表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/16

第十六話 小説は繋ぐ


 誰かが僕を呼んでいる。この声の生まれ所はこの世界か、いや現実だ。


「永田」

「は、原口先輩」


 出先からたった今帰ってきたのだろうか。鼻はやや赤く、コートを着たままだ。


「ヒーター独占でお昼寝とは、良いご身分だな。ほらコーヒー」

「す、すみません」


 原口先輩、この人は僕の上司だ。有名な小説家さんを担当している敏腕編集者。仕事もできるし、性格も良い。上からも下からも人望が厚い。この職場は徹夜と責任の連続で辛いが、この先輩のお陰でなんとか乗り越えられている。


「お、白鳥先生の新作か。進捗はどうだ」


 白鳥先生とは、僕の担当させて貰っている小説家さんだ。正確には、担当させて貰っていた、だけれど。


「まあまあって感じです」




 十一月の中頃、白鳥先生から連絡が来た。新作が完成したから取りに来てほしい、との旨だった。夏に新作を書いているとメールを貰って以来の連絡。遂に完成したのかと、担当者としてもファンとしても胸が躍った。彼の姿を、この目で見るまでは。


「お久しぶりです、永田さん」


 やせ細った四肢、弱弱しい声、近しい年齢とは思えない程のゆったりとした動き。座るという動作さえも数秒掛けるその姿は、老人はたまた病人。机に載っている〈鈴木第一病院〉という封筒を発見し、僕は今から話されるであろう内容を察してしまった。


「病気、なんですか」


 恐る恐る聞いた僕の言葉に、白鳥先生は頷いた。


「余命宣告を受けたんです、多分今月か来月には」


 信じられない、信じたくなかった。これから色々な物語描いて、更に賞を取り有名になると思っていた。それほどまでに、先生の紡ぐ言葉に夢中だった。自分の人生で関わっている人物が一人居なくなる。ぐるぐると頭の中で「死」を連想する僕とは逆に、先生は清々しい顔だった。


「それで、作品なんですけど。お願いがありまして」


 机に置かれたのは、印刷された原稿と電子メモリ。紙の一番上には、「バッドエンドサタデーナイト」と記してある。


 先生は下からページを取り出し、僕の前に差し出した。


「この部分に私が死んだ日付と時間を入れてほしいんです」

「なるほど」


 ただでさえ追いついていない脳。とりあえず発したなるほどは、情報を吞み込む為の言葉だ。


「先生が亡くなられた後に、僕がここの部分に日付と時間を入れ込み、発表という事ですか」


 先生が言った言葉を復唱し、一生懸命アウトプットする。まるで注文を受けた店員だ。


「はい」


 余命宣告を受けている人物とは思えない程の晴れやかさ。なんでなんだ。治療が不可能だとしても、死が怖いはずだ。一体どんな生き方をしたら死を認められるのか、僕は不思議でならなかった。混乱に震えた手で、封筒に原稿とメモリを入れ鞄にしまう。


 あまりのあっけなさに思わず、心の声が出てしまった。


「なんでそんなに、平気でいられるんですか」


 先生は膝上に置いていた手を机の上で組み、前に向き直った。


「もう未練が無いから、ですかね」


 先生の目は、迷いが無かった。そんな目を見て、思わず退陣を迫られたのだった。


「永田さん、本当にありがとうございました」


 弱々しく、ゆっくりと頭を下げる先生。その姿を見て、僕は思わず「まだ生きていて欲しいです」と言葉を掛けてしまった。情けなくともか細い声で。




 職場に戻り、先生の原稿を読んで僕はやっと分かった。あの行為は、身勝手な束縛だったと。

 人の感情を百パーセント理解するなんて出来ない。万人が納得できる答えなんて、数学上にしか存在にない。

 仕事上関係者でも、家族のような近い存在に比べたら僕は部外者だ。そんな僕が、「生」で縛るなんて烏滸がましい行為だった。この数千行にも上る行を見て、彼の覚悟が見えた気がした。


 先生は「早めに出してほしい」とは言わなかった。先生がもう居ない中、一刻も早い編集作業を必要とする訳ではない。けれど、この覚悟に応えたい、この物語を早く届けたいと僕は思った。だからこうして何日間も徹夜し、世に出すための作業を進めている。


 本当はまあまあ所ではない、過去一番に進んでいる。けれどこうでも言わなければ、「じゃあ休め」だとか言ってくる。有難い心配だけれど、今は自分の体の心配よりも白鳥先生の為に動きたいのだ。最後の作品を、最高の形で世に出すために。


 染みついた隈を悟られないよう、俯きながらコーヒーを開ける。プルタブを開けたタイミングで口を開いたのは先輩だった。先輩は、そんな簡単な嘘を見抜いていた。


「また残るのか」


 この先輩には敵わない。僕はコーヒーを口から離し、先輩の問いかけに答えた。


「一秒でも早く、出したいので」


 熱意が伝わったのか、それとも頑固さに諦めたのか、先輩はこれ以上問い詰めなかった。


「体は壊さないようにな」


 そう言って先輩は、書類を持って出ていった。


 僕はもう一度コーヒーを飲み、「十一月二十日土曜日、夜十一時」その文字を見つめた。奇しくもその曜日は、先生の小説のタイトルの一部で。


 先生の誕生日の一日前だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ