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掌編小説集

冥胎

掲載日:2026/02/02

 

 匂いは甘く、酸っぱい鉄の味がする。

 舌の奥でその味を確かめると、懐かしい気分になる。

 遠い記憶のようでいて、たぶん昨日も同じ味をしていた。

 みんなこの匂いで生まれ、

 この匂いのまま眠る。


 静かに数える。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 四つめは、温かい。

 転がった腹の中から、赤黒いものがわずかに滲んでいた。


 その傍らで、指がもがくように折れ、

 小さな口がそれを咥えている。


 乳歯では噛み切れず、皮ばかりが幾度も裂ける。

 歯の隙間からこぼれるのは、血ではなく唾液だけ。


 ひとつの呼吸が終わるたび、

 別の呼吸が始まる。

 そのたびに、数が少しずつずれていく。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 みっつの裂けた股から、

 半ば成形されかけた骨が這い出ようとして、引っかかったまま脈打っている。


 重なり合う赤ん坊。

 抱かれかたの順序だけが違っただけで、

 肌の匂いは、どれも同じ。


 かつて同じ体から分かれた者たちが、

 また互いの中に戻っていくような閉塞感。


 くたびれた骨盤が、まだ生えきらぬ骨盤を割って種を埋める。

 膣のなかに精が重ねて流し込まれるたび、

 声は似た声と混ざり合って、どれが誰のものかわからなくなる。


 流れ出たものは、すぐに喉へ運ばれる。

 乾いた口がそれを受け入れ、また別の息を生む。

 吐き出したものと吸い込んだものが、

 境を見失っておなじになる。


 血は、濁ることで混ざり合い、

 混ざることで安らいでいく。


 小屋の隅では、昨日埋めたはずの顔が半分、泥から露出していた。

 目が開いたままで、それに気づいた誰かが、スプーンで眼球を掬って食べる。

 それは褒美ではなく、ただの慣例。


 狭さが、生を煮詰めていく。

 誰も出ていかない。

 出られない。


 膣工と口腔が循環しはじめ、

 精液と母乳と血と肉が、皿の底に沈む。


 その皿にある骨のくぼみ。

 くり返し使われて、もう誰のものとも言えない頭蓋骨。

 その底をかき混ぜ、ぬめりの中から肉片の形を拾い出す。


 皮膚が剥がれ、骨が湯に沈められ、

 肉がやわらかくなると、子らが群れてそこに指を入れる。

 指が入れば、腕が入り、腹が開き、内臓に新しい命が宿る。


 吐くのと飲むのの区別がつかない。

 ただ、口のなかで温度が移動し、

 咽ると、また誰かが背中を叩く。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 叩かれるたびに、喉の奥が波打ち、

 温かいものがこぼれ落ちる。

 床の上では、別の手がそれをすくい取る。


 それを見ているうちに、目の奥が赤く霞む。

 音が遠のき、匂いだけが濃くなる。


 誰かの目が、至近にある。

 でも見えない。


 手が腹に入る。

 入ってくるのがわかる。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 指が五本ある。

 それは間違いない。


 胃がゆれる。

 腹がひらく。


 言葉が抜けていく。

 思考がながれだす。


 世界が口を開けている。

 そこに、わたしのすべてが吞みこまれていく。


 また続きを数えるために。


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