イレギュラー
夏休みが終わって少し経った、まだまだうざったいほどに暑い九月。
花村尊。高校二年生、C組。このクラスの一員になって半年経ったのに、自分の属する場所だという感覚が俺にはない。
別に、他人と関わることを頑なに拒んでいるわけじゃない。ただ、積極的にそうする必要性も感じられないだけだ。遅刻は常習犯、授業はしょっちゅうサボる。いわゆる不良ってヤツで、クラスメイトたちだってわざわざ近寄ってはこない。よく話すのは、中学の頃からつるんでいるケンスケとナベだけ。
それでなにも問題はなかったのに。
ここ最近は、クラスメイトたちの観察を余儀なくされている。イレギュラーは全て、ほぼ強制的に参加させられたゲームのせいだ。おかげでサボる暇もない。
教師の目を盗んでスマートフォンを操作し、すぐさま教室内を見渡す。視線の先は、特定の生徒数名。でも今日も、なんの手がかりも得られそうにない。小さくなった飴玉をガリッと噛んで、俺は舌を打った。
事の始まりは、一週間ほど前の放課後だった。いつものように午後の授業をサボり、人も少なくなった頃に教室に戻った時。机の上に放り出していたペンケースの下に、それはあった。
“ID:××××
このIDに連絡ください。chi.”
薄いピンク、テディベア柄のメモ用紙。丸っこい字で書かれたそれを、速攻でゴミ箱に捨てて下校した。
そして翌日、またしても放課後。メッセージアプリのものだろうIDを書いたメモが、再び俺の机に置かれていた。今度はご丁寧に、“花村くんへ”との宛先つきだ。連絡を入れなかったのはなにも、俺宛てじゃないかも、と判断に困ったわけじゃないのに。
気味が悪いし、うざったい。腹が立って、思わずぎゅっと眉間を寄せた。犯人が近くにいるのではと辺りを見渡してみたけれど、それらしき人物は見当たらなかった。ビリビリとちぎって、ため息と一緒にゴミ箱に捨てた。
まさかとは思ったが、その翌日にもメモはあった。ケンスケとナベに『俺の机に誰か近寄ってなかった?』と尋ねてみたけど、心当たりはないらしい。ふたりが不審に思わないということは、同じクラスのヤツの仕業か。
イライラが絶頂に達するのを感じつつ、渋々メモを持ち帰った。このままだときっといたちごっこで、いつまでもこのメモから逃れられない予感がしたからだ。この日は新たに、“どうしても連絡が欲しいです。嫌になったらブロックしてもいいので”のひと言が添えられていた。
あーあ、本当に面倒くさい。なんで俺から連絡しなきゃいけねえんだよ。どこの誰かも分からないヤツに。
仕方なく、IDをメッセージアプリに入力した。メモにある通りの、“chi.”という名のユーザーが表示される。アイコンは、例のメモ用紙を撮影したと思われるテディベア。十中八九、女子だろう。今でこそ気安く声をかけてくるヤツはいないけど、小さい頃から注目を集めていた自覚はある。
『いつも気だるそうにしてる不良って、なーんか色気あってモテんだよな。その真ん中分けの髪とかさあ。お前背高いし、イケメンだし。ムカつく!』
とはケンスケ談。
身長は180㎝。近寄りがたい雰囲気を出すために、高校に上がってピアスの穴をバチバチに開けたのに。不良がモテる? 意味が分からない。ちなみに髪も染めてみようと思ったけど、プリン防止のためにしょっちゅう染めるなんて面倒でやめた。
『なんでもめんどくさがる尊がモテるとか、女子って謎の生き物よな』
これはナベのひとこと。恋愛とか全く興味がないから、嬉しくもなんともない。マジで心底、どうでもいい。
この“chi.”とやらも、その内のひとりなんだろう。もう何度目かもわからないため息を零しつつ、嫌々ながら短いメッセージを送ってみる。
《お前誰》
《連絡ありがとう! 待ってた》
待ち構えてでもいたのか、返信はすぐに返ってきた。
《お前誰》
《それは内緒》
《ブロックする》
数秒でのラリー、その割に煮え切らない態度がムカつく。早々にブロックを宣言したけど、相手はすかさず《待って!》と引き止めてきた。
《ゲームをしませんか》
《は?》
《私が誰だか当ててください。タイムリミットは一ヶ月》
《当てられなかったら?》
《私の言うことをなんでもひとつ聞いてもらいます》
《俺にメリットがない》
《花村くんが当てられたら、私がなんでも言うことを聞きます》
そこで一旦手を止めた。
このゲームに乗って、仮に相手の正体を言い当てられたとして。こんなやり方で近づこうとするヤツに願いたいことなんて、関わるなとかブロックさせろくらいしか思いつかない。ならば、応えてやる必要はない。今そうすればいいだけだ。
《やらない》
《そこをなんとか。お願いします》
でも尚も食い下がってくる様子に、ふと指を止めた。面倒、だるい――いつも抱えている感情を天秤に乗せてみると、ちょっとした高揚感が反対側で揺れていたからだ。
俺の趣味は、ミステリー映画鑑賞だ。姿の見えない犯人を捜す王道のストーリーが、頭を過ぎる。退屈な時間をこなすだけの日々に、スパイス程度にはなるかもしれない。
《分かった》
《やった!》
喜ぶ返事がすぐに返ってきた。相手の思うつぼみたいで癪だけど。
ノーヒントは不公平だろうと参加の条件に求めてみると、いくつかのヒントが提示された。
同じ学校、同じ学年。性別は秘密。
その程度なら、既に想定していたものだ。なんならすでに、クラスも同じだと踏んでいる。でもこれ以上のヒントは一切貰えず、渋々と了承する他なかった。
こちらからの連絡を強いられ、提案も飲んでやったというのに、主導権が相手側にあるのがどうも気に入らない。不公平感が面倒くささに拍車をかけ、天秤をぐらりと傾けた。
だけど――乗ってしまったゲームから身勝手に下りるなんて、負けを認めるみたいじゃないか。
イレギュラーな毎日が、こうして高校二年生の九月に始まったのだった。