その感情の名は
「―――そんなわけで、宮代先輩と恋人同士の振りをしながら犯人を突き止めることにしました」
「……」
その日の晩、香月と眠る部屋でいつものように寝る支度を整えた晶は、今日遭った出来事の詳細を彼に聞いてもらっていた。
今回の生霊退治にあたり、その道のプロである香月から少しでもありがたい助言を受けられないかと期待して話を聞いてもらっていたのだが、彼の反応が思ったよりも良くないことに晶は落ち着かない気持ちになる。
向かいのベッドに腰かけて晶の話を聞いていた香月は、はじめのうちこそ驚きつつも相槌を打ちながら話を聞いてくれていたが、晶の話を聞き終わると何やら複雑な表情で黙ってしまった。
(やっぱり、素人考えだったかなぁ…)
香月の反応に、晶は自信を無くして俯く。やはりプロの目から見れば晶の考えた作戦は穴だらけで浅慮としか言えないのかもしれない。それでも晶は他に良い考えが思いつかなかった。
すると、今まで黙っていた香月が徐に口を開いた。
「……話は分かった。けど、静野さんが、そこまでする必要があるのかな?」
「え?…必要、ですか?」
晶は目を見開く。先ほどの難しい表情から一転し、微笑みを向ける香月は首を傾げながら続けた。
「うん。今の話を聞く限り、宮代君だっけ?彼と関わり合いにならなければ、静野さんに被害が及ばなくなる可能性は高い。それなら君が彼と距離を置けば良いだけだよね?」
その突き放すような言葉に、晶はますます瞠目する。普段の香月からはおよそ考えられないような発言は、本当に彼の口から出たものだろうか。
「そ…それはそうかもしれないですが…。で、でも!宮代先輩が悪いわけじゃないのに、このままずっと苦しむのは何か違うというか…」
確かに香月が言うことは尤もだが、それでは宮代はこの先どうなるのか。晶は今回、彼に助けられた恩を返すという名目で協力を申し出たが、実際はそれがなくても彼の境遇を知ればどうにかしてあげたいと協力を申し出ていたと思う。
晶は自分の気持ちを何とか香月に分かってもらいたくて、言葉を重ねる。
「私もここまで来たら引き下がるのは自分の気が収まりませんし、何とか犯人を見つけてどうにかしてあげたくて…」
「見つけたとして、どうするつもり?」
「それは…」
そう訊かれて晶は途端に言葉に詰まる。実際、素人に出来ることなんてないのかもしれない。それでも、何もせずに身近な人が辛い思いをするのを見過ごしたくはなかった。晶は宮代のためにも、自分に出来ることがあるなら助力を惜しむつもりはなかった。
「…どうするかは、犯人が特定出来たらその時に宮代先輩と一緒に考えてみます。…あ!でも、今回は香月さんに迷惑をかけないようにしますから、そこはご安心ください!」
晶がそう力強く宣言すると、香月は静かに晶の顔を見つめた。
「……迷惑?」
「はい!いつも私のせいで香月さんを煩わせてしまっているので、今回は自分たちの力でどうにか解決してみせます!」
いつも助けてもらってばかりの晶は、今回ばかりは香月の手を煩わせないようにしようと心に誓っていた。さらに自ら飛び込む形になってしまった以上、ますます香月に迷惑をかける訳にはいかない。
晶がぐっと掌を握って見せると、香月が何とも言えない表情を見せる。
「…そう。そこまで言うのなら、僕は今回傍観していよう。でも静野さん、あのバレッタだけは肌身離さず持っていて」
お守りのバレッタがあれば、晶の身の危険をある程度防ぐことができるからと香月が念を押す。今日もそのおかげで助かったようなものだ。改めてお守りの効力をありがたく感じつつ、晶は大きく頷いた。
「わかりました!本当にこのお守りのおかげで助けられています。良いものをありがとうございました!」
改めて礼を伝えると、香月の雰囲気がやっと柔らかくなった。気のせいかもしれないが、先ほどから穏やかな表情にもかかわらず、何とも言えない妙な圧を彼から感じていたので、晶は心の中でホッと息を吐く。
「…それなら良かった。じゃあ、もうこんな時間だし、静野さんは眠ったほうがいい」
「…はい。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
立ち上がって部屋のライトを消しに行った香月は、そのままベッドの横を通り過ぎると奥の机に向かった。彼は今日も深夜まで作業を続けるのだろう。机に座った彼がPCを開くと、モニターの青白い光が部屋の壁に反射して、薄闇の中で彼のシルエットをさらに黒く染める。
ベッドに潜り込んで横になった晶は、その影をぼんやりと眺める。大分見慣れてきたこの光景は、いつの間にか心を落ち着かせるものになっていた。やがて聞こえてきたキーボードを叩く乾いた音に、瞼が自然と重みを増す。
今日は生霊と対峙したことで、精神的に疲れていたのかもしれない。いつもより早くやってきた睡魔にその身を委ねながら、晶は先ほどの会話を反芻した。
(…今度こそ、香月さんに頼らないで頑張らないと…いつまでも寄りかかってばっかりじゃ、本当に依存になっちゃう…)
現状でこの屋敷で働く以上に返せるものが思い付かない晶は、自分のことでこれ以上香月の手を煩わせることはしないと決めていた。今だって、忙しい合間に話を聞いてもらったり、こうして晶が眠るまで側にいてくれて、睡眠障害についても協力してくれているのだから、これ以上は寄りかかれない。
(…このことだって、ずっとこのままって訳にもいかないよね…)
睡眠障害については、自分で解決しなければいけない問題だと晶は以前から考えていた。
眠れない原因はきっと、父親の死後に訪れた孤独がトラウマになっているからだと晶なりに気付いている。ならば、それを克服するための対策をそろそろ本気で考えていかなければいけないだろう。今までも恋人や友人と同棲したり、動物を飼ってみたりすればいいのではないかと考えたこともあった。けれど、どれも高校生の晶にとっては現実的ではなく、今の状況下ではやはりこうして香月に頼ることしかできないのが現状だ。
香月に頼らなくてもいい方法が何かないかと考えていた晶は、今も続くキーボードを打つ乾いた音を聞きながら、ふと思い付いた。
「…この音を録音させてもらえれば…一人でも眠れるかも……」
思い付いたと同時に無意識に口をついたその声は、ほんの些細な呟きだった。しかしその小さく囁くような晶の声を拾ったのか、香月がぴたりと動きを止める。
(……?)
半分寝ぼけていた晶は自分が言った言葉の意味すら深く考えておらず、不自然に動きを止めた香月の黒い背中を不思議な思いで見つめていた。
すると、彼がゆっくりとこちらに振り向いた。その顔は暗くて良く見えない。それでも、僅かに煌めく瑠璃色の瞳の奥に、何かがチラリと揺らめいたように見えた。
「……それなら、もう作業はしない」
「…え…?」
聞き取れないくらいの小さな声でそう呟いた香月は、ゆらりと椅子から立ち上がるとこちらに向かって歩き出す。そのまま自分のベッドに入って眠るのかとぼんやり思っていると、香月は何故か自分のベッドを通り過ぎて、晶の寝ているベッドまでやってきた。
「…?」
晶は目の前に立つ香月を見上げる。すると、彼は何を思ったのか、そのまま晶の被っていた毛布を剥いでその横に滑り込んできた。
「ふぁ!!?」
彼のいきなりの行動に、寝ぼけていた晶は完全に目を覚ます。驚いて身を引こうとすると、香月は晶の腕を掴んで顔を近づけ、晶の顔を至近距離で覗き込んできた。
途端に晶の身体はまるで何かに縛られたかのように指一本動かせなくなる。
(!! まただ…!この感覚…)
こんな風に、香月に見つめられながらいつの間にか意識を失ったように眠りにつくことは今までも度々あった。これは催眠術の一種か何かで、香月が何かの手法で眠れない晶のことを眠りにつかせてくれているのだと思っていた。
晶の真横に寝そべった状態で、香月は腕を掴んだままじっと晶の顔を見つめ続けている。僅かな光を集めて煌めくその瑠璃色の瞳は相変わらず息を飲むほど美しいが、その顔は一切の感情を窺い知ることのできない無表情だ。
こうして見ると美しい人の無表情というのは凄味があり、ある種の恐れすら感じる。晶が現実逃避気味にそんな感想を抱いていると、彼の首元からシャラリと微かな音を立ててターコイズの指輪が滑り出てきた。それを目の端に捉えた晶は無意識に息を詰める。
(…今日も、私が贈った指輪、身に着けていてくれたんだ…)
その事実に本来なら喜ぶところだが、晶は今、香月の訳の分からない行動でそれどころではない。今回はいつもとは違い、見つめられてもいつまで経っても意識が遠退く気配がなく、それどころか香月との距離が近すぎて、晶は神経も身体も極限まで緊張していた。
この状況は一体何なのか。その真意を探りたくて彼の瞳を覗いてみても、青い煌めきのその奥に得体のしれない揺らめきが見えるだけで、彼が今、何を思っているのかが全く分からない。
「!」
その時、突然冷たい何かが頬に触れた。晶はすぐにそれが香月の指だと気付く。彼の指は晶の頬に軽く触れた後、撫でるように下へと移動して、やがて下唇にそっと触れてきた。
「……今日、何かつけていたよね?」
「え…?」
彼の突然の行為に気を取られ、訊かれたことの意味が咄嗟に分からず晶は呆けたような声を出す。
やがて、リップグロスのことを言われたのだと理解すると、途端に頬が熱くなった。学校から帰ってきた後も落とさず、そのまま仕事中も付けていたのだが、香月にも気付かれていたらしい。
指摘されたことが何故か恥ずかしくて香月から顔を背けようとするも、冷たい指に頤を捕らわれた晶はそれすら叶わない。
そのまま香月の瑠璃色の瞳を見続けるしかできない晶の顔は、誤魔化せないほど赤く染まっていた。さらに、彼の指が唇に微かに触れていることで、身体中の神経がそこに集中しているかのように僅かな感触すら敏感に拾ってしまう。
「それも、生霊を誘き出す作戦のうち?それとも……」
低く囁くような声が耳孔を震わせ、彼の指がゆっくりと晶の下唇をなぞる様に触れる。晶は身体が動かせないはずなのに、その感触に思わずピクリと身震いした。
彼の顔は変わらず無表情のままだったが、晶は何となく彼が怒っているように感じて、ますます混乱する。
やがて彼の親指が唇を押し開けるように下唇を押して、少しだけ口を開かされた晶はその既視感に目を見張った。
(こ、これ...!前のお仕置きの流れと同じ…!でも、何で…??)
ついこの間、自分のことを襲った犯人に不用意に近づいた晶に、香月がお仕置きと言ってやった行為と同じことが繰り返されようとしていて、晶の脳内は混乱を極める。何か自分が香月を怒らせるようなことを言ったのだろうか。必死に思い出してみても、その怒りポイントが全く分からない。
抵抗できないまま彼の指を受け入れるしかない晶は、その後の行為がとても恥ずかしく、また香月にとっては汚くなるだけで何の得にもならないことを知っている。そんなことを何故香月がするのかは分からないが、このままではいけないと晶は必死に香月に目で訴えた。
(香月さん!何を怒っているのかは分かりませんが、ちゃんと謝りますから!どうかそれだけはやめてください~!!)
晶が必死に心の中で懇願していると、ふと香月の表情が変わった。何かに気付いたように少しだけ目を見開いた彼は、その後、複雑な表情で晶の口からゆっくりと指を離す。
(…よかったぁ~!祈りが通じた!!)
晶は心の中でホッと息を吐く。以前、お仕置きだと言って香月に舌を摘ままれた後、北欧で愛されるお菓子を口に放り込まれた晶は、その不味さに涙を流して悶絶したのだ。もう二度とあの味を思い出したくない晶は、恐怖のお仕置きを回避できたことに胸を撫で下ろす。
香月は人の心が読めるエスパーかもしれない。今までも何度かそう思う場面があったが、晶はそれについてはあえて深く考えることはしなかった。だから今も晶はただ必死の願いが彼に通じたことを単純に喜んでいた。
しかし、身体はまだ動かせないまま、香月を見つめ続けるしかない状況は変わっていない。それでも、よく見るといつの間にか彼の瞳の揺らぎは消えていた。代わりに、カーテンの隙間から差し込む僅かな月明りを拾って、その美しい虹彩が幻想的な輝きを見せたことに晶は息を飲む。
(うわ…綺麗……)
昼間の太陽の光に輝く彼の瞳も素敵だが、夜の月明りの下で静かに輝く彼の瞳はそれよりももっと神秘的で美しい。
柔らかな光を掬って輝く瑠璃色の瞳は、静かな夜を優しく照らす月光と似ていて、見ていると心が掻き乱されるような、切なくなるような、不思議な感覚に囚われる。
晶は見蕩れるようにその輝きを見つめながら、あることを思い出していた。
それは、母親の形見として幼い頃から良く眺めていた乳白色のムーンストーンの指輪。その輝きとどこか似ているような気がして、晶はその指輪を眺めていた時の懐かしい気持ちに浸る。あの指輪はもう晶の手元にはない。今頃はあちら側の世界で父の手から母の指に納まっているはずだ。
そんなことを思い出しているうちに、やがていつものように自分の意識が遠退いていくのを感じ始めた。
穏やかな波にその身をゆだねるように、ゆっくりと夢の中へ沈み込もうとしたその時、先ほど彼の瞳の中に見えていた揺らぎのことが頭を過った。
彼の瞳が感情をそのまま映し出しているのだとしたら、それはどういう意味だろう。
(…もしかして…香月さん…)
薄れゆく意識の中で、突如として泡沫のように現実味のない妄想が頭に浮かんだ。
(…私と一緒に眠ること……)
意識を手放すその瞬間、晶はパチンとその考えを打ち消した。
***
眠りに就いた彼女の顔を見つめながら、香月は無意識に詰めていた息を吐き出す。
柔らかな寝息を聞きながら、自分の中の何かが徐々に落ち着きを取り戻していくのが分かった。
やがて頭が冷えた香月は、彼女への対応すべてが失敗だったことに苛立ち、軽く舌打ちをする。
先ほどまで持て余していた得体の知れない感情は、今までの自分にはなかったもので、それがどこから来たものか見当がつかない。
香月は一つ一つ思い出す。切っ掛けは彼女と会話した内容から、彼女が今回巻き込まれた厄介ごとを自分の力で解決すると宣言したことが始まりだったように思う。それを聞いて、自分の胸に得体の知れない感情が芽生えたことを自覚した。
さらに彼女が一人で眠ることを望んでいるような発言をしたことも、この感情の火に油を注いだ。胸の中に渦巻く毒のような臭気にあてられて、つい余計なことまで口走ってしまった。
思えば、今日帰ってきた彼女の唇の変化に気付いた時から、この得体の知れない感情の種が撒かれていたのかもしれないと、今更ながら気付く。
「…庇護欲も、ここまできたら病気だな…」
きっと自分は、頼りなく無防備でどこか危なっかしい彼女のことを守ることで、己の薄汚い欲を満たそうとしているのだろう。それが叶わないと知って、思い通りにならないことに苛立ちが募ったのかもしれない。
「まるで子供みたいだな」
そう吐き捨てるように呟くと、香月は自分がいまだに彼女の細い腕を掴んだままだったことに気付いた。
暗澹たる気持ちでその手を離すと、彼女の白い腕に赤い跡が残ってしまっていた。それを見た香月は最悪な気分で仰向けに寝転び、両手で顔を覆う。
「……『守る』なんて、どの口が言うんだ…」
彼女を守ることは己の願望だなんて言葉で、彼女を守ることを了承させた。そんな自分の浅ましさに吐き気がする。己のエゴで彼女を巻き込んでいる自分は、きっと今彼女を悩ませている生霊よりも質が悪い。
「これは『願望』なんて、そんな綺麗なものなんかじゃない…」
そう呟いた時、頭の中で誰かが囁く声がした。
―――彼女を救ったからといって、自分が救われると思うなよ。そんなことをしても、お前の罪は消えない。
「…分かってるよ……忘れるわけないだろ…」
暗い淀みを映す瞳で己の掌を見つめながら、香月は誰にともなくそう呟いた。
***
「…って言っても、恋人のふりって一体何すればいいんだ?」
次の日の放課後。昨日終わらなかった実行委員の仕事の続きをするために二人で校内を回っていた晶と宮代は、備品室の長机の数を数えながら恋人作戦をスタートさせるべく具体的な内容の相談をしていた。
「…七、八、九…っと。そうですね…確かに、校内で恋人同士であることを匂わせるには一体どうすればいいのか…」
メモを取りながら晶は考える。本当に付き合っているわけではないので、過度なスキンシップを見せつけるわけにはいかない。この作戦で重要なのは、あくまで匂わせるだけという点だ。晶と付き合っているのではないかと周りに誤解させるためには、どんな行動を取ればいいのか。
校内に存在するカップルの行動を参考にしようと考えたが、そもそも晶の友達の中で彼氏がいるのは有紀ぐらいで、しかも彼氏の陽太は別の高校の生徒なので晶には身近に参考にできる対象がいない。全く知らないカップルらしき男女の生徒も、校内では一緒に手を繋いで帰っている姿くらいしか見かけなかった。
「じゃあやっぱり、手とか…繋いじゃう?」
宮代が照れたようにその手を晶の目の前に差し出すと、晶は一瞬悩んだ後で首を横に振る。
「…あくまでフリなので、そこまでしてしまうと取り返しがつきません。宮代先輩の輝かしい青春の一ページを汚してしまいます」
「…な、何て?」
ギョッとする宮代に、晶はメモ用に持っていたボールペンを振りながら説明する。
「この件が解決すれば、宮代先輩は晴れて好きな人と恋人同士になれるわけですよね?でも、そんな記念すべき初めての彼女を迎える前に、私のような芋女がいたという汚点は残さないほうが良いと思うんです」
「芋……汚点……」
「ですので、あくまで匂わせ作戦で行きましょう!…と言うことで、ここは僭越ながら、私が好意を抱いているというよりも、先輩が私に気があるフリをしてくれたほうが生霊には効くと思うのですが…」
恐縮しながらそう提案すると、宮代はハッとして慌ててそれに応える。
「お、おう…確かに!じゃあ、どうすればいい?静野さんに俺がやたらに会いに行くとか?…あとは一緒に帰るくらいならセーフじゃない?」
確かに、用もないのに宮代の方から教室に会いに来てくれれば、それだけでも大勢の人の目につくし、アピールになる。良い考えだと晶は頷いた。
「そうですね!一緒にいる場面が増えれば誤解する人も増えるでしょうし、それでいってみましょう!…あとは、先輩の演技力次第です」
「演技力?」
首を傾げる宮代に、晶はぐっとボールペンごと拳を握って力説する。
「そうです!私のことを好きなフリをするのですから、これは演劇部も顔負けな演技力が必要ですよ?顔つきや仕草から好き好きオーラを出さないとなんですから」
「好き好き、オーラ……ね。それはまぁ…任せて」
その言葉の表現に照れたのか、少しだけ顔を赤くして返事をした宮代に晶は尊敬の眼差しを向ける。
「宮代先輩…流石です!こんな難しい役どころを…じゃあ、早速今日から作戦を始めましょう!よろしくお願いします!」
「うん。こちらこそ、よろしく」
何故か苦笑いで応えた宮代に頼もしい思いを抱きながら、晶はこれなら上手く行くかもしれないと期待に胸を膨らませた。
しかし、その作戦はすぐに晶が思った以上の効果をもたらした。
まずその日に二人で談笑しながら校庭を歩いていると、サッカー部の蹴ったボールが晶の背中に当たり、晶はその勢いで前につんのめって転んだ。幸い怪我はなかったし、偶然かもしれないと思って汚れを落とそうと水道に近付くと、今度は蛇口に付けられていたホースがいきなり破れて晶にだけ水が直撃し、全身水浸しになってしまった。
「わあぁぁ!っと、だ、大丈夫!?」
「…これは……偶然?」
慌てる宮代には一滴も水が掛からなかったのに対して、晶はずぶ濡れのまま呆然と呟く。偶然にしては悪意を感じる惨劇が続くことに首を傾げた後、晶はハッとして宮代の顔を見る。
(もしかして…)
一つの可能性を思い付いた晶は、背伸びして宮代の耳に顔を近付け、内緒話をするようにそっと耳打ちする。
「…先輩、もしかしたら生霊は先輩の前には姿を現さないかもしれません…なので、これから私は一人で着替えに向かいますので、先輩は少し後ろから着いてきてくれませんか?」
それを聞いて驚いた様子の宮代は、少し間を置いてから、同じように晶の耳に顔を寄せてきた。
「…わかった。でも、十分気を付けて。俺もすぐ駆けつけられる距離にいるようにするから」
晶はそれに頷くと、宮代に軽く手を振ってから自分の教室に向かうため足早にその場を立ち去った。今のやり取りが更に火に油を注ぐことになったとしたら、生霊はこの後必ず何かを仕掛けてくるはずだ。
(さて、果たして何を仕掛けてくるか…)
先ほどの攻撃が生霊の仕業かどうか判断に悩んだのは、いつもの刺すような視線を背中に感じなかったからだった。しかし、晶が一人になった途端にチクチクとした違和感を背中に感じ始め、晶は確信を抱く。
(狙うとしたら、私が一人になったタイミングだよね…だとすると、あえて人気のない場所に向かおうか…)
晶はとりあえず教室のある校舎の昇降口を目指し、部室が入った二階建ての建屋の裏を通って校舎へと向かった。歩くたびに徐々に重くなる空気と、背中に感じる何とも言えない不快感が増していき、思わず顔を顰める。
晶はチラリと後ろに視線を向けた。少し離れたところで宮代が着いてきてくれていることを確認した晶は、無意識に詰めていた息を吐く。今回は宮代という味方が近くにいてくれていることが何より心強かった。
(…それに、お守りも)
晶はその存在を確かめるためにポケットの中に手を入れる。香月に言われた通り肌身離さず持ち歩いている真珠のバレッタは、中央の真珠の部分に触れると既に熱いくらいに熱を持っていた。
(え…!?これって、けっこうヤバいのかな…?)
急速に膨らむ背中への重圧と、まるで警告しているような真珠の熱さに、もっと急いだ方が良いかと走り出そうとした途端、ピシリという乾いた音が頭上から聞こえてきた。
「え?」
何の音かと晶が足を止めて見上げるのと同時に、建屋の二階部分の窓ガラスがバリンと弾け、その破片が空に舞うのが晶の目に映る。
やがて、キラキラと太陽の光を反射して輝く破片が、避ける間もなく頭上から振ってきた。まるでスローモーションのように見えるそれを、晶はただ動けないまま見上げていた。
―――きゃあああぁぁぁぁぁ!!!
誰かの悲鳴が聞こえたのとほぼ同時に、ガシャーン!!というガラスが地面に叩きつけられる大きな音が響き、破片が辺り一面に飛び散る。近くにいた生徒たちは驚愕の叫び声を上げ、その場は一気に騒然とした空気に包まれた。
晶は思わずその場にへたり込む。
(ま、まさか…他の人を巻き込むなんて……!!)
ドクドクと暴れる心臓の音を聞きながら、晶はしばらく呆然とその惨状を見つめていた。周りにはガラス片を浴びて怪我を負い血を流している生徒が何人かいて、痛々しいその姿をどこか非現実的なものとして見ていた晶は、やがて自身が一欠けらも破片を浴びていないことに気付いた。
(あ…これって…もしかして、お守りのおかげ?)
やがて騒ぎを聞きつけた生徒たちが周りに集まり、それぞれ巻き込まれた生徒の状態を確認したり、教員を呼ぶために慌てて走り去ったりとそれぞれが動き出す。その様子をぼんやりと眺めていると、宮代が晶の元に駆けつけてきた。
「静野さん!!大丈夫!?怪我は!!?」
「あ…大丈夫、です」
声を掛けられ、ハッと正気に戻った晶は宮代の顔を見上げる。彼はひどく焦った様子で、その顔色も真っ青になっていた。
「本当に!?…確かに、傷は無さそうだけど…でもあれを浴びたんだろ?頭を打ったとかは!?」
「えっと、大丈夫だと思います…」
晶は無事を示すためにその場で立とうとしたが、どうやら腰が抜けてしまったらしく、上手く立つことができない。それを見て、宮代が晶の前にしゃがみ込み背中を向ける。
「ほら!俺がおぶっていくから、とりあえず保健室に行こう!」
「え、そんな!少し経てば立ち上がれますから…」
「いいから、早く!」
宮代の少し強めな口調に押され、晶は思わず頷く。
「は、はい…ありがとうございます」
宮代の肩を掴んで背中に身体を預けると、彼はヒョイっと立ち上がり、晶の身体を軽く背負い直す。重心が安定したのを見ると、そのまま走り出した。
「急ぐけど、あんまり揺れないように気を付けるから我慢して」
「は、はい!」
さすが短距離走者とあって、宮代の足は速かった。周りの景色が流れるように過ぎ去る中、何事かと驚いてこちらを見ている生徒もチラホラいて、幼い子供の様におんぶされているこの状況が何だか居た堪れなくて晶は顔を伏せる。
やがて保健室に着くと、宮代はそのままドアを勢いよく開けた。
「先生!事故でけが人が出たので連れてきました!」
宮代の勢いに、保健室にいた先生と生徒が驚いた顔を同時に向ける。見ると陸上部のマネージャーの麻衣がちょうど手当てを受けているところだったらしく、二人は晶たちをまじまじと見つめ返してきた。
「えっ?事故!?一体何が…」
保健室の先生が驚きのまま声を上げたその時、晶たちの後から続々と怪我人が押し寄せて来て、保健室は一時的にパニックになった。
とりあえず怪我の重さで寄り分けられた怪我人たちは、それぞれ近くの教室に集められ、手が空いている教員を手伝わせる形で手当てが行われた。
晶も見た目の怪我はなかったものの、とりあえず様子見ということで同じように教室待機となった。幸い、救急搬送されるほどの重症者はいなかったらしく、その事実に晶はホッと胸を撫で下ろす。
(でもまさか、こんなことになるなんて…)
これも生霊の仕業だとすると、明らかにやることがエスカレートしていっている。このままでは本当に晶は命を落としかねないのではないだろうか。
晶が身震いしていると、付き添いのために隣に座っていた宮代が先ほどからずっと黙ったままでいることに気付いた。
晶は他の生徒に聞こえないよう彼の耳に顔を近づけて囁くように尋ねる。
「…先輩、大丈夫ですか?顔色が悪いですが、もしかして気分が悪くなったり…」
晶の声にハッと気を取り戻した宮代は、慌てて晶の方に向き直ると首を振った。
「え?いやいや、俺は何とも。でも…これってかなりヤバい状況だよな…やっぱこれって…その生霊がやったの?」
眉を顰めながら教室にいる怪我人を見回す宮代の顔は、まだ信じられないといった様子だ。晶はそれに頷き返す。
「…おそらく。先輩と離れた途端、あの視線を強く感じましたから…」
「…じゃあ、これは俺が引き起こしたことになるのか…」
そう言って、苦し気に顔を顰める宮代に、晶は慌てて否定した。
「それは違います!宮代先輩のせいなんかじゃなくて、悪いのは…」
その時、教室のドアが勢いよく開き、必死な顔をした美稀が入ってきた。
「宮代先輩!!大丈夫ですか!?怪我は!?」
彼女は宮代を見つけると、今にも泣きそうな顔で駆け寄ってきた。その無事を確かめようと必死に彼の状態を観察する姿に、晶と宮代はお互いにチラリと目線を合わせる。
「中川…俺は何ともないよ。それより稲生が具合悪そうだったけど、どうかしたの?」
宮代がそう言って少し離れたところにいる麻衣の方に視線を向ける。彼女は先ほどから机に俯せたままで、本当に調子が悪そうに見えた。麻衣はこの騒動の被害者ではなく、元から調子が悪くて保健室に来ていたようだが、この騒ぎの中保健室で休めるはずもなく同じ教室に移動してきたのだろう。宮代も気にはなっていたが声を掛けづらかったらしい。
美稀は部活用のジャージ姿で手に鞄を持っていたので、きっと陸上部マネージャーである麻衣のために荷物を持ってきたところだったのだろう。美稀はやっと彼女の存在を思い出したのか、慌てて駆け寄っていった。
「麻衣、大丈夫?さっきより具合悪そうじゃない…今、鞄持ってきたけど、部活の方も今日は解散だって」
麻衣は美稀の声にゆっくりと顔を上げる。その顔色は白くて、見るからに調子が悪そうだった。
「…ありがと…最近貧血気味で眩暈がひどくて…でも大分落ち着いたから」
「そう?…私もこれから帰る準備するから、それまでここで休んでてね」
「…うん…分かった」
美稀は心配そうな表情で麻衣の様子を見た後、宮代の元に戻ってその腕を掴んだ。
「先輩!部室棟があんなことになっちゃって部室が使えないから、着替える場所がなくてみんな困ってるんですよ!先輩が先生にどこかの教室を使わせてもらえるように交渉してきてくれませんか?」
「お?ああ、そう言うことなら…静野さん、悪いけどちょっと抜けるわ。すぐ戻ってくるからここにいて」
「はい、分かりました」
宮代と美稀は足早に教室を出ていく。出た先で一瞬だけ美稀が晶の方を振り返ったが、彼女は何とも形容し難い複雑な表情をしていた。
(あれ?)
美稀の言動から、彼女が生霊の犯人ではないかと当たりをつけていた晶は、その表情に違和感を感じた。
もし彼女が犯人であれば、その顔に浮かぶのは憎悪か慢心だと思っていた。しかし、彼女の表情からは晶に対する明らかな嫉妬心とは別に、ほんの少し哀れみの感情が窺えた。大変な目に遭ったであろう晶から宮代を引き離すことに罪悪感のようなものを感じているように見えて、晶は首を捻る。
(…犯人は彼女じゃない?…でも、生霊は無意識に出てしまうこともあるって香月さん言ってたし…)
有紀は美稀のことを悪い子じゃないという風に評価していた。しかし、宮代に対するあからさまな態度を見ていると、宮代への執着心は強いように思える。
(もう少し彼女のことを詳しく探る必要がありそう)
晶は彼女を良く知っているであろう麻衣に話を聞けないかと、そっと彼女の様子を探る。彼女は先ほどよりも不調が落ち着いたようで、今は椅子に座ったまま近くにいる怪我人に話を聞いたりしていた。
そんな彼女の様子を見ていた晶はあることに気付く。そして思い切って話しかけるべく、晶は彼女に近付いていった。
「…稲生さん、体調大丈夫?少しだけ話してもいいかな?」
「あ…静野さん」
晶に話しかけられたことに驚いた様子を見せた麻衣は、顔色こそまだ悪いものの、にこやかな表情で応えた。
「私は全然大丈夫だよ。静野さんこそ災難だったね…怪我は?」
「私は幸いどこも。でも驚いたよ。…陸上部は誰か怪我した人いたの?」
「見た感じ、誰もいなかったみたい。…部室棟に私の鞄を取りに行った美稀のことが心配だったけど、巻き込まれなくて本当に良かった…」
そう言って心の底から安堵の息を吐きながら、麻衣は膝の上で抱えて持つ鞄のストラップを握りしめた。それを見て、晶はさらに会話を続けようと試みる。
「…それ、その鞄に付いてるのって、お守りだよね?」
麻衣の鞄には宮代が幽霊騒ぎのときに握っていたものと同じものがぶら下がっていて、晶はそれを見て彼女に話しかけるきっかけにしようと考えたのだ。
指摘された麻衣は、少しだけ目を見開くと照れたように笑った。
「そうなの。私の家の近くにある神社のお守りなんだけど、こっちに越してきた頃からずっと付けてるんだ。無いと何だか落ち着かなくて」
そう言って見せてくれた布袋は確かに綻びが見られ、それを手縫いで直した痕があった。
「中には神様の化身を象った石が入っててね。それが結構綺麗で気に入ってるんだ」
「そうなんだ。私もお守り持ってるけど、やっぱりあると落ち着くよね」
「そうだよね。もう相棒みたいな存在かな。何かあるとすぐこれに縋っちゃうし」
麻衣は穏やかな顔で布袋を見つめる。その言葉に身に覚えがあり過ぎた晶は、同意を込めて強く頷いた。
「その気持ち、すっごく分かる。…相棒といえば、稲生さんって中川さんと仲が良いね。さっきもすごく心配してたし。昔から仲良しなの?」
ようやく本題を切り出した晶に、麻衣は思い出すような顔を見せながら頷いた。
「そうだね…美稀とは中学の時に私がこっちに引っ越してきた時から仲良くなったんだ。ちょっと激情型で思い込みが激しいところが初めは衝撃だったけど、根はいい子だったから、すぐに仲良くなったの」
「そうなんだ…激情型って、すぐ怒ったり泣いたりってこと?」
「そうなの。静野さんも見ていて分かったでしょ?だからいつも宥めるのが大変で…。恋なんてするともっと大変なの。好きが溢れすぎて、その人しか見えなくなっちゃってね。中学の時は同級生の男の子に熱を入れちゃって、その子を巡って他の女子とトラブルになったり…だから静野さんも、気を付けてね」
「えっ?」
いきなり自分に向けられたその言葉に、晶は目をパチパチと瞬く。そんな晶を何とも言えない目で見つめた麻衣はその顔に苦笑いを浮かべて続けた。
「…見てて分かると思うけど、美稀は今、宮代先輩に夢中だから。静野さんとトラブルを起こさないか心配で。まぁ、もう美稀も大人になったし、あからさまなことはしないと思うけど…」
「えっと…それは、その…」
何と答えればいいか言葉に迷う晶に構わず、麻衣は話を続けた。
「宮代先輩って昔から女子に人気あるけど、浮ついたことはしないし誠実でしょ?そこが素敵だって美稀も熱を上げちゃってて…でもそんな先輩が、最近静野さんには今までにない態度で接してるから、美稀も面白くないんだと思う。…あ、でも勘違いしないでね!それで宮代先輩から手を引けって言ってるわけじゃないの。それは先輩の自由だし、静野さんにも関係ないことだから」
「はぁ…」
何とも言えない相槌を打つ晶に、困ったように笑う麻衣は言い訳のように続けた。
「ごめんね、変な事言って。私にとって、あの子のフォローをするのは当たり前みたいになってるところがあって…まさか高校でもそうなるとは思わなかったけど」
そう言って笑う麻衣は、美稀のことが放っておけない自分の性分に自身で呆れているように見えた。しかしその表情には親愛の色が見えて、それが晶にはどこか羨ましくもある。
「中川さんは…稲生さんがいて幸せだね」
つい零れるように出た言葉に、麻衣が目を丸くする。しかしその後すぐに目を伏せると、麻衣は照れ隠しのようにポツリと言った。
「そんなこと、ないよ」




