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最近の再刊された古典の解説がひどい件

 中公文庫から江川卓訳の「カラマーゾフの兄弟」が出版された。

 

 ドストエフスキーファンなら知っているかもしれないが、江川卓訳の「カラマーゾフの兄弟」は長らく絶版となっており、古本が高騰していた。私は「罪と罰」も「悪霊」も江川卓訳で愛読しているので、私にとっては嬉しいサプライズだった。

 

 ただ、私が(これはひどいな)と思ったのが、中公文庫版「カラマーゾフの兄弟 四巻(最終巻)」の解説だ。

 

 私は本の解説というものをそれなりに重視している。よくわからない本は解説を一読して、ざっと全体像を掴む事も多い。また解説が良い解説、こちらが唸るような解説だった場合は、執筆者を調べて、その人物が書いた本も読んだりする。

 

 そういうわけで私は中公文庫版のカラマーゾフを手に入れると、先に解説をパラパラとめくる事にした。中公文庫版は四冊に分かれており、その巻末にそれぞれ解説含めたおまけがついている。

 

 1 訳者解説(江川卓)

 2 ドストエフスキー略年譜

 3 ドストエフスキー著作年譜

 4 解説(頭木弘樹)

 

 1の江川卓の解説を私はざっくりと読んだが、江川卓は独自な読み方をしていて、オーソドックスなドストエフスキー理解とはいえないし、鵜呑みにしない方がいいような感じだったが、とはいえロシア文学についての深い知識を江川は持っているので、「独自性の強い解説」として自分はけっこう面白かった。

 

 2、3はいいとして、問題は4の解説だった。

 

 私は頭木弘樹という人を知らなかったので(まあ、自分の知らないロシア文学研究者なのだろう)と踏んで、パラッとその解説のページをめくったのだが、その瞬間(ああ、これは駄目だ)とうんざりしてしまった。最初の一文だけ引用しよう。

 

 【村上春樹は『カラマーゾフの兄弟についてこう書いている。』】

 

 これが最初の一文なのだが、これだけでも(これは駄目だ)と直感した。まず冒頭から村上春樹を引用するという時点で、まともなロシア文学研究者という筋は消えた。

 

 頭木弘樹という人はその後何を書いていると言うと、村上春樹の「カラマーゾフの兄弟」を称賛した文章の引用の後に

 

 【ほんとうにそうだなあと思う。】

 

 と書いている。この時点で(知らんがな)という感じしかしない。

 

 さてその後でこの頭木弘樹という人はドストエフスキーについて何を書いているかというと、ほとんど何も書いていない。全く内容がないので、紹介のしようもない。説明すると、頭木氏がドストエフスキーの小説を読み始めた私的なエピソードが語られた後、本書を訳している江川卓を(死者なのにも関わらず)ヨイショするために、色々な翻訳の中で江川卓が一番好きだと言っている。これは中公文庫へのリップサービスと私は解した。

 

 この時点で私は腹が経ってツイッターに愚痴を書き込んだ。すると頭木弘樹氏本人から謙虚な返信が来たので、私の方でもつい、汚い言い方をしてしまった事を謝罪した。もっとも私が言わんとしている事は別に間違っていると思わなかったので、本質的な部分は変わらない。

 

 話を戻そう。私は頭木弘樹という人の解説に腹を立てて、この人物についてネットで調べた。すると「絶望名人カフカの人生論」を編訳した人だとわかった。

 

 「絶望名人カフカの人生論」が売れたらしいという情報は私もぼんやり知っていたので、この人がベストセラーを生んだ人物だとわかった。また出版業界でこの人が重んじられている(推測だが)のもおそらくはこういうベストセラーを生んだからだろう。

 

 それにしても、私が心底うんざりするのは、「カラマーゾフの兄弟」を最終巻まで読み、この作品の巨大さ、この作品の素晴らしさを味わったであろう読者が、「カラマーゾフの兄弟」やドストエフスキーについてもっと知りたいと思って最終巻の解説にまで手を伸ばすと、読まされるのが内容のない素人の私的感想という事である。

 

 そしてこの手の内容のない感想を書く人間が今の文壇・出版業界で増えていると私は感じている。 


 私が同じようにうんざりする解説というのは脳科学者の茂木健一郎だが、茂木健一郎がしたり顔でくだらない解説を書いているのを読むと心底うんざりする。古典が再刊された本にまで出張ってきて解説する事もないだろう。茂木健一郎にはテレビやYou Tubeで頑張ってもらいたい。

 

 それにしても思うのは、今はまともな学者や研究者はもうひとりも日本に残っていないのか、という事だ。ドストエフスキー研究者なんて日本にまだいるはずだが、しょっちゅう出てくるのは最悪の研究者である亀山郁夫だったりする。

 

 それでは、ドストエフスキーについての詳しい研究者、文学者は本当に日本にはもうひとりもいないのか、と言われればそんな事はない。

 

 例えば私が最近見ている、You Tubeで活動している「鹿島健」氏のドストエフスキーについての語りというのは、ドストエフスキーの極めて深い部分に触れている。私もこの人には多く教わった。

 

 しかし鹿島健氏は、アマチュアであり、素人である。逆に、アマチュアのような感想を書いている頭木弘樹氏の方が実際には「プロ」である。

 

 私はこれは要するに今の社会構造の現れだと理解している。知的な領域に限ると、そもそも知的なものを拒否したいが、教養の蜜だけは吸いたいといった弱い人々に対して、過去の文学だの哲学だのを現代人向けにアレンジして、乳幼児食のような歯ごたえのないものにして、この雛鳥達に口移しで与えてやる、そうした人達が知的な業界で重宝されている。

 

 これらの人達が重宝されるのはもちろん、意識の高い知的レベルの高い人相手に素晴らしい良書を書いたところで金にならないの対し、これら大衆に大衆が求めるものを与える人は、大きな金を生むからである。もちろんここでは本当の意味での知性というものは問題になっていないが、それでもそういう業界なので、そうした雰囲気だけは添え物としてつけておかなければならない。

 

 今の業界というのはそうなってしまっているのだろう。もっとも、これは理解できない事ではない。なにせ業界の人々もまた食っていかなければならないから、金にならない高貴な本ばかり出しているわけにはいかない。

 

 そんなわけで「人はパンのみに生きるにあらず」とキリストは言ったが、実際にはほとんどの人間が霊魂を放り出してパンにかじりつく。面倒なのは知的な領域では目指されているのはパンであるものの、あまりにも剥き出しにそれがパンであると宣伝するのは憚られるので、どこか知的な雰囲気のある、パンならざるパンといった不思議な食物を製造しなければならないという事である。

 

 一言で言えば以前から言っている大衆社会における知性や芸術の衰退の現れでしかない。頭木弘樹氏のプロフィールは「文学紹介者」となっている。これも文学評論家などという大仰なプロフィールをつけると色々突っ込まれかねないから、そういう軽いプロフィールにしたのではないかと私は邪推している。この社会ではプロと素人が完全に転倒している。



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図らずも別の分野で同じような経験をしたことがあり、感想を書かずにいられませんでした。自分の場合は福祉系の大学の面接の時でした。 個人的な話なので詳細は省きますが、北欧福祉の出羽守が語るぼんやりした話…
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