第2話 「怒りの歴史」 その7
『大戦』の発端はケルンにあると言われていた。
『旅団』のケルン占領より約一〇〇年前。王国や帝国、滅亡した公国など大陸諸国で国教とされている『聖教会』で内部抗争が勃発。その抗争に敗れて破門追放された一部の司教たちが帝国の東方の地へと落ち延び、新たに『東方正教会』と名乗る組織を立ち上げた。やがて正教会は東方の異民族たちを手懐けて、たびたび聖教会傘下の土地を略奪するようになった。
これに対し聖教会のケルン大司教マクシミリアンが叛徒たる正教会討つべしと各地に号令、敬虔な聖教信徒として知られていた時の王国王シャルル四世や帝国皇帝オットー一世らが呼びかけに応じ、協力して東方への遠征を行った。後に『東方聖戦士軍』と呼ばれる大遠征である。
三万人から四万人とも言われる大軍団を編成して行われた聖戦士軍はしかし、大軍ゆえの統率のなさ、慣れぬ土地での疫病、そして最後には冬将軍の到来によって大惨敗を喫し、帝国皇帝オットー一世は戦地にて病死、王国王シャルル四世は帰路の途中でハンブルク公に幽閉されてしまうという事態を招いた。この遠征がきっかけで王家、皇室ともに中央集権力を弱めることとなり、逆に遠征に参加しなかった各国の諸侯たちが力を増大させていくことになる。それが『大戦』のきっかけとも言える王国諸侯と帝国諸侯との小競り合いに繋がっているのであった。
ケルン占領後、ローランドは直ちに捕らえたザンダーとその一族を王国都市ランスへ移送させ、ザンダーに冷遇されていた遠戚のベルトラン伯をケルン代官として据える。また財力を持つ古くからの商工ギルドの代表者らも次々と罷免し、代わって若手の商人たちを積極的に登用した。
ほぼローランドの独断で行われたこれらの戦後処理は当然『旅団』の総指揮官であるアラン伯の反発を受けることになったが、古い勢力によって長年冷や飯を食わされ続けていた者たちはローランドを熱狂的に支持し、結果的に解放者となった『旅団』への資金と情報提供が絶え間なく続いた。ケルンの占領統治が速やかにかつ混乱なく行われている以上、ほかの誰にもローランドを非難は出来ても止めることは出来なかった。
ケルン周辺を完全に勢力下に置くと、『旅団』は第二の侵攻目標をハノーバー大公グスタフの領地へと定めた。しかしケルン攻略時とは逆に、宣戦を布告した後も『旅団』の進軍は非常に遅かった。ローランドは今までどおりの機動力を活かした電撃作戦を行わず、ケルン占領後に味方につけた帝国人たちを巧みに利用し、ハノーバー周辺地域を金銭や情報工作によって混乱させてグスタフの力を少しづつ削いでいった。また連れてきた技師と現地雇用した民衆を使ってハノーバーへ通じる全ての街道に砦を築いて兵糧攻めを行った。
大陸暦一五二四年、晩秋。街道封鎖によって食料の欠乏はもちろん、都市経済も疲弊したハノーバーは十分な備えを出来ぬまま冬を迎えることを恐れた内部の反乱によって陥落。『旅団』は一年の遠征で帝国大公を二人も屈服させ、二つの大都市を占領した。『旅団』の快進撃とシャルル王子に献上される数々の戦利品と多額の賠償金によって王都は沸いた。
しかし、ついに静観していた帝国皇帝カール五世が動くのだった。




