初めての会話
翌日。今日も朝から登校し、全ての授業を受けた。ケンスケとナベもそんな俺に慣れてきたのか、冷やかされることもなくなってきた。
帰りのホームルームも三上の観察をしながら終え、あくびをしながらグッと伸びをする。ひとつ前の席のケンスケが「ゲーセンでも寄って行かね?」と言えば、「それいいな!」とナベもやってきた。放課後の解放感に浮足立つ、ふたりの会話に適当に頷いていた時。ふと聞こえてきた会話に、俺はつい耳を傾ける。
「私は犬派だなあ。懐いてくれてかわいいし!」
「俺も絶対犬!」
「俺もー。なあ三上は?」
俺と三上の間でも、昨日上がったばかりの話題だ。そいつは猫派だぞ、なんて心の中でつい横槍を入れる。猫もかわいいよと言って、コッペの写真を見せたりするのだろうか。そう思ったのだけれど。
「うん、犬ってかわいいよな」
「だよなー!」
は? なんで猫派だって言わないんだ?
俺はついぽかんと口を開け、三上の笑顔を凝視してしまう。
本音を言えない性分なのだろうことは、ここ最近で薄々勘づいてはいた。だから気の乗らない球技大会のリーダーを引き受けてしまうし、他の頼まれごとも決して断らない。その後にこっそりとため息をつくくせに。
でもまさか、こんな他愛もない会話にまで同調してしまうとは。オレは猫がいちばん好きだよ、とたったそれだけで済むことだろう。昨夜のメッセージみたいに。
まさか、昨日のほうが嘘だったなんてことはないよな? いや、コッペを溺愛しているのは本当だろうから、それはないか?
なんだか無性に歯がゆくて、ケンスケとナベへの相槌も疎かになってしまう。イスの背に凭れかかり、俺はくちびるを噛む。
なにかがそうさせるのだろう、三上千歳という人物に。そしてそれは誰にも気づかれず、三上の本音はあの笑顔の奥で消えていく。アイツはそれでいいのだろうか。
得体の知れない焦燥感を持て余していると、そろそろ帰ることにしたらしい三上たちの集団が、教室の出入口へと向かい出した。最後尾を歩く三上がどうしても気になり、俺はひとつ舌を打って立ち上がる。
「俺が欲しい景品、電車乗んなきゃ置いてるとこなくてさー。って、尊?」
「どしたー?」
ケンスケとナベへの返事もせず、まっすぐ三上へと近づき手首を掴んだ。
「おい」
「ん? っ、えっ、花村!?」
「お前さ」
「っ、えっと……?」
「あー……」
けれど、続く言葉が見つからずに口ごもる。勢いまかせすぎたか。お前本当は猫が好きだろ、なんて言ってしまえば、ゲームもここで終了になってしまう。
いつもだったら冷静にそこまで考えられるのに。なにもせずにはいられなかった。
よほど驚いたのか、三上は顔を赤くしている。手首を開放し、どう誤魔化そうかとさまよった俺の手は、自ずと胸ポケットへと向かった。なにかを考える時や手持ち無沙汰な時、常備しているお気に入りの飴を舐めるのは俺の癖のようなものだ。無意識な自分にラッキーとばかりに、飴をひとつ取り出す。
「これ、やる」
「っ、この飴……え、っと。もらっていいの?」
「おう」
「ありがとう……すげー嬉しい」
それにしたって、だ。話したこともなかった相手を突然引き止めて、ただ飴を渡すなんておかしいに決まっている。どう言い訳をしようか。内心焦っていると、想定外のブーイングが背中にぶつかった。ケンスケとナベだ。
「はあ!? おい尊、それ俺には絶対くんねーじゃん!」
「はいはーい、俺も俺も!」
「……いやお前らガキかよ」
「だってなあ? マジで1回ももらったことねーし」
「食いたかったら自分で買え」
「三上にはあげるのに?」
「ケチー! ひいきだひいき!」
「っだー、うっせえ!」
ふたりがグチグチと言うから、三上がうろたえ始めてしまった。手の上の飴とケンカでも始めてしまいそうな俺たちを、交互に見やっている。もらっていいのか、と困っているのかもしれない。
「花村、これ……もらったらマズい?」
「んなことねえよ。いいから」
「でも……」
「俺はお前にあげたの。な?」
「……うん」
「アイツらは気にしなくていいから。引き止めて悪かった」
廊下でダチが待ってるぞ、と視線で知らせ、自分の席の方へと踵を返す。けれどすぐに振り返り、もう一度三上を引き止めた。
「なあ、三上」
「っ、なに?」
「俺は猫が好き」
「っ、……そう、なんだ」
じゃあな、と三上に軽く手を上げて、今度こそ席に戻る。飴ぐれーで騒ぐな、とふたりを小突き、けれど頭の中を占めるのは三上ばかりだった。
「飴ぐれーってんならちょうだい」
「それな」
「やだ」
「ほら! ひいき!」
「だってもう持ってねえもん」
「は……? 最後の一個をあげたってこと? あんな気に入ってんのを? 尊が?」
「それな。てか、尊が俺ら以外に話しかけんのも久々見た」
「天変地異マジで来るわこれ」
「な。尊、お前大人しくしてろ」
「お前らそれ言いたいだけだろ」
クラスが同じになってもう秋だというのに、三上と初めて会話をした。あんなに冷たく目を逸らされてきた割には、思わず掴んだ手を振りほどかれることはなかった。間違いなく嫌われていると思ってきたのに、その感覚に違和感が生じた。それこそ飴ぐらいであんな喜ぶか? と思えるくらいには嬉しそうだったし。
それに、だ。俺自身にも、なんだかよく分からないことが起こっている。驚いたからとは言え三上の淡く染まった顔を見られたことに、なぜか胸が高鳴っている。
「ゲーセン行くんだろ。早く行くぞ」
「あ、そうだった!」
おもしろいな、とは確かに思う。あの三上が妙な手を使ってまで、俺と関わろうとしたという事実が。それでもこの高揚感の正体は不明だ。自分のことなのに理解できないなんて、ちょっとイライラする。それを紛らわすように、行くなら早くしろとふたりを急かした。
そうして迎えたその夜。三上からのメッセージでニヤけてしまう口元に、俺は指の節を押し当てていた。
《今日はいいことがあった》
《どんな?》
《いいものもらった》
《へえ。高いもん?》
《おいしいもの》
《へえ》
これは放課後の俺との出来事にも当てはまるな。もちろん、確証はないけど。とは言えなぜ、俺のことだったらいいのに、なんて思ってしまうのだろう。自分の感情がうまく見えなくて、やっぱりもどかしい。
それでも――買い足した飴の口の中で転がる音が、なんだかいつもより軽快に聞こえたことだけは確かだった。