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エピローグ

(たける)、キッチン終わった!」

「お疲れ。寝室も今終わったところ」


 ちーはキッチン、俺は寝室。それぞれの担当場所の片づけが終わって、ふたりして真新しいソファに腰を下ろす。こちらも買ったばかりのカーテンを春風が揺らし、街を照らす日差しは刻一刻とオレンジへと移り変わっているところだ。

 ちーが大学三年生になるこの春、ふたり暮らしを始めることになった。今日は引っ越し当日で、部屋の隅にはまだ段ボールがいくつか積み重なっている。


「お腹空いた? ちょっと早いけどなんか食べる?」

「んー、まだいい」


 ほどよく疲れた体に、ちーの提案は魅力的だけれど。それよりもまずは、とちーの膝に頭を預ける。

 高校を卒業してほぼ一年後、俺はアクセサリーショップの正社員になることができた。それを機に一緒に暮らそう、と誘った時。ちーは涙を浮かべて嬉しそうにして、でも首を縦には振ってくれなかった。バイトこそしているが自分はまだ学生で、ちゃんと就職してからにしたい、と。

 俺としては、本当は高校卒業後すぐにでも同棲を始めたかった。それでも実家で暮らし続けていたのは、ふたりで暮らせる部屋をフリーターと大学生で借りるのは、現実的ではないと思ったからだ。だから俺にとって、正社員への昇格は待ちに待った機会だったのに。

 引きたくはなかったけれど、ちーも頑なだった。そうだ、そういう男だった。こうと決めたことは中々譲らない、そこに俺への想いがあればなおさら。そんなところも好きだし、社会人になって胸を張って隣に立ちたいのだと言われては、俺も飲むしかなかった。

 それでも完全には譲らなかった。「内定をもらっている頃、二年半後はどうか」と提案されたから、じゃあ一年後は? と提案し返した。これから先ずっと一緒にいるのなら、こういう選択にきっと幾度も迫られる。好きだからこそ譲ることもあれば、時には押し通したいこともある。近くにいることは、俺にとってなによりも重要だった。

 そうして勝ち得た、俺が社会人になって一年後の今日。ようやくこぎ着けたという感覚だが、ちーにとっては想定より前倒しの新生活だ。

 ちーが社会人になるまでは、俺が生活費を多く出すつもりでいる。そんなのだめだよと恋人からの納得は得られていないが、実家暮らしでコツコツと貯金してきたのはこのためだ。俺にとって、これも譲れないことのひとつだ。


「そうだ。山田(やまだ)真野(まの)さんが、引っ越し祝いに来たいって言ってたよ」

「へえ。あのふたり付き合い始めたんだっけ」

「うん」

「やっとかよ。山田は高校の時から真野のこと好きだったよな」

「え、気づいてたの?」

「分かりやすすぎだろアイツ」

「尊って実は人が好きだよね」

「はあ? いや苦手」

「そうかな。ちゃんと皆を見てる。狭く深くなのは、大事にしたいからなんだろうなって思うよ」

「……分かんね」

「あー、照れてる」

「うっせ。ちーだって人のこと言えないだろ。自分よりすぐ優先しちゃうくらいには」

「ただ臆病なだけだけどね」

「でも少しずつ、自分の気持ちも言えるようになってきたよな」

「うん、そうかも」


 ずっと髪を撫でてくれているちーを見上げる。

 ちーの耳には、あれからピアスもいくつか増えた。もちろん、全部俺が開けた。一対のピアスをふたりで分け合ったものも光っていて、それが胸に甘酸っぱい。噛みしめながら頬に触れると、胸の底から愛しさがこみ上げる。ツンと痛む鼻に思わずくちびるをそっと噛むと、ちーが屈んでキスをひとつしてくれた。


「そう言えば椎名(しいな)さんも……」

「……なに?」

「あ。またヤキモチ?」

「そう、またヤキモチ」

「ふは。引っ越しのお祝いくれるってさ」

「そ、そっか」

「ふ。あと、ケンスケとナベも早く遊びに行きたいとか言ってた」

「楽しみだね。もう山田たちといっぺんに呼んじゃう?」

「そうだな。でもまあ、しばらくは勘弁」

「なんで?」

「やっとちーといれんだから、邪魔すんなって話」

「……ん、そうだね」


 頭をそっとソファに下ろされて、ちーが覆いかぶさってくる。キスはすぐに深くなり、甘い声が自ずとこぼれる。何度も愛し合ううちに、俺の体はすっかり変わってしまった。


「ベッドいく?」

「んー、新居での初めてがソファ、ってのもいいんじゃね」

「燃えるかも」

「だろ?」

「う、尊かっこいい」

「ちーはかわいいな」

「はは、もう」


 始まりの春の新しい日が、甘やかな時間にとろけだす。愛しい男を受け入れるのは、いくらくり返しても幸福に溺れそうになる。もう無理というほど愛されて、同じだけ愛したい。


「ねえ尊」

「んー?」

「オレ夢みたいだよ。一緒に暮らせるなんて」

「ん、俺も」

「ありがとう、大好き」

「ん……なあちー、早く」



 ずいぶんと時間が経った後、気だるい体で少しまどろんで、ふたりで風呂に入った。先にリビングに戻った俺は、自分の分の段ボールをひとつ開き、小さなスケッチブックにペンを走らせる。


「尊ー、なんか飲む?」

「あー、うん。もらう」


 高校生の頃、俺がねだって交換した指輪はすっかり互いの指に馴染んでいる。もう返すこともきっとなくて、じゃあ次はと揃いのものが欲しくなった。それ以来ずっと考えているデザインは、何度も何度も描き直しまだ未完成だ。


「なに書いてたの?」

「内緒」

「え。どうしても?」

「うん、無理」

「…………」

「ふは、口とがってんぞ。タコちーだ」


 でも今メモしたばかりの“無限大”は、デザインに落としこむことになる気がしている。一緒に暮らしてきっともっとちーに夢中になるのだと、そんな予感が胸に閃いたから。完成の日はきっと近い。


「いつか教える」

「絶対?」

「うん。だから機嫌なおせ」

「んっ。はは、口食べられた」

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