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第二話 母の背中


 朝。残りの入院生活三日というのが名残惜しくて、僕はノートを持って病院内を散歩していた。人の温もりが欲しくなったからかもしれない。日差しの当たるソファ、食堂を経て、テラスに落ち着いた。車椅子の男性が、切なそうに街を眺めて座っている。僕はその二つ隣の椅子に座った。


 ページを開き、箇条書きでアイデアを書いていく。この前消してしまった小説を、結局新しく構成し直す事にした。いじめに遭っている自殺願望の主人公が、ヒロインに助けられる話。この話は、半分ノンフィクションである。いじめに遭っている主人公、これは僕である。



 中学の時、僕は自殺しようとした。忘れもしない毎日、バッグは汚されノートや靴を隠された。クラスメイトから無視された。先生が気付かない場所で、殴られたりもした。最初は「自分は悪くない」と反抗して、声をあげることができた。きっと誰か援護してくれると思っていた、報復は必ずあると思っていた。


 けれど、その希望は儚く散った。



「いじめの事実は無かった」

「え」

「以上だ」

「いや、ちょっと待ってください」


 僕が引き留めようと出した手を、担任は簡単に振り払った。


「白鳥、工藤たちがそんなことするわけないだろ?」

「いや、本当に」

「分かった、勉強しすぎたんだな?小説ばかり読んでないで、運動した方がいいぞ、優等生」


 信頼していた者からの裏切り。完全に心が折れてしまった。

 もういいや。この世界は所詮こんなものか。

逃げるようにして学校を出て、僕は帰りにカッターを買った。ノートに僕を助けてくれなかった人の名前を書いた。勿論クソ教師も。


 お湯が沸いたメロディを合図に、ゆっくりと風呂場のドアを開けた。浴槽の横に座り、カチカチとカッターの刃を出す。怖いのか、鼓動が早くなり息が荒くなる。


「はっ」


 行け、切れ。僕が死ねばアイツらに報復できる。いじめの事実はもみ消すことが出来る。けれど、「一人の生徒が自殺をした」という事実はもみ消すことが出来ない。僕が日頃から書いていた日記と遺書から自殺の原因がいじめである事、「教師に言ったが軽くあしらわれた」ことも発覚、学校は世間に叩かれる。


 行け、切れ。腕にカッターを刺すまであと数センチ、皮膚に鋭いナイフが突き刺さる、筈だった。先にドアがガラッと開いた。


「燎」


 仕事でまだ帰らないはずの母親。驚いた顔で僕を見ている。すぐにカッターを急いで取り上げて、刃をしまった。沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは一滴の水音だった。

 ポタッと地面に落ちたのは、蛇口からの水ではない。


「ごめんね燎、本当にごめんね」


 母は僕を抱いて涙を流した。なんで母が謝っているんだ。謝るのは僕なはずだ。例え僕が被害者でも、この場では、僕が加害者だ。ここまで大切に育ててくれた命を、なにも感謝の言葉も告げずに簡単に捨てようとした。


「ごめんなさい」


 母の温かい背中に手を回した。僕もまた、涙を流した。


 その日僕は、母にすべてを打ち明け、他中への転校を決めた。母は仕事で忙しい中、学校に出向き、学校をやめることと、いじめの事実を伝えた。クソ教師達を怯むことなく真っ当から否定した母の背中は、とても格好良かった。


「自分が辛いと思うことから逃げるのは、間違いじゃないよ」


 そう言葉を掛けてくれた母に、もう迷惑はかけたくない。「こいつは無理だ」と戦意喪失させるような人間になろうと、僕は今まで以上に勉強をし、反撃できるように運動も始めた。

 お陰で体力も付き、無理だろうと思っていた公立高校にも手が届き、大切な友人もできた。

 皮肉なことに、いじめが無かったらこんな人間にはなれていなかった。今でもアイツらとは一ミリも関わりたくないが、どうもご苦労さんと、言ってやりたい気分だ。


 そうこう過去の記憶をなぞっているうちに、小説は「承」の部分まで書き上げていた。短針は十を指している。そろそろ部屋に戻るか。

 上書きボタンを押し、念のため別媒体メモリにも保存しておく。久しぶりの達成感に包まれながら、僕はテラスを後にした。


 次の日、とんでもない出来事が待っているとも知らずに。


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