第2話 「怒りの歴史」 その6
戦闘員約三七〇〇人、支援要員約一一〇〇人、『旅団』は五〇〇〇人近い大遠征軍となった。
内訳はシャルル王子派の諸侯たちが率いる騎士や私兵が合わせて一〇〇〇人弱。そこにフッサール率いるランツクネヒトが四〇〇人、残る二〇〇〇人強が王子の名で採用した民兵であった。また一〇〇〇人を超える支援要員は、医師、技師、鍛冶屋、馬喰といった専門職から絵師、道化師、娼婦といった雑多な顔ぶれで、最も多く雇い入れたのが補給物資運搬に関わる人足だった。
ローランドは輜重部隊を最重要視した。『旅団』の輜重隊には常に四日分の糧食と予備の武器を用意させ、人里離れた山林や平原での野営を可能にした。軍隊は都市や村に沿って進軍するというそれまでの常識を逆手に取ると同時に、大部隊を時間の無駄なく移動させた。これにより帝国領内に攻め入った『旅団』は、敵の軍勢が結集する前に各個撃破していったのである。
王国の軍勢が帝国に侵攻した情報はいち早く帝都のカール五世の下に届いたが、それに対してカール五世は静観したまま動くことはなかった。『旅団』が侵攻してきたのは、帝国五大公の領地だったからである。
帝国五大公とは、帝国の開祖ヨハン一世を助けた五人の側近たちの家門で、その功績により皇帝の配下ではあるものの豊かな領土と大幅な自治権を与えられていた。大公の領地は大公国と呼ばれていたほどで、皇帝といえども簡単に手を出すことができない場所だった。また、皇室の財政が度重なるカール四世の親征によって逼迫し、跡を継いだヨハン二世が夭折、現在のカール五世が二十代という若さであったことから、大公の中にはあからさまに皇室を軽んじ始めた者もいた。その一人が最初に『旅団』の侵攻を受けたケルン大公ザンダーであった。
当然ながらローランドは事前にこの事実を知っていた。王国以上に水面下で勢力が分裂している帝国なら、場所を選んで進軍すれば帝国全体を敵に回すことにはならないという事を。
そしてそれは予想通りになった。
侵攻を受けたケルン公ザンダーは単独で『旅団』を迎え撃とうとした。五大公は皇帝に次ぐ勢力の大貴族であり、単独でも五〇〇〇人以上の兵員を揃えられる力を持つ。『旅団』の実質兵力が四〇〇〇足らずであるという事や、戦闘員の半数が農奴や志願した平民で構成された民兵部隊であったことも、ザンダーが『旅団』を軽く見ていた要因でもあった。
そんなケルン公の油断をつき、『旅団』は予想できない経路で迅速に進軍し、出兵準備を進めている途中のケルン公配下の要衝を次々と陥落させていった。晩秋に侵攻が開始されたため、通例通り十二月から二月までの間は越冬の為に進軍は止まるであろうとタカをくくっていたケルン公であったが、職業兵士で構成され大規模な補給部隊を持っていた『旅団』は足を止めることはなく、大陸暦一五二四年新春、ついに古都ケルンの西二〇マイル(約三十二キロメートル)の距離に肉薄した。
焦ったケルン公は直ちに領地を隣とするハノーバー大公グスタフの下へ助勢を要請する使者を送り、ケルン西部へ兵力を集結させたが、『旅団』本隊と離れて密かにケルン南東部から進軍していたフッサール率いるランツクネヒト隊の強襲を受け、あっけなくケルンへの侵入を許すと司教座と城館を占領され、自身も捕らえられてしまう。
大陸暦一五二四年、春。わずか半年足らずで『旅団』は帝国五大公の一人、ケルン公ザンダーを破って歴史ある大都市ケルンを占領下に置いたのだった。




