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よほろ軍談記   作者: 鈴木カラス
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第3話 「呪われし者」 その6

 意識を取り戻してから二日が経ち、ライヘルトは何とか歩けるまでに回復した。五日を過ぎた頃には体の痛みはほとんど感じなくなっていた。若さゆえの回復力もあったが、ヘルダの看病と調合した薬が効いたのだろう。それで生計を立てていると言うだけあって、薬師としてヘルダは優秀だった。日が経つごとに少しづつ語られる身の上話によれば、彼女は帝国南部の出身で、祖先は南方大陸人の血を引いていた。王国王の公妾ポンパドールと同じ漆黒の瞳と縮れた黒髪は南方人の特徴で、それ故に北部では珍しい南方渡来の医薬にも精通していた。

 一方、体が回復したライヘルトは故郷を目指す道中へ一日も早く戻りたかったが、ヘルダに対して払う謝礼が何も無いのが気になっていた。ハノーバーを出奔する際に用意した路銀の入った小袋も、転落し川を流される間に無くしてしまったらしい。命の恩人に対して感謝の言葉だけを残して立ち去れるほど、さすがにライヘルトの神経は図太くなかった。しかし先を急いでいるのも事実で、何よりライヘルトは追っ手のかかった身でもある。せめてもの報いにと、体が動かせるようになってからは薪割りや家の外壁の補修など、男手が必要な力仕事を自主的にこなしていた。

 そんなライヘルトの胸中を察したかのように、ヘルダは連日朝早くから薬の原料となる野草の採取に出かけ、帰宅後も髪を梳き服を着替えるとしばらくして再びどこかへ出かけていくので、話を切り出す機会をライヘルトは掴めずにいた。

 七日目は満月だった。いつものように宵の口に出かけたヘルダは、真夜中に戻ってくると壁に寄りかかって目を閉じていたライヘルトの横に倒れ込んだ。家には粗末な木のベッドは一つだけだったので、体が動くようになってからはライヘルトは床の上に布を敷いて寝ていた。この時代、よほどの大貴族でもない限り個人用の寝具を持つ家はなく、庶民は皆同じベッドに雑魚寝するのが常であった。しかしライヘルトは、家主への遠慮と不意の自体に備えるため、ヘルダと同衾しようとはしなかった。

 「出ていきたいんだろ?」

 ライヘルトの肩にしなだれかかったヘルダの吐息から酒の匂いがした。黒い衣からは甘く粉っぽいジャコウの香りが漂う。

 「どこに行くのさ?」

  目を閉じたまま、ライヘルトは答えなかった。どこに行くんだ? 親友を殺してまで……。夢の中で聞いたアンドレアスの言葉がライヘルトの脳裏をよぎった。

 「ここにいればいいさ。大丈夫、誰も来ないよ」

 ヘルダの白い手がライヘルトの胸元へ滑り込んでくる。押し付けられた豊かな乳房の柔らかな感触が腕にあった。

 「ここにいなよ……」

 やがて暗闇の床の上で、白い肉体が蝋燭の灯りのようにゆらゆらと揺れた。土壁の隙間から差し込んだ薄い月明かりが重なり合う二人の裸を照らした時、ライヘルトは見た。ヘルダの白い胸元に付けられた、百合の烙印を。それは奴隷を表す印だった。

 瞬間、ライヘルトは悟った。ヘルダの本当の身の上を。

 奴隷にはいくつかの種類があり、割合として最も多いのは貴族や大地主の荘園や牧場で働く農奴や戦争の際に荷運びや土木作業に駆り出される下人だが、大都市には見世物として闘技場で戦わされる剣闘奴隷や曲芸団サーカスの団員、そして都市の郊外には必ず売春を生業とする者がいた。

 ヘルダの刻印はかなり古いものであった。しかし彼女の肌は白く手も荒れていない。農牧業や肉体を酷使する仕事に就いていた様子がないとしたら、顔立ちの美しさからいってどこかの金持ちの囲われ者だったと考えるのが妥当だった。ヘルダは読み書きが出来ることから、奴隷にも教育を与えてくれる奇特な主人の下にいたのかもしれない。それか高い身分にありながら奴隷に落とされてしまったのか。

 この百年間、大陸では戦争が短い間隔で繰り返されてきた。東方聖戦士軍、武帝カール四世の侵略戦争、コシューシコの乱、王国の内戦、そして『旅団』による帝国との戦。

 戦いに敗れて捕虜となったが身代金を払えなかった者、侵略を受けて人狩りに遭った者、生活に行き詰まり子供を売った者、土地が荒れて住む場所を無くした者。戦争ごとに、数え切れない人間が奴隷になった。ライヘルトは運良く逃げ延びることが出来たが、カール四世によって故郷を奪われ公国を滅ぼされた時、人狩りに遭った同郷の者は少なくなかった。

 「いや、たいして変わらないか……」

 小さな寝息を立てるヘルダの横顔を見つめたまま、ライヘルトはひとりごちた。故郷を奪い同胞を殺した怨敵である帝国に勝った。しかし、未だ土地は取り返せずそれどころか犯罪者として追われている。戦いを生き延びた末に体に刻まれた戦傷は、武勲でも勇気の証でもなく、ヘルダの胸の刻印と同じだった。戦争のための駒の一つ、いくさよほろという奴隷の証明であるようにライヘルトには思えた。

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