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第一話 余命一年


 お母さん、お父さん。不甲斐ない僕でごめんなさい。いじめも自分で解決できないような僕でごめんなさい。どうか、来世では。


 僕は昔から本が好きだった。休み時間も小説の織り成す世界に浸って、その影響か色々な知識がついて、「優等生君」と呼ばれるほど優秀だった。そんなあだ名も、今では皮肉でしかないけれど。


「優等生君、ちょっと来てくんない?」

「目障りなんだよね、お前」


 殴られ蹴られ。徹夜で記したノート、大好きな本も奪われた。

 世の中はなんて不平等なんだ。勉強ができるだけでこれか。


「神様、なんで僕なんですか?」

「僕は何かしましたか?」


 天に向かってそう問いかけても、答えは返ってこない。僕は視線を下ろし、少し汚れた上履きを脱いだ。

 いつもより強い南風に煽られながら、ゆっくりと段差の上に立つ。下を見れば、血が似合いそうなコンクリート。怖い。怖い。でも生きてアイツらに、これ以上の要求をされる方が怖いんだ。

 震える手をぎゅっと握りしめて、僕は足を踏み出した。心が浮く。あぁ、落ちてる。僕は死ねる。死ねる…、死…え。

 地面に到達しない、衝撃もない。僕は確かに身を投げたはずだ。けれど痛くもなく違和感もない。一体何が起きているのだろうか。

 恐る恐る目を開けると、目の前に映ったのは数秒前に見たはずのコンクリートと僕の足。そして上を見れば。


「間に合って良かった」


 知らない女の子が、僕の手を握っていた。






――選択、削除。



 駄目だ。脳内の僕が、「コレジャナイ」と言っている。いつもこうだ。書き始めは力作ができるとウキウキし、ひと段落着くと駄目な部分ばかり見えてくる。キーボードから手を離し、パソコンを閉じようとしたところで、コンコンとドアが鳴った。


「白鳥さん、おはようございます。お体いかがですか」


「あ、おはようございます。」とぎこちなく挨拶を返した。今日は確か検査の日だったか。手元の真新しいカレンダーを見つめ確認する。


 遡るは年末。僕は新宿の居酒屋に居た。一緒に飲んでいた友人によると、ベロベロに酔った状態で上司の愚痴を溢していた所、僕が急に倒れたらしい。


 目が覚めたら白い天井と白い白衣を着た人々。自分の身と環境に何が起きているかのみ込めないまま、されるがままベッドの上で診察。終わったところで、如何にも「ベテラン医師」なおじいちゃん先生から、突然衝撃的な事を聞かされた。


「君、余命一年だね」


 余命宣告とは思えないほどの軽さ。僕は石のように固まってしまった。ついさっきまで居酒屋で楽しく忘年会をしていたはずだ。

 何がどうなっているか分からない。先生の目を見たが、何ともまぁ淡々としていた。そこから背筋が凍るような話を聞いて、医療ドラマで見たことのある画像を見せられ、やっと己の身が危ないんだと実感した。


 母親がすぐ駆け付けてくれ、手続きやら身の回りの世話までしに来てくれた。僕は社会人になったときに独り暮らしを始め、今年二十八になる。仕事も忙しいだろうと、無理して実家に来なくていいと言ってくれた。じゃあ三十になったら一回行くと約束し、今に至る。まさかこんな形での再会になるなんて、僕も母も思っていなかった。


 余命一年といっても、必ず一年でパタッと死ぬわけではない。僕の患った病気で一年より早く亡くなった人もいるし、生き延びた人もいる。せっかく務めた会社を辞め、多くの検査をし、薬の副作用で苦しみ続け、ずっと同じ景色を見ることは辛い。だがこうしてゆったりと一日中小説を書いたり、なかなか訪れない病院内を探索したりとこの生活も悪くない。

 この先がたとえバッドエンドであろうと、非日常は魅力にあふれている。



 検査が終わり、僕は病室に戻った。看護師さんが換気をしてくれたのか、部屋は清々しい。時刻は十四時。ふと携帯を見ると、通知が二十件来ている。母親からだろうか。ロックを解除し通知欄を開いた。モデル気取りの自撮りアイコン、嫌な記憶が蘇る。


「久しぶり、白鳥くん」


 関わりたくないランキング第三位、一軍女子のアイツだ。


「風間くんから聞いたよ、倒れたって」

「大丈夫?」

「今度お見舞い行くね」


 ふざけるな。どうせ風間が目的だろ。人の不幸を利用しようとしやがって。沸沸と怒りが湧いてくる。


 佐藤愛彩。高校からの同級生だ。顔もスタイルも中の上、学校にもばっちりメイクで登校。大学のダンスサークルでセンターを張ったり、ミスコンに出たりとかなり目立つ存在だった。その分女子に陰口を言われたりされていた。陰口は良くないが、現に言ってしまいたくなるような行動をしている。狙った獲物を逃がさまいと、執拗に親しい人から絡む。その中継地点は僕、そして狙いは風間。僕は恋愛沙汰に巻き込まれている被害者なのだ。


 風間新。同じく高校大学と一緒で、大切な友人だ。出会いは高一の入学式で、彼と席が隣になった。授業のグループワークで彼と趣味が一致し、その日の昼休みには一緒にご飯を食べるほど仲良くなった。互いに青春よりも勉強に集中したいタイプだったから、無理な付き合いもなかった。とても良い距離感だと思う。

 僕は彼が一人の人間としても、友人としても好きだ。彼は人間として「出来ている」。現に周りも、彼のことが好きだと言っている。


「彼は有名企業に勤めていて、顔も良い」

「運動も勉強もできる。でも自慢もしない、そこが好き」


 僕が好きなのはそこじゃない。好きだけれど、そんな所じゃない。彼は違うと思うことは真っ向から否定してくる。お世辞無しで、意見を真っすぐ見てくれる。僕が書いた小説もハッキリと「二番煎じ」と評し、つまらない所を具体的に挙げてくれた。お陰で自分の小説は成長を遂げ、賞を取った。まだまだ有名には程遠いが、僕の物語を読んでくれる人は徐々に増えている。

 この前だって、彼が早急に救急車を呼んでくれなければ、僕は死んでいた。彼は僕の人生において大切な存在で、救世主だ。


「風間に会いたいだけだろ、来るな」


 と返してやろうかと思った。でも一応形式上心配してくれている人に、そんなことは言えない。とりあえずご心配ありがとう、とだけ返した。




「よ、白鳥」


 会社帰りだろうか。風間はスーツ姿で僕の病室を訪れた。手のビニール袋にはコンビニ弁当。わざわざ時間を割いてきてくれたのだと、少し嬉しくなった。

 通勤バッグとビニール袋を机に置いて、風間はベッド脇の椅子に座った。


「来週退院だっけ」

「うん、しばらくは経過観察だって」

「そっか」

「風間は最近どう?」

「まぁ、ぼちぼちだよ。新しいプロジェクトに引っ張られてる」


 風間はこの歳でプロジェクトリーダーを任せられるほど仕事が出来る。年上の人間を動かしたりもし、苦労が絶えないはずだ。彼の目の隈が物語っている。


「いつでも愚痴待ってるからな」


 これだけで風間の疲れが取れる訳がないけれど、少しでも支えになればと思って、僕はそういった。風間は僕を見て笑った。


「来週にでも飲むか。勿論アルコール抜きで」

「はは、そうだな」


 こんな会話も、もしかしたら今日で最後かもしれない。僕は一言一言味わうように発した。一か月ぶりの目と目を見ての会話。楽しくて、気が付いたら二時間も経っていた。


「そろそろ帰るよ、お前も診察あるだろ」

「ああ、来てくれてありがとう。楽しかった」

「こちらこそ、久しぶりに楽しかった」


 食べ終わったコンビニ弁当の残骸を袋に入れて、バッグを持って。ドアを開けるところで、彼は立ち止まった。五秒しても、全く動かない。


「どうしたんだ、風間」


彼は数秒考えて、ゆっくりと振り返って僕を見た。


「死ぬなよ、白鳥」


 僕は目を見開いた。今の言葉を発したのは風間か?


「どうしたんだよ風間、急にそんなこと言って」


 風間はそんなこと言うようなやつじゃなかった筈だ。明日地球が滅びるとしても死を受け入れて普通に過ごすと言うタイプだ。顔を見れば、授業を受けている時みたいに、真剣な顔をしている。目線は少し逸らしていて。


「ごめん、今更だけどさ。色々見ているうちに、後悔したくないって思って」


 今日ここに来る前に、余命宣告から始まる物語でも読んだのだろうか。申し訳なさそうにしている。今更だって、自分が大切に思っている存在から、そう思って貰えるだけで十分なのに。


「嬉しいよ、ありがとう」


 僕は風間の目を見てそう言った。風間は少し照れ臭そうにして、「ああ」とだけ答えた。ゆっくりと歩き出し、エレベーターに乗ったのを見送ってから僕はドアを閉めた。


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