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第十話 最後の旅

 

 十月。


「ここまで、お願いします」


 僕は紙を運転手さんへと見せた。あれから約半年。僕は再び、あの地へと足を踏み入れていた。経過観察の身ではあるが、復職を果たし、仕事傍ら小説を書き、忙しい毎日を送っていた。

 物語は四分の三まで書き上げている。今日実際に旅館へと行き、最後の場面の執筆、表現や言葉の最終調整をするのだ。


 予定では、前にお世話になったタクシー運転手の田辺藤夫さんに旅館まで送って貰うつもりだった。しかし電話をしたところ田辺さんの奥さんが出た。どうやら体調不良で入院中の身らしい。残念だが仕方がない。また会えるのを楽しみにしています、と伝えて貰った。


 人間という物は、いつでも正常という訳では無い。この一年の間に、自身の体でも他人の事でも嫌というほど感じた。ふと見た光景が、最後の景色になるかもしれない。天高く飛ぶ鳥たちが、窓枠から消えたのを見送ってから、僕は目を瞑った。


「ありがとうございました」


 受け取ったレシート片手に、タクシーから降りる。降りたところで気が付いた。あの日見た写真。少し変われど、その光景が目の前に広がっていた。大きな桜の木が聳え立つ庭。日本家屋はリフォームしたのか少し外装が変わっている。

 やや強く吹く風に押されるように、大きな桜の木に向かって僕の右足は踏み出した。華やかな花弁と壮大な幹枝に圧倒される。裏を見ようと右側から近づいた時、裏手に人がいることに気が付いた。青いダウンに黒のズボン、髪には白髪が混じっている。


 悲しげな眼で木を見上げ、立ち尽くすその姿。どこか哀愁を感じる雰囲気に、僕は思った。もしかしてこの人は、と。見つめていると、向こう側も僕の存在に気が付いた。


「あ、いらっしゃいませ」


 首から下げたネームプレートには「花取」。その文字を見て、知人が僕の友人だと分かった時みたいな、不思議な感覚に陥った。胸の熱さに思わず僕は、少し後で掛けるべき言葉を掛けてしまった。


「桜、綺麗ですね」


 挨拶が先ではないのか。発してしまった言葉を、不自然ではないと取り繕おうと、言葉を続ける。


「僕、ここの桜が凄く綺麗だと知人から聞いて泊まりに来たんです。来て正解でした」


 そう言うと、嬉しそうに「そうですか」と笑顔を見せてくれた。これでいい。

 多分前の僕なら、彼女のことを明かしてしまっただろう。そうして彼女の近しい存在であったと彼女の大切な存在である家族に知って貰いたくはある。でもそれ以前に、「このまま」を綺麗に形に残したいのだ。

 女将さんと一緒である。少しでも「花取楓」を残したい。欠けることなく、偽ることなく、彼女を取り巻いていた環境をも、全て。いち表現者である僕の、一種の愛の形でもある。


「写真撮ってもいいですか」

「勿論、どうぞ」


 全体で一回、近づいて一回。すぐ写真フォルダを開き、お気に入りボタンを押す。スマートフォンをしまい、また見上げて。落ちる花びらを地面まで見送り、僕は振り返った。


「ちょっと早いんですけど、チェックインしてもいいですか」

「はい、ご案内いたします」


 僕は目一杯にこの旅館を満喫した。浴衣を着て旅館内を巡ったり、食事処から桜を見たり、窓を開け心地良い空気に包まれながら文章を書いたり。

 二日間は平穏と幸せで包まれ、あっという間だった。別れを惜しみながら土産を買い、花取さんに感謝を伝えて。「一人の客」であるを僕を満足させられ、とても嬉しそうだった。


 駅に着き、前に来た時の様にラスクを購入。多くの荷物を抱えながら店を出て、僕は街を眺めた。山が微かに見える景色に向かって、心の中で言葉を投げる。必ずやこの小説を完成させて、またここに戻ってくると。偶然だったかもしれない出会いへ感謝をしに。


 心に残る桜を脳裏で思い出しながら、僕はエスカレーターに乗った。上に着くまで、心も体もとても軽かった。この後起こる悲劇を知らないまま。















「なんだよ、その目は」


 友達に誘われた合コンで知り合って、彼に沢山アプローチされて。最初は全く興味が無かったけれど、段々と見えてきた彼の性格や優しさに気付いて、お付き合いを始めた。そのままの流れで結婚も決めてしまって。


 地獄が、始まったのだ。


「なんでこんなことも出来ねーんだよ」

「ねえ、何のために生まれたの」

「誰のおかげで生活できてるのか、分かってる?」

「邪魔」

「のろま」

「黙れよ」


 殴り、蹴り、罵声を浴びせる。結婚して彼は九十度、いや百八十度変わってしまった。私は警察に連絡しようとした、けどそれはできなかった。


「息子を選んでくれて本当にありがとう。この子を幸せにしてやっておくれ」


 そう言ってこの世を去った、最後まで優しくしてくれた彼の母親の笑顔が忘れられなくて。


「私が悪いです、ごめんなさい」


 彼のすべてを、私が受け入れることにした。最初はどうにかやれると思っていた。彼を私が変えようとまで思っていた。でも進展なく、私の体と精神の限界が来た。事故による怪我だと偽っての通院。その場所で、希望を見つけた。


 拾ったメモリ、その中に在った物語。ヒロインが自殺願望の少年を救い、その少年が周りのバッドエンドを救うという話。私はこれを見て、救われたのだ。物語だけにではない、彼の言葉にだ。

 一文一文に、共感以上の言葉が敷き詰められ、主人公の感情がリンクする度、自分の存在が認められている感覚がした。最後の一押しは「逃げてもいいよ。自分が辛い、悲しいと思うことから逃げるのは正しい判断だ」という主人公の言葉だった。私は、生きるのも死ぬのも辛い。だから消えることにした。


 あの人が帰宅するまであと三時間。携帯にあの人のやった事を残しても、届いてほしい所に届く前にきっと消されてしまうから。大切な存在への感謝の気持ちを綴ることにした。

 私の背中を押してくれた人の事を書いたら、きっとあの人が追いかけるに違いない。だからこの世を去る前に、せめてもの感謝の言葉を。


 ホームセンターで購入した縄紐を、吊り具に掛けて固定する。ネットで見た結び方で丁寧に、且つ強く輪を作る。ここまで来て、もはや怖さよりも全て終わる心地良さが体を満たした。

 椅子に足を掛け、紐をに首を通す。ギシギシと音が鳴る。その音が鳴り止んだ時、主人公がヒロインに語り掛けた様に私は言葉を発した。


「ありがとう、救ってくれて」


 遠くなる意識の中で、誰かの声が聞こえた気がした。


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