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『I my me mine.』

作者: 早河素子

一年ほど前に書いたもの。

読んでくれた人々の大半の感想は「意味分からん」でした。

そこまで難しく書いたつもりはないのです。


 ここは地表三十センチの土の中、隣人はミミズとモグラとアリとその他湿った盲の根暗な生物、そもそも友達と言ったって話が出来るわけでもない。彼らが僕の上の地中や地表を掘ったり這ったりするたびに、三菱製の敏感な圧力センサで感じるだけ、モグラはびりびり、ミミズやその他小さいものはぴりぴりと、ただそれだけ。感触が分かるわけじゃない。

 閉ざされた五感の中で、脳神経接続によるネットサーフィンだけが僕の楽しみだ。三十センチ四方の金属の檻の中で、シナプスだけが活発に集合離散を繰り返している。しかし、現在のこの状況がそれまでの生活から何かを奪ったかといえば、そんなことはない。むしろ存在意義を失った付属物が取り除かれ、より先鋭化された思考の中で精神は解放へと向かっている。

「Hello! Hello!」僕は彼女に呼びかけた。もし、音声化されたとするならば、ひどくきぃきぃしてノイズががーぴー混じっているに違いない。この時間ならば、彼女もログインしているだろう。サイバースペースというやつ、それだけが生きがいでもある。昔の自分には考えられなかった積極性。そうだ、問題は肉体だったのだ。陳腐な普遍性の殻を破ると、なにかしら違った世界が見えてくることがある。

 ――こんにちは。今日も元気そうね、お兄さん。私は今日は学校が休みなの、祝日よ。知っているかしら、終戦記念日。今晩はお母さんが特製のミートパイを焼いてくれるの。美味しいわよ。

「Hello!! Hello!!」僕は少し興奮した調子で叫んだ、ように出力した。こうなるとやはり、複雑な会話が出来ない自身の仕様が恨めしい。考える脳があるのに、表現する機能がない。だが、彼女は僕の同意の気配は感じてくれただろう。健全だった頃の僕なら、ありえない話だ。家族とだって、この仕事に就くまでは二、三年会話がなかったくらいだった。今は何をしているだろう? 厳しかった父、優しかった兄、心配性の母、もしかしたらもう生きていないかも知れない。終戦記念日だって? 笑い話だ。戦争は続いている、僕の戦争は。

 ――あら、もしかしてお兄さんも食べたいの? どうしようかしら、今日は私もお料理を手伝うのよ。サラダを作るの! 盛り付けるだけじゃないのよ、ちゃんと丘の向こうまで採りに行くの!

「Hello! Hello! Come here!! Here!!」僕の意思とは関係なく、僕の機能が反応した。恐ろしい事だ。だって僕は彼女が好きだから。求めてなる孤独を気取っていた僕でさえ、この仕事には三日でうんざりし、一週間で発狂し、一ヶ月でへいきとなった。そんな僕が人間的素養を取り戻すことが出来たのは、彼女のおかげだったと考えて良い。

 ――来い、来い、ですって? いやあね、乙女を呼びつけるなんて。でも、いいわ。お兄さんを迎えに行ってあげる。お母さんもきっと歓迎してくれるわ。だって、人が多い方がお祝いは楽しいもの!

「Hello,come here!!」脳が燃えていた。うぃんうぃん唸るように僕の機能が働き始めた。僕はそんなこと望んじゃいない、と叫びたい気持ちはあった。しかし隠密性が旨の僕には、発声装置など存在しない。そして、その気持ちさえ嘘だ。僕はそろそろ僕の戦争を終わりにしたかった。彼女が僕を見つけてくれれば、彼女と一緒に僕も僕の戦争も終わりにすることが出来る。でも、僕はもう人間ではない。人間だった頃には無かったもの、能力、目的、友人、生の興奮、それらを手に入れる代わりに僕は僕を捨てたのだった。ずっと昔、戦争が始まったばかりの頃。

 ――今、家を出たわ。隣のハンスお爺さんとすれ違った、こんにちは。さあ、貴方はどこにいるのかしら? 信号が途切れがちよ、ちゃんと送って! 郵便局を曲がったわ。ああ、分かった、丘の裏の柵の辺りなのね。ぎりぎりじゃない、危険よ。

「Come!! Come!! Come!!」彼女の視界の隅では僕が出すビーコンが激しく点滅しているだろう。見つけて欲しいという感情と見つけさせようという機能と見つけさせたくない理性、もちろん機能が全てに優先する。何故なら機械とは目的に従って機能が付属している物だからだ。人間とは自然機械か? そんなことは哲学者の考えることだ。しかし、恐らく僕は機械だろう。

 ――さあ、丘まで来たわ。お婆さんの畑がここにあるの。村の皆の畑もよ。段々になっている、たくさんの畑。ああ、お婆さん、お野菜を採りに来たの。そうよ、今日は私がサラダを盛り付けるの。終戦記念日だもの。そうそう、戦争が終わった日よ。十年前、私がこんなにちいちゃかった頃よ。最後の最後に、飛行機がたくさん丘の向こうに危ない物を放り出して行った日よ。私、覚えているもの。黒いものが、表情の無い鉄の塊がどすんどすんと森に、柵の向こうに落ちたのを。

「Hello,hello……etc」僕はこんな異国の地でそんなに長く過ごしていたのか。結局、今の今まで僕は僕を見つけることが出来ないようだった。家で部屋に籠っていた頃と今とでは大きな地割れが口を開けている。割れ目を飛び越えた瞬間に、勢いをつけ過ぎた僕はそこら中に弾け飛んでしまったのだ。たぶん、ここに埋まっているのは僕の欠片に過ぎないだろう。さあ、彼女がやってくる。とうとう僕が目的を達成する時がやってきたのだ。惜しむらくは、これが僕の願いではなく、そして僕にこの目的を与えてくれた誰かも、もう僕の事を忘れ去って目的を捨ててしまっただろうことだ。だけど、僕はもう誰にも渡さない、これは僕の目的だから。少なくとも、どんなものであれ、目的は持たないより持った方が幾分かましなのだ。そう思えば、多少は罪悪感も薄れる。

 ――お野菜はお婆さんの所に置いてきたわ。だっておもいもの、おもいはおもい、よ。どうせ帰りに通るのだもの。貴方は柵の向こう側にいるのね。そっちに入っちゃいけないの。でも、今日は特別な日だもの。お兄さんと一緒にお祝いしたいわ。

「……etc」僕の機能はもう沈黙していた。獲物が罠にかかった事を、狡猾なアルゴリズムが把握したのだった。今になって思えば、僕は幾つにも分割されていたのではなかったか? 僕自身は前頭葉だった気がする。きっと右脳や左脳や小脳、脳幹……etcもいるに違いない。それらが皆、この柵の内側に埋まっている。もう消し飛んだ僕もいるかも知れない。だが実際、僕が最後の僕であるという証拠はどこにもないのだ。

 ――お兄さん、どこにいるの? ここにいるのね、そうなのね?

「……Hello……!!」三菱製のセンサはやっぱり高性能で、信管は壊れちゃいなかった。彼女の足裏を感じた瞬間に、僕はばらばらに弾けて、細かな破片がやわらかな彼女の肢体にめり込み、鋭い破片が彼女の腹腔を食い破った。背骨は爆風で捻じ切られ、綺麗だった顔は見る影もない。だが、彼女が人間であったかなど僕には確かめようがない。寂しがり屋の前頭葉が考えた妄想かも知れないではないか?

 君の村の丘を越えた先、柵の向こう側には、僕かもしくは君が埋まっている。右脳か左脳か前頭葉か小脳か脳幹か……etc.「Hello! Hello!」ほら、誰かを呼ぶ音がする。それはやっぱり自然機械なのだ。人間はどこにあるのか気になるならば、探しに行ってみれば良い。

 誰だって、まだ見ぬ誰かを待ちながら、地面の下に埋まっているものだから。みつけたら、その日が君の終戦記念日。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公について思索した結果、一つの結論に辿り着いたので、失礼してもう一度感想をば。 主人公は密かに魅力を感じている異性との接触に成功し、ある種の本懐を遂げたわけで……これって脱童ってことに…
[良い点] 凄く面白かったです。 冒頭から漂う不穏な雰囲気と、主人公は何者なのかという疑問が心臓の裏側あたりをぞわぞわさせてくれました。 [気になる点] ここまで高度な思考ができてるなら、脳はバラバラ…
[良い点] 確かに意味わからん! しかしその意味不明さが味を出し、いいような気がしました。 オレも引きこもり経験があり、今もアルバイト脱出に苦戦しとるから、僕の戦争は終わってないのフレーズはぐさり…
2012/01/18 22:36 退会済み
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