々と手を上げて髭面の男は大声で叫んだ。
「武器は捨てた! 抵抗はしない!」
自分たちを襲ったのは恐らく別の傭兵たちであると、男は推測した。人里離れた山道でかち合ってしまったのは不運であったが、同業者であれば今の状況を切り抜けるのは難しいことでもなかった。かつて男も何度となく逆のこと、つまり獲物の横取りをしてきた。そうした場合、相手が抵抗しなければ危害を加えたことは無い。適度に奪い、時には仲間に引き入れもした。賊まがいの傭兵など、国や人種を問わず大概が打算的な連中であったからだ。
しかし、引きつり気味の笑いを浮かべる男に対し、双子は男の言葉や態度の意味を全く理解していない様子で、互いに小首を傾げて不思議そうな目を男に向けていた。
何かおかしいと男の胸に不安が湧き上がる。先ほど双子は帝国語を喋っていた。ならば言葉は通じているはずであるが、双子は血糊の付いた短剣を仕舞おうとせず、警戒を解くような振りは一切見せようとしなかった。
男が再度口を開こうとした時、双子が弾かれたように急に動いた。短剣を背中に回し、片膝をつくとわずかに頭を垂れた。ややあって、男の背後で馬の嘶きがした。男がおずおずと振り返ったその先には、青鹿毛の馬に跨る騎士の姿があった。
地味ではあるが立派な鞍を付け、深い葡萄色の外套をまとい同色の羽帽子を身につけている。月明かりの中に浮かび上がるように現れたその姿は、ぱっと見に大聖堂のステンドグラスに描かれた宗教画のごとき荘厳な雰囲気を放っていたが、一点だけ、違和感を感じさせるものがあった。羽帽子の下、騎士はその目元を奇妙な意匠の仮面で隠していたのだ。
そして騎士の傍らから長方形の盾を構えた人影が現れた。夜目にも分かるほどの白い頭髪が初老であることを物語っていたが、大きな瞳、獅子鼻、真一文字に結ばれた口元を持つ四角い顔は、いかにも頑健で実直な古強者の雰囲気をまとっている。はるか昔、大陸を支配した神聖帝国の重装歩兵が用いた物に似た、縦四フィート(約一二〇センチメートル)ほどの長大な盾の中央には、磔にされた神の御子の姿が彫刻されていた。
しまった、と男は焦った。盾持ちの従士を従える騎士ともなれば、間違いなく城館持ちの身分である。男たちを襲ったのは同業の傭兵ではなく、この辺りを治めているであろう正式な騎士の手勢だったのだ。だとすれば村を襲った男は騎士にとって敵でしかなく、交渉できる余地などありはしなかった。
「おっ、こいつ一丁前に金貨なんか持ってやがる」
緊張感のない声が聞こえ、髭面の男は顔を戻した。いつの間にか、射殺された男の傍らに若い男がしゃがみこんでいた。五フィート(約一五〇センチメートル)を超す長弓を肩に担いでいる。その片手は、死体の懐を漁っていた。
「フランクフルト鋳造の金貨だな……」
「ギョーム、お館様の従士たる者が盗人の真似はよせ!」
盾持ちの従士が弓持ちの男を叱りつけた。聴く者の腹に響いてくる低くて重い声であった。
「死人に金なんか必要ねえだろうに。それよかこいつら、フランクフルトの金を持ってますぜ」
弓手の男は立ち上がり、大袈裟に肩をすくめてみせた。背を伸ばすと、男は六フィート(約一八〇センチメートル)を優に超える長身であった。初老の従士とは対照的に、黒々とした長髪を後ろで縛り、馬の尾のように背中に垂らしている。面長で、立派な鷲鼻が印象的な彫りの深い顔つきであったが、どことなく軽薄さを漂わせていた。
「貴様、お館様に対しては言葉を選べ!」
「ゴットフリー、止めよ」
短いが鋭い一声が騎士の口から放たれると、辺りは水を打ったように静まり返った。名を呼ばれた老従士は直ぐさま畏まり、長身の弓手もおどけた表情を消して姿勢を正した。騎士の持つ強烈な統率力が垣間見えた。
「お前は、フランクフルトの民か?」
青鹿毛の馬を御してわずかに歩を進めた仮面の騎士は、馬上から髭面の男を問い質した。羽帽子から覗く髪は見事な金色で、鷲を模したような意匠の仮面に覆われていない顔肌は白く、整った高貴な顔立ちが連想された。
「それともただの野盗か?」
貴族の私領で略奪を働いた以上、死罪は免れない。連れている女子供たちが動かぬ証拠であり、弁解のしようが無かった。しかし騎士の雰囲気に圧倒されながらも、髭面の男は何とか生き残る方法を見出すべく知恵を巡らせ、あることを思いついた。
「へっ、へえ、そうでございます、騎士様。ワタクシめはフランクフルト大公様の下僕でございますので……」
「そうか……」
騎士が沈黙するのを見て、髭面の男は自分の思いつきが成功したことを心の中で狂喜した。盾持ちの従士が苦々しげな表情を浮かべるのが見え、自信は確信へと変わった。
城館持ちの騎士とはいえ、大貴族である帝国五大公の部下を殺すことは容易に出来ない。下手をすれば賠償を要求されたり侵略のきっかけを生んでしまうこともあるからだ。それ故に、運が良ければこの場で放免されるだろうし、悪くてもしばらく拘束される程度で済むはずだった。命さえあれば、逃げ出す機会がある。
しかし――。
「では、お前のような民はいらん」
仮面の騎士は冷たく言い放つと、馬首を返し男に背を向けた。
「僭主の手下にこれ以上我らが手を下すまでもない。裁きは、そこの者たちに任せよう」
騎士は捕らわれていた女子供達を見やり、静かだが氷のように冷たく絶対的な口調で双子に命じた。
「ムニン、フギン、この男の両手を縛り、木に繋げ」
女子供たちを縛っていた縄は、いつの間にか双子たちによって解かれていた。女子供たちは呆然とした様子で事の成り行きを見守っていたが、やがて髭面の男が縄打たれ木にくくられると、誰からともなく手に石や木の棒を持ち、男を取り囲んだ。
「おい、止めろ! 俺は大公の部下だぞ! 俺を殺すことは大公に刃向かうのと同じだぞ!」
髭面の男は大声で喚き、身を捩った。興奮し過ぎ、大公様と尊称を付けることすら忘れるほど動揺していた。
男の醜態に青玉の耳飾りをつけた少年が呆れ顔でため息をついて言った。
「だからお館様が言っただろ? フランクフルトにお前みたいな奴はいらないって」
紅玉の耳飾りをつけた少年が後を継いだ。
「成りすまし大公のヘイニルは、僕らのお館様の宿敵なんだよ」
石の礫と木が肉と骨を打つ音と共に、男の絶叫が山道に轟いた。
故郷を滅ぼされた者たちの怒りが形となって略奪者へ降り注がれている光景を尻目に、ギョームと呼ばれた弓手の男が騎士の傍らにやってきた。
「連中はどうしますか? 連れ歩くには数が多すぎます」
「女子供たちだけで山に捨て置くわけにはいくまい」
盾持ちの従士ゴットフリーが声を荒げるが、ギョームはそれを無視して主君の騎士を仰ぎ見た。
「フランクフルトの金貨を持っていたって事は、赤帽子に雇われた流れ者の可能性があります。だとしたら近くに赤帽子か別の仲間がいるはず。かち合うと面倒ですぜ」
手綱を握ったまま、騎士はしばし無言で暗闇に顔を向けていたが、ややあって最も年長と思わしき栗毛の娘の傍に馬を進めた。再び子供たちの表情に怯えが甦り、女たちは身を寄せ合った。
「山を下り、街道を西に向かうとカッセル修道院がある。皇室ゆかりの修道院ゆえ、貴族ですら容易に手は出せん場所だ。生き延びたければ、そこへ行け」
怯える子供たちを無視し、騎士は手短に一度だけ伝えると馬首を返した。
「ギョーム、賊どもの懐から金貨だけを抜き、顔を潰して死体は隠せ」
長身の弓手は無言で軽く頷き、双子に声をかけて死体を道から外れた場所へと運んでいった。
「これでよろしいので、フッサール様?」
ゴットフリーの問いかけに、女子供たちをちらりと見やり、
「呪われた男と共に歩むよりはマシだろう」
騎士はひとりごちた。冷たいというよりは、心なしか寂しげな口調だった。
「しかし赤帽子どもが北に手を伸ばしてくるとは予想外でしたな。この時とばかりに手薄な王国領を狙うものとばかり考えていましたが……」
「あるいはその両方かもしれん。ロズルなら企みそうなことだ」
ギョームやゴットフリーの推測は、実のところ外れていた。確かにこの時、シルヴィオら赤帽子は彼らの近くにいた。しかしそれは侵攻ではなく逃げた仲間カテリナを連れ戻すためであり、また彼らは元ランツクネヒトのライヘルトによって打ち倒されていたのだが、さしものフッサールも千里眼ではないのですべての事情を知る由もなかった。
「これよりどういたしますか?」
「まだ赤帽子どもが動いている確証はないが、敢えて危ない橋を渡る必要もない。一旦退き、改めてフランクフルトの領内を探る」
馬上のフッサールの半身を月明かりが照らす。仮面が月光を反射し、その奥にある左目が蒼く輝いた。
「焦ることは無い。いずれ好機は来る」
自分自身に言い聞かせるようにフッサールは呟き、騎馬の腹を蹴った。
第4話に続く。




